教室レポート(55)        2008



金沢・富山教室 11月18日(火)  

金沢教室 11月18日(火) 午後1時より

富山教室 11月18日(火) 午後7時より


6巻 第19章~22章を勉強


第四編第十九章 祓戸四柱より

野立彦命、野立姫命、二神は古事記に出てくる神名で、野立彦命は日の大神、野立姫命は月

の大神の系統です。我々は太陽神を中心として物事を考えてしまうが、本当は影の存在も重要

です。月とか、闇とかは殆ど意識しませんが、影が在るからこそ、光が強調されるのであって、

「お陰様で」と言うように、影があるから、表が生きてくるのです。聖師の役割も本当は影で

す。影は日常的には意識されませんが月(陰)が無くなったらドライなカラカラな世界になっ

てします。月があるから潤いがあり、生命が営まれるのです。太陽は物質を現わし、月は精神

を現わします。形体(陽)あるものは華やかで光輝に満ちていますが、月(陰)は精神界を意

味し、精神性があるから全てが機能していけるのです。

お話の中で、キューリのつるは早朝伸びて巻き付くそうです。人が指を出すと巻きつく人と

そうでない人がいるそうで、1本の草花にも意志が有り、主神の霊性を宿しています。だからこ

そみだりに殺す無かれと言う事に意味があります。霊性の高い日本人には殺すなかれと言わな

くとも判っていたはずです。全ての物は主神の分霊分体であり、そこに八百万という観念が生

まれてきます。また、主神の統一した意思が働いて始めて万有が一つの生命体として規律規則

の中にあり、宇宙には多くの星が存在し規則正しく運行しているのは宇宙に統一した意思が存

在しているからこそであります。こうした生命観を持った民俗は少ないし、我々は天の命じる

ままに生きて行かなければならない。

そして我々は魂の中に天も地もあると言う生命観を神から戴いておりながら、現代は霊性の

曇りから自分自身の中に神性を宿していることを忘れています。


『・・・その時もっとも役立ちしは神示の方舟のみにして、金銀銅の三橋より垂下する救いの

綱と、琴平別が亀と化して、泥海を泳ぎ、正しき神人を高山に運びて救助したるのみなりける。

・・・』とありますが、「神示の方舟」とは形ある船ではなく、神示とあるように神の示し、

即ち神の言葉です。方舟というと形あるもののように考えるが、形あるものは有限であり、こ

こで言う方舟は神の教えであり無尽蔵です。また、「金銀銅の三橋より垂下する救いの綱」と

は、第五巻(二十三章)に出てくる三重の金殿が天に向かって延び、そこから金銀銅の三橋が

延び(天の浮橋)、そこより垂下した「救ひの鉤」のことであり、その根源にあるのは三重の

金殿にお祭りしてある顕国の玉、即ち素盞鳴命の精霊体による救いであります。素盞嗚命とは、

月の大神(霊的な柱)のことであり、月の大神の言葉(霊界物語)によって救われると言うこ

とです。


第二十章 善悪不測

この章は事の善悪について述べられています。来年より、裁判員制度が始まりますが、人が人

を裁く是非についてどなたも考えさせられますが、「神と雖も之を正確に判別し給ふことは出

来ざるべし。」とあります。見えるものだけで判断する裁判にはどうしても限界があることを

覚悟して臨まなければならないようです。

                                   以上 阿良田記

次回

金沢教室  12月23日(火) 午後 1時より    6巻

富山教室  12月23日(火) 午後 6時30分より 6巻



四日市教室 11月21日(金)  


 第十六巻   第17章 谷の水 から 第20章 思はぬ歓び まで

 いよいよ八人乙女の活動が始まります。特に英子姫の侍女の悦子姫に眼をみはります。

悦子姫は厳然と・・『ハァー一同の方々、妾は日の出神の神霊を身にあびました。-』

17歳の乙女・悦子姫は神様になってしまいます。浮動飛散していた色々な光玉が彼女の中へ入

ったとたんに神格が加わり『優しきうちに冒すべからざる威厳を備え言葉さへとみに荘重の度を

加えて・・』-。

さて英子姫と悦子姫が日本へ上陸したとき、天橋立の竜燈松でこの二人の少女の上に寝ころんだ

と言う鬼彦、鬼虎のことをちょっと。

 大江山の鬼雲彦の部下だったのが改心して、なんと殺そうとしたその悦子姫を師と仰ぐことに

なってしまいます。

 人里はなれた一軒屋に、年老いた夫婦とその孫が細々と、それでも楽しく幸せにくらしていま

した。そんなところへ一年前に押し込み強盗がやって来たのでした。お爺さんは平助、お婆さん

はお楢、何だかにおってきそうな名前ですが、この際あまり関係ありません。

 平助『去年のこの頃のことだった・・庭の隅でもよいから泊めてくれと言う二人の旅人が出て

来よった。・・そいつが又どえらい悪魔で大江山の鬼雲彦の家来とやらで、なんでも鬼彦、鬼虎

という、それはそれは悪い奴じゃ、そいつめが爺と婆とが爪に火を点して貯めた沢山の金を掠奪

(ふんだく)り天にも地にも掛け替えのない一人娘をかっさらえて、今に行方がわからないのだ

・・・』。

 悦子姫の指示に従って音彦、加米彦一行は比治山に向かうのですが途中日が暮れてこの一軒家

に泊めてもらおうとしたのですが、去年ひどい目に合っているので交渉がうまくいきません。泊

めてください、いやだめだと押し問答の所へ連れ去られた娘のお節がなんと悦子姫に助けられて

帰ってきたのでした。音彦ら一同は泊めてもらえることになりますが、旧悪の報いとでも言いま

しょうか改心したとはいえ、鬼彦、鬼虎の二人だけは可愛そうに泊めてもらうことは出来ません

でした。しかし神様は二人の改心を知っておられ、やがて「羽化登仙」(17巻)ということに

なります。
                                        水谷記



赤坂教室 11月22日(土)  

     月山に 白雲立ちて 時雨けり         瑞月

 昭和3年に出羽三山に行った時の句。月山の山頂には月読尊が祀られている。

                                    田中茶能介氏談
                 




 第十五巻   第一〇章 神楽舞  第一一章 大蛇退治の段  第一二章 一人旅

 いいいよ神素盞鳴尊が主人公として登場する巻となった。

 第一〇章では天照大神との誓約の後、八十猛の神の無謀な振舞いの罪を背負い高天原を神退ひに

退はれ給う。日本の神社の祭神で一番多いのは素盞鳴尊だそうだが、罪の救済をする神であるとの

認識をあらたに思わされる。

 古事記言霊解の大蛇退治の段では、霊界にては国常立大神、顕界にては神世開祖出口直子刀自よ

り万民の救済を一任され、八岐大蛇を退治するところが示される。古事記の一字一句の解釈が今の

世に照らしみると非常に意味深い。

 第一二章では、母伊弉冊命よりの「・・数多の神人の罪汚れを救うは汝の天賦の職責なれば、千

座の置戸を負ひて洽く世界を遍歴し、所在艱難辛苦を嘗め・・・」との言葉より素盞鳴尊が贖罪神、

救世神であることが現されている。

                 

 次回は1月24日(土) 
                                        桜井道彦記