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教室レポート(95)        2012






富山教室 7月19日(木)  


 初めに第25巻第章「与太理宿」、4章「望の宴」、5章「酒の滝壺」、9章「信仰の実」、

11章「風声鶴唳」の抜粋を拝読


第15巻 第二篇古事記言霊解 第11章「大蛇退治の段」 を拝読。

ここで出雲国とは地球上一切の国土で肥の河上とは日本国のことです。また鳥髪とは十(たり)の神の顕現地即

ち厳の御魂と瑞の御魂が経と緯との神業に従事し、天地を修斎《禊ぎ》なさる神聖な経綸地ということで「十

の神」の十は経と緯を表している。当然厳の御魂と瑞の御魂は開祖と聖師で経綸地は綾部の大本である。素盞

嗚尊は綾の聖地に降られたのです。

 大古の地の高天原はエルサレム(現イラクあたり)であったが地質学上から見ると地球の中心は日本国です。

大古、高天原を神退(かむやら)いに退はれ《追放され》た素盞嗚尊は天下を遍歴し最後に日本国に降臨なさ

れたのである。この事実は神代のことであり、明治31年8月に開祖と聖師が初めて会われたのは現代の事実で

す。「高座山より神退ひに退はれ」の高座山は髙熊山であり「神退ひに退はれ」の本来の意味は大古も今も追

放されることでなく素盞嗚尊ご自身の意志で退(しりぞ)かれることです。

 瑞の御魂も「一人の神主」も聖師であり、神政開祖は国常立尊=開祖(ヨハネ)である。素盞嗚尊は神の経

綸地(綾部)で国祖と会われたのです。

 物語は古事記の預言と書かれているが、私には過去の事実であり即ち預言と受け取れる。

   箸【ハシ】の言霊学的意味はすべてを一方に渡す(移らせる)活用であるとある。悪を去り善に移らせる

神の教は【ハシ】であり、暗黒社会から光明社会に改善させる神教もまた、【ハシ】です。そして御神諭にあ

る「綾部の大本は世界の大橋であるから、此大橋を渡らねば、何も分りは致さむぞよ・・・」も改過遷善、立

替立直しの神教の意味とある。 ハシ=神の教

『其の河より流れ下りき』の河は肥の河即ち日本国から流れ来ることであり、蒼生《人民》救済の神の教(ハ

シ)も邪神のために流し捨てられ日に日に神威が落とされて行くことです。

またここでは大本の歴史である金光教の足立正信や四方春三などによる聖師の排斥運動がその意味であるとも

述べられています。


 『茲に顕幽両界の救世主たる須佐之男命は』とあり素盞嗚尊は我々の住む現界だけでなく幽界、神界も地獄

をも救う神である事が伺えます。

肥の河上である日本国の中心、地の高天原(綾部の大本)に神人(聖師)が現はれ、世界経綸の本源地が有る

と御考へになり尋ねて来られたが、変性男子の身魂(開祖)が現はれて、国家の騒乱状態を治めようと血涙を

吐き乍ら昼夜の区別なく、世人を(お筆先をもって)教戒しつつあった。二人とは艮の金神様国常立尊と、教

祖出口直の女子の身魂とが一つに合体して神業に従事されるのと同じ意味とある。いわゆる変性男子である。

また、童女【オトメ】とは世界の人々全てを言い世界の人民(神の子)の身魂(心身)が、日々に邪神のため

に汚し亡ぼされようとするのを見るに忍びず、手を尽し足を運んで救済しようと艱難辛苦を嘗められ、天地の

中に立って号泣なさることを、童女を中に置きて泣くなりと云ふなり。とあます。


「この肉体の女の名は櫛名田姫と申し、本守護神は禁闕要の大神なりと謂し玉ひしは、以上の御本文の実現な

り。」


【クシナダ】は天壌無窮《永遠に続く》の神国、大日本国土の国魂神であり本守護神である禁闕要(きんかつか

ね)の大神のことです。

肉体上の名は櫛名田姫であるが霊魂(本守護神)は金勝要神とある。大地即ち地球は霊魂が金勝要大神、霊力

を国常立命、霊体を素盞嗚命である。また足名椎、手名椎は国常立命、開祖であるからここに大地の霊、力、

体の神霊が表されている。御筆先には三人世の元とある、霊魂金勝要大神は二代教主(すみ)。霊力国常立命は

開祖(なを)、霊体素盞嗚命は聖師(王仁三郎)となる。




 女は前述のように人民であり、八稚女は地球上の八種類の人種民族を意味します。

高志とは外国で、八岐遠呂智(やまたのおろち)の来て喫う(たべる)とは手を替へ品を替へて、宗教、政治、教

育等に各時代を通じて、海外より種々の悪思想が渡来して敬神尊皇報国の至誠を惟神的に有する、日本魂を混乱

し、滅絶させつつある状態をいう。

 お前はどうして泣くのかとお尋ねになるので、私には多くの人民がいますが悪神の口や舌の剣(悪い思想)に

よって年々天地の恩を忘れ悪思想に染まって心(霊魂)も体(身体)も体主霊従の考えや行動に落下し、更に八

岐遠呂智の悪思想を盲従して国家の滅亡を来たす所まで来ている。最後に残る神国の人民(日本人)までが大蛇

に喰い殺され様とする時期に来ているので、この世界の惨状を救い助けようと思い泣き悲しんでいます。


 八岐大蛇による悪思想の蔓延する状態はどうかと素盞嗚尊がお尋ねになられた。

悪神の本体は一つであるが、その真意を汲んで世界を滅亡させる陰謀に参加して居るのが八人の頭株である。、

彼らは全地球を舞台に計画を進め、政治、経済、教育、宗教、実業、思想上に、その他の社会事業に対しても密

かに、その破壊を企てているのである。また、大蛇の尾である手下達も知らず識らずに参加している。第一次世

界大戦や各国の指導者を滅ぼし、労働者を扇動して赤化運動(共産主義)を起こすなどし、遂に日本国にまで迫

って来ている。八つ頭とは英、米、露、仏、、伊とかの強国に潜伏する巨魁の意味であり、八つ尾とは、それら

を頭に盲従する多くの部下の意味です。

 「苔、及び桧、すぎ生ひ」とは要するに上流、中流、下流の人民が常に不安の念に駆られて居り、実に血族間

で争い、里どうしが互いに争う、悲惨な世界の現状を明答されたといふ事です。

 御神諭に、『今の人民は外国の、悪神の頭と眷属《家来》とに、神から貰うた結構な肉体と御魂を自由自在に

汚されて了うて、畜生餓鬼の性来になりて居るから、慾に掛けたら、親とでも兄弟とでも、公事《訴訟》を致す

やう悪魔の世になりて居るが、是では世は続いては行かぬから、天からは御三体の大神様がお降り遊ばすなり、

地からは、国常立尊が変性男子と現はれて、新(さら)つの世に立替立直して、松の五六七の世に致して、世界

の人民を歓ばし、万劫末代勇んで暮す神国の世に替へて了(しま)はねばならぬから、艮の金神は、三千年の間

長い経綸を致して、時節を待ちて居りたぞよ。八つ尾八つ頭の守護神《悪に頭領》を、今度はさつぱり往生《死

ぬ、処罰》いたさすぞよ』云々と明示されているのも、要はこの御本文の大精神に合致して居る一大事実である



                                                           以上阿良田記

8月23日(木) 富山教室 午後 7時より 15巻


八重洲教室 7月21日(土)  


 冒頭で7月7日に行われた沓島・冠島遥拝祭やカボチャ流しの模様と、昭和21年に王仁三郎聖師が国見山

を訪れた時の話を聞く。


 第24巻  第一一章 夢の王者  第一二章 暴風一過  第一三章 治安内教  第一四章 タールス教

       第一五章 諏訪湖  第一六章 慈愛の涙

 蜈蚣姫は一つ島の女王黄竜姫となった小糸姫と親娘再会をする。小糸姫は友彦を恨んでいない事をあかし、

友彦と再会し友彦を竜頭王とするが、友彦は下僕等にかつぎ出されていて熟睡から目を覚ます。友彦は夢を見

ていたのであろうか?

 高姫は高山彦、黒姫と懐旧談を行いながら、初稚姫・玉能姫・玉治別に恨みを晴らそうと、下男に捜索させ

るが、玉能姫等は避難していた。また黄竜姫に会い、黄竜姫が玉を隠しているのではないかと疑い、女王の座

の床下を調べるが、蟹の様な泡を吹いて倒れてしまう。その後玉能姫等の捜索に船出して行く。

 友彦はジャンナイ教の本山で救世主と仰がれて、テールス姫と結婚することになる。玉治別はジャンナイ教

の里の次にアンナヒエールの里へ行き救世主と仰がれ、玉能姫・初稚姫と再会し、この里人を大神の道に帰順

させる。

 玉治別、初稚姫、玉能姫、久助、お民の五人は諏訪湖の玉依姫命より一つ島の宣伝を終えた後に五つの玉を

渡すと宣旨され、禊ぎを修し、道中色々な試しに会って行く。

                

 先月イスラエルに旅行された方の話を興味深く聞かせて頂いた。

 また10月に綾部で行われる感謝(ゐやび)の祭りの案内も間もなく発表されるので、乞うご期待!

                                         桜井道彦記


金沢教室 7月23日(月)  


第13巻 第20章「宣替」、21章「本霊」を拝読。

20章の宣伝歌にある「衿(ほこら)」は「矜(ほこる)」の誤字であろう。先の金沢教室で疑問を呈したが、

天声社発行(昭和四三年版)では矜(ほこる)となっている。

 岩彦は、これまで六人の宣伝使の中で自分が筆頭であるという自負心があり、自分が頑張らなければという

強い思いが執着心となり、かえって己を見失ったのであろう。

 一寸も先の見えない人間が生きてこられたのは神の導きであるとは99・9%の人は感じてはいない。(大本

の教えを勉強していれば、頭の中では理解し得ても、実生活の中では忘れている)。人は現在の生活は自分の力

で築き上げたと思っているので、周囲の人の助けは感じても(人と人との関係は認めても)神の助けに依るなど

とは想いもしない(神と人との関係にまではなかなか及ばない。特に感覚だけでなく実感として感じることは至

難である)。神の存在を認め、朝夕祈りを捧げていても無理である。その思いは成功者ほど強く神から遠ざかり

、弱者ほど神に近づく。

 13巻では岩彦やその他の宣伝使のように木花姫命の戒めに合い、行き着くところまで行き執着心を捨てて初

めて改心が出来た。現代社会も神の戒めに遭い、もう身の置き所のないどん底まで行きつかないと本当に神の存

在を認識できないのであろうか。大三災、小三災は結局人が起こすのであるが。神様は明治25年から警告してお

られる。

                                           以上阿良田記

次回

8月20日(月) 金沢教室 午後 1時30分より 13巻


青梅教室 7月30日(月)  


                                                於青梅市民会館午後7時~9時

物語16巻、20章思はぬ歓、21章御礼参詣、・跋、・霊の礎。

日の出神の神霊を身に浴びた悦子姫の活動が始まり、且つ鬼虎、鬼彦、岩公、勘公、櫟公、の改心また平助、お

楢夫婦の改心等が織り込まれて、次巻17巻に繋がってゆく展開は、『神は
改心すれば即許す』と仰るが、人間

はそうはゆかない。財産を奪われ、孫娘お節を拐かされた平助夫婦の
様に、犯人鬼虎、鬼彦を許せない。現実社

会に於いても親を、子を殺害された家族は犯人の極刑を要求す
る訳で、忘れる事の出来ない悲劇から立ち直るに

は時間が必要で有り、殊に加害者鬼虎、鬼彦が真に改心
させられる経緯は、罪を償う代償の大きさを説示されま

す。人を許す事の困難さを描写されますが、そう
しなければ天国に救われない厳しさ、現実の生き方の修正が求

められています。

霊の礎はこの巻から始まりますが、大本が大本たる所以は霊界が遍く説かれている事で有ります。霊界に有る事

は悉く現界に存在すると言われます。この乱れに乱れた社会を見れば霊界も乱
れている証で有りますこの乱れを

正す役目を負う大本が、この責を果たせず泥沼に埋没しつつ有る現実を大
本人は直視しなくてはなりません。

                                              三輪 光佳

次回8月27日、物語17巻