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教室レポート(70)        2010




富山教室 6月15日(火)  


6月15日(火) 富山教室午後7時より 第13巻

梅雨に入りじめじめした日が続いています。

第13巻第6章~8章までを勉強

前半を7月7日の「沓島、冠嶋開き110年記念現地参拝」に関連したお話をさせて頂きまし

た。沓島、冠嶋の誕生から一輪の秘密と一輪の仕組。国祖の御遭難、隠退、そして再現の意義。

開祖、聖師の冠嶋、沓嶋開きとその後の出修の意義。沓嶋、冠嶋にまつわる伝承と国祖隠退を物

語る漢字。戦後の国見山開き等のお話です。

艮の金神国常立命が御退隠になられた沓島と綾部、及び坤之金神豊国姫命が御退隠になられた神

島は地図上で、ほぼ一直線に結ばれます(大本)。次に、北海道の芦別山(岳)と綾部、喜界が

島は、ほぼ一直線に結ばれます(日本)。さらに、日本(綾部)と聖地エルサレム、サルジニア

島も、ほぼ直線上にあります(世界)。大本に起こる事が日本に映り、日本のことが世界に映る

という、まさに三段の型ともいえます。そして、綾部、国見山、沓島もほぼ直線上に来ます。

さて13巻では

第6章で、岩彦がいよいよ改心し三五教に改宗しますが、岩彦にとっては『・・・・心の中の天

変地妖だ。地震、雷、火の雨に逢うたよりも、きつい脅威だ』と言っているように、大変な決心

だったのでしょう。

第7章では布留野原で夜を迎え、眠りに就く日の出別命を見て、鷹彦が『アア、何と罪のない豪

胆な宣伝使だらう。昨日まで極力反対して居た吾々を側に置いて、何の懸念もなく、率先して他

念もなく寝に就く。其度量の大きいのには、吾々も舌を巻かねばならぬ。人間は斯うなくてはな

らない、猜疑心や、嫉妬心や、疑惑があると、つひ他人の事が気になって、安心の出来ぬものだ。

疑心暗鬼を生ずと言って、人は自分の心で自分を苦めるのだ。ウラル教は六人連で旅をしても、

夜中に何が襲来するか知れないと云って、交代で一人宛、其傍に哨兵を立たせて置く。之れを思

へば、実に三五教は淡泊なものだ。博愛の教だ。……オイ貴様達も安心して寝たがよからう』 

我々も一切を神に任せ、こうありたいものです。

第8章では7章で化物に戒められた岩彦は我を折りますが、日の出別命の行動に疑問を持ちます。

鷹彦『・・・何うならうと、斯うならうと神様の御経綸が、吾々の如き一兵卒に分ってたまるか

い。日の出別命がフル野ケ原の魔神を平げると仰有つた以上は、屹度先へ行って水も漏らさぬ経

綸をしてござるに違ひないワ。ソンナ事は吾々の容喙(ようかい=横合いから口を出すこと)す

べき所で無い。・・・』とあり、執着心をされりと捨て、全てを神に任せるまでになりたいもの

です。さらに、
岩彦『それは面白からう、俺が一番槍の功名手柄。併し乍ら肝腎の大将が見てゐ

て呉れねば、働きごたへが無いやうな気がするぢやないか』

鷹彦『貴様はそれだから未だいかぬのだ。大将が見て居らうが、居らうまいが、自分の職務は力

一杯全力を傾注してやればよいのだ』

岩彦『それでも蔭の舞、縁の下の踊りになつては骨折り甲斐が無いやうな気がする。ナア梅公、

音公』

音彦『イヤ吾々はソンナことは決して思はぬ。どうせ碌な勝利は得られないのだから。下手なこ

とをして居る所を大将に見られては却つて恥かしい。兎も角獅子奮迅の勢を以て力限りのベスト

を尽し、能ふ限りの奮戦をやるのだ』 音彦のような謙譲の気持を持つことが大切です。何ごと

も自分がするのだと思えば岩彦のような考えになり、神様からさせられていると思えば音彦のよ

うに、自分はたらわぬ者と身を低くして、けっして出しゃばらず一生懸命になれるでしょう。

ちょっと気になった所を書き出して見ました。

                                                   阿良田記

次回  

7月13日(火) 金沢教室 午後 1時より 12巻
             富山教室 午後 7時より 13巻


八重洲教室 6月26日(土)  


 第十六巻 第二篇 深遠微妙

   第一一章 宝庫の鍵  第一二章 捜索隊  第一三章 神集の玉  第一四章 鵜呑鷹

   第一五章 谷間の祈  第一六章 神定の地  第一七章 谷の水

 高姫、青彦は厚かましくも秋山彦の館を訪れ、門前にて入れる入れないの問答の後、館に入り

額裏の冠島沓島の宝庫の鍵を盗み出し、冠島沓島に渡って、冠島の素盞鳴尊が秘め置かれたる

如意宝珠をまんまと手に入れてしまう。この玉は「一名言霊と称し又は神集の玉とも言ひ言語を

発する不可思議の生玉」とあり今はドイツの或る地点に深く秘蔵されていると言う。また沓島の

金剛不壊の玉は黄、紅、青、赤、紫その他色々の光彩を放ち、地底の世界より突出したものとあ

る。高姫は如意宝珠の玉を呑込んでしまい、自分に給仕しろとまで言い出す大胆不敵さ。

 その後、高姫は中天に姿を隠してしまうが、この化身はどういうことなのかが話題となった。

また亀彦が責任を取って自刃する場面が出てくるのはなぜなのかも考えさせられる場面だった。

 青彦は大江山の剣尖山の麓でウラナイ教の宣伝を行っていたが、悦子姫にかかる天照大神の

言葉に改心し、天照大神を祭る宮殿を造営することになる。これが伊勢神宮の嚆矢となる。

 
 第一巻三五章では冠島に潮満の玉、潮干の玉を、沓島には真澄の玉を秘め置いたとでてくるが

如意宝珠の玉や金剛不壊の玉とどう関係してくるのかとか、様々な矛盾や疑問点があるが、

「辻褄あはぬと世の人の 百の誹を顧みず ・・・・瑞の霊の本性を 一皮剥いて述べて置く 

ホンに分からぬ物語・・」が答えなのだろうか。

            

 次回 7月10日(土)第十六巻・第十七巻   (会場が変わります)
    8月 7日(土)第十七巻

                                    桜井道彦記


青梅教室 6月28日(月)  


  青梅教室報告6月28日(青梅市民会館)

今月より物語13巻に入る。モノログ、総説、本編3章まで拝読。

第1章までの聖師明治33年の作品を、都合にて掲載すると書かれているが、その都合とは何か?

古事記に記載されている別天つ神5柱、神代7代の神々に役目を与え働きの場を提供している。

殊に主神の全力で有る八力(動、静、解、凝、引、弛、合、分、)に神代7代のご夫婦の神々4

組8柱
を起用している。そして古事記本文の流れに沿って解説しつつ、鎮魂、顕斎等独自の主張

を展開して
いる。古事記と天皇制と天照大御神の関係を考える上で重要な内容が含まれている。

第1章言霊開の長歌の最後には・・・直霊の魂を経となし・・厳の魂を緯として・・と表現して

る。天皇賛美の文体の中で厳の御霊の神業の一端を示す。古事記言霊解とは一線を画している

のも何か用意
が有っての事か。

明治33年と言えば、聖師が大本入りした直後の事でも有り、この時から始まる聖師苦難の幕開

けで
有って厳の神業を裏で支える瑞の神業はここから始まる事を思うと感無量で有る。

そして第2章からは本巻の主要部で有る半ダース宣伝使たちの正神に目覚めて行く過程が描かれ

る。

後に大宣伝使と呼ばれる、治国別、照国別、玉照別らの若き日の活動の記録でも有る。吾々信徒

目標とするべき内容豊富な文章が続くのを心して拝読したい。

                                                   三輪 光佳

次回、7月26日