教室レポート(90) 2012
金沢。富山共通
今月は久々に出口孝樹先生をお迎えして行われました。今日は朝から快晴で暖かい日になりました。
聖師は昭和3年元旦に沖縄に御巡教になられています。その際、二個の石に御息を吹きかけ霊を込めて国
魂石とされます。その後近待の山川氏が預かっておられましたが、昭和四十七年(沖縄返還の年)に国魂と
して沖縄に帰り鎮祭されました。
この三月に沖縄で国魂神鎮座四十年記念祭典および戦没者と東日本大震災犠牲者慰霊祭がおこなわれます。
霊界物語(第23、25,27巻)には琉球(沖縄)は琉の島と球の島に別れ、それぞれに琉の玉(潮満)
と球の玉(潮干)があります。
紀の国に常楠、お久という夫婦があり、又木山彦、木山姫夫婦との四人の間に複雑な関係から虻公と蜂公、
馬公と鹿公という子供が生まれます。ある時常楠と虻公、蜂公はそれぞれに琉球へ渡ります。常楠は琉球の
国魂神常楠仙人となり、その子清彦(虻)、照彦(蜂)が琉球を治めます。また、言依別命、国依別命が琉
球の玉の精霊を吸い込み、さらに神力を得て南米に渡り大活躍をします。玉の形骸は若彦によって生田の森
の神館に納められます。又、琉球と台湾は密接な関係があるとも書かれています。
紀の国と琉球は密接な関係があり熊野信仰が海を渡って琉球に伝わったとされています。等のお話があり
ました
金沢教室 午後1時30分より
第13巻第13章「上天丸」、14章「蛙船」、15章「蓮花開」まで拝読。
13章、岩屋から抜け出ると目も届かぬばかりの広場があり周囲は高い岩壁に囲まれ行き場がない。鷹彦
は飛んで行ってしまい、五人は取り残されるので、音彦は「もうこうなれば力にするのは神ばっかりだ。サ
ーサ天津祝詞だ」と奏上するので、五人が一生懸命になって合唱する。そこに日の出別命、女神、鷹彦の乗
った天の鳥船が降りてくる。
14章、亀彦、音彦、駒彦は気づくと茫々たる草原に眠っていた。ここで面白いのは駒彦がタカオ山脈の
手前で、この下を醜の巌窟が貫通しており、夜と思われるが「西北指して星の明かりを目標(めあ)てに進
んでゆけば終にはフサの都に着くだろう」と言っている。地理的にはタカオ山脈は現在のエルブールズ山脈
と思われるが、そこから北西は彼等の故郷フサの都である。また、夜は星を見て方向を知ったようだ。
15章、野呂公は「今の人間に泥棒根性の無い奴が、1匹でも半匹でもあるかい、鬼と賊との世の中だ。
ナンダ貴様は宣伝使面しよって、偽善者の骨頂奴が」とあります。我々には多かれ少なかれ泥棒根性の無い
人は居ません。霊界物語を読む以上出来る限り真っ直ぐでありたいものです。
また、亀、駒彦が「後の烏が先になる、先を見て居て下されよだ」と云うと
音彦『二十世紀の三五教の宣伝使の様な事を言うて居やがる、なまくらな奴だナ。何時まで待つても、棚か
ら牡丹餅は落ちては来ないぞ、天地間の真相を能く考へて見よ。霜雪を凌いで苦労をすればこそ、春になつ
て梅の花が咲くのだ。花が咲くから実を結ぶのだ。苦労なしに誠の花が咲くと思ふか』と切り替えします。
まさに待っていては何も起こりません、というより、神様は何時までも待っていてはくれません、それこそ
後の烏に先を越されます。
富山教室 午後7時より
霊界物語第15巻第2章「途上の変」、第3章「十六花」、第4章「神の栄光」、第5章「五天狗」まで拝
読。
太玉命は第三巻に出てくる霊鷲山(髙熊山)の神霊、三ツ葉彦命(聖師)です。ここに出てくる太玉命語録
を書いてみましょう。
第2章 『アハヽヽヽ、運は天にあり、吾は善言美詞の言霊の力を以て、寄せ来る敵を片つ端から言向和
し、昔の顕恩郷に回復せむ。先んずれば人を制するとかや、此期に及んで躊躇逡巡するは御神慮に反す』
第3章 『ナニ躊躇逡巡は三五教の大禁物、生死も、勝敗も、皆神の手に握られあれば、運を天に任せ、
行く所迄行つて見ませう』
『ああ、宏遠なるかな、大神の御経綸、吾等人心小智の窺知すべき所にあらず。大神は最愛の御娘子を顕恩
郷に乗込ましめ置き乍ら、吾れに向つて一言も漏らし給はず、顕恩郷に進めと云ふ御託宣、今に及んで大神
の御神慮は釈然として解けたり。ああ、何事も人智を棄て、神の命のまにまに従ふべしとは此事なるか、ア
ヽ有難し、辱なし』 以上神への絶対的帰依心があればこその言動である。
ここで初めて素盞嗚尊の八人乙女が登場します。
第5章では又また、弥次彦(安彦)、与太彦(国彦)、勝彦(道彦)が中有界に迷います。十四巻から引
き続きこれで四度目です。今回は妙音菩薩が漁師と変じって助けます。
以上阿良田記
次回3月21日(水) 金沢教室 午後1時30分より 13巻
富山教室 午後7時より 15巻
冒頭にて本日の舞台である那智の滝や熊野の話を聞く。出口王仁三郎聖師は6年8ケ月の未決を出た晩年の
最後に熊野を訪れる。何故、どうしても行かなければならない所だったのだろうか。
第23巻 序文 総説 第一章 玉の露 第二章 副守囁 第三章 松上の苦悶
第四章 長高説 第五章 親子奇遇
総説に大正十一年の旧五月十八日の一週日後に一身上に関する大峠を控えているとあるのは、第一次大本事
件の控訴審のことを指しているとのこと。
国依別、玉治別は若彦の居る熊野の滝へ向うのであるが、途中で魔我彦、竹彦に千仭の谷に突き落とされる。
二人はそこで水行をしていた杢助に救われる。
魔我彦、竹彦は若彦の館を訪れるが、その後杢助等が訪れ、若彦は魔我彦・竹彦が国依別等を谷に突き落と
したこと知る。竹彦に懸った霊により魔我彦と竹彦は松の木に登り、そこから墜落して人事不省となる。
高姫は錦の宮に一同を集め、斎主を務めた祭典の後に長高説を行い、高姫が教祖の御用をするのだとまで言
い出す。杢助、魔我彦等の反論に高姫は足早に己が館へ帰り行く。
駒彦、秋彦は日高山の山奥に進み行き、竜神の柿を食べてしまう。常楠とお久夫婦に出会い、駒彦と親子で
あることが分かるのであった。
桜井道彦記
於青梅市民会館。
物語16巻。第5章、秋山館。第6章、石槍の雨。第7章、空籠。を拝読。
高天原を退われた神素盞嗚尊が、由良の港の秋山館にて国武彦と会談している所へ、英子姫、悦子姫、亀彦、が
面会に訪れる。そして鬼彦達邪神連の改心に結びつく箇所を拝読しました。この巻の主要箇所でも有りますが神
政成就の暁とか、基を開くとか出てきます。35万年後に再会を約して神素盞嗚尊と国武彦が別れます。国常立
尊の分霊、国武彦は世継王山の麓に身を忍び、弥勒の御代の魁をする艮の金神で有ると宣言されます。
聖師が初参綾されて開祖と会見される、明治31年が神霊の再会で有ります。弥勒の出現と言う事も時節到来し
て弥勒の世の始まりと言う事で有ります。開祖は法身弥勒のご代身で有り、法身に働きをされたが、聖師の働き
の一部を為されたと言う事で有ります。昭和3年3月3日の聖師弥勒下生以後の大本が、神の目指した世界で有
るとするならば、弥勒神政成就の意味する所が見えて来ます。天の神地に下り、地の神天に上りて守護いたすぞ
よ。からふたたび天の神は天を、地の神は地を治める御代が神政成就と言う事で有ります。
又、6章では石が天から降ったり槍が降ったりします。ノストラダムスの予言でも石や槍が降るようですが、関
連性は有りません。終末論と結びつける様な方々が居られますが、物語をじっくりと拝読すれば脇道にそれずに、
神の道に進めます。鬼や大蛇に成り果てた御魂を清める為、体内の穢れた血潮を絞り出す征矢、石つぶては元の
身魂に立て直す神の愛の鞭で有り、救いの神策と示されます。犯した罪科の深浅にもよりましょうが、肉体を痛
めても改心させようと言う神の愛情を思はされますが、同時に改心の難しさも教えられます。
三輪 光佳
次回3月15日。16巻続く。
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