教室レポート(63)        2009




台中教室 11月24日(火)  


 5月の台湾研修の旅以来半年振りの訪台で、前回2月の勉強会から随分と間隔が空き、この間に

信一先生のご帰幽があり、慌ただしく
月日が経過し、しみじみと世の無常を感じながらの久々の勉

強会、
信一先生の本葬に台中教室代表として長谷川まさきさんに遠くよりご参列頂き、また生花の

お供へを頂いた事に対する謝辞もそこそこに
当夜は信一先生を偲ぶ会さながらに、何回か台湾を訪

問されたその
時々の懐かしい写真を見たり、信一先生にご揮毫頂いた「道」の額を鑑賞したりと、

夜遅くまで思い出話に花が咲き、改めて先生のご遺徳
を追慕させて頂きました。

    
    

 翌々日の24日午前中に神前礼拝後、第12章「サワラの都」を拝読。この章の前半はこれまで

のあらすじを長歌形式で略述されている。

日楯、月鉾、ユリコ姫の三人が照彦の住む球の島サワラの都に到着し門番とのやりとりの後、竜世

姫命のお告げで三人の来訪を待っていた
重臣セルの出迎えを受ける。

 この章で第二篇も終わり、次回からいよいよ台湾物語の佳境、最終篇に入る。

 同日、夜は台北で、黄敏慧女史(四年前に信一先生を日月潭に案内されたのをご縁に今年の5月

の台湾研修会にも蔡先生のお伴として来られた)
と会食する機会を得て、信一先生への弔電の御礼

を述べ、遺著「スサノオの
原風景」と信一先生追悼特集の愛善世界誌をお渡しした。

 信一先生とは日月潭へ案内したその折一度だけの面識でしたが、黄女史も信一先生の信奉者の一

人で、物語第28巻を購入され、深く理解は出来ない
までも、一読されていて、大本の教えや物語

に大変興味をもたれていて、色々と
質問されたり信一先生を日月潭へ案内された時の思い出話に時

間の経つのも
忘れ、あっという間に3時間を超える楽しい会食、信一先生を偲ぶ会となりました。

 ここで、黄女史から日月潭に案内した時の大変興味深いエピソードが聞けました。

 信一先生がラルー島に渉り日月の形の石を鎮め台湾独立祈願祭祝詞を奏上しているときに、魚2匹が

先生の言霊に感応して水面高く飛び跳ねたとの事。きっと竜世姫命様が聞き届けているとのサイン

を示されたのでしょう。

 後で、信一先生は「こう云う事はよくある事なんですよ」と言われ黄女史はとても不思議に思っ

たとのことでした。

 そう云えば信一先生とご一緒して行く先々で本当に不思議な奇跡、奇瑞を見せて頂きました。懐

かしい思い出が甦って参ります。


富山教室 11月26日(木)  


 今日12月2日は満月ですが、あいにくと曇っていてお月様が拝めません。昨日の十四夜は一晩

中お姿が拝見できました。ここ数日天気も良く例年より暖かいようで、日中15度も有りました。

出口信一先生が御昇天になられて、既に2ヶ月が過ぎました。富山教室は平成15年の5月から

先生によって始められ、三重、静岡、東京そして富山とまさにプロ野球のロードのようにご活躍さ

れていました。金沢教室が始まると、朝綾部を発たれ、午後1時から金沢、6時30分から富山と

ダブルヘッダー、初めは電車で来られていましたが、後半は自動車でこられ、ご多忙の為金沢に泊

まらずそのまま綾部に帰られるようになり、正に捨身活躍で無理をなさっておられました。我々に

とっては之から益々ご活躍願わなければならないと思っていましたが、神様の方からは霊界に入っ

てのご活躍が予定されていたのでしょう。

先生は私とってはまさに師と仰ぐ人で、様々な体験と広い知識からくるお話の面白さ、物語に対

する深い洞察力に魅了されました。

これからは金沢、富山共に孝樹先生を中心に更に続けていきたいと思います。10月には先生を

偲びながら勉強会を開きました。(写真は平成20年4月富山教室)

          


 

第12巻、第10章~12章までを勉強しました。

10章「深夜の琴」は蚊取別の宣伝使が干支の十二支を使って生活のリズム(生物時計=

人間本来のリズム)を上手に教えています。

 


現在の時刻に合わせて整理してみると、戌、亥、子の時刻(20~0時頃)は睡眠によって一日の疲

れを取る時間帯であり、丑、寅(2~4時頃)はこれから働く為の鋭気を体内に蓄える時間帯です。

そして、卯(6時頃)には起床し、顔を洗い朝拝を済ませ朝食を取って仕事への準備をします。辰

(8時頃)から仕事を開始し、午前中の巳、午(10~12時頃)はもっとも仕事に脂がのる時間

帯です。

未(14時頃)の「火の辻と云うて火と水との境目だ」と言うことは,火は陽で,水は陰を意味し

ます。未の頃を境として陽から陰へと大気が移ることを意味していると思います。昔から洗濯物は

午後3時頃には取り込むようにと言われてきました。どんなに乾いている洗濯物も3時頃を過ぎる

と湿気を帯びてくるので,取り込みなさいと言うことです。申(16時頃)には水気(湿気)が下

がって来ます。酉(18時頃)には仕事を終え、夕拝をし今日一日無事終わったことの感謝を申し

あげます。そして夕食を済ませます。就寝や起床の時間は四季によって多少違いますが,以上が我

々の生活の基本パターンです。

蚊取別は冒頭で「開闢の初めから定まり切つた言霊の規則」と言っているように、この世が創ら

れた時からの地球のリズム(生物時計)です。従って我々人間の体内時計も地球のリズムに合った

様に作られています、このリズムに沿った生活をすれば健康で病気にも掛りにくく長生きが出来る

のではないでしょうか。現代はこのリズムとは全く反対の生活をしている人達も多くいます。物語

の中には太古の神人は何百年も生きたとあります。



さらに、十二支を使って人(宣伝使)の心構えや生き方を教えています。

     (子):根ツから葉ツから蕪から菜種迄、宇宙一切万事万端解決が着かねば、宣伝使には

        なれないのだよ。

     (丑):(もう)の尻(物知り)にならぬと世界を助け廻る事は出来ぬ。

     (寅):兎も角宣伝使が尤も慎むべき寅の刻、オツトドツコイ、虎の巻は何事も省ると云

        ふ事が一等だ。
宣伝使は広い知識と常に省みる心がないと,人を救うことが出
 
        ないと示され。

     (卯):卯の刻ではない、己惚(うぬぼれ)心を出してはならぬぞ。自分は足らはぬ者ぢや、

       力の弱い者だ、心の汚れた者だ、罪の塊だと、始終心に恥ぢ、悔い、畏れ、覚り、

       省みる様にならなくては神様の御用は出来ない。

    (辰):辰(経)と緯との機の仕組、神の因縁を良く諒解し、一方に偏らず、其真ん中の道

       を歩み。

     (巳):巳の刻ではない、身魂を磨き身を慎み、()贔屓(びいき)身勝手は捨て改め、(みだ)りに人を

        審判(さば)かず、心は穏かに春の如く。

     (午):午の刻、否うまく調和を取つて神に等しき言霊を使ふのが本当の神の使だよ。


人は心に天賦的に与えられている、恥ぢる、悔いる、畏れる、覚る、省みるという一霊四魂を働かせ、

そして神の因縁を良く諒解し中庸(聖師が示されている中庸は左右どちらにも片よらないと言う意味で

はなく,左右を生かすと言う意味)の道を歩み、また、自分の思いだけを先行させて、人が良いの悪い

のと身勝手に決めつけることなく、心は穏かに春の如く,常はもとよりいかなる場合も神様にならって

善言美詞の言葉を使うことが大切だと諭されています。

ここであらためて普段の生活を省みたいものです。

   以上阿良田記

次回  12月11日(金) 金沢教室 午後1時より12巻

              富山教室 午後7時より12巻