教室レポート(81) 2011
金沢、富山共通
第49巻第5章 「復命」を拝読
この章はふところ谷で猿に目を傷つけられた玉国別の宣伝使が祠の森に国照姫の神勅により神殿を建設し、
いよいよ遷宮式をむかえ、バラモン組も加わり神饌物の準備に取りかかっている所です。
ここでは祭典とは祭る方式であり、人間の愛と神の愛とを和合する神事と示されて、お供え物を通して神
と人との関係が語られています。イクは神は霊であるから人も霊を以て感謝の意を伝えればよい、物品のお
供え物などはほんの形だけでよいと言いますが、イルは「神の御恵みを感謝する為に心を尽してお供物をす
る」のであり、「愛の心が起れば、人間は神様に何なりと上げたくなるもの」で菜の葉一枚でも供えたいと
思う心が起こるものである。「神の愛に触れむと思ふ者は神を愛さなくてはならぬのだ。人間として何程心
を尽しても、神様に対する御恩報じは金額物品を以て、其真心を神に捧ぐるより、外に手段も方法もないだ」
ないか」と語ります。
大本四大綱領(祭、教、慣、造)の最初が「祭り」で、「惟神の太道」とあります。祭りは真釣合(まつ
りあわ)すと言うことであり神と人、師と弟子のように縦の関係や、夫婦、友人等横の関係など互いの調和
や和合を意味します。そして祭りには顕祭(宮あり、祝詞あり、供物あり、御幣があって、神の御恩徳をた
たえて、感謝の心をあらわすわざ)と幽祭(誠の神を祈るもので、宮も、祝詞も、御幣も、供物もない。た
だ願うところのことを、霊魂をもって祈りたてまつる道)がありどちらも大切な事です。
金沢教室 午後1時30分より
第12巻第27~28章を拝読
第27章『航空船」は筑紫の国(アフリカ)から竜宮島(オーストラリア)を経て常世の国〈北米〉に向
う船が黄泉(よもつ)島(ムー大陸?)に吸い寄せられるように近づき、難破しかけるが祝部神のアオウエイ
の言霊によって救われます。
祝部神は月照彦の神霊とともに黄泉比良坂の戦いの後、まだ改心出来ず残っている曲津神を掃蕩すべく黄泉
島に上陸します。黄泉島は神の怒りに触れ島全体が沈没しかけているがウ声の言霊によって、船客との約束
通り島は浮き上がります。上陸した祝部神は黄泉比良坂まで登り日の出神が用いられた千引の岩に端座し、
静かに神言を奏上すると島は大音響とともに沈没します。そして、この章題の通り天の磐樟船によって救わ
れます。
余談ですが、祝部神の信仰の強さと巨大な島が沈んで行く場景は、映像で表現すると壮大なスペクタクル
であり、おそらく感動の映画と成るのではないでしょうか。
富山教室 午後7時より
第14巻第6章~7章を拝読。
第7章「難風」では六公がパンを提供する時、我々がよく使う外交辞令としての、「お粗末な物であなた
方等のお口には合ひますまいが」と言うと、
弥次彦は「人様に物を上げるのに、粗末だとか、お口に合ひますまいとか、そら何んだ、チツト言霊を慎
」まないか。これは美味しいから献(あ)げませう、うまいから食つて見て下さいと言ふのが礼儀ぢやない
か……」。また、祭典でほんのわずかなものを供えても、「海河山野種々の美味物を、八足(やたり)の机
代に横山の如く置足らはして・・・」とたたえ言をいう。と言われ、
六公は「現幽一致に御透見遊ばす神様の前に、虚偽を垂れ」るとは不可解で合点が行かぬといいます。
それに対して弥次彦は「この天地は言霊の幸はふ国だ、悪い物でも善く詔直(のりなお)すのだ。少い物
でも沢山なやうに宣り直すのだ、貴様の様に、善い物を悪いと言ひ、美味い物をまづいと云ふのは、言霊の
法則を破壊すると云ふものだ。」と言えば、
六公は「尊厳無比なる神様の御前に、詐欺をやつて良い気で済まして居れると思ふのか」とねじ込みます。
これに対して、弥次彦は「神を敬する如く人を敬し、我身を敬すべしと云ふ信条が三五教」にあり、神素
盞嗚尊様は「あが御心すがすがし」といい、天照大神様は「われは天照大神なり」と自ら敬語をお使ひにな
つたように、「敬語と云ふものは、どこまでも使用せなくてはなりませぬよ」という。虚偽、虚飾の言を廃
し『言霊の詔直しを始めなくては、何時までも五六七の神政は樹立さるるものではありませぬワイ』と神憑
り状態で話します。
以上阿良田記
次回
6月21日(火) 金沢教室 午後 1時30分より 12巻
富山教室 午後 7時より 14巻
去る5月22日・23日の但馬の竜宮神社・鉢伏山祭典の話を聞く。昭和21年5月22日から王仁三郎
聖師が病躯をおしてこの地を訪れ、5月23日に鉢伏山開きを行った。八力の神を祭っている。
第20巻 序 総説歌 第一章 武志の宮 第二章 赤児の誤 第三章 山河不尽
第四章 六六六 第五章 親不知
玉照姫、玉照彦は綾部の照山の麓の仮の殿におさまるが、言依別命は神素盞鳴大神の命で照山と桶伏山の
山間に錦の宮を建造する。
大台ケ原で木樵をしていた天の真浦は錦の宮が建造されたのを聴き、木樵をやめて錦の宮を訪ね、ここで
宣伝使となり、宣伝の初陣に宇都山郷を訪れる。道中には駒彦・秋彦に信仰力を試されながらも松鷹彦に案
内されて、バラモン教の友彦館に進み行く。松鷹彦の家にバラモン教の留公等5人は真浦を捕えて帰ろうと
するのであるが、真浦の宣伝歌を聞いて頭が痛くなったり胸が苦しくなったりして退却してしまう。このと
き踏み潰していった芋畑について、産児制限運動家のサンガー夫人にかけた問答が面白おかしく展開してい
く。その後真浦と友彦の宣伝歌のやり取りがあり、友彦は逃げ出していくのであった。
松鷹彦の家に宗彦・お勝が訪れ問答が続いていくのであるが、はたしてこの三人の関係は?今後どうなっ
ていくのであろうか。
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桜井道彦記
於青梅市民会館
5月より物語第15巻に入る。序、凡例、総説歌、第1篇正邪奮戦の1,2,3,4章まで拝読。
序文に有る様に13巻からは、外国語も取り入れられて、口述方針に手を加えられた様です。
聖師様は13巻からの拝読を薦められた様ですので、何か用意が有っての事と思われます。
15巻は、13巻にてウラル教の半ダース宣伝使達が、日の出別命に改心させられてから、最初の三五教宣伝使
としての活動が始まり、又霊界物語の主人公神素盞嗚大神の登場、また裏の主人公高姫の登場、三五教教主
となられる言依別命の登場と、そして素尊の御子八人乙女の登場等、隠された意図を探りつつも謙虚に拝読
したく思います。
総説歌に、・・暉き渡る瑞月が・雲押し分けて地に下り・泉湧き出る奇魂・引き抜き来りスラスラと・英語
交りの物語・新旧用語の玉の塵・かきて集むる言霊は・妙音菩薩の神力と・並びて尊き観自在・三十三相ま
た四相・思想の泉滾々と・尽きぬ言霊別の神・霊幸ひましまして・・・・と有る如く、聖師自ら、天の神地
に下り、瑞霊の働き、弥勒菩薩の働きを宣言されています。
瑞霊神、三葉彦命の又の名の太玉命と八人乙女の活躍で、顕恩卿が邪霊から解放される所までを拝読しまし
た。神素盞嗚大神は愛娘を邪神の巣窟、顕恩卿に乗り込ませておきながら、太玉命に何も言わずに向かわし
めた。これも大神の経綸で有ったと気付かされた命が・・何事も人智を棄て、神の命のままに従うべし・・
・と覚悟し感謝する様子は私共も見習うべきと、心底思わされました。
三輪 光佳
次回6月27日
7月25日
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