教室レポート(62)        2009




富山教室 7月21日(火)  


7月21日(火) 富山教室 7時より 第11巻

今年はエルニーニョ現象の年とか、7月に入って雨が多く、ほとんどお日様が照りません。トマト

などは赤く色づくと割れてきます。またツル物があまり良くないように思います。


先月お休みをされた方が何人か居られたので、改めて大気津姫の段と、22章から24章までを

勉強しました。

大気津姫の段は現代社会の衣食住の乱れをお示しになっています。衣食住の進歩発展は神様もこれ

を是とするところですが、現代社会のように富の偏りや、何でもありの自分だけが良ければ良いと

し、未来を何も考えない社会では困ります。

23章「保食神」には

『茲に石凝姥神、天之目一箇神、天之児屋根神は、高倉以下の白狐に向ひ顕国の宮に捧げ奉れる稲、

麦、豆、黍、粟の穂を銜(くわ)へしめ、世界の各地に播種《田畑・苗床などに作物の種子を播く

こと》せしめたり。国治立命、神素盞嗚命、金勝要の三柱を祭り、顕国の宮を改めて飯成の宮と称

へたり。宮の鳴動したる理由は、何れも体主霊従の穢れたる八王神の供物なれば、神は怒りて之を

受けさせ給はざりし為めなり。

 白狐は五穀の穂を四方に配り、世界に五穀の種子を播布したり。これより以前にも五穀は各地に

稔れども、今此処に供へられたる五穀の種子は勝れて良き物なりし故なり。

 今の世に至るまで白狐を稲荷の神と云ふは此理に基くものと知るべし。』とあります。


「五穀の種子は勝れて良き物なり」はウラル姫で象徴される大気津姫化(物質文明の発達)した社

会での食の元となるバイオテクノロジーの高度な発展を意味しているように思います。そうした種

子と農業技術が世界の普く人々に恩恵をもたらすのではないでしょうか。

しかし、「体主霊従の穢れたる八王神の供物なれば、神は怒りて之を受けさせ給はざりし為めなり

」は、現代はその技術を個人(企業)の利益のために研究されていることです。その例が、大企業

はF1種子(一代交配種)のような物を作り出し利益を独占しようとしています。本来科学技術の

発展は広く万民のために役立てるように、神は天津罪を犯さぬよう奨励しています。「大気津姫を

殺したまいき」と言うこと。また、白狐によって世界に配られたことは、飽食と飢餓の混在する体

主霊従(われよし)の世界が改められる明るい未来を予感させてくれます。

                                                    阿良田記


次回  

8月11日(火) 金沢教室 午後 1時より 12巻

            富山教室 午後 7時より 12巻


金沢・富山教室 8月11日(火)  


 8月11日(火) 金沢教室 午後 1時より 富山教室 7時より

今月より第12巻に入りました。 金沢は序文より2章まで。富山は4章まで拝読。


大本には大本神諭と霊界物語の二大教典があります。この序文で、開祖の御筆先と聖師の霊界物語に

ついての関連が述べられています。その内容を整理してみますと先ず、

筆先と神諭の違い、

筆先はこの宇宙の出来事(過現未の現象や言語)を仮名手本忠臣蔵の芝居にたとえて、それぞれの

役者の台詞書の抜書きであるとしています。従って、芝居の良いことも悪いことも書いてあり、艮の

金神の教えは何処をとるかによって善にも悪にも見え、判断が異なるのである。そのため第一次大本

事件の要因の一つ(『九太夫の台詞を真の神の教の如く軽信された結果、昨春の様な事件を突発する

様になつた』)ともなったと示されています。


しかも、『筆先の中にも、智恵や学では此筆先は到底判るもので無い、因縁の霊魂に神界の実地が

見せてあるから、其者《聖師》と直とでなければ筆先の精神は判らぬぞよ、と記してあるのを見ても

判りませう。又時と処と位置とに因りて、筆先の文句に異同あるのも当然である*。軽々しく筆先は

人間の論評すべきものではありませぬ。』と聖師でなければその真解はできないとあります。しかも

重要な点は『筆先は決して純然たる教典ではありませぬ』ともあります。


神諭については『今まで発表した神諭は、由良之介や千崎弥五郎《善言》の台詞のみを教訓として

発表したものであります。何れも緯役《聖師》として解決の着かない様なものや、悪言的の筆先は決

して発表はして居ませぬ。精神のゆがみたる人が見たら悪く見えるであらうが、緯役として神界の実

地に触れ根拠ある点のみを選抜して神諭とした迄であります。』とあり、聖師が取捨選択して漢字を

当てた大本神諭のみが教典となることを示しています。


筆先と霊界物語の関係は

 開祖の教え、即ち筆先は断片的であるので、それを一つにまとめて脚本としたのが霊界物語であると

書いてあります。しかも『この台詞書を整理して立派な神劇を組立てた上、始めて平民教育の芝居とも

なり、バイブルともなるのであります。』とあり、我々がミロクの世を迎えるための指導書でもありま

す。また、『筆先と霊界物語とは経緯不離の関係にある事を考へて貰ひたい。』と大本の縦と横の教え

の関係にある事が伺えます。

 物語の性格について『霊界物語は歴史でもあり、教訓でもあり、教祖の筆先の解説書であり、確言書

であり、大神劇の脚本であります。この物語に依らなければ、教祖の筆先の断片的(台詞書)のみにて

は、到底神界の御経綸と御意志は判るものでは無いのであります。』と書かれています。


注:* 筆先に同じ「まこと」と書いてあっても神諭では「誠、至誠、天地之真相発揮」等の漢字が、ま

た「おかげ」には「神智神能、力徳」などの漢字が当てられています。


第12巻の挿入写真に『蓄音機吹き込み中の聖師』が載っているので、SPレコードからテープに起こ

したもの(天津祝詞や第8章の「思い出の歌」、みろく音頭等)で聖師の肉声を拝聴いたしました。


普段とは少し調子の高い声に、初めて聞く人は想像とは違い、少しく驚かれるのではないでしょうか。

  阿良田記

次回  9月29日(火) 金沢教室 午後1時より12巻

             富山教室 午後7時より12巻