教室レポート(57)        2009



大阪教室 1月10日(土)  

 今年最初の大阪の勉強会が、1月10日(土)に行われた。

第十八巻 第12章「大当違」から「救の神」

「蛸の揚壷」「遠来の客」「返り討」「玉照姫」の最後まで学ぶ。


 弥仙山の麓於与岐の郷に、木の花姫(瑞霊)の分霊厳の御霊の御霊代、玉照姫が出生された。

ウラナイ教の黒姫一派は、何とかして玉照姫を手に入れ三五教に攻勢をかけようと策略を繰り返す。

家来の者は、豊彦爺に看破されると、次に生母お玉の忌み明けの参詣を狙う。そこに丹州が現れ救

の神となる。

黒姫は、信任厚い紫姫、青彦が真にウラナイ教の配下になったものと気を許し、二人に綾彦お民を

交換要員に玉照姫、お玉を奪う作戦計画を実行させる。

紫姫から一部始終を物語られた豊彦夫婦は一も二もなく承諾し玉照姫を奉る。

丹州、玉照姫を抱いたお玉を先頭に一行は世継王山の麓、聖地に凱旋する。

この後、紫姫青彦の執った手段、権謀術数が問題になり神素盞嗚大神の訓誡を受けることになる。


神諭に云う。「どんな良い事でもしたでなければ、毛筋横巾程でもりたら、

事成就致
さぬぞよ」
                                         入江記
 次回は2月7日(土) 午後1時30分より 第十九巻


山口教室 1月12日(月)  

 1月12日(月)午前10時から午後2時まで、大本山口本苑周防分室で霊界物語勉強会を開催した。

38名の参加。6巻の2回目で26、29、30の各章を拝読した。


【二つのシナリオ】山口県東部(柳井市大畠)周防分室での開催は初めて。未信徒の方8名を含め

初めての参加者が多く、出口信一先生から、まず、物語の宇宙観や神観、また、日本とキリスト・

イスラム世界との信仰観の違いなどのお話があった。

 さらに、愛善世界誌連載中の「スサノオの原風景」をベースに、スサノオの化神としての聖師様

の救世の御経綸について、特に入蒙に関して、アジア諸国の植民地解放のため二つのシナリオがあ

ったのではないか、一つは満州への理想国「アジア合衆国」の樹立、もう一つは、敗戦で世界の孤

児となった日本がスサノオと同じ役割を担うこと、とのお話は大変興味深かった。


【伊都能売の身魂】26章「体五霊五」には、大宇宙は一霊四魂が原動力となり活動し、その各四魂

が各々直霊を備え、またその各直霊が四魂を備えるという分離の中で、際限なく大地一面に一霊四

魂を分布されることが示されている。(愛善世界社版P148)

 また、物語中「伊都能売の身魂」について最初と思われる説明が、この四魂との関連で、荒魂・

和魂が重きを占める「厳の身魂」と奇魂・幸魂が重きを占める「瑞の身魂」の相調和した「完全無

欠のもの」、月の霊魂、五六七の身魂としてなされている。(P151)


【古事記と物語】30章「罔象神(みずはのかみ)」で示された物語の古事記の解釈と一般的解釈(次

田真幸著、講談社学術文庫)を比較してみた。「野槌(のづち)の神」:野を掌る神霊(一般)⇔原野田

圃の大区画を独占する人間(物語)、「大宜津(おおげつ)姫命」:穀物や食物を掌る女神(一般)⇔贅沢

極まる社会(物語)、「水波廼女(みずはめ)の神」:灌漑用水を掌る女神(一般)⇔正しき人間(物語)。

(P181)

ちなみに、60巻16章「感謝祈願詞」の一部に表されている6巻1章「宇宙太元」の宇宙創造の過程は、

古事記の最初の部分に符合するが、古事記は直ぐに、物語では6巻21章「真木柱」にある那岐那美二

神の国の修理固成へと飛び、これに至った国祖 国治立命、豊国姫命二柱の御隠退、御贖いの御苦労

の経緯は記していない。


最後に、出口信一先生が物語28巻研修の台湾の旅(5/2~5)を紹介された。

      

                                         藤井記


和歌山教室 1月14日(水)  

当和歌山教室では年初に信一先生にお越し頂き勉強会を開催するのが恒例になっており、今年も1

月14日夜7時から開催、地元信徒のほか、遠く紀ノ川市より車で約1時間半かけて未信徒のご夫

婦が参加され普段にも益して熱気あふれる 勉強会に成りました。

今回は、当地紀州が舞台の第23巻の予定でしたが、ちょとした手違いで第25巻と事前に連絡し

てしまい、これも全ては惟神(かんながら)なのかも知れないのでしょうと、ことわりながら始め

たところ、なんと思わぬ結末と成ったのであります。

 まず、現在社会の問題点、矛盾点に触れられ、これらを解決するには、神の声を聞く以外にない

が、一般人には容易に聞ける物ではないが、そのために神が我々にこの霊界物語を降されたと霊界

物語を学ぶ必要性を第1章を引用されながら話される。

第7章「大蛇解脱」第8章「奇の岩窟」を順次交替で拝読しそれぞれ詳しく判りやすく解説をして

頂く。その後小休憩となったのですが、此処で紀ノ川市から参加された男性から質問があり勉強会

の流れが思わぬ展開に、、、

 実はこの方、非常にユニークな経歴の持ち主で、ご自身の存在意義を追究するために様々な宗教

書を繙き、また高野山で修業し僧名まで修得されるなどして最後に霊界物語に辿り着きなんと昨年

の12月に信一先生を訪ね物語全巻を購入され勉強を始められたばかりで、ビギナーもビギナー、

ピカピカの1年生と言ったところで、その意欲、真剣さ、は我々の数十倍いな、数百倍と言っても

過言ではなく我々も大いに刺激を受け見習わねばいけないと再認識させて頂いたわけですが、毎日

礼拝もされているのか、この勉強会の始めの礼拝でも天津祝詞をちゃんと奏上されて本当に熱心な

方だなあと感心しておりました。

 その方が「惟神霊幸倍坐世」とはどう云う意味ですかと質問されたのですが、普段我々は特に気

に懸けるまでもなくややもすれば只機械的に唱えている言葉で、深い意味を知ろうとも思わないの

を、初心者故の純粋にして且つ、我々にとっても信仰の根幹を成すもっとも重要な問いを投げかけ、

なんとその回答が次章「信仰の実」で示されていていると言う偶然とは思えない場面に講師先生も

「ああやっぱり今日25巻になったのも惟神(かんながら)だったのだなあ」と改めてご神意の霊

妙さに御本人はもとより参加者全員が感嘆することしきりで、なんと言ってもご自分の質問の答え

をご自身で拝読する形で聴き理解し得たことに深い感銘を覚えられたことと思います。

 曰く「あゝ何事も一切万事、神に任せば良いのだ。郷に入っては郷に従へと云ふ事がある。蛇の

島へ来れば蛇と一つの心になり、蜈蚣(むかで)の島へ来れば蜈蚣の心になって済度をしてやらね

ばならぬ。蛇を呑んでも構わぬ、体を巻きつけられても、救ひの為には厭ふ所ではない。蜈蚣が我

々の肉体を嘗めたがつて居るならば、何程厭らしくても舐めさしてやるのが神の慈悲だ。神心だ。

我々は理智に長けて、神の慈悲心を軽んじて居た。最早斯うなる以上は、何事も神様のままに、お

任せするのが安全だ。・・・・・惟神霊幸倍坐世・・・・・と口任せの様に唱へて居たが、今迄は

何事も頭脳で判断をし青人草倣ひの行ひをやつて居たのが誤りだ。あゝ神様有難う御座います。、

、、、、、、モウ此上は一切万事、貴神にお任せ致します」と

        

                                          田上記


赤坂教室 1月24日(土)  

         又一つ 馬齢加へて 丑の春          瑞月

 大正14年の句。活動の勢いが感じられる。

                                      田中茶能介氏談
               


 第十五巻  第1章 破羅門   第2章 途上の変  第3章 十六花   第8章 ウラナイ教

       第9章 薯蕷汁   第10章 神楽舞

 婆羅門教、ウラナイ教、三五教の特徴が良くわかる箇所だった。

 ノアの子孫のハム族から生まれた大自在天大国彦は常世の国に神政を敷くが、その末裔大国別はメソ

ポタミヤの顕恩郷を根拠とし、第2のウラル教なる婆羅門教を樹立する。婆羅門教は難行苦行を以って

神の心に叶うものとなし、霊主体従の本義を誤解し、肉体を軽視し、霊魂を尊重する事最も甚だしき教

えだった。多数の人間は地獄の如き生活を続くるの已むを得ざる次第となる。素盞鳴神は婆羅門教の邪

神を帰順せしめむとし給い三葉彦命の又の御名広道別の宣伝使太玉命は言向けやわして行く。

 一方北山に本拠を置くウラナイ教は大自在天を本尊とし、素尊の教えを否定して信者の耳の鼓膜を破

り、眼の球を抜いて、世間のことがなにも解らぬようにしている。

 神素盞鳴大神は大海原の国を治めかね、顕要の地位を棄て一人旅へと進むのであった。

                
 次回、3月14日(土)
                                         桜井道彦記


金沢教室 1月27日(火)  

富山教室は休講


今年の北陸は冬らしい日と、春のような陽気とが交互に現れ、今のところ雪も少なく全般に暖かい冬と

なっています。出口先生のご都合で阿良田か代講をさせていただきました。


第6巻の第29・30章及び33~36章を拝読。

神と言う言葉には二種類の概念が有る様に思います。それは、我々が一般的に神格をさして神と言う

場合と、もう一つは社会の状況や情勢を捉えて神という場合があるように思います。29章や30章に

出てくる泣沢女神や罔象神は古事記に出てくる神で一般的には水の神とされていますが、聖師様の言霊

解(第8巻39・40章)によれば迦具土の神は近代から現代にかけ発展してきた火の文明を指し、泣

沢女神はそれによって地球がまさに滅びんとする様を見て伊邪那岐命が泣き悲しまれる状態を指してい

ます。

罔象神は『埴安彦神、埴安姫神の二神が現はれ、吾久産霊なる仁慈の神々を多く率ゐて救ひの道を宣

伝し、水波廼女なる正しき人間を多く救うた』とあり、吾久産霊は第3篇大峠に出てくる宣伝使であり、

神の御綱に救われる正しき神人を指して水波廼女と言うのです。また、土地は本来、神からの預かり物

であるのに多くを私有する人たちを大杭の神とか野槌の神等と言うとあります。

さらに、大気津姫は言霊解(第11巻15~17章)によれば「体主霊従、利己主義の結果は、徳義

もなければ、信仰も無く、節操も無く、勝者たる大気津姫神は常に意気
(ごう)(ぜん)として、入つては

大廈高楼に起伏し、出ては即ち酒池肉林、千金を春宵に散じて、遊惰、安逸、放縦を之れ事として、天

下に
(はばか)らない。一方には劣者たる貧者は、営々として喘ぎ、なおかつ粗雑なる食に甘んじ、以て漸

くその飢ゑたる口腹を満たすに足らず、
()(はい)(こん)(たう)して九尺二間の陋屋(ろうおく)に廃残の体躯を横へ、

空しく愛妻愛児の饑餓に泣くを聞いて居る。その心情は富者勝者の到底夢裡にだも窺知すべからざるの

惨状である。」と有り、まさに現代の弱肉強食優勝劣敗の先進諸国の人々の生活状態や社会情勢を指し

て大気津姫神と言うのです。

29,30章は行き過ぎた火力文明による物質文明の悪潮流を戦争をもって一掃され、また、衣食住

の乱れが貧困に苦しむ人々を省みることなく贅沢な暮らしに酔いしれ、まだ足りないとする現代の体主

霊従社会への警告であり、それが教育や宗教(神示の教)によって何れ改められ豊受姫の神の世となる

というお示しだと思います。

 第35章 北光開眼での北光天使の態度は正に我々の模範とするところです。赤子のように一切を神

に任せた他力の心があればこそ出来る自信に満ちた行為だと思います。徹底した仁慈の心と忍耐強さは

遠く我々の及ぶところではありませんが、常に心に留めておきたいものです。

以上阿良田記。

次回

金沢教室  2月24日(火) 午後 1時より  6巻

富山教室は 2月24日(火) 午後 6時30分より 6巻