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教室レポート(77)        2011





八重洲教室 1月22日(土)  


 今年初めての勉強会。平成23年は大正100年に相当し、霊界物語口述開始90年の年だ。

 第十八巻  

 第一一章 相身互  第一二章 大当違  第一三章 救の神  第一四章 蛸の揚壺  

 第一五章 遠来の客 第一六章 帰り討 第一七章 玉照姫

 弥仙山の麓には紫の雲が日々立昇る。お玉という娘が夫も無いのに腹が膨れ、十八ヵ月に生み落とした

玉照姫は生まれてから百日にもならないのに、種々の事を説いて聞かせる、室内を自由に立って歩くとい

う。ウラナイ教の黒姫は玉照姫を何とかウラナイ教の手にいれようとする。黒姫の手下の富彦、寅若、菊

若は豊彦の家に行き神勅を装い玉照姫を連れて帰ろうとするが、簡単に嘘がばれてしまう。さらにお玉が

七十五日の忌明で弥仙山にお参りする時にお玉をだまそうとするが、これも簡単に失敗し、お玉に襲いか

かるが丹州が現れ、霊縛をかけてお玉を救う。

 偽ってウラナイ教に入り込んでいた紫姫、青彦等は豊彦の息子夫婦の綾彦とお民を連れて豊彦の家を訪

ね、玉照姫を三五教に連れて来てしまう。

 また丹州については「時々頭上より閃光を発射したり、眉間からダイヤモンドの様な光が放出して人を

射る。」とあり、お玉を助けた後お玉の宅に暫時同棲したという。はたしてどういう働きなのだろうか。


                        

                                          桜井道彦記


青梅教室 1月24日(月)  


                                      於青梅市民会館

第14巻、第7章、難風、第8章、泥の川、第9章空中滑走を拝読。

弥次彦、与太彦、勝彦、六公の4人が子鹿峠の急坂を登って、坂の上で雑談を始める所から物語は展開

する。まるで漫才の様な会話の中に挿入された神の教えを学ぶ。

『開いた口が塞がるまい牛糞が天下を取るぞよ、コンナお粗末な弥次の野次馬でも、馬糞の天下を取る

時節が来るのだから、あまり軽蔑して貰ふまいかい、アンナものが
コンナものになったと云う仕組であ

るぞよ』・・云々の弥次彦の発言から~。

これは、明治32年7月1日の神諭から引用されている。牛糞馬糞は例えで有るのは言うまでも無いが

古事記に言うクソに成ります神、埴安彦、埴安姫が想起される。

又金勝要大神が厠の神と言われる様に、そして地獄の釜の焦げ落としと言われる国祖神の苦難の歴史等

が有って、初めて二度目の天の岩戸開きの幕開けと成る神諭で有
る。しかし読み飛ばしてしまいそうな

場面に置かれている。下層の民、苦しめられた
者達の救いの意味が隠れている事も忘れてはならない。

この章から次章泥の川の幽界
描写の為、暴風に吹き飛ばされるが、この三途の川の川守婆と弥次、勝公

との会話が
面白い。

幽界は時間空間が無いと見えて、二十四世紀と思ったら、一万八千世紀に成っていたりで読む方も戸惑

う。紀元前五十万年の記述も有るが、今から三十五万年前の物語と
も書かれている。時間空間を超越し

た物語と思わなくては付き合いきれない。

その様な目で読み進める時、幽の幽の世界と顕の顕の世界が密接不離の関係で有る事が理解出来る。顕

の顕から幽の幽に影響を与える事も理解出来る。そして24世紀に
なると天国浄土の完成時代だそうだ。

飛行機、飛行船は廃物だそうだ。汽車は宙を走
るそうだから今のリニアモーターカーの改良形か?24

世紀頃生まれ変わって見たい
ものだ。

21世紀の現実に戻って見ると、生まれ変わり死に変わりして何度もこの世に生まれて来るのは、やり

直しをさせられているのも理解出来る。修行のやり直しをしない様
に努力しなくては成るまい。

9章に与太彦の発言に『・・変性男子の閻魔サンが御代わりになってからと云うものは、地獄の中も余

程寛大になったといふ事を神懸の口を通じて聞いて居たが如何にも
変わったものだ、民権発達といふも

のは、地獄の底まで影響を及ぼし、今度の閻魔サ
ンは、民主主義になられたとみえるな』と有る。これ

は1巻6章に、大王と面会の場
面・・『吾は根の国底の国の監督を天神より命ぜられ三千有余年当庁に

主たり、大王
たり。

今や天運循環、いよいよわが任務は一年余にして終る。』・・・の説明と符節
が合う。神諭に此の世の

エンマと現れる。・・云々と書かれているので、幽庁の大王
は交代されている と理解出来る。尚、聖師

が瑞霊として大王と面会した場面の描写
について、・・大王イコール開祖とする説が有るが、国常立尊

と理解した方が良いと
思う。開祖は霊界では見真実で有ったと言う説も、その様な概念は存在しないと

思わ
れる。

 次回    2月28日                                                 三輪 光佳

         3月28日

     4月25日


金沢教室 1月25日(火)  


12巻第21章「立花島」を拝読

 21章終わりの行、『これ天の岩戸開きの一部の御神業なり』とあります。呉の湖の橘島に着いた一行

十柱は上陸する、この島は橘姫(多気津姫)の鎮まりたもう島で、島には世界一切の、所有草木繁茂し、

稲麦豆粟黍の類、果物、蔓物全て自然に出来て居る蓬莱の島である。世の中は太陽が出ず草木が枯れる時、

この島だけが豊かに実っているので、行平別の宣伝使は橘姫に向かってこの島の五穀や果物を世に移して

救えと歌をもって直談判する。すると橘姫が現れ右手で稲穂を、左手に橙を持ち天空高く投げ上げ給えば、

世界に散ってそれより食べ物が豊に実る世界の端緒を開かれる。

明治25年の国祖御復権より以後、五六七の世が来れば農業産物の発展にともない人類総てが食料に困ら

ない時代が来ることが約束されているのでしょう。しかし、それは今日の日本人が経験するような飽食の

時代ではなく、衣食足りて礼節を知る社会ではないでしょうか。

 最後に前回富山教室でお話した第56巻の「仇花」の本文を読んで終わりました。



富山教室 1月25日(火)  


始めに旧約聖書創世記のイブが蛇の誘惑に負け罪を犯したと言う話の本来の話とも言うべきタクシャカ

竜王の話が霊界物語の第60巻に載っています。人体の祖である胞場姫(イブ)がタクシャカ竜王に憑依さ

れ神の教えに背き、その後3種の悪神が生まれます。八大竜王の一つであるタクシャカ竜王は月照彦によ

ってアズモス山の地中深く三千年の間、封じ込められます。本来悪神であった竜王が神の許しを得て再び

地上に出て、天地の陽気を調節する役目をします。どんな悪神も改心すれば、許されて神のご用にお仕え

出来るということでしょうか。

今月より14巻に入りました。序歌より第一章までを拝読。

凡例に本巻の最終章が通算五六七(みろく)章でめでたいこととあります。そして対照的に「又々信天翁

が飛出ました。」と有ります。信天翁(四)は綾部新聞がこの霊界物語を揶揄して記事を書いているよう

ですが、あまりの馬鹿ばかしさにあきれてしまいます。第一巻発端には「新聞雑誌、単行本の熱罵嘲笑、

実に筆紙口舌のよくするところのものでない。」とありその事をかいま見せています。聖師は多少頭に来

て信天翁に実情を書かれたのでしょうか。我々は突然自分が誹謗中傷されたりするとカッツとして怒りま

すが、省みるという直霊の働きを働かせることが必要だとお話したら、会員のお一人が勉強会に参加する

ようになってからそれが出来るようになりました。と話されました。

第一章「三途川」は28ページに及ぶ長い文章です。仏教では(さんずのかわ)、大本では(しょうづ

がわ)と呼ぶようです。巻末の「跋文」には三途川と一途川の意味が詳しく述べられているので同時に拝

読しました。音彦や弥次彦、与太彦は天国に行く魂と見え、三途川は滔々とした清い流れに見え、気持ち

がいそいそとしています。不思議なことに現界にまだ命がある霊は脱衣婆の手が氷のように冷たく感じら

れるようです。又、源五郎の千枚舌を抜く話はなんとも滑稽です。

「自分の尻糞は目に着かぬと見えるワイ。全然(まるで)三五教の宣伝使の様な事を吐(ぬか)す奴だ」

や「お前達は口ばっかり立派な信者だ、舌と耳は極楽へ遣って、その外はみな地獄行きだ」「自分の一身

一族を保護するのが当世だよ」等耳の痛い言葉が出てきます


                                                 阿良田記。

次回2月22日(火) 金沢教室 午後1時より

          富山教室 午後7時より