教室レポート(78) 2011
今月の初めはこの冬一番の寒さで雪も大雪でしたが、20日を過ぎると嘘のように暖かい日が続きました。
始めに、霊界物語第63巻第4章「山上訓」に載っている、人が一時的変調を来す場合について玉国別の
宣伝使によって語られています。
第1が利欲に迷うた時。第2が強い強い刺激を受けた時。第3が焦心したり狼狽した時。第4番目が失意
の時と得意の時。第5が迷信に陥った時と、5つの型があり、それぞれについてお話し合いをしました。
第1番などはお金を持っているばっかりに更に多くを手に入れようとして、ファンドなどに手を出し、高
い利益と言う言葉だけに眼がつき、騙されて痛い目に遭うときなどです。
それは人が予期せぬ刺戟によって自分を忘れてしまいます。1から5はすべて副守護神に支配された時の
心の状態で,ある意味仕方のないことですが、直日の霊の働きにより、省みることが大切なのではないで
しょうか。
また、素盞嗚の大神の山上の神訓についても改めて我々が本当に崇敬する真の神様が何方かを再認識させ
ていただきました。
2月22日 金沢教室 午後1時30分より
霊界物語第12巻第22,23章を拝読。
本来、武というものは道具を使って人を殺戮するものではなく、用いる人の心を鍛え、 『悪魔は剣の威
徳に恐れ、武術の徳によつて心を改め、善道に帰順するものだ。』とあります。また『善言美詞の言霊を
閑却し、武を以て武に当るは我が心の許さざる所、ただ何事も至仁至愛の神に任せよ。武を尚(たっと)
び雄健を尊重すると云ふは、構へなきの構へ、・・・』とあります。
構えなき構え以下は、中島敦の不射の射にも通じ、霊界物語を読む者としては心得なければならない心構
えです。
武術は決して折伏のためではない、摂受のためであり、国祖の言葉『暴に報いるに暴をもつてせば、何時
の日か世界は治平ならむ。』【第2巻50章】を思い出します。
2月22日 富山教室 午後7時より
霊界物語第14巻2、3章を拝読。2章、3章は意味のとりずらい章です。三途の川についた時(第1章)
は滔々とした清い流れでしたが、渡るとたちまち様子は一転することを考えると、田子の宿の小竹の家で
行った、我よしの行為や日頃の勝手気ままに生きてきた弥次彦を戒めるための銅木像なのでしょうか。し
かも何処までも与太を並べる弥次彦は救われない存在です。
銅木像とは彼自身が言うように機械(=きっかい。奇怪)な代物ですが、
銅『この目が恐いか、冥途の旅ぢや、お前たちの目を醒まして遣る為めに先づ俺から目を剥いて見せたの
だ、・・・』というように神の戒めなのでしょうか。
以上阿良田記
次回
3月29日(火)金沢教室 午後1時より 第12巻
富山教室 午後7時より 第14巻
第十九巻
序 総説 第一章 高熊山 第二章 鶍の嘴 第三章 千騎一騎 第四章 善か悪か
第五章 零敗の苦 第六章 和合と謝罪
第一章の高熊山の章では王仁三郎聖師が高熊山の修業に導かれるところが謡曲調で書かれている。小幡
大明神の言葉に「此度五六七の神世出現に際し、天津神、国津神の依さしのまにまに、暫時丹州と現れ給
う汝の御霊」と物語上の丹州と王仁三郎聖師がつながる。また「三十五年の昔より、木の花姫と語らひて
、汝が御霊を拝領し、我が氏の子として生れ出でしめたり。」の三十五年は三十五万年の誤植ではないか
との点に対し、開祖の生れが1836年でその三十五年後の1871年に聖師が生まれていることで一致
しているとの話。
紫姫、青彦はウラナイ教の黒姫を欺いて玉照姫を三五教へ連れて行ってしまう。黒姫と高山彦は玉照姫
を取り戻そうと、世継王山を指して進み行き、河水氾濫した白瀬川の畔に着く。黒姫は大蛇の姿になり、
激流怒涛に飛び込んで行き、高山彦は此の気色に恐れ戦いてしまう。世継王山の麓の三五教の館の前で、
黒姫は馬公を縛り上げるが、「大神様済みませぬ、赦して下さい。罪も無い馬公を縛ります、これも御道
の為ですから・・」と言ったとのことで、大蛇とまでなってここまで来た黒姫のこの行動が印象深い。
その後神素盞鳴大神の神示を亀彦が紫姫他に伝え、玉照姫をウラナイ教の黒姫に帰し宣伝使の職を去れ
と指示する。
一方ウラナイ教側は玉照姫を三五教に取られたことから、高姫等は失望してフサの国の北山村の本山に
帰ってしまう。鶴公が副守護神のズル公であるぞよ言いながら事の顛末を皆にばらしてしまったり、高姫
黒姫の意気消沈したやり取り等、とても面白い場面が書かれている。
桜井道彦記
朝から冷たい雨が降りしきる中、いつもの青梅市民会館にて2月の勉強会が始められた。
今月は14巻、第3篇高加索詣、第10章~13章までを拝読。
弥次彦、与太彦、勝彦、六公の4人は48坂有る子鹿山峠の18坂の前回吹き飛ばされた場所まで来る。
羽織を袴代わりに穿いて災難に遭ったと言う問答が交わされる。
初発の神諭の・・上下揃はねば世は治まらぬぞよ・・云々を引くが、ここはやはり上ばかりで下が無いと
言う喩えと思われる。登場人物達が不完全、修行中をも意味していて考えさせられる設定です。
18坂~19坂と無事に過ぎ、23坂まで来て山上幽斎が始められる。23坂、24坂はウラル教の縄張り地
点と有る、48の中の23と24で何か意味が有りそうながら解らない。山上で鎮魂帰神の神法が施され
るが、邪神らに憑依されるが、人間の欲望が邪霊を引き寄せると示される。又功名心に捕らわれた者が邪
霊に弄ばれたり、奇蹟を好んで神を認めようをすれば、邪霊は迅速に憑依するとも言われる。ここでは、
口子姫、八十柱彦、木常姫、常世姫の邪神が登場する。彼らは国祖退隠の為暗躍した者達だが、生まれ代
わりしながら現代に活動の場を求め、教えの子を食い物にするとか・・悪の初心貫徹とか・・恐ろしい。
口子姫も八十柱彦も一端国替えするが、国祖に救われ国祖の身辺に働くと書かれている。それでも悪事を
働く様になるのか?改心が如何に難しいか、考えさせられる。
次回、3月28日・・物語14巻、15巻
三輪 光佳
|