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教室レポート(96)        2012






金沢教室 8月20日(月)  


始めに愛善世界誌7月号に掲載された、入蒙記の水火訓を拝読。

大本出現以前の予言者の教え(釈迦やキリスト等)や厳霊開祖の御筆先は総て水洗礼(体的な教えが主体で謂

わば体主霊従)であった。しかし、世が進み物質文明が終点に近づきつつある今日、精神面では神を信ぜず無

神論さへ唱えるような世となった。すなわち火の洗礼(霊的教え)が必用な時代が来たのでキリストが再臨し

火の洗礼を施す時代となったとある。瑞霊聖師の教えは霊界の消息を主体とした霊主体従の教えである。

     陽(霊・厳・主) 開祖(国常立尊)     水の洗礼(体的働き)

     陰(体・瑞・従)  聖師(天のミロク様)    火の洗礼(霊的働き)

 一般には厳霊である開祖が水洗礼で瑞霊である聖師が火の洗礼とは矛盾していないか?

 「神霊界の秩序に照らしてみれば、天のミロク神(主神)のご用をされる瑞霊が、位置的には首座であ

り、下って地上の神界や神業において国祖のご用をされる厳霊が主体にあり、時、所、位に応じて首位

も逆転し、補い合うということも肝に銘じて信仰すべきであろう。」と同じ誌面で、高木明彦氏が解決

を与えてくれている。


第13巻第21章「本霊」および第五篇第23章「和解」を拝読。

本霊では五人の宣伝使は改心が出来るが、岩彦のみは出来ずにいる。

岩彦は暗がりに居るので周りの状況が判断できず、勝手に自分の思いから現況を判断している。、自分以外はみ

な大蛇に飲まれてしまい、自分が助けねばいかんと勝手な想像である。人は往々にしてこうしたものであり、普

段でもよくこうした状況に陥る。勝手な自己判断をするので大方の予想は当たらない。自分の中だけで収まって

いればよいが時として他人に迷惑をかけることもある。よくよく心したい物です。

また、霊界物語の全巻を通して教えられるテーマの一つは執着心を取り除くことです。岩彦のように「本守護神

は岩彦の驕慢不遜にして慢心強きために、未だ顕現することあたわず」と副守護神が名札をぶら下げているよう

岩彦自身は何となく自分の弱さを感じていながら自分が確りせねばと謂う自負心から空威張りをしています。

執着心を捨ててしまえば、後は神に頼るしか有りません。ある意味己を捨て神に身を任せればこんな気楽なこと

はありません。それで世の中が生きていけるか?と思うでしょうが一度試してみては如何でしょうか。

人にはこだわりとか我(が)があります。それは生存して行くためには必要な物です(善)が、それの限度を超

えると(悪)おかしたことになります。

ライオンなどの動物は腹さえ満ちれば目の前を餌になる動物が通っても攻撃することはありません。それに引き

替え、人は腹が満ち足りていても更に欲しいとして他人の物を奪います。

神は必要な物は必ず与えてくれます、決してそれ以上を望まないことが大切です。足りることを知り行動するこ

とが必要ではないでしょうか。

                                                         以上阿良田記

次回  

9月13日(木) 金沢教室 午後1時30分より 14巻


富山教室 8月23日(木)  


始めに金沢同様、愛善世界誌7月号に掲載された、入蒙記の水火訓を拝読。

第15巻 第11章「大蛇退治」を継続して拝読(7月の続き)。

『爾、速須佐之男命、其の老夫に是汝の女ならば、吾に奉らむやと詔たまふに、恐けれど御名を覚らずと答白

せば、吾は天照大御神の同母男なり。故今天より降り坐つと答へたまひき。爾に足名椎、手名椎、然坐さば恐

し立奉らむと白しき』

須佐之男命は老夫(おきな)である国常立尊に貴方の大切な神の御子である人民の救済を私に一任しませんかと

お尋ねになられます。そこで国常立尊は貴方は何方ですかとお尋ねになると、私は「天照大御神の同母弟で、

大海原(地球)を治めるのが職務である」とお答えになります。この時点では高天原を追放された素尊は放浪

者であり、大海原を治めるのが職務ではないはずですがあえてそう言われるのは何故でしょうか。ここに須佐

之男命が高天原を追放された本当の意味が示されています。

そこで、私の守護する人民を貴神に御預け申しますと、仰せられたのである。

この事は初めにあるように明治三十一年の秋に変性男子(開祖)と変性女子(聖師)の身魂が初めて会われ二

柱揃って神懸りがあった時の御言である。そしてこの事は神と神との問答であって、人間の肉体上におけする

問題ではないとあり、神代の再現です。


 『湯津爪櫛の言霊を略解すれば』

八岐大蛇に犯された人民の心を、霊主体従の真の日本魂を発揮する神の御子に立直(たてなお)される、神の

経綸を進めると謂ふことです。

瑞の霊魂である速須佐之男命は、二霊一体の神政開祖(いづのみたま)の神人より、男(お)と女(め)《世界の

人民》の守護と育てることを一任され一大金剛力を発揮して、本来の日本魂に立替へ立直し、更に其の実行者

とする事を『其の【オトメ】を【ユツツマグシ】に取成して御角髪に刺して』と言ふのであるとあります。

 「斯の如く、天下の万民の身魂の改良を遊ばして、足名椎、手名椎の御魂に御渡しになるに就ては、相当の

歳月を要したのである」とあります。「天下の万民の身魂の改良」とあるから今の我々が大本の教えに沿った

心身共にミロクの世の人としての資格を持つまでになるには相当年月を要するということでしょう。その手段

は神徳や物質力、自然力、教戒、慈愛等を以てしすると書かれ神様はあらゆる手段を尽くされるようです。そ

れは神様にとっても相当のご苦辛で、我々は感謝をしなくてはなりません。

 また、面白いのは酒と人の行動との関係が述べられていることです。

「故に酒は神様に献る所の清浄なる美酒と雖も、心の醜悪なるものが呑む時は、忽ち身魂を毒し弱らしむるも

のである」と酒の持つ正邪の二面性が述べられています。それは身と魂との性来(生まれつき)関係に依るも

のらしいです。


酒を飲んだ八岐大蛇は速須佐之男命によって切散(きりはふ)られて滅び、「肥の河血に変りて流れき」となり

ます。

そこで世界の祖国である日本の上下一般の人々は、心から改心をして、血の如き赤き真心となり、同じ血族の

ように世界の人々と共に、永遠無窮に平和で穏やかな天下に治まつたと云ふ事です。


『故其の中の尾を切りたまふ時、御刀の刄毀(か)けき。怪しと思ほして、御刀の端もて刺割きて見そなはしし

かば、都牟刈之太刀あり。故此太刀を取らして、怪異(あや)しき物ぞと思ほして天照大御神に白し上げたまひ

き。是は草薙太刀なり』

日本の下層社会に実に立派な「金剛力の神人」が居られると感激され、いままでとは違った方向から調査され

ると、一霊四魂(四魂五情)の活用が完全な大真人が、日本の下層社会の一隅で発見されたと云ふことです。

「都牟刈之太刀とは言霊学上より解すれば「三千世界の大救世主にして、伊都能売の身魂」と云ふ事である」

とあります。それはまさに出口聖師を意味します。三千世界は顕幽神で、三界を救う大救世主であり、大正七

年の開祖御昇天の後聖師は伊都能売神諭を出されたように伊都能売の身魂となられたのです。都牟刈之太刀=

草薙剣=聖師です。

 凡ての青人草を神風の吹きて靡かす如く、徳を以て万民を悦服せしむる一大真人、日本国の柱石にして世界

治平の基たるべき、神器的真人を称して、草薙剣と云ふのである。
    
  
                                                       以上阿良田記

次回  

9月13日(木) 富山教室 午後7時より 15巻


八重洲教室 8月25日(土)  


 8月23日から綾部の本宮山で始まった神集祭の初日のお祭りは雷が鳴る中行われ、終ってすぐに大雨と近

くへの落雷が有ったこと等を聞く。

 またセブンジェネレーションズウォークの話も面白く聞かせてもらった。


 第25巻  序文  総説  第一章 水禽の音  第二章 与太理縮  第三章 鶍の恋  第四章 望の縁

 ネルソン山を西に渡りオーストラリアの西部一帯を勢力範囲となした友彦が黄竜姫が女王となっている地恩

郷を攻めて来るとのうわさに蜈蚣姫は防戦の指示を出すのであるが、黄竜姫は血気にはやりすぎた母である蜈

蚣姫を除名しようとまでするのであったが、金・銀・鉄等の根も葉もない話であったことがわかる。

 梅子姫の従者の宇頭姫は黄竜姫から嫌いな左守の清公と結婚するように命ぜられる。そこへ恋する右守の鶴

公が現れ、二人の仲を清公に見られてしまい、そこへ黄竜姫が現れ左守の清公を解任し、今度は鶴公を左守と

し宇頭姫と結婚させようとするのであるが、鶴公は辞退し宇頭姫は城門を駆出し渓間の青淵に身を投げてしま

う。これを助けたスマートボールは左守の地位に昇り、宇頭姫と結婚することになるのであった。

              

                                         桜井道彦記


青梅教室 8月27日(月)  


                                     於、青梅市民会館

物語17巻。序文、総説歌、第1章、黄金の衣、第2章、魔の窟。


16巻からの続きで、鬼彦、鬼虎、岩公、勘公、櫟公の5人の邪神連改心劇が繰り広げられます。その中で鬼武彦

眷属の白狐たちの助けを借りながら、悪の限りを尽くした報いを受けて、糞尿
に塗れ、黄金仏と成り乍ら、火

に焼かれ、氷の張った池に落とされ、かつ雪中を裸で行進させられます。こ
れでもか、これでもかと襲う苦難

に耐えて、耐えてやっと幾分かの罪滅ぼしがなされる件りを拝読しつつ、身
につまされる様な感覚がします。

やがて羽化登仙させて神界に救われる神策で有ったと氷解しますが、改心
のなんと難しい事かと驚かされます。

第2章で、本守護神、正守護神、副守護神の言葉が出て来ます。端的
に言えば精霊の善なるが正守護神で、精霊

の悪なるを副守護神と呼び、正守護神が副守護神を制御出来れ
ば本守護神となれると示されますが、現界は体

の世界で有り肉体を保つ体慾が無くては生きて行けない。

しかし本守護神の住処は神界に有る訳で、吾々は現界に住みながら且つ精霊は神界に生きているべきと教え

れます。誠に難しい
生き方を要求されています。生きながら天国、霊国に籍を置けと言われますが、その資格

の有る方々が果た
して存在しましょうか?この大本人の中でも稀少か、もしくは絶滅種となりつつ有るとも思

われます。

裸体で雪中行軍しても完全には身魂は清められないとすれば、現代の改心劇はどの様になりましょうか。第

次事件の渦中に有って、神は物語の中から何を学び、どう行動せよと仰るか、手本
は実社会に有ると言われま

すが、その実社会から遊離しつつ物語拝読だけをしている現状が何とももどかし
い。


                                          
  三輪 光佳

次回9月24日。17巻