教室レポート(67) 2010
3月20日(土)午後1時30分から午後4時20分まで、大本山口本苑で霊界物語勉強会を開催
した。16名の参加。講師を亀岡市の長谷川洋先生にお願いして、物語勉強会が再開された。
【序】まず、1巻「序」の拝読の後、長谷川先生から、今後の勉強会の進め方について、参加者の
意見も求めつつ、ご自身の考えを述べられた。
つまり、「序」にある「国祖を地上霊界の主宰神たらしめる」ということ、また、「序」の筆録
が神殿破壊の時間に合わせてあるなど、「主の神、根元神が時を刻む」ということの意味を探って
いくことを軸として、この勉強会を単なる輪読の場ではなく、真神やそのご経綸、霊界についてな
ど、教えの真相に触れる喜びの場としたいとのことであった。
【水洗礼と火洗礼】次に参加者で「発端」を輪読した。ここには、変性男子の神系、国祖大国常立
神が、水洗礼により物質的現界の改造を行われること(一部回顧録参考)、一方、変性女子の神系、
豊国主神が、火洗礼により精神界、神霊界の改造を行われること、そして、霊界が主で現界が従で
あるので「霊主体従」であると示されている。
この水洗礼と火洗礼に関して、天祥地瑞82巻1章「水火訓」が思い起こされる。
「水洗礼たる今までの予言者や救世主の教理をもつては、到底成神成仏の域に達し、安心立命を心
から得ることが出来なくなったのである。故に神は現幽相応の理によって、火の洗礼たる霊界の消息
を最も適確に如実に顕彰して、世界人類を覚醒せしむる必要に迫られたので、言霊別の精霊を地上の
予言者の体に降されたのである。」
藤井記
3月29日青梅市民館を会場に物語12巻、12章~17章までを拝読しました。
12章化身、は蚊取別と祝姫が離婚して、夏山彦と祝姫が結婚すると言う思いがけない展開を見せ
る章。
物語7巻ではすでに化身となっている蚊取別では有るが、慢心して大蛇の背に乗せられる羽目に会
った後だけに、「実は偽物で有る」とか「大化物」で有るとか言う台詞がいくらか宙に浮く感が無
きにしもあらず。
しかし、祝姫が御霊の夫婦に巡り会うまで、自分の妻としていたのは、天使としての役目で有った
と言う神の愛の普遍性が説かれていて興味深かった。以後15章までは蚊取別を頼りにして来た、
三光の宣伝使と初公が信仰の自立をして行く過程が丁寧に描かれて心を洗われる思いで拝読しまし
た。これが宣伝使の岩戸開きで有って、今の宣伝使の心得とされるべき内容と思う。ことに大蛇の
悪魔に向かう前に自分の霊に憑依せる悪魔を制服し、己の霊を正しくするのが先だと言うのは至言
だと思う。16章、17章は場面一転して、呉の海(黒海)の描写に移る。国武丸の船客の会話で、
自力信仰と他力信仰が説かれている。ウラル教の者の言葉ながら、心相応に神様は現れる、との表
現は心から味わいたい。そして国武丸を襲った颱風を石凝姥の宣伝使が天津祝詞と神歌で鎮める所、
と橘姫の神歌の中に厳と瑞の働きが示されていて、読み過ごす事の出来ない描写と思う。神須佐之
男の大神の貴の御子で有る橘姫が、・・吾は木の花姫の神・厳の御魂の別け霊・・の表現又、三光
の宣伝使も厳の御魂と書かれている場面に、注意深く勉強させられた。天祖は厳とも顕れ瑞とも顕
れる。厳は瑞に含まれる。との神言を思いつつ3月の拝読会を終わりました。
次回、4月26日。5月は24日。
三輪 光佳
3月30日(火) 富山教室 午後7時より 12巻
今年は暑さ寒さの極端な気候変化の大きい年で、体調管理の難しい年です。
第25章、28,29章を勉強しました。
25章では石凝姥神が道聴塗説(いい加減な世間の受売り話)を聞き、いよいよ厳の霊と瑞の霊
の誓約が始まったらしいと知り、岩戸隠れがあることを予測して八咫鏡を鍛(う)つためにアルプ
ス山に向って一行と別れます。そうすると、神界では誓約や岩戸隠れはすでに約束事であったので
しょうか。また、秋月姫命の使神によって天照大御神様のご性格が詳しく述べられています。
須佐之男命の三柱の姫神と、天照大御神の五柱の男神は実際には誓約が始まる前から活躍してお
り、月雪花の三女神は、はざまの国の目付役春山彦の三姉妹であり、誓約によって秋月姫は市杵島
姫命と、深雪姫は多気理姫命と、橘姫は多気津姫命と成ります。このことは何を意味しているので
しょうか?
古事記は通り一辺に読めば何の疑問も起きませんが、霊界物語にわざわざ取り上げるにはそれな
りの深い意味があるのではないでしょうか
初めて古事記を読んだときもそうでしたが、何度か読む内に三柱の貴子の誕生とその後の話で、
素朴に次のような疑問を抱きました。先ず、須佐之男命は大海原の国を治めかねて、母の国へ行こ
うとされます。何故無責任にも母の国に行こうとなされるのでしょうか。しかも、伊邪那岐命は何
故許されたのでしょうか。
またその際、直接母の国へ行かず、わざわざ姉大神にお会いになって行かれたのでしょうか?
しかも、少数のお供を連れて行けばよいのに、大勢の神々を連れて行かれたのか? また、天照大
神は何故、須佐之男命が穢い心を持っていると疑ったのでしょうか? 古事記略解の中では、須佐
之男命の本当の気持ちを父、伊邪那岐命は内心気づいていたのに天照大神は何故気づかなかったの
か。高天原を治めるほどの神であれば気付いてしかるべきと考えますが。
また、多くの神が暴れたのは姉大神の疑いが原因なのであり、本来須佐之男命が責任を取るべき
筋はないように思われるのですが? こうして見ていくと、この話には疑問がいっぱいあります。
皆さんはどうお考えでしょうか。なかなか考えさせられるところです。
以上阿良田記
次回
金沢教室 4月14日(水) 午後 1時より 12巻
富山教室 4月14日(木) 午後 7時より 13巻
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