教室レポート(68) 2010
4月14日金沢教室 PM1:00より
久々に出口孝樹先生を迎え、勉強会が開かれました。
12巻7章より9章までを勉強。
この巻のテーマである天岩戸開きは第1篇では人の心の改心である。次の二篇は神の言葉を伝えてい
く宣伝使の改心。三篇では、厳霊の系統と瑞霊の系統に関わる神々の岩戸開きで、神々にも岩戸隠れ
がありそれは神々の対立がある、その対立を超え和合してゆく事、真の理解をすることがこの巻の本
質である。
雑談の中で、九章の最後に、「嚠喨たる一弦琴の音幽かに聞え」の一弦琴はどんなものなのか、大本
が使う二弦琴(八雲琴)は?などの話から発展し、素盞鳴尊の『八雲立つ出雲八重垣妻籠みに 八重
垣つくるその八重垣を』のお歌にいたりました。受講者の方がこの後に更に句があり(何時か晴らさ
ん万代へて)、この八重垣とは社会一般にある様々な障壁のことであると以前に古い信者さんから聞
いたことがあると言われました。出口先生は歌の最後の「八重垣を」の「を」に深い意味があり、今
世界を覆っている障壁には無形と有形の障壁があり、思想や人種、国家間の障壁を取り除くことが必
要であり、これらは皆八重垣であると話されました。
また、最近沖縄出身の喜納唱吉さんとお話しする機会を得、物語(64巻)のなかのブラバーサの
演説をお話したら、喜納さんもいま世界が抱える問題の一つが国境である。国境のあることが悪いの
ではなく国境主義が悪いのである。サバニビースコネクションの船の中で国境主義が無意味であるこ
とに気付いたと話された。国境主義も一つの障壁であり、その点で聖師と同じ考えだと喜んでおられ
た。等のお話がありました。
富山教室 pm7:00より
今回より第13巻に入る。モノログより第2章までを勉強。
人は改心によっていつでも変れる。開祖の言葉を借りれば「改心がいっとうであるぞよ」とあり、聖師
(物語)の言葉でいえば天の岩戸開き即ち人の心の岩戸が開かれること(改心)が必要であると示され
ている。そして、人は改心すればより尊い身魂になれる。物語は全巻を通じて改心が述べられている。
ミロクの世は何処か特別なところにあるのではなく、仮に富山県にユートピアが来ましたといっても、
自分の心の中が天国になっていなければ、どんなに周囲が天国になっていてもそれを感じることは出来
ない。反対に今は地獄の世の中だという状況にあっても、自分の心の内が天国化していれば何処へ行っ
ても天国である。皆が苦しい苦しいと言っていても、それでも神様のお陰をいただいて有り難い!とい
う思いで生活できれば天国である。それを自分自身で感じられるかどうか。また言葉を換えて言えば、
自分こそはという慢心の垣根を作ってしまえば地獄であるが、その垣根を取り払えば、天国が来る。そ
うしたことが物語では全般を通して説かれている。わたしも自分の岩戸開きをしていきたいと思う。
(以上金沢、富山共通したお話)
モノログには霊界物語について『この物語は凡て宇宙精神の一斑(一部分)を説示したものであります。
大病人などが枕頭にてこの物語を読み聞かされ、即座に病気の全快する位は何でも無い事実であります、
之を見ても人間の頭脳の栄養物たる事が判ります。大本の大精神は、この書に依つて感得さるべきもの
でありますから、大本信徒に取つては最も必用な羅針盤なるのみならず、洋の東西を問はず、人種の如
何を論ぜず、修身斉家(自分の身を修め、次に家庭をととのえる)の基本的教訓書ともなり、大にして
は治国平天下(一国を治めてさらに天下を安んずること)の軌範たるべき神書たる事を信ずるのであり
ます。大本信徒諸氏よ、変性男子だとか、変性女子だとかの言句に跼蹐(卑屈になって暮すこと)せず、
凡ての心の障壁を撤廃し、虚心坦懐(何のわだかまりもない心)以て本書に包含する所の五味(仏の教
えが衆生の能力に応じて順次深くなっていくことにたとえる)の真相を闡開(明らかにする)されむこ
とを希望する次第であります。』とあります。大本信徒のなかには、昔から何も考えずにただ霊界物語
は読めばよいのだとする考えが一般に広まっています。しかし、これだけの物をただ音読するだけでは
あまりにも宝の持ち腐れで、もったいないと思います。上記のように、素直な心で読めと書いてあるの
を、余計な解釈を加えるなと誤解しているように思います。心を澄まして、しっかりと内容を理解しな
いと本当の神の心が理解できないように思います。「五味の真相を闡開されむことを希望する」の五味
は広辞苑によると「五種の味、すなわち甘・酸・鹹・苦・辛の総称。 仏教で、牛乳を精製する過程に
おける五段階の味。乳味・酪味・生酥(シヨウソ)味・熟酥味・醍醐味。また、仏の教えが衆生の能力に
応じて順次深くなっていくことにたとえる」とあり、何度も何度も心を澄まして読むことによって教え
の深みが更に増し、悟ってゆけるのだと思います。
阿良田記
次回
金沢教室 5月21日(金) 午後 1時より 12巻
富山教室 5月21日(金) 午後 7時より 13巻
東京での勉強会は昨年の出口信一先生の御昇天により、赤坂教室・ほびっと村教室が中断となり、
この度、新たに八重洲教室として再開することとなった。東京駅八重洲口から歩いて3分という交
通の便に恵まれた会場である。
霊界物語第十六巻には綾部の本宮山が出てくる。
第6章「石槍の雨」には本宮山に於いて、「神素盞鳴大神は、国武彦命に何事か、密かに依さし給
ひ、ミロク神政の暁迄三十五万年後の後に再会を約し・・・」の場面である。又巻頭には本宮山の
絵が載っている。
事務局から講師の出口孝樹先生がこの本宮山のすぐ麓に住み、本日もここから東京に来られた事
等を紹介させて頂いた。
霊界物語第十六巻より
講師の出口孝樹先生から初めて霊界物語を読まれる方の為に、霊界物語とは如何なるものか、ま
た霊界物語が生まれるまでの歴史を説明された。
大正9年に大本の教典である「大本神諭火の巻」が発禁となる。翌大正10年に弾圧が始まり、
10月20日午後1時に天の御三体の大神を祭った至聖所である本宮山神殿の破壊が開始される時
第一巻の序を誌したのであった。
第十六巻 序文 総説歌
第一章 天橋立 第二章 暗夜の邂逅 第三章 門番の夢 第四章 夢か現か
如意宝珠とは自分の意の如くなる宝の珠の意味であるが、形有る珠のことではなく、目には見え
ない一人一人の心にある霊や魂が大事なのだと説明された。
神素盞鳴大神の八乙女の一人英子姫が従者の悦子姫とメソポタミヤの顕恩郷より老朽船に乗せら
れて海原に流され、丹後の国に漂着する。そこへバラモン教の棟梁鬼雲彦の手下が待ち構えるが、
三五教の宣伝使亀彦が救いに現れ、その後秋山彦の館を訪れ、そこで神素盞鳴の大神と国武彦に
対面するのであった。
出口孝樹先生も始めは霊界物語を続けて読んで行くことができなかったが、ある時第十六巻を
読んで興味を持ち、続けて読んで行くことができるようになったきっかけの巻だったそうだ。
次回 第二回 5月29日(土) PM1:30~
第三回 6月26日(土)
第四回 7月10日(土)
第五回 8月7日(土) 桜井道彦記
4月は物語12巻18章~24章までを勉強しました。
呉の海(黒海)をコーカス山の麓を目指す国武丸の船中が舞台のウラル教の宣伝使の改心の物語から
始まる18章水牛の登場人物、牛、馬、鹿、虎、の4人は前巻11巻に出ている人物の再登場です。
しかしこの巻の捕り手達のセリフに有る、『・・孔雀姫の館(黒野ヶ原)で、吾々5人の者が猫を摘
むだ様に提げられ、どうなる事かとぶるぶるふるって居た所、酒を飲まして結構な教えを聞かして
呉れた宣伝使だ、その時俺達が、捕り手の役は厭になったから辞めると云ったら、お前達はそれが
天職だから・・・・』このセリフはこの4人のセリフでは無い。孔雀姫の館の人物は、松、竹、梅、
春、秋公の5人で有って混同している。
何故か。聖師さまが間違える事は無い、とすれば何か意味が有る筈だと思うが良く解らない。物語の
中のこれと良く似たケースから推測すれば、ウラル教の捕り手達の霊性が同じと言う答えしか出て来
ない。
この呉の海に浮かぶ橘島は、もと竹生島で名を変えたと出ている。素尊の剣から生まれた3女神の1
人、橘姫が治めるこの島では戦は起きない。名を変えた事と連動している様に思われる。軍備をして
いない島の物語の展開では、この島は世界のあらゆる草木繁茂して五穀果物実る楽園と言う。これは
神の教えを良く守り実行している人たちの住む島、との形容でも有り、又橘姫が左右の手に稲穂と木
の実を天に向かって投げれば、億兆無数の食物果物をなって世界を潤すと言う。これが天の岩戸開き
の一部の御神業と示される。食性改革は素尊の手によってなされるが、御子の一人橘姫の働きがこの
様に形容される.
また深雪姫が治めるサルジニヤ島の戦いが始まる。この島は5巻に出ている十二個の宝玉を高杉別が
守った一つ島で高杉別と共に再登場。十握の剣の威徳に依って世を治めようとする瑞霊深雪姫を天照
大神が誤解して五男神の一人を差し向けて戦端が開かれる。誓約の展開の姿として重要な意味が有る
と思う。
ここに活躍する厳系、瑞系の神々の改心が主題で有って、これに宣伝使、人民の改心が付随する。
もっといえば、天照大神の改心も主題の一つで有ろう。この12巻は面白い。
次回、5月24日。6月は28日
三輪 光佳
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