教室レポート(76) 2010
第1巻の第12章から第19章までの第2篇を、8名で、大本山口本苑において勉強した。なお、今回、
長谷川先生はお風邪で御来県になれず、出席者のみで物語の拝読を進めた。
【開祖様の見真実について再び】
第16章「神界旅行三」にある「はじめて今日目的の人に出会ひました。実は、私は、地の高天原に
あって幽界を知ろしめす大王の肉身系統の者です。どうぞ貴方(あなた)はこの道を北へ北へと取っ
ていって下さい、さうすれば大王に面会ができます。」とは、福島ひささんが、八木の茶店で、聖師
様が通られるのを待っておられた場面のようである。
また、第17章「神界旅行の四」にある「かの幽庁にゐられた大王が、若い若い婦(をんな)の姿と
化して自分を出迎え」とは、聖師様が綾部に行かれ、開祖様にお会いになられた場面のようである。
このように上記2例とも、大王は、開祖様と推測される。
さて、第7章「幽庁の審判」において、幽庁の大王は、聖師様にメシヤの実学を習うよう命ぜられ
ており、幽庁の大王は、見真実の状態にあると思われる。
【開祖様の聖霊と肉体】
ところで、開祖様の神がかりは、「国常立尊の大神霊は精霊界にまします稚姫君命の精霊に御霊(
おんみたま)を充たし、予言者国照姫の肉体に来らしめ」(第82巻第1章「水火訓」)という間接内流で
ある。
また、「国照姫の肉体はその肉体の智慧証覚の度合によつて、救世主出現の基礎を造るべく、且(
か)つその先駆者として、神命のまにまに地上に出現されたのである。」(第82巻 第1章「水火訓」)
とあり、一方、「国照姫は地上に肉体をもつて生存すること八十余年、大正七年陰暦十月三日神諭を
書き了(をは)つて昇天し、その聖霊は稚姫君命と復帰し、天界において神政を行ひ」(第82巻第2章
「神示の経綸」)とある。
このように、開祖様について、肉体・国照姫と聖霊・稚姫君命とに区別がなされている。つまり、
開祖様は、肉体としては、大正5年まで未見真実であったが、聖霊としては、聖師様の霊界修業出発時
点において、既に見真実の状態にあったと思われる。
【竜女】
第17章「神界旅行の四」に、竜女について、「美人であり、眼(まなこ)鋭く、身体のどこかに鱗の数
片の痕跡を止めてゐるものも偶(たま)にはある。」とあるが、参加者のお二人から、まさにこの記述の
とおり、美人で、目が切れ長で、背中に鱗の痕跡を止めておられた方と、昔、お会いになられたという
お話があった。また、物語にあるとおり、「夫は夭死」されたそうである。
藤井記
冒頭で、出口春日さんが若杉さんの料理教室を綾部で主催されているが、来年は東京で開催されるそう
だ。この中で春日さんが大本神諭の話をするとのこと。1月8日、2月5日、3月5日の3回で江東区の
清澄庭園で行われる。詳細はNPO法人「メダカのがっこう」のホームページで。
第十八巻
第六章 真か偽か 第七章 神か魔か 第八章 蛙の口 第九章 朝の一驚 第一〇章 赤面黒面
紫姫の一行は元伊勢を訪れる。紫姫は御神勅を承はりにお宮の中に入っていくが、他の三男一女は産釜
産盥に進む。そこでウラナイ教の黒姫がウラナイ教の宣伝歌を歌いながら水垢離を取っていた。馬公が黒
姫の言霊を聞くと悪魔が寄って来るようだと言うほどのものだった。紫姫一行はウラナイ教に帰順したと
見せかけて黒姫の魔窟ヶ原の隠れ家を訪れる。
一方黒姫の子分達は八百長芝居で玉照姫を産んだお玉の兄の綾彦と妻のお民をウラナイ教に引っ張り込
む。黒姫は綾彦を側に置き、お民を高城山にと夫婦を引き離そうとするが、黒姫の夫の高山彦がフサの国
に帰ると言い出すと必死になって止めるという矛盾が浮き彫りになっている。黒姫の子分達は綾彦お民を
連れて来た計略がばれそうになると口から出まかせの言い訳を言えば、黒姫はそれを簡単に信じてしまっ
たり、一方無理やりお節を捕まえようとした滝公・板公も黒姫に対して「『権謀術数的手段は用いるな。
併し俺の知らぬ所では都合よくやれ、勝手たるべし』と云うあなたの御精神でしょう」と言い出す。黒姫
も黒姫なら子分達にもあきれてしまう状態なのだが、今の社会の何かに似ていないだろうか?
桜井道彦記
始めに、第56巻第3章「仇花」のお話をさせていただきました。バラモン教の残党ベル、ヘル、シャルと
ケリナ姫の4人はエルシナ川に落ち込み、中有界の八衢に来ると、赤の守衛から生前の行い(心の状態=内
分)が如何に大切かを教えられます。生前に罪を犯しても多少なりとも悔悟の気持ちがあれば、神様は中有
界に置いて救って下さろうとしますが、その気持ちのない悪党は神様がどんなに救ってやろうとしても、生
前に自分の心で造った地獄に、自らの意志で向かって行くと示されています。
第13巻第20~21章を拝読しました。
第20章「宣替」の冒頭の宣伝歌(232ページ、6行目)に
『・・・ 臥竜の姫は忽ちに 優しき笑顔を現はしつ 水も漏さぬ善言美詞 宣り聞されし嬉し
さに 衿(ホコラ)の夢も何処へやら 直日の身魂輝きて ・・・』とあります。
この衿の字に「ほこら」とルビが振られています。意味は「ほこらしい夢も・・・」と言うことでしょう。
また、宣伝歌の先頭から4行目に
『・・・醜の窟の曲神を 吾等三人の宣伝使 言向和し神の世を 堅磐常磐に立てむとて 進み来
りし其の間に 何時か誇(ホコ)りの雲覆ひ 心は暗き闇の道 誠の道を踏み迷ひ 夢に夢見る心地し
て・・・』とあり、
衿は本来、誇または矜(ほこる。矛偏に今)の字か充てられるべきではないでしょうか。印刷時の誤植では
ないかとの疑問が生じます。
ここで「衿」の字を広辞苑で調べてみると襟の字に同じと有り、「襟」の意味は①衣服のえり。衿。【開
襟】。②胸の中。心中。【襟度・胸襟】です。また、「襟を披(ヒラ)く」は心の中をうちあけると言う意味で
す。
宣伝歌の終りから3行目に 『岩より堅き鋭心(トゴコロ)の 大和心を振り起し』とあります。「とごころ
」は一般に「利心」と書きます(するどい心。しっかりした心)で「鋭(い)心」と書いて「とごころ」とル
ビを振ってあるのは意味から来ているのでしょう。衿を「ほこら」と読ませるのも「衿」の②の意味、心の中
(の誇らしい)とよく似ています。こうした例は大本神諭に多く見られます。「われよし」と書いてあっても
そこに充てられた漢字は「体主霊従」であったり「利己主義」であったりします。
音彦、亀彦、駒彦の宣伝使は自分の力で醜窟の曲神を言向和して手柄を立て、一人前の宣伝使になろうと頑
張り、自分がと言う誇らしい気持ちだけが先行します。しかし、木花姫命の試しに遭い執着心がすっかり取り」
払われ、総てを神に任す心へと変わります。そこに始めて心の岩戸が開け本守護神が女神と成って現れます。
21章では自分こそはと頑張っていた岩彦もついに我を折って改心します。
第12巻でのテーマは心の岩戸開きでしたが、この巻も又、自分こそはという執着心を吹き払い、自分は足ら
わぬ者と気づき総てを神に任すと言う心にならねばならないと教えています。
阿良田記
次回 1月25日(火) 金沢教室 午後1時より12巻
富山教室 午後7時より14巻
於青梅市民会館
物語14巻、第3章~6章まで拝読。
冒頭、今回発行された大本神諭を会員に配布、かつ経緯と内容について解説。神霊界に発表された神諭を
時系列に編集して出版されたが、字句内容に手を加えていない。昭和43年に出版された神諭は字句の削除
挿入が大幅に行われており、読み比べると全く別の神諭を拝読している感が有る。これは明らかに改竄で
有る。
1巻から5巻まで全てに於いて改竄がみられる。昭和25年発行の第1集からすでに改竄されている事を思うと、
寒々とした感触に襲われる。しかも表の神諭だけで終わっている。裏の神諭は手つかずのまま今日に至っ
ている。開祖様の神諭は《立替の神諭》で有って、《立直しの神諭》は国祖が聖師様の体内を借りると示
されている。
大本神諭火の巻(大正9年発行)には聖師の神諭(裏の神諭)がすでに発表されており、今回は全ての神諭
が発行されるものと期待している。瑞霊が表に現れて初めて大本神業が光り輝くので有って、今その時が
近づきつつ有る様に思われる。本来大本神諭は裏も表もなく一体でなくてはならない。神霊界誌上に発表
された内容又、発表の仕方を見れば区別は無い。
物語に戻る。
第4章、馬詈。第5章風馬牛。は三五教に改心した弥次彦、与太彦と途中参加の六公と3人が木の花姫の試練
に会いながら信仰を深めてゆく経緯が語られている。風馬牛の題名通り、三五教に入信しながらまだ神の心
が理解出来ず、遠く隔たっている状態が諧謔の表現の中で示される。牛や馬に乗ったり、タナボタを願うと
か喜ぶ心からの脱却を迫られるあたりは、心憎い程の展開で有る。まだ修行の序の口ながら、次章楽隠居か
ら登場する勝彦と4人が試練を受けながら成長してゆく様は、はしたない表現が多いものの楽しく拝読出来
た。
今回もジャイロコンパスが登場するが、聖師は常に時代の先端を行っているのには、頭の下がる思いがする
のは私だけでは無いと思う。
今日は始めに行数を使ってしまったので、報告はこれでお仕舞い。
三輪 光佳
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