教室レポート(54)        2008



四日市教室 10月10日(金)  

 第十六巻   第13章 神集の玉 から 第16章 神定の地 まで

 大本神諭に『今は強いもの勝ちの、悪魔ばかりの世であるぞよ』と言われますが、されば悪魔

はどんな事をやるのか。現代もその悪魔が社会の上に立っていますが物語にでてくる35万年の

昔にも悪魔は高姫の魂を乗っ取り悪いことをやらせます。従って高姫は悪い人の代表者と言えよ

うかと思います。素盞鳴尊のやる事をみんなぶち壊してしまおうとしていますが、この鍵を盗ん

で如意宝珠の玉を自分の腹に飲み込んでしまうのも悪い事のひとつです。

『あの鍵は冠島、沓島の鍵でございますれば、万々一その鍵を持って両島に押し渡り如意宝珠の

玉を盗み取るようなことがございましては折角の神政の基礎も滅茶々々になってしまいまする。』

と秋山彦は呆然とします。しかし自分の金儲けのためには平気で嘘を言って他人を騙したり人を

殺したりなど、もっと悪い事をやっている人が多い世の中ですからそれほど高姫は悪い人とは思

えないところがあります。ごちゃごちゃ他人に説教したり自分ほど偉い人はないと言ったりする

のを聞くとイヤになったりしますが、この程度の人は私たちの周りには沢山おられます。むしろ

高姫は三五教の多くの宣伝使を向こうにまわして平然とたたかいます。そしてこの鍵と宝玉を盗

み取った実力者でもあります。そして『高姫は決して鍵を盗みたのでも玉を掠奪したのでもない

ワ、日出神様のご命令によって・・・』―敵ながらアッパレといおうか、結構な度胸をしておら

れる。高姫のこのやり口に感心した人が物語のなかで言っています。『・・ウラナイ教の宣伝使

の敏しこいこと見たか岩の中に閉じ込められていてもあれくらいな談判をしよる。喉元に刃をつ

けられながら逆にその刀で抑えた奴の首を切るような妙案奇策をやったじゃないか。亀彦なぞと

コンナガラクタ宣伝使についていくものだから・・赤恥を天地にさらさせられたのだ・・・』

何事も自信をもって堂々とやれば成功するという事でしょうか。

 物語を拝読した人のなかにも高姫さん大好きとか、私の気持ちと共鳴するところがあるとか又

高姫みたいに一度あのように言いたいことを思う存分いってみたいと言う人もけっこうおられる

ようです。マア高姫さんはそれなりに面白いひとですね。

 如意宝珠の玉を腹にいれたまま--白煙と化し--逃げてしまいました。

                                        水谷記

大阪教室 10月13日(月)  


 第十七巻 第十三章 「紫姫」 第十五章 「敵味方」
 
 三獄山の岩窟で、バラモン教の悪神に囚われていた紫姫、下僕の鹿公・馬公の二人は、豊国姫

の命で潜入していた丹州(瑞霊の化身)、三五教の宣伝使悦子姫、音彦、加米彦たちに救出され

る。

 加米彦は、「如何に悪人と云えども、元はみな神様の結構な霊が血管の中を流れている、悪に

なるのは皆誤解からだ。人間は何事も惟神に任し、己を責め、謙遜り省みなくてはならないのだ

。」と諭し、鬼ケ城に割拠する鬼熊別の手下には、「世間の荒波に揉まれ、彷徨い惑う内に、神

の御子である諸人も、善にも又悪にも知らず識らずに陥るもの。元は天帝の分霊、心の持ち方で

善にもなれば悪にもなる。神の樹てた三五教の真心に立ち帰り、天地の神より受けた生魂を磨け

よ。」と 宣伝歌で言向け和す。

これより、荒鷹鬼鷹たち鬼熊別の部下は、すっかりと改心し三五教に帰順の意を表す。

悦子姫は、荒鷹鬼鷹に、首領と仰いだ鬼熊別に対し親切が通るように、両人より改心させること

を求め、神策を授ける。  


 第十八巻 第一章 「春野の旅」 第二章 「厳の花」

 父素盞嗚尊の神勅により、八乙女のひとり英子姫は亀彦を伴って、弥仙山に一つの経綸を行う。

悦子姫一行4人は、英子姫との再会後、弥仙山に登ることに。途中豊彦に出会い、娘のお玉の容

態について相談を受ける。お玉は、一昨年前の夢で白髪異様の神使に、五つの玉を呑まされてか

ら懐妊し、既に十八ヶ月になっていた。悦子姫は、出産に立ち会い、厳の御霊の御霊代である玉

照姫をとりあげる。

厳の御霊のご出生には、瑞の御霊、素盞嗚大神のご守護、御経綸が存在する。

 勉強会終了前、先生から霊界物語を拝読していく上で、とても重要なお話を承った。

先生にとっても難解であった第五十五巻の序文。繰り返し拝読しても解らず、意を決して神様に

お願いをし、聖師のお歌を諳んじられていると、ある精霊のご内流をいただかれたようである。

その後改めて序文を読まれ、「兎に角読め。読めば、この言葉の中に神が宿っているから、自分

があなたの魂の中に入って行って謎を解いてあげる。読まなければそれができないではないか。

」とその文意を理解されるに至ったそうである。

 聖師は、物語について「読書百遍意自ずから通ず」と示されている。

先生は、私たちにそれを身をもって、しかも明瞭に示していただいた。

霊界物語の一つひとつの言葉が、神そのものであり、一層畏敬と親しみをもっと接することがで

きる。

『霊界物語』そのものはつまり瑞月の肉身であり霊魂であり表現である。 【 第四十巻 緒言 】

                                       入江記
 次回は11月8日(土)13:30~ 第十八巻



金沢・富山教室 10月28日(火)  


金沢教室 10月28日(火) 午後1時より 6巻 第15章~18章を勉強

富山教室 10月28日(火) 午後7時より 6巻 第15章~19章を勉強


 第三編大峠 第十五章 大洪水(一)

 十五章の大洪水に入る前に以下のお話しがありました。

第五巻で野立彦命(天教山)と野立姫命(地教山)の宣示を受け、十六神将(後に地上に下って

予言者となる)は神の御心を述べ伝えるが、心の荒廃した人々は神の言葉に耳を傾けない。長雨

が降り天に異変が起こると一時的には心を入れ替えるが次第に慣れてきて元の状態に戻ってしま

います。

神話は物事の起源を示します。歴史は繰り返すと言われ、大洪水は神代で起きた事であるが同

じような状況が現代も、また未来でも起きる可能性がある。そして、現代社会は物語の状況に類

似しているのではないだろうか。

ここでは自然界の大峠、つまり、大洪水として表現ざれていますが、本当は精神界の大洪水であ

り、人の心の乱れが自然災害をも引き起こすのであり、いま正に地上界は経済の大洪水が来よう

としています。

そして神代では神様はどういう形をもって収束されたかが載っています。時代が変わっても同

じ事なので、現代の大洪水に対してどう対処すればよいのでしょうか。

これから起きるであろう大峠に対して人はどう対応し、どう心構えを持てばよいのか、中には

絶望や悲観する人が現れてくるでしょうが、本来この地上は神によって作られたのであり、我々

は神から使命を持って生まれてきたのであるから、現在をどう捉えるかによって、今後の生き方

が変わってきます。暗い社会の到来ととらえるか、逆に、明るい未来を感ずる人も居るであろし、

現代はまさに分岐点といえます。


 一五章では、野立彦、野立姫の教(天と地の教え)を述べ伝える十六神将は地上に降り立ち人

々に神の言葉を述べ伝えるが、ちゃんと聞く人は千人に一人も無いくらいであったとあります。

邪神のために人の心が乱れているので、神は五百六十七日間の大洪水や大地震等起こして祓い清

められます。今まで神の言葉を無視していた人々も、神の言葉にすがろうとするが、時すでに遅

く、大洪水が起き、正しい神は神示の方舟に救われます。「神示の方舟」は神示とあるように神

の教えであり、こうした混乱する時代には救いとなるのは神の教えしかないのです。

また、目無堅間の船とある「目無堅間」は完全無欠ということです。完全無欠の教えでないと

世を救うことができないということを暗示しています。そして、屋根のない船は暴風には耐えら

れない不完全な教えということです。完全な神の教えは、本来人はどう生きるべきか、何を為す

べきかを教えるものであり、不完全な教えは体主霊従的教えであり、お金が儲かるとか、病気が

治るとか物質的欲求を主眼とした教えです。こうした教えでは大洪水のような状況では何の役に

も立たない。

霊体一致した教えでなければならない。

『現代の賢(さか)しき人間は天災地妖と人事とには、少しも関係無しと云ふもの多けれど地

上神人の精神の悪化は、地上一面に妖邪の気を発生し・・・自然に天変地妖を発生するに至もの

なり』とあるように、大津波があったり、洪水があるのは人身の悪化によるもので、大きくは宇

宙の変事は宇宙の縮図たる人身の悪化によるであると示されています。人が宇宙の縮図という事

に関して、一つの例として、生命科学の研究者から聞いた話として、我々の六兆個ある細胞の一

個の中には我々の社会と同じように病院や消防署、会社といったものがあり、人が通っているそ

うです。一個の細胞の中と我々の生活する社会と宇宙とは大小の差こそあれ同じであるというこ

とです。我々の社会が混乱すれば、細胞も宇宙もまた、混乱すると言う事です。

現代は思想や経済の大洪水の時代です。『古今未曾有のかくのごとき天変地妖の襲来したのも、

全く地上の人類が、鬼や大蛇や金狐の邪霊に憑依されて、神人たるの天職を忘れ、体主霊従の行

動を敢てし、天地の神恩を忘却したる自然的の結果である』との強烈な警告が示されています。

我々は神の恩を忘れ、弱肉強食優勝劣敗の社会を北米を中心に作ってきました、また我が日本も

追従してきました。しかし、人は本来神人たる天職を全うすることにあり、天職とは此の地上世

界を本来の神の国に戻すことです。利他(神)中心の生き方です。体主霊従的生活(自己と自分

に関係した事柄を中心とする生き方)から霊主体従(他人や社会全体を中心とする生き方)的人

生観に戻ることでミロクの世が来ると示されています。等のお話しがありました。


第十七章では、野立彦命、野立姫命が万有の贖いとして天教山の噴火口に身を投じたもうた極仁

極愛の御精神に、受講者は皆思わず感激しました。

                                                以上 阿良田記

次回

金沢教室  11月18日(火) 午後 1時より    6巻

富山教室  11月18日(火) 午後 6時30分より 6巻