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教室レポート(98)        2012







八重洲教室 10月13日(土)  


 冒頭では先週綾部の工業団地で行われた「ゐやびの祭り」の話で盛り上がった。

参加した誰もが好感を持ち、歴史的、伝説的な集いになったに違いない。

今後さらに発展して行くことを期待する。


 第25巻  第一三章 握手の涙  第一四章 園遊会  第一五章 改心の実  第一六章 真如の玉

       第一七章 森の囁  第一八章 玉の所在  第一九章 竹生島

 友彦夫婦は小糸姫等と面会し、お互いの過去の罪を謝し、相和し相助けあって行くことになった。園遊会が終

わってから蜃気楼が現れ、一行は諏訪の湖の竜宮城に進むことになる。

 湖で目無堅間の神船に乗って竜宮に渡り、玉依姫より五つの玉を受け取る。梅子姫等と玉治別等十柱は八咫烏

に乗り由良の聖地に帰還する。一方清公等の5人はアンボリー に乗って地恩城に降る。

 高姫、黒姫、高山彦はオーストラリアでの玉探しに見切りを付けて、淡路の洲本の酋長東助の館まで戻り、こ

こにも玉が無いと思って生田の森の杢助館を訪れる。三人はそれぞれ国依別から玉は竹生島の社殿の下に隠して

有ると言われて、それぞれが竹生島に向かって行くのであった。



              

                                            桜井道彦記


富山教室 10月18日(木)  


始めに綾部で行われた「ゐやびの祭り」の模様をお話ししました。ついで、愛善世界誌六月号に掲載された霊の

礎(10)【霊界物語 第二四巻】を拝読。

  1、高天原(天国)と云うと特別な世界と思いがちだが、実は地上の世界と同様に住所や家屋があり、天人

   の生活は地上の我々人間の生活と相似している。一度も見たことがないので疑うのは無理ないと思うが、

   地上現界というのは霊界の移写である事を自覚して欲しい。もし天人に羽衣を着て空中に浮かんでいるの

   かと問えば、お前は気違いかと笑われるだろう。

  2、天人の生活は「愛と信との善徳の進むに従つて益々荘厳の天国に到り、又は立派な地所や家屋に住み、

   立派な光輝く衣服を着ている。何れも霊的生活であるから、その徳に応じて主神より与えへられるのであ

   る。」天人にも現界人のように名位寿福の願いを持って居て進歩もあり向上もある。

    全ての疑惑を捨て、天国の生活を信じることにより、天国という大歓喜を受けられるのである。

  3、天国にも士農工商がある。士は宣伝使である。人間は生前持っていた意志や感情や又それぞれの事業を死

   後の世界まで受け継ぎます。又天国や霊国にも貧富や高下の区別があります。死後、歓喜の生涯を送ろう

   と思へば、現世において各自の生業に励み、神を理解し、神を愛し神を信じ、歓喜の生涯を生前より営な

   んでいなければなりません。

 

第15巻第15章「山の神」を拝読。

 高国別の宣伝使は穴に落ち一時仮死状態となり、天国で素盞嗚尊の八人乙女である愛子姫、幾代姫、菊子姫及

び、第13巻に出てきたウラル教の半ダースの宣伝使の内、亀彦、梅彦に会う。そこで自分の素性が活津彦根神

(天照大御神の五男神の一柱)であり、かつ愛子姫が自分の妻である事を知ります。ここで、前世ではペテロ(

サンクトペテルブルグ)の神、道貴彦の弟であり、生き変わり死に変わりして活津彦根神と現れ現在に至る事を

教えられます。

 『アヽ、有難し有難し、思ひも寄らぬ山上の見合ひ、山の神様の御仲介、草の筵に雲の天井、風の音楽に木々

の木の葉の舞ひ踊り、イヤもう有難う承知仕りました』 と高国別は笑顔をもつて迎へゐる。これより世俗は妻

を山の神と云ふのである。と章題でもある山の神の由来がのべられています。

 上記二男三女は正気に返った高国別を助けようと、上と下で冗談交じりの問答をしている内に高国別は地上に

登って来ます。

参考までに八人乙女とは

(あ)愛子姫 (い)幾代姫、五十子姫 (う)梅子姫 (え)英子姫(ひでこ) (き)菊子姫、君子姫 

(す)末子姫  です。         

                                          以上 阿良田記

次回11月22日(木) 午後7時より

  12月 2日(日) 午前10時より


金沢教室 10月22日(月)  


今日はとても暖かな日で日中27度もありました。

 始めに富山と同様、綾部で行われた「ゐやびの祭り」の模様と愛善世界誌六月号に掲載された霊の礎(10)

【霊界物語 第二四巻】を拝読する。


霊界物語第15巻第2章 「銅木像」を拝読。

この章の銅木像は第13巻の第5篇「膝栗毛」に書かれているように、勝手気ままに生きてきた弥次彦を戒

めるための奇怪(機械)な代物なのでしょうか。話は全体に滑稽諧謔に進められていますが

音彦は 『オイ余り油断をするな、油断すると知らず識らずに慢心が出て思はぬ失敗を演ぜないとも限らぬ。

隅々までも気を付けて進まねばならぬぞ』と云っています。

 48ページに与太彦が 『コリヤ、熱い熱い、何程厚い志と言つても、コー茶にされては有難くもないワ、

然し一利あれば一害あり、鼻だらけの身体の洗濯には持つて来いぢや、腹も立つが茶腹も立つ、然し小便丈は

閉口だ』とあります。

今の世の中は便利になれば、自分に都合が良ければ何でもありの時代ですが、時として、一利を得れば一害が

生ずる事を心しなければなりません。また、コー茶は紅茶との掛詞か?

更に弥次彦は 『お香水なら結構だが、この見本ではねつから気に入らぬ、破約だ。もう此方からこの代物は

小便しますワ』の「小便」は売買契約後に、売方・買方のいずれかが不当にその契約を破ることの俗称です。

 50ページに音彦が 『・・・霊界物語の第一巻にあつた通り、苦中楽あり、楽中苦ありだ。天国と云つて

も苦しみあり、地獄と云つても楽みがあると云ふは能く言つたものだ、心の持ちやう一つで地獄となり、極楽

となる。嗚呼有難いものだ』の「苦中楽あり、楽中苦あり」は?

「序」の中に「苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示せしものにして」の苦であろうか。また、聖師

の幽界探検での修行は大変苦しい物であったようだが、一方では魂が救われるという楽しみがあったと思う。

そして、「心の持ちやう一つで地獄となり、極楽となる」のです。

                                      以上 阿良田記

次回

11月19日(月) 午後1時30分より

12月10日(月) 午後1時30分より


青梅教室 10月29日(月)  


                                         於青梅市民会館

物語17巻。第2篇千態万様、第7章、枯尾花、第8章蚯蚓の囁。

ウラナイ教の黒姫が高山彦と結婚式を挙げる場面の展開が面白く描写されている。ウラナイ教の四天王と呼ば

れる、夏彦、常彦達の心が黒姫から離れて行き、やがて三五教の信者になって
行くが、ウラナイ教の本質は2

章しか拝読しなかったが、過不足なく理解出来た。ウラナイ教は邪教と表
現されるが、反瑞霊が邪神で有って、

厳霊のみ、艮の金神のみを中心にした教えが邪教と示される。弥勒
の世とか、神政成就とか、弥勒三会の暁と

か、一厘の仕組、経綸とか、日々称えるカンナガラタマチハへ
マセも同じで有り、全く別教団とは言えない。

ここでも、坊ちゃん育ちの緯役と呼び、言依別命を排斥してい
る。国治立(国常立)の大神の開いた三五教を

瑞霊が混ぜ返すと力説する。高姫黒姫の存在は素盞嗚尊率いる
三五教集団の対極に有って、物語の主人公でも

有る事を思うと、大本教団の中にウラナイ教が存在す
るとも言える訳で、他人事では無い。ウラナイ教の大元

の表現も頷ける。大本立教時に聖師が味わった苦
難の歴史に思いを馳せながらの拝読で有った。聖師の神格が

表に出る事が一厘の経綸と言う事を肝に銘
じて拝読を進めたく思う。

                                            三輪 光佳

次回11月26日。17巻、