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教室レポート(97)        2012






金沢教室 9月13日(木)  


 2月以来7ヶ月ぶりで出口先生を迎えて金沢、富山と行われました。


 大本の行事を振り返ってお話がありました。昭和3年に沖縄に行かれた聖師様が二個の小石を取られて霊を

込められ国魂石とされました。沖縄返還の年(40年前)に四代さまと栄二先生によって琉球主会で国魂石(神)

の鎮祭が行われました。そしてこの3月に40年の記念の祭典が行われました。また、摩文仁の丘で沖縄戦と東

日本大震災の慰霊祭が行われた模様などのお話がありました。

 6月には綾部の方で、その方の祖父が聖師と懇意で、またその方も信一先生と親しかったのでお誘いを受け

モンゴルへ行かれたお話がありました。日本人墓地のモニュメントの前で天津祝詞を奏上していたら、無性に

涙かこぼれたそうです。同行した現地の通訳の人も天津祝詞の声に一緒に涙が出たそうです。この地に眠る人

々を思い慰霊祭の重要さを実感されたそうです。

 8月に、御香良洲神社(三重県津市)の祭典がありました。御祭神は若日るめ命(大本では若姫君命)で開祖

の御神霊です。素盞嗚尊とのロマンスがあったと言い伝えられる神社で、明治45年に開祖、聖師一行が参拝

され若姫君尊の神霊を迎えて帰られました。そのとき開祖は声を出して泣かれたそうです。若日るめ命を祀る

神社は他に和歌山県の玉津島神社と神戸の生田神社があります。

 8月の終わり29日(旧暦7月12日)は夏の祭典、瑞生(づいせい)大祭です。大祭に先立ち1週間(6~

12日)は七夕祭(神集祭)といって、本宮山に神々さまが集まり一年の出来事を神議(かむはか)りに議ら

れます。この間は普段している私事のお願いは控え、世界平和等のこの世全体の事をお願いする期間で、謂わ

ば身を慎んで世のため人のために考え、祈る期間です。大本にはこの瑞生大祭を除いて身を慎み世界について

考える大切な期間はありません。

 10月に行われる「ゐやびのまつり」について説明がありました。


今月より第14巻に入る。序歌、信天翁四、総説歌、第一章「三途の川」を勉強。

「三途の川」では人は死んでも直ぐには死んだと認識できないようで3人はまだ娑婆にいると思っている。音

彦は「ナンダか気がいそいそとして、一刻も早く行きたい様な気持になって来たワイ」と言っているので、さ

すがに宣伝使は天国の気分のようだ。

弥次彦も「この河はまた例外だよ、河一面の流れで、しかも青味立つた清水が流れて居る。大抵の河は、河一

面に水の流れる時は大雨の時で、泥々の真赤な水だが、コラまた稀代に立派な河だワイ」と言っており清らか

な水が流れているようだ。そこに脱衣婆が出てくる。その容姿は「白髪頭をヌツと出し、渋紙面をさらして現

はれて来た」「背の高い、小面憎い面をした老婆だな………」とあります。

未だ娑婆に命のある身魂は「ヤア不思議だワイ、お前の霊は、遠の昔に痺れて了ふて免疫性の無感覚だと思つ

たに、冷たいのが分るか、それではチート何処かにまだ息があるワイ、コンナ所へ来るのはチト早いのだけれ

ど、修業の為に、我を折る様に、この河を渡れ、裘(かわごろも)を剥ぐ丈は免除してやらう。随分冷たい河だ

ぞ、この河が冷たくなくして渡れる様ならモウ駄目だ。冷たければチツトはまだ人間の息が、霊に通ふて居る

のだよ」とあります。ここに「息が霊に通ふて居る」とあります。鬼婆は「顕幽一致、生死不二だよ。今の娑

婆に居る奴は、肉体は生きて居るが、霊はみな死にたり、腐つたり、亡びて了つて居るのだ。併し乍ら、貴様

は感心な事には、肉体は亡びたが、まだ霊(みたま)に生命があるワイ」といっています。
             
                                                       以上阿良田記

次回

10月22日(月) 金沢教室 午後1時30分より 14巻


富山教室 9月13日(木)  


 初めに大本神諭第五集が発売され神諭の発刊意義のお話がありました。

霊界物語は開教100年の記念事業で、今回の大本神諭は百二十年の記念事業として出版された。紫の帯に書

かれた「お水と、お火と、お土とで、この世が立ちて行くのであるぞよ。」はこの神諭最後(大正7年3月1

5日)の一文で今日の社会にとって重要な示唆を与えています。そして、霊界物語を読めば読むほで神諭を読

まざる終えなくなり、神諭を読めば読むほど物語を読みたくなるのです。

 出口先生に同行された宣教部の長谷川氏のお話。

神諭の編纂に携わった感想として、神霊界に発表された初め (大正6年) は「立替立直し」等の厳しい(セン

セーショナルな)言葉で書かれているが、第一次事件以後は現政権を転覆させるような表現と捉えられるのを

恐れてか「天の岩戸開き」のような優しい表現になっている。また、智慧も知恵とやさしくなっている。是ま

で出された物は書かれた順序を変えたり原文とは表現を変えて出されたが、今回は編集順序も聖師が神霊界に

発表された順序に沿ってで正しく出した。編年体である。また、聖師が書かれたと思われるもの(裏の神諭)

も載せた。

 お筆先は平仮名文でかかれ、神諭は御筆先のなかから取捨選択し、漢字を当てて書かれたものなので開祖の

文がルビと成っている。ルビは初めのものは総ルビではない(1/3)。大正7年から総ルビとなったので、

初期のものに是までに発刊されたものなどを参考にルビをつけた。

一般的に見ると間違えと思われるルビもその当時の丹波地方で使われていた方言と思われる節があるのでその

まま載せた、出来るだけ昔のままとした。

霊界物語を勉強する上で神諭は欠かせないものであり、神諭を理解するには霊界物語によらなければ正しく理

解できない。等のお話がありました。



第15巻 第2篇 第一二章「一人旅」、第一三章「神女出現」第一四章「奇の岩窟」を勉強。

第一二章「一人旅は」なかなか感動的な文章です。ここに出てくる鬼掴(高国別)は巻末の注にあるように、

実は天照大神の五男神の一人である活津彦根の神です。ある尊い神とは恐らく天照大神であろうから、一人旅

をする素盞嗚尊に対する姉神の優しさではないだろうか。表向きは地教山に行く素盞嗚尊を邪魔するように見

せ、その実淋しく一人旅をする尊にお供を着けられたのではないでしょうか。それと同時に高国別を修行に出

されたのではないでしょうか。

また、「ヤヨ、愛らしき素盞嗚尊よ妾は汝が母伊冊命なるぞ、・・・・」は何と感動に満ちた文章でありまし

ょうか。そして、子を思う母の気持ちと素盞嗚尊の清廉潔白で本当の働きが示されています。

ここに出てくる剣は人を切る剣ではなく言霊剣です。従って叢雲の剣は教えでしょうか。

                                       以上阿良田記

次回

10月18日(木) 富山教室 午後7時より 15巻


八重洲教室 9月22日(土)  


 冒頭にて9月8日に行われた神島遥拝祭と、9月16日に行われた皆神山祭典の模様を聞いた。


 第25巻  第五章 酒の滝壺  第六章 三腰岩  第七章 大蛇解脱  第八章 奇の巌窟  

       第九章 信仰の実  第一〇章 開悟の花  第一一章 風声鶴唳  第一二章 不意の客

 清公はチャンキー・モンキーと共にクシの滝壺を訪れる。昔は自然の清酒が湧き出していたが、いまでは一滴

も出なくなってしまい、それを呑んでいた竜神は人間の子を呑み食らうことになり、それを防ぐ為に郷人は毎月

酒を醸り滝壺に満たしていたが、この苦痛を逃れる為に大蛇を退治しようとしていた。清公は宣伝歌を歌い大蛇

を解脱させ、郷人の心の過ちが大蛇を現したのだと説く。

 清公等はスワの湖の辺の竜神の宮へ進んで行く。一同は湖水に飛び込んで行き、金銀の蛇が空地なきまでにい

る男島や、金銀の蜈蚣が数限りなくいる女島へ行き、モンキー以外は金銀の身体に変わるのであるが、モンキー

のみ変わらず善悪の判断に迷うのであった。モンキーは不思議な体験をして行き、遂には頭脳で考えるのを止め

て神に万事を任せようとし、洞穴の中で初稚姫等の顔が映る五つの玉を見る。

 地恩城の黄竜姫が月見の宴を開いている最中、黄竜姫と蜈蚣姫の副守護神は千仭の谷間に突き落とされ、本守

護神のみとなった黄竜姫は今後は決して月見の宴をやらないと神明に約する。

貫州と武公は友彦が襲ってくる光景を見て、それを報告するのであるが、疑心暗鬼がもたらした夢であったこと

がわかる。

 その後、友彦はテールス姫と地恩城を訪れ貫州等に半死半生の目に遇わされるのだが、少しも抵抗せづ、城内

に導かれて行く。

                  

                                            桜井道彦記


青梅教室 9月24日(月)  


                                          於青梅市民会館

物語17巻、第3章生死不明、第4章、羽化登仙、第5章誘惑婆、第6章、瑞の宝座。


真名井ヶ岳の山奥の岩窟に閉じこめられた、丹波村の平助の孫娘お節救出に向かった鬼虎、鬼彦等5人の邪神

の改心劇、平助、お楢の改心に至る道程を拝読し、豊国姫の神霊の教えを学ぶ
2時間余の拝読会でした。此所

にたどり着くまでのお節は白狐の化身で有ったが、本物のお節を閉じ籠
めた窟は鬼彦、鬼虎しか知らないので、

鬼武彦の計らいで漸く到着した。鬼雲彦の部下だった5人が神の
道に目覚めたのだが犯した罪の代償に黄金仏

となったり、素っ裸のまま雪道を歩かされたり、しながらも
神界の慈悲にて羽化登仙の姿で救われる描写は涙

垂れる思いがします。肉体は凍死させて身魂を神界に救わ
れます。ここに神の愛を思いますが、又、昨年の東

北大震災で犠牲となられた2万に及ぶ方々の霊魂の救
いを想起して、神の究極の愛の形を物語の中から取り上

げて学ぶ時、底の浅い勉強の仕方しかして来な
かったと反省させられます。原発の問題にしても物質文明の進

化の先に有る原子力が、人類に幸福をもたら
すかどうか?物語を透して見れば明らかで有るのに、その様な見

方をして来なかったのが悔やまれます。

通り一遍の物語拝読を脱するべきと思います。そして豊国姫の神にお示し《何事も神に任せて汝等が力のあら

む限り誠を尽くせ
よ》の神言をかみしめ、素盞嗚尊の弟子として行動に出る時と覚悟した次第で有ります。


                                          三輪 光佳

次回10月29日。17巻