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教室レポート(71)        2010




八重洲教室 7月10日(土)  


 三日前の7月7日の冠島沓島参拝の話を聞かせて頂いた。波も穏やかで、天気も良く無事に両島

に上陸できたとのことで、前回まで読み進んできた第十六巻と照らし合わせて、興味深い話だった。

              

 第十六巻 第三篇 真奈為ヶ原

   第一八章 遷宅婆  第一九章 文殊如来  第二〇章 思はぬ歓  第二一章 御礼参詣

   跋  霊の礎(一) 霊の礎(二)

 元伊勢の宮殿も建ち上がり、英子姫は天照大神の和魂に感応する。元伊勢は「綾の聖地に次げる

神聖の霊場にして・・・神界火水の経綸場・・・宇宙の邪気を洗い清め百の身魂を神界に救う至厳

至聖の神域」とあり、すぐ近くの大江山は「神界の芥川と称し邪霊の集合湧出する源泉」とあり、

清濁の地が隣り合わせの様に有ることが不思議なところだ。さらに距離をおいて天の真名井ヶ岳は

「清濁併せ呑む天地の経綸を司る瑞の霊の神々の集まる源泉」とあり、綾部から北西に向かって、

元伊勢、大江山、天の真名井ヶ岳が直線上に並ぶのはどういう意味があるのだろうか。

 悦子姫一行は天の真名井ヶ岳を目指して進んで行く。大江山の魔窟ヶ原では黒姫がウラナイ教を

開いていた。一度話し出したら止まらない様な黒姫の雄弁さは「諸国を遍歴して、言霊を練習し、

唄であろうが、浄瑠璃であろうが、浪花節であろうが、音曲と云ふ音曲は残らず上達して鍛えた」

とあるが聖師と似通うところがあるのだろうか。

 竜灯松の麓に落下し爆発したる大火光団は大小無数の玉となり、悦子姫の体内に吸収され、悦子

姫は「日の出神の神霊を身に浴びました。」と言う。舞台は平助・お楢の家に移り、全員が真名井

ヶ原の豊国姫の神さまの出現場へと向かって行くのであった。



 次回    8月7日(土)第十七巻

                                     桜井道彦記


金沢教室 7月13日(火)  


今月の勉強会は出口孝樹先生をお迎えして行われました。

金沢・富山共通のお話。7月7日に沓島冠島開き110年記念現地参拝があり、霊界物語や愛善世界誌

には載っていない、これまでの現地での体験談や、祭典の模様をお話し頂きました。冠嶋開きのお筆

先が出た時、誰もそこが何処にあるのか場所が分らず、ある人に尋ねたところ、その人が島(冠嶋)

に渡り一段落して腰掛けた木が突然動きだしたそうです。それが蛇であったということです。百年の

記念の時参拝された孝樹先生も直径十五センチ程のものを実際に見られたとのことでした。



第12巻第13章から16章までを勉強。

第16章国武丸の中で自力信仰、他力信仰の話が出てきます。聖師も神さん、神さんと頼る心も大切

だが、自分が努力しなければいけないとして、以下のお歌がある。「手も足も動かさずして弥勒の世

 早よ来よかしと祈る曲神」自分は何もしないで早く弥勒の世が来ないか、良い世が来るようにと

祈っている人は曲神である。行いの伴わない信仰は、信仰をしているようで、ただやすきに付こうと

するだけの神を鰹節にした信仰である。神の足を引っ張っている信仰である。弥勒の世を求めるなら

それに向かって何かしなさいと言うことである。そして、「闇の世と人は嘆けど道を行く 我には弥

勒の神世なりけり」と。辛い世、悲しい世と身勝手なことばかり言って、神を恨むのでなく心の持ち

よう一つで天地が返ります。また、

甲は、「神は全知全能とか、愛だとか・・・言いながら本当は綺麗なばかりで実力のないものだ」

といいます。これに対して、乙は『よう理窟を云ふ奴だな。神界の事は人間界の理窟で解るものかい。

至大無外、至小無内、千変万化の神様の御働き、そんな人間を標準としての屁理窟を言つたつて、神

様の大慈大悲の大御心が解るものかい。各自に身魂を研くが一等だ』と我々ではとても計り知られぬ

神の御経綸、神の偉大さを諭します。成すべき事を成し、その上で理屈を抜きにして神様にすがる心

が大切です。

物語では所々で船上の甲、乙、丙といった市井の人の問答を通して、我々を諭されています。



富山教室 7月13日(火)  


第13巻第9章~11章までを勉強

オーストラリア(竜宮島)を出た半ダースの宣伝使は途中で鶴山丸に乗り換え、ペルシャ(波斯(ふさ)

湾のタルの港に着き「タルの大川を右に見て  北へ北へと進み行く(7章)」とあります。

第九章「火の鼠」に面白い文章があります。

鷹彦『サア、これから愈魔窟の探険だ。充分の食料を用意して了はないと、此岩窟は琵琶の湖の底を

通つてコーカス山に貫通して居るのだから、三日、五日、十日位の旅では予定の探険は出来ない。先

づドツサリと此袋にパンでも格納して、プロペラーに勢ひを付けて、身魂の基礎工事をしつかり撞固

め、気海丹田を練つて進む事としよう。中途になつて腹の虫が汽笛を鳴らすと困るから準備が肝腎だ』

タルの港は現在何処に当たるか特定できませんがペルシャ湾の一番奥でしょうか。タルの大川右に

見てと有るのでおそらく、ペルシャ湾に注ぐシャットゥルアラブ川(チグリス川とユーフラティス川

の合流点から下流)と思われます。この川を北上し布留野原から地下の岩窟に入ります。そしてこの

岩窟は更にカスピ海(琵琶の湖)の底を通って、カフカス山脈(コーカス山)に抜けると言う長大な

トンネルです。

何とも嘘とも本当とも見当の取れないお話です。

特に今回勉強している所は聖師が何を言おうとしておられるのか、よく判らない所です。後になれ

ばその解答が出てくるのでしょうか。等のお話しがありました。

                                                        阿良田記


次回  

8月31日(火) 金沢教室 午後 1時より 12巻

8月24日(火) 富山教室 午後 7時より 13巻



青梅教室 7月26日(月)  


青梅教室7月報告7月26日午後7時~青梅市民会館

7月は13巻第4章~8章までを拝読。

タルの港に上陸した一行6人(岩彦、音彦、梅彦、亀彦、駒彦、鷹彦)がシヅの森で神の試練に遭っ

て少しずつ
改心してゆく模様が面白く描かれている。第5章同志打では味方同士が殴り合う情景が有

って、味方同士、兄弟
同士、親類同士、が同士打をやっているのは、ウラル教の精神を遺憾なく発

揮してい
ると鷹彦が発言している。


今大本の現状をみれば、まさに兄弟げんか、親子げんか、親類同士が争っている。吾々は大本信者

と思っている
が実体はウラル教なのかも知れない。第6章ではこのウラル教宣伝使達が日の出別の

に改心させられて、日
の出別命の信者に急転したと言う。日の出別命は化身の神で有るのだけれど

も、命の
信者になると言う描写には注意を要す。物語では真の三五教宣伝使と成長してゆく一里塚

として描かれ、やがて
大宣伝使の活躍をされる。

しかし現実の吾々の姿は概ね○○先生の信者、または教主信者が大半を占めている感が有る。

それは信者の成長の過程では有っても人生は短い。物語を深く読み込んで判断力を養いたいもので

有る。

次回8月23日。

   
                                                  三輪 光佳