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教室レポート(83)        2011






 

金沢・富山教室 7月19日(火)  


今年は梅雨明けが早く、連日30度を超す暑い日が続いています。しかし今日は日中30度を下回わ

り、風も適度にありエアコンなしで勉強会が進められました。


金沢、富山共通

第32巻第13章「平等愛」を拝読

この章では様々なことがお示しになっています。そのなかで動物は死んでも死骸を残さないで幽界に入

る屍化(しけ)の法が示されています。これは動物は死んでもその死骸を誰も処理してくれないので、神

の仁慈によって肉体を持ったまま幽界に入るのだそうです。

水鏡にも同様のことが「尸解(しけ)の法」として書かれていますが、尸解は一般には”しかい”と読

み人が神仙となることのようで、第27巻第18章の琉球で常楠が神格化し仙人になる話とも共通しています。


 「古の怪しき獣は、今日に比ぶれば、其数に於て其種類に於て最も夥(おびただ)しかった。併しなが

ら三五教の神の仁慈と言霊の妙用によって、追々に浄化し、人体となつて生れ来ることとなつた。」

大古には動物の魂は神の仁慈によって向上し人と生まれ変わったようです。総ての物は造化三神の陰陽の

水火(いき)から生まれたので「宇宙一切の森羅万象は皆同根にして、何れも兄弟同様である」とお示し

になっているが、同じ人間の肉体に長短、やせた人、肥えた人、美人、不美人等の違いがあるように、魂

にも同様の「正邪賢愚の区別あるは、要するに霊(みたま)の因縁性来(しょうらい)《生まれつきその

魂が持つ定められた運命》のしからしむる所以である。」とお示しになっています。


 人の邪気から恙(つつが)虫が発生し、その恙虫を退治するため神はネズミをお作りになった、そのね

ずみが又人に害をするので猫をお作りになったとお示しになっている。総ての物は意味なくしてあるので

なく何らかの用があって存在するのでしょう。

 動物の鳴き声はその動物特有のもので馬は陽性、牛は陰性の動物でありその性質から鳴き声や、前進、

停止の命令語が言霊学上理にかなっている。


 日本人の西洋文明崇拝の傾向は、明治政府の富国強兵、西洋に追いつき追い越せの思想教育によるもの

と考えられますが、聖師はここで、「物質文明の学は泰西人(西洋人)に先鞭をつけられ、霊魂学の本場

たる我国は亦泰西人に霊魂学迄先鞭をつけられつつあるは、天地顛倒、主客相反する惨状と云はねばなら

ぬ。」と歎かれ、「此物語も亦一度泰西諸国の哲人の耳目に通じ、再び訳されて輸入し来る迄は、邦人の

多数は之を信じないだらうと予想し、且つ深く歎く次第であります。」とあります。この霊界物語が本当

に広く受け入られるのは、逆輸入されなければならないとすれば、日本人が真に霊界物語に目覚めるのは

まだまで先のことなのでしょうか。



金沢教室 午後1時30分より

今月より第13巻に入る。モノログ~第1章までを終了

総説では大本十曜神旗の由来が示されています。色彩学は今では広く知られるようになりましたが、少

し前までは高校や大学の専門課程で習う分野で、一般にはなじみの薄いものでしたが、色彩の基礎的考え

方に立って書かれているのに驚かされます。

色別は数別、神統別とも対応しており数別は天の数歌に基づくものです。また、

天之御中主神の神名はこの全大宇宙を人体と見なして人格化して申し上げるのであり、さらに高皇産霊大

神、神皇産霊大神の神名も宇宙の陰陽二元の活動力を人格化して申し上げるとあります。従って、神名と

は本来多くは物事の働きや現象を神格化して附した名前でその基本は言霊に起因する物だと思います。

一(ひ)は卵色(雞子)であり天之御中主神に相当し全霊(勇、智、愛、親)です。二(ふた)は白で、

高皇産霊大神、神皇産霊大神に相当し陰陽二元の働きで全力(八力)です。三(み)は黒であり国常立命、

伊弉諾大神、伊弉冉大神に相当し、また剛(鉱物)、柔(植物)流(動物)は全体です。



富山教室 午後7時より

第14巻 第9章を勉強

「三五教の教には、取越苦労と過越苦労はいたすなよ、勇んで暮せ、刹那心が大切だ、刹那のその刹那こ

そ吾々の意志のまま、自由行動の勢力範囲だ。一分間前は最早過去の夢となつて、どうしても逆転させる

訳には行かず、一分間後の事は人間の自由になるものではない、何事も神様の自由意志の儘(まま)だ。」

とあります。我々は日頃自由、自由と言いますが現実には過去も未来も決して自由にはなりません。過去

のことは別としても、未来は何とか自分の意思のままに進めたいと思いますが、「何事も神様の自由意志

の儘(まま)だ。」とあるように、ほとんどが思ったようには行きません。従って気を楽に持って一切を

神に任せた方が得策ではないでしょうか。

自由になるのは、ここにあるように現在というわずか1分間程度のものです。決して自由には成らない過

去や未来に執着しすぎて、一番自由になる現在をおろそかにするほど馬鹿げたことはありません。「刹那

(極めて短い時間)こそ吾々の意志のまま、自由行動の勢力範囲」で、我々が自由に出来る時間です。あ

まり先のことに気を苛たず、刹那最善こそ大切です。

                                                        阿良田記


次回  

8月3日(水) 金沢教室 午後 1時30分より 13巻

8月3日(水) 富山教室 午後 7時より 14巻


八重洲教室 7月23日(土)  


 冒頭に震災の復興支援に関する宗教者のシンポジウムの模様を聞く。宗教者が支援してきても報道され

ないし、支援される側でも宗教団体に対して警戒感が強い現状であるが、宗教が何をしていけるのかとの

テーマに対して感慨深い話だった。


 第20巻  第一〇章 山中の怪  第一一章 鬼婆  第一二章 如意宝珠  霊の礎(六)(七)

 宗彦、留公、田吾作、原彦の一行は三国ヶ岳に向かって進んで行く。そこに赤児に乳をふくませながら

妙齢の美人が現れる。何を話かけても笑ったり泣いたりしているだけで、やがて女の上半身は純白となり、

後半身は純黒の獣となって去って行く。原彦は田吾作から昔の過ちを責められたり、留公が鬼婆の真似を

して現れたりで一睡もせず一夜を明かすのであった。

 三国ヶ岳の老若男女は蜈蚣姫の鬼婆に茶に毒を入れて飲まされて皆唖になっている。宗彦、田吾作、原

彦もとうとう毒を飲まされて唖になってしまう。留公と捕らわれていたお玉の宣伝歌に救われて、奪われ

た黄金の玉と共に聖地錦の宮に凱旋していく。

 聖地ではまたまた高姫、黒姫等が登場し奪われた黄金の玉についての問答が展開する。高姫は玉照彦、

玉照姫よりもっともっとこの玉の方が大事だと言うのであるが、やがて玉とお玉一行が帰ってくるのであ

った。

 霊に礎では、霊界の消息を教えない○○教などが中有界逍遥する人間が多い等それぞれの記述には意味

深いものだった。

                  

                                          桜井道彦記


青梅教室 7月25日(日)  


                                                     於青梅市民会館

物語15巻、10章神楽舞、11章古事記言霊解大蛇退治の段、12章一人旅まで拝読


今月は古事記言霊解最終章と言う事で、大蛇退治の段を中心に勉強しました。言霊解
として物語に登場す

るのは、別枠にて8巻黄泉比良坂からですが、物語ではすでに古事記初頭の、
別天つ五柱の神、神世七代

の神、那岐、那美二神の神生み島生みによる幾多の神々が、登場神、人
物として役割を与えられて、生き

生きと活躍しています。殊に12巻の岩戸開に示される、誓約と
三女神には聖師の古事記を読み替えてゆ

く壮大な構想力が存在し、古事記と言う天皇制の象徴でも有る
書物に、言霊解の光りを与えて天照~素尊

への流れを巧みに構築しています。古事記を物語に取り入
れて構成の肉付にした狙いは何か学び直したく

思います。この大蛇退治の段では、老夫、老女に独特
の解を与えています。足名椎、手名椎も同じく、国

祖と開祖の合体神として表現しています。合体神た
る国津神に天津神として素尊が命じて大蛇退治が成功

して行く件の中で、聖師綾部入りの顛末が語られま
す。ここでは開祖派信者等の神業妨害を怒り、嘆く声

が綴られます。開祖中心主義は全て体主霊従と
の、ご発言の意味がここで明かされます。都牟狩之太刀と

は言霊学上より解すれば三千世界の大救世主に
して、伊都能売の身魂と云う事で有る。と最終章で述べる

くだりは、聖師自らの神格を明かされた訳
で、深く理解せよと言はれます。大正期の社会情勢を略解の中

で描写されていますが、現在と変わりません。
大本立教の精神に立ち返って拝読し直したく思います。

                                                       三輪 光佳

次回8月29日。