教室レポート(61) 2009
6月4日(木) 金沢教室 午後1時より、富山教室 午後7時より
五月の勉強会は四月が遅かったのと先生のご都合等で今日の日にずれ込みました。暑い日があっ
たり,涼しい日があったり,体調管理に難しい年です。
第11巻第12章、14章,15章を勉強
初めに出口孝樹先生より五月の初めに行われた,台湾(霊界物語28巻は高砂島が舞台)研修
旅行(31名参加)のお話しがありました。滅多に見られないという阿里山からの御来光が素晴
らしかったとのこと。また聖師様は昭和2年から10年の間に四度も巡教されているとのこと。
台湾を離れるときに詠まれたお歌(ホームページ、霊界物語勉強会参照)から想像しても、よほ
ど思い入れのある土地だったのでしょう。
15章の言霊解「大気津姫の段(一)」では以下のように示されています。
大気津姫といふ言霊は、要するに、物質文明の極点に達したる為、天下挙つて美衣美食し大廈
高楼に安臥して所在贅沢を尽し、体主霊従の頂上に達したる事を、・・・故に衣食住の大に発達
し、且つ非常なる驕奢に、世界中が揃うてなつて来たことを大気津姫と云ふのであります。
素盞嗚尊は八百万の神に対して、正衣正食し、清居すべき道を、お諭しになつたのを『乞ひ玉
ひき』と、言霊学上謂ふのであつて・・・
『爾に大気津比売、鼻、口及尻より、種々の味物を取出で、種々作り具へて進る』
・・・要するに物質文明の発達進歩せる結果、国風に合致せざる、衣食住の進歩せる悪風潮を指
して、クサグサ進ると云ふのであります。 以上本文
これは現代社会が衣食住に対して、あまりにも華美になり行き過ぎた事への警告であり、大気
津姫化した社会を改善して行くには、そこに住む我々個人の改心が必要であると思います。即ち、
物語では社会を替えるには社会を構成する個人の改心を常に求めています。とお話しされました。
次いで言霊返の説明がありました。ある人が言霊学を勉強したら古事記を解釈できるかと聖師
様に尋ねたら,それは自分にしかできないと答えられたそうです。ある意味では神様の世界の一
端を学ばせていただき、そしてこのような深遠な世界を感じさせていただくのである。それでは
聖師が居なくなった今、誰も解釈できないのではとの質問に、重要なことは霊界物語の中に書い
てあり、技術的に、知識として知ることが大切なのではなく、古事記の真意が霊界物語に書かれ
ているのである。との答えに、別の受講者は、我々は出来たオムレツに対しオムレツそのものを
味わえばよいので、玉ねぎや卵にこだわって厨房の中まで覗くのではなく、そして材料やレシピ
にこだわっていたのでは肝心のオムレツが台無しになる。とうまい表現をされました。そこで先
生は、物語にのっている言霊学は玉ねぎの見極め方や、卵の良しあしがわかるように説明されて
いるのである。とのお話しがありました。
その他、名位寿富と四魂の働き、聖師の大伯父、中村孝道と言霊学の話等がありました。
阿良田記
次回
6月30日(火) 金沢教室 午後 1時より 11巻
富山教室 午後 7時より 11巻
大阪の勉強会は5月が休講の為、2ヶ月ぶりに行われた。
始めに、去る5/5~8日の4日間の日程で実施された、霊界物語の舞台を行く・台湾研修の旅
の報告があった。
霊界物語には台湾は五大洲の一つ南米の胞衣で、世界12の国魂の一つが新高山に鎮祭されていると
示される。
神代より真道彦の子孫が守っていた三五教の拠点、日月譚は国魂神竜世姫の神霊が鎮まる湖、中央
に浮かぶ竜の島、これを見下ろす高砂島の聖地玉藻山など。高砂島(台湾)における三五教の御神業
上大切な霊山霊地を訪れた旅。
出口王仁三郎聖師は昭和2年から4度にわたって台湾宣教に訪れられていた。世界経綸の上で重要
であるほか、聖師はこの聖なる島をこよなく愛されており、その心情を歌に詠まれている。
「汝れのごとよき国はなし島はなし汝が懐の民をうらやむ」「台湾よああ台湾よ別れ行くなれを想
いて袖に涙す」「台湾よさらば汝に別れなん健在なれや吾の訪うまで」
また物語に、台湾島は、琉球沖縄そして紀州和歌山と神縁が濃いことも述べられている。
次回は是非、訪れたくなる報告会であった。
勉強会は、第二十巻の1回目。第一篇の「武志の宮」「赤児の誤」「山河不尽」まで。
言依別命は神素盞嗚大神の命を奉じ、桶伏山山麓に国治立大神と豊国姫大神の瑞の御舎・錦の宮
を建て、玉照彦と玉照姫を宮仕えとし、世界経綸の神業の基礎を樹立された。
そして、言依別命は錦の宮の神権を背景に自転倒島における三五教の総統権を掌握し、天下修斎の
神業を世界に拡充されることとなった。
元照彦の再来、天の真浦(聖師の義弟に比定)は、大台ケ原で木樵の業を為していたが、綾の高天
原に錦の宮が建設され神徳四方に光輝くと聞き聖地に参拝。言依別の教主から神様の教えを聞き新
しく宣伝使を許されて、「人の尾峠を越え、宇都の郷に初宣伝を試みよ」の命を受け神徳宣布の旅
に出発する。
言依別の教主は真浦の信仰力を試すために人の尾峠に秋彦、駒彦を差し向けていた。真浦は盗賊に
なりすました二人の脅しに冷静に対処し、素性や経緯を見抜き、雪の断崖から突き落とされる過酷
な洗礼にも泰然自若として乗り越え、忍耐という無形の宝を得た。
武志の宮の神司松鷹彦は、初陣とはいえ神徳、人徳の備わった真浦に深く感銘し、誠の信仰に目覚
め三五教の教えの眼目について尋ね。これに対し真浦は、
『・世界を神の慈愛の教えにより統一し、立替え立直しを断行すること
・広く世の中に神様の道をはっきり示し、体主霊従(物質的)教えに心を奪われないよう導くこと
・何事も神様にお任せし、自我を出さず道によって力を尽くすこと
・天地神明の鴻恩を悟り、片時も、感謝祈願を忘れないこと
・常に謙譲の徳を養うこと
・どんな災難に遭おうとも、誠の道の為なら少しも恐れず、誠をもって切り抜けること
・社会の為に全力を尽くし、天下救済の神業に奉仕すること』と宣伝使の尽くすべき使命につい
て述べた。
この後物語は、松鷹彦と真浦の関係を含め、感動のドラマへと発展していく。
実際の勉強会や教室報告から、物語を学ぶ場に瑞霊真如聖師が歴然として存在され、拝読を通し
てそれぞれに神徳を授けていることがよくよくわかる。受ける側、受け止め方に委ねられるが、聖
師はいつでも慈愛をもって救いの手をさしのべている。
人は神と一体化しなければ、人本来の働きや力が発揮できない。
霊語神声なる霊界物語に出会い、読むことが、神様と合一する為の具体的かつわかりやすい第一
段階である。
入江記
次回は7月11日(土)PM 1:30~ 20巻の続き
6月30日(火) 富山教室 午後7時より
今月は月初めと終わりの2回になりましたが、先生のご都合で今回は阿良田が代講させていただき
ました。なお、金沢教室は都合によりお休みとさせて頂きました。
第11巻16章、17章及び21,22章を拝読。
15章から17章までは第三篇言霊解「大気津姫の段」ですが、今月勉強の「大気津姫の段(二)
」では
『時に速須佐之男命、其の態を立伺ひて、穢汚もの奉るとおもほして、乃ち其の大気津比売神を
殺したまひき』この古事記本文にたいし、
鼻、口、尻なる衣食住の非理非道的に進歩発達したる為に、生存競争の悪風、天下に吹き荒み、
その結果は、遂に近来に徴すれば、欧洲大戦争(第1次世界大戦)の如き惨状を招来し万民皆塗炭
に苦しむの現状は、所謂『穢汚もの奉進る』の実例である。・・・生活難の響きに起因するのであ
る。貧苦を免れんが為に、ここに激烈なる生存競争が起つて来る。其の結果は①優勝劣敗弱肉強食
と云ふ、人生に於ける惨澹たる餓鬼道の巷となつて来たのである。②体主霊従、利己主義の結果は、
徳義もなければ、信仰も無く、節操も無く、勝者たる大気津姫神は常に意気傲然として、入つては
大廈高楼に起伏し、出ては即ち酒池肉林、千金を春宵に散じて、遊惰、安逸、放縦を之れ事として、
天下に憚らない。③貧者の、空しく愛妻愛児の饑餓に泣くを聞いて居る。その心情は富者勝者の到
底夢裡にだも窺知すべからざるの惨状である。・…と続きます。
上記文章から我々は強く考えさせられるものがあります。①の部分、優勝劣敗弱肉強食な社会と
いわれても心当たりがないように思いますが,よく考えてみると、お筆先にある「われよし」「つ
よいまのがち」の世界です。例えばスポーツ選手や音楽家(俗にアーティストと呼ばれる人)など
は,我々では想像の付かないような収入を得ています。確かにその道に才能があり,時流に乗れば
そうした金を得るのは当然の事のように思っていますし、成功するには勿論本人の努力と才能が有
ったから当然のように思います。しかし、才能は親や努力によって得られる物では有りません,神
から与えられた物です。神から与えられた才能は個人の特権ではなく広く社会のために役立てるた
めの物です。従ってそこから得た収入もまた、社会に還元すべきです。
現代社会はお金をより多く得る物が勝者で、そうでない者を敗者と決めつけています。人生に於け
る惨澹たる餓鬼道(この場合、食べ物というよりお金による餓鬼道)の巷となつて来たのです。子
供の憧れの対象は神を敬い勤勉、正直者で慎み深い人ではありません。お金を多く得る人です。親
もまた子供がそうあって欲しいと望んでいます。その結果勝者は②の徳義もなければ、信仰も無く、
節操も無く、勝者たる大気津姫神は常に意気傲然としています。得たお金で大廈高楼に起伏し(隅
田川河畔に見る高層住宅群)、出ては即ち酒池肉林、千金を春宵に散じて、遊惰、安逸、放縦を之
れ事として、天下に憚らない有様です(輸入までして四割の食料を捨てている国があり)。そして、
世界には飢で苦しむ八億の人達が居り、三秒に一人の割で子供達が死んで行きます。このことは正
に③貧者の、空しく愛妻愛児の饑餓に泣くを聞いて居る。その心情は富者勝者の到底夢裡にだも窺
知すべからざるの惨状であるのです。神の望みは運不運のない平等な社会です。(ただし、一律的
平等ではなく差別的平等と説いています)。上から下までが平等に安心し、楽しく暮らせることで
す。
また、「種々(くさぐさ)」とは肉食のみを滋養物として、神国固有の穀菜を度外する人間の性
情は、日に月に惨酷性を帯び来り、終には生物一般に対する愛情を失ひ、利己主義となり、かつ獣
慾益々旺盛となり、不倫不道徳の人非人となつて了ふのである」と肉食を戒めています。・・・
「故に肉食する人間の心情は、自分のみの都合をはかり、食色の慾の外天理も、人道も、忠孝の大
義も弁知せない様に成つて了ふのである。・・・第一に肉食を廃し身魂を清めて、神に接するの道
を開くを以て、社会改良の第一義とせねばならぬのであります」と衣食住の改良を述べられていま
す。
「大気津姫の段(三)」では「凡て穀食を為す時は、心血自然に清まりて、明けく、敏く、顕幽を
達観し、上下を洞察し、以て天下の趨勢を知悉し得るのである。是の原理天則が、頭に立つ人々に
判つて来て、汚穢の食を廃し皇国固有の正食に改め、以て善政良治を布くに致る事を、『二つの目
に稲種生り』と謂ふのであります。」とあり,前途の明るいことを示されています。
阿良田記
次回7月21日(火) 金沢教室 1時より第11巻
富山教室 7時より第11巻
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