教室レポート(94) 2012
平成15年5月に始まった富山教室の勉強会も今日で100回を迎えました。
この間、出口信一先生によって開かれた当教室も先生の御昇天や様々なことがありましたが、現在は高岡の
地で100回目を迎えることが出来ました。、いつも同じメンバー(総勢7人)ですが、神様のご守護の下
9年間続いてきたことに感謝感謝です。
初めに霊界物語第六巻第20章「善悪不測」を拝読
ついで、第15巻第10章 神楽舞 を拝読。
古事記に書かれた素盞嗚尊の一連のお話はなかなか理解しがたいものがあります。霊界物語の中に書かれた
文章から読み取れる以下の解釈はどうでしょうか?
国祖国治立命が御退隠の後 伊邪那岐命、伊邪那美命は国生み、島生み、神生みをされ、最後に天照大神、
月読命、須佐之男命の三貴神をお生みになられます。素盞嗚尊は大海原(地球)を治めていますが、国祖御
引退の後も八頭八尾の大蛇を始め、金狐、悪鬼諸々の醜女、探女によって世は乱れ収拾すべからざる状況に
なっています。
素盞嗚尊は『われ、大神の勅を奉じ、昼夜孜々(しし)として神政に心力を尽すと雖も、地上の悪魔盛にし
て、容易に帰順せしむ可らず。到底吾等の非力を以て、大海原の国を治むべきにあらず、吾は是より根の堅洲
国に至らむ』とまで決心されます。そこで父伊邪諾大神と相談し『然らば汝が心の儘にせよ、この国には住む
勿れ』として、母神の居られる根の堅洲国行くことにします。その前に姉大神にご挨拶(事の事情と今後の相
談)すべく高天原に行きます。この際、ごく身近な従神を連れて行けばよいのに、何故か高天原を占領するの
かと疑われるほどの大勢の神々を引き連れて行かれます。
天の真名井での誓約(うけい)は別の巻では霊審判(みたまあらため)【12巻15章】とあります。そこで素
盞嗚尊が瑞の御魂で、変性女子(救世神)であることがはっきりします。
天照大御神の天の岩戸隠れの事件の後、素盞嗚尊は千座の置戸を負って万民の罪を贖い、本来の目的である
「是より神素盞嗚大神は、今迄海原の主宰神たる顕要の地位を棄て、心も細き一人旅、国の八十国、島の八十
島にわだかまり、世人を損ふ八岐大蛇の悪神や、金狐、悪鬼の征服に向はせ給ひける」のです。
阿良田記
次回 7月19日(木) 午後7時より
冒頭で先週行われた、お香良洲神社参拝の模様を聞く。明治45年4月26日に出口直開祖、王仁三郎聖師
等が三重県のお香良洲神社に参拝し、開祖の身魂である稚姫君命の神霊を綾部に迎えたとのことであった。
第24巻 第六章 アンボイナ島 第七章 メラの滝 第八章 島に訣別 第九章 神助の船
第一〇章 土人の歓迎
高姫・蜈蚣姫を乗せた船は濃霧に包まれ、天の八衢彦の命から改心を迫られるが、高姫は屈服しない。やが
て船は南国一の天国浄土とも称せられる聖地であるアンボイナ島の港に横着けとなる。高姫・蜈蚣姫はこの島
で三個の宝玉を探す。船を繋ぐことを忘れて流されてしまったのだが、玉能姫・初稚姫・玉治別等が二艘の船
で助けに来る。
友彦・高姫・蜈蚣姫等の船はニュージーランドの手前の島でチャンキー・モンキーを救い出す。このときテ
ンカオ島と云う巨大な島が海中に沈没し、波が高まり船が流されてしまうが、玉能姫等の船に再び救われ、ニ
ュージーランドに到着する。ここで土人の歓迎を得て、土人等に連れられて、蜈蚣姫の娘の黄竜姫が女王とな
っているオーストラリアに渡り、一行は黄竜姫等と対面する。ここでは高山彦がブランジーとして宰相となっ
ており、その妻の黒姫がクロンバーとなっていたのであった。
桜井道彦記
初めに第25巻第2章「与太理宿」、4章「望の宴」、5章「酒の滝壺」、9章「信仰の実」、11章「風声
鶴唳」の抜粋したものを拝読
第2章「与太理宿(よたりすく)」ではムカデ姫が黄竜姫に対して「危機一髪の此際、あの様な柔弱な無抵
抗主義の教理は、マドロしうて聞いてゐられますものか。」と云って黄竜姫を叱ります。他の所でも三五教
の無抵抗主義は平和時に於ける主張で、いざとなった時には役に立たないとする場面が何カ所か出てきます。
しかし神様はあくまでも「言向和す」がご主旨で暴力を持って事の解決を計ることを戒めています。人間の
力を基準に考えればそうでしょうが、神の力をから考えれば言向和す無抵抗主義は至極当然なことです。神
の無限の力を信じれば窮地に陥った時も必ずや神の助けがあるはずです。
物語64(上)巻第2章「宣伝使」に「大聖主メシヤたる可き神格者には九箇の大資格が必要です・・・・
・」とあり、その三番目に
「其智識は後天的のものに非ずして自湧的にして自在なる可きこと」
として救世主の持っている知識は先天的であるとあります。
この「与太理宿」でアインスタインの相対性理論が出てきます。この二五巻は1921(大正11)年7月7~
12日にかけて口述されています。一般相対性理論が発表されたのが1916(大5)年でアインシュタインが来日
したのが1921年の11月です。聖師はアインシュタインの来日四ヶ月前にすでに相対性理論を話題に取り入れ
ておられます。さらに、「海往かば水漬く屍、山往かば草生す屍、大神の辺にこそ死なめ、閑には死なじ顧
はせじと」の有名な軍歌の一節がこの章に出てきます。これは大伴家持の長歌が本ですが、この軍歌の発表
は昭和12年であり、15年も前に戦闘意欲の高揚歌として物語に出てきます。そして一般に広く知られるよ
うになるのは昭和16年に始まった太平洋戦争の戦果発表のラジオ放送冒頭曲です。
また、みづの神歌(大正6年)には太平洋戦争が預言されていますから正にその智識は自湧的で自在といえる
でしょう。
第13巻第19章「馳走の幕」を拝読。
音彦『エーけったいの悪い、一体此処はどこだ。モウ吾輩も兜を脱ぐから、魔性の女、斯う五里霧中に彷徨
っては仕方がない。頭からカブリなと呑みなと、勝手にせい。俺の身体は全部貴様に任した、エー棄鉢だツ』
美人『ヤア三人のお方、そこまで行ったら、あなたの臍下丹田も、岩戸が開けました、能う改心して下さい
ました。此処はフル野ケ原の醜の岩窟の中心点、木花咲耶姫命が経綸の聖場、高照姫神の堅磐常磐に鎮まり
給ふ岩窟第一の珍の御舎で御座います。サアサアこれから妾が先達となって、この岩窟の探険を首尾能く終
了させませう。
決して執着心を、又もや持たぬ様に、今の心になって神業に参加して下さい。・・・・』とあります。
音彦、亀彦、駒彦の三人の宣伝使は木花姫の執拗ともいう徹底した戒めに合い、とうとう我を折りここで
改心します。
我々がなかなか改心出来ないのは心に執着心があるからです。音彦はまた「あまり日の出別の宣伝使を依頼
(たより)にするものだから、妙な幻覚を起したり、迷うたのだ。」とあり、第25巻の第11章「風声鶴唳(かく
れい)」でも「身体に残れる執着心の鬼のために斯くのごとき幻覚を起こし」とあります。必要以上の依頼心
や執着心は我々に幻覚を起こさせるようです。
ペルシャ湾から上陸した6人の宣伝使が探検に向かった岩屋は、フル野ケ原からカスピ海の下を通ってコ
ーカス山に至る醜の岩屋ですが、目次を見るともう探検も終わりに近づいたようです。実は醜の岩窟の中心
点は木花咲耶姫命が経綸の聖場であり、高照姫神の堅磐常磐に鎮まり給ふ岩窟第一の珍の御舎でした!。
阿良田記
次回 7月23日(月) 午後1時30分より
於青梅市民会館
6月に入って、颱風の襲来も有り天候の不順を嘆きつつも、この日は殊の外涼しくて心穏やかな拝読会でし
た。参加者9名、ほぼ固定されたメンバーで大方はジジ、ババですが、50代前半の若手が一人いて頼もしく
貴重な存在です。
拝読箇所、16巻18章、遷宅婆。19章、文殊如来。2章とも頁数が多くて、先には進めませんでしたが、幾ら
か内容に立ち入って勉強しました。神定の地、産釜、産盥と呼ばれる天の真名井は、天照皇大神の御修行地
と示され、我が神格を作り上げた旧蹟なれば、此所に宮殿を建てて我身魂を祀れ、と宣示されます。英子姫
、悦子姫、亀彦達は宮殿造営に奉仕して、神霊鎮祭式終了後、英子姫に神霊神懸かり、『我は天照大神の和
魂なり』と宣言なさり、ここ元伊勢は綾の聖地に次ぐ霊場にて、神界に於ける天の霊の川の源泉にして、宇
宙の邪気を洗い清め百の身魂を救う神域なり、又東北に大江山有り、神界の芥川と称し、邪霊の集合湧出す
る源泉なれば、霊泉を以て泥水を清める使命の地で有り、この濁流の先に天の真名井ヶ岳が有り、此所は瑞
の御霊の神々の集まる源泉にて、豊国姫の分霊天降り、みろく神政の経綸に任じ給う。と有ります。巻末の
地図を参照すれば、綾部、元伊勢、大江山、真名井山が線上に有って神界、顕界が合わせ鏡の様に感じられ
ます。又天照大神の和魂の表現が有りますが、主神の分霊で有れば四魂も又、主神の四魂で有って、主神の
和魂と同一と理解されます。
今回の拝読箇所からまたまた黒姫が登場します。高姫よりもしたたかな、やんちゃぶりを発揮しますが、
ウラナイ教の本質が見事な迄に描き出されます。神の経綸地のお膝元で繰り広げられる、宣伝使たちと邪霊
との会話の中に神の密意が潜み、拝読する側にも熱意が籠もり楽しい時間を過ごしました。
三輪 光佳
次回、7月30日(月)物語16巻。
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