教室レポート(53)        2008



鹿児島教室 9月6日(土)  

しばらくの間、休止していた霊界物語勉強会を再開しようとの話があり、去る8月30

日(土)に、有志一同が参集し、霊界物語勉強会を今後無理することなく、継続的に行う

ためには、どのようにすればいいのか、熱心な話し合いがもたれ、以下の通り、行うこと

とした。

実施曜日については、参加者の大半が動きやすい日曜日に行う。時間帯は、午後2時~

午後5時。年4回実施する、とのことで話がまとまった。

話がまとまった、翌週の9月6日(土)早速、鹿児島に出口信一先生をお招きして霊界

物語の勉強会を行った。今回のみ、日程調整の関係で土曜日にすることとなったが、参

加者一同熱心に聞き入っていた。

 霊界物語に入る前に先生から、物語が始まった所以・拝読する大事さや大切さあるい

は物語を読むための心構えなどをお話しされた。


 ①     第16巻・・「石槍の雨」の章にある、スサノオの命と国武彦が今か

     ら35万年前に桶伏山に登られて、35万年後に会いましょうと再会

     を約束。その35万年後の辛の酉年に開祖と聖師が肉体として生まれ、

     再会。大神業を行う。大正10年10月18日に主神が現れて、霊界

     物語を世に出しなさいとの神事があり、大正10年10月20日午後

     1時大本第1次事件で大本のご神殿が爆破される中、聖師は永遠無窮

     の書である霊界物語を口述することとなった。

 ②     第48巻・・神は時機を伺い、弥勒の世を地上界に降ろそうとする前

     に、
胎蔵させ、地上に福韻させた。この物語を別名「弥勒胎蔵 教」

     とも言う。

     そこから、弥勒の世が現出された。また天地
の親神の教えが、地上界

     に降りたとも言える。

 ③     第17巻・・「霊の礎」には、人が天国に復活するためには、肉体が

     あ
るうちに天国を作らないと死んでからでは、天国は作れない。天国

     を作るには霊界物語を読むしかない。


   霊界物語の第1巻~第5巻までは、静心なく、しっかりと読みなさいとのお話もあ

り、読む心構えとして最も大事であると悟った。

また、人としてどう歩みべきかについて、ご神明を祭り、灯りを点けて祝詞をあげるこ

とで天国が作ることができる。さらに霊界物語を拝読し、巌瑞二神を思っていると神徳が

現れ、完全充足に満ちた生涯を送ることができる。まっすぐな道を生き続け、子供のよう

な心を持った人が、神の心を知ることができる。怠け心や横着な心を持った人は、決して

神の心を聞くことはできない。霊語神声や神言霊教(いずれも霊界物語)を真剣に読む人

は拝読することが、楽しくてしょうがないと言う心境になる。人には貪・瞋・痴の三悪を

もちえている。これらを一つでも救済したいためにこの世に霊界物語を出現させたとも言

える。また霊界物語は人生の指針としてお互いが学びあうことが大事であるし、精神文明

に目覚めていくことも必要であると感じつつ、今回の霊界物語勉強会を一つのきっかけと

して読み進んでいってもらいたいと先生から熱いメッセージが送られ、いざ第1巻から勉

強会を始めた。ご神域に触れ、天国的な雰囲気のもと、第24章まで進んだ。霊界物語勉

強会に参加された方々は、真剣そのものであった。鹿児島というこの地で、霊界物語の勉

強会が始まったことは、とても意義深いことであるし、心から神様に感謝を申し上げ、ま

た神様の御心に叶えるよう勇猛邁進していきたいと感じた次第であった。

   
                                    西堂園記


富山教室 9月19日(金)  


出口先生のご都合で阿良田か代講をさせていただきました。

第5巻29章、34、35章を拝読

二九章ではいよいよ光芒強き大星と現れた宣伝神(16天使)が各地に神の啓示を伝える

べく出発しますが。七五日間の天災地妖があり、神様は人々の心を試されます。結果、誠

の神人は千中の一にもしかざる形勢であったと示されています。太古も現代も同じではな

いでしょうか。そして、大国治立命の悲嘆は大きく、御煩慮の息はついには邪気なるガス

体が宇宙に充満し一切の生命は健康を害し、ついには人間の命も数千年の天寿からわずか

百年足らずまで短くなったと有り驚きを禁じ得ません。しかし、よく考えてみると物語は

パラドックス的に表現されているのであり、我々の長年にわたる体主霊従的言動が天地間

に妖邪の気を生み、自ずと我が身を苦しめているのではないでしょうか。まさに数千年の

「無量寿を保ち、無限に至治泰平を楽しむ五六七出現の聖代は、何時の日か来るであらう。

吾人は霊界における大神の御神慮と、その仁恵を洞察し奉る時は、実に万斛の涙のただよ

ふを感ぜざるを得ない」のであります。


三四章では「・・・諺に云ふ、袖振り合ふも他生の縁、躓く石も縁のはしとやら、今や同

じ一つの船に身を托し、天来の福音を伝ふる吾も、これを聴く汝ら神人らも決して偶然に

あらず、必ず深き大神の恵の綱に共に結ばれたるものなれば、吾一言を夢々聴き落す勿れ』

とあり、この物語勉強会に集う人達も決して偶然ではなく神の御綱に結ばれていることを

感じます。

三五章では、酋長の問いに対し、『宇宙万有を創造し給うた全智全能の大神の経綸は、吾々

凡夫の窺知する所ではない。吾らは唯々神の教示に随つて、霊主体従の行動を執ればよい。

第一に吾々神人として、最も慎むべきは貪慾と瞋恚と愚痴である。また第一に日月の高恩を

悟らねばならぬ。徒に小智浅才を以て、大神の聖霊体を分析し、研究せむとするなどは以て

の外の僻事である。すべて吾々の吉凶禍福は、神の命じたまふ所であつて、吾々凡夫の如何

とも左右し難きものである。之を惟神といふ。諸神人らはわが唱ふる宣伝歌を高唱し、天津

祝詞を朝夕に奏上し、かつ閑暇あらば「惟神霊幸倍坐世」と繰返すのが、救ひの最大要務で

ある。吾々はこれより外に、天下に向つて宣伝する言葉を知らない』とあります。

我々の身辺に起こる事柄はすべて神の命じたまう所であつて、我々には如何とも為すことは

できないとあり、「之を惟神といふ」とあります。惟神は神の御心のままで人為を加えない。

神慮のままと言う意味ですが、はたしてどれだけの人がこの言葉を感得できるでしょうか。

私などは自分の身に起こる事に、いたずらに抵抗して窮地に陥ります。先の見えない人間は

全てを神のなす業として受け入れるところまで帰依できればと考えます。そうすれば物事に

執着し、人と争ったり、恨みや愚痴を言うこともなくなるのだと思います。しかもこの言葉

の前に「祝部神は、事もなげに答へて云ふ」とありますが、この「事もなげに言う」と云う

ところが面白いと思います。また、言葉の最後に「吾々はこれより外に、天下に向つて宣伝

する言葉を知らない」と云う所がまた、凄いと感じました。

ただただ、物語の言葉を素直に受け入れたいものです。

                                               以上阿良田記

次回

金沢教室  10月28日(火) 午後 1時より    6巻

富山教室  10月28日(火) 午後 6時30分より 6巻


大阪教室 9月20日(土)  


 第17巻の3回目。 第9章「大逆転」から、「四百種病」「幽界交通」「花と花」まで。

 以下、先生の講話について記します。 

  
  信州皆神山について

 王仁三郎聖師が明治31年高熊山の霊的修業中、神使に一番に案内されたのが天教山の富士山

で、次が皆神山でした。

皆神山は世界の山脈十字形をなす世界の中心地点で、綾部、亀岡と地勢が同じ蓮華台です。月

鏡に、霊界物語の地教山はこの山であると記されています。

歌集・霧の海には、「汝こそは瑞の霊の化身ぞや十六神将ささげまつらむ」と歌われ、皆神山

において女神(素尊の三女神の一柱)が、瑞霊の御霊代である聖師に十六神将 (瑞霊の経綸の補

佐役)をささげられました。
 
  暦

 伊都能売神諭に、「世の元の神のやり方は、月の神様を元と致した旧(もと)の月日でないと

・・・。」と示されています。

新暦にした為に、天地の調和が崩れ気候変動が起こり、流行病や作物が不作になるなど、何一

つろくな事がない。

また、「明治になってから、日本人は段々と大和魂が外国に移り、品格を下げ、金や物にばか

り心を奪われ、体主霊従(あく)になってしまった。」とある。

天地の昔からの秩序を冒した必然の結果であり、改暦はその象徴です。明治は時代のひとつの

節目と言えましょう。

すべて宇宙の変事は、宇宙の縮図である人心の悪化によって、宇宙一切が悪化すると学んでい

ます。

「世の中がおかしくなった」という声をよく耳にしますが、人心の悪化が根源にあり、そこに

は霊界が厳然として存在し、相応の関係にあることを覚知すべきです。
  
  の本の国

 霊界物語の続巻である『天祥地瑞』に、「言霊学上より見る日の本の日は、即ちにしての

本の国なり。故に日の本は日(ス)の本なるの意義を知る可し。」或いは、「大宇宙の主宰として

日(ス)の本の国を生み給う。」と、日本に一大使命があることが示されています。

                                        入江記

 次回は、10月13日(月・休日)13:30~ 第17巻及び第18巻


四日市教室 9月26日(金)  


 第十六巻   第8章 衣懸松 から 第12章 捜索隊 まで

 聖師様は眠る前によく、まわりの人にこの物語を読んでもらっていたそうです。そして、一番

のお気に入りの箇所が、なんと高姫が出てくる場面なのだそうです。顔を真っ赤にして声を上げ

て笑い、大喜びされていたといはれています。

 冒頭から聖師様の大好きなその高姫の登場です。青彦という青い顔をした若者と一緒に何やら

わけのわからない問答から始まります。

 青彦「そうするとウラナイ教は善にみせて悪を働くのか、悪に見せて善を働くのかどちらが本

    当でござる」

 高姫「エー悟りの悪い。悪といえば何事にもかかわらずキチリキチリとらちのあく人間のこと

    だ。善といえば他人の苦労で得をとる・・・苦労なしに・・・改心ということは素盞鳴

    尊の誠の教を嘘だ嘘だといってその教え子を虱潰しに喰い殺し、そっと舌を出して会心

    の笑みを漏らすという謎だよ。・・・あくまで改心ドッコイ慢心するがよい。慢心の裏

    は改心だ、改心の裏は慢心だ。表教の裏はウラル教。表と、裏と一つになって天地の経

    綸が行なわれるのだよ。」

 青彦「エーますます訳が分からなくなってきた。そうすると、あなたは迷信教を・・・」

こんなやりとりが続くのですが声をだして大笑いするほど面白くはないと思うのですが如何でし

ょう。ニャットする程度ですが。

 つまらない話に熱が入りすぎたからか衣懸松の高姫の草屋根が燃えて高姫はワアワア大騒ぎで

すが亀彦に、火の出の神の御神徳でよかったネとひやかされてしまいます。サテ家を焼かれた高

姫は今度は大胆にも秋山彦の館に乗り込み如意宝珠の玉を狙います。秘してある宝庫のキーを盗

み出し遁走しますが、このとき鬼武彦の活動はあったのかどうか。それにしてもエライ事になり

ました。

                                        水谷記


赤坂教室 9月27日(土)  


         温泉地 紅葉の色 勝れけり     瑞月

 80年前の今日、岩手県の花巻温泉で息を吐くように吐いた句。

                                   田中茶之介氏談
             


 第十五巻    第一章 破羅門  第二章 途上の変  第三章 十六花

 コーカス山に坐します素盞鳴神は、日の出神、日の出別神をして、ハム族の樹立せる羅門教の

邪神を帰順せしめんとし給い、霊鷲山より現われたる三葉彦命の又の御名広道別の宣伝使 太玉命

は顕恩郷の宣伝に向かう。太玉命等は様々な悪神の計画に会いながらも、太玉串を取り出して左

右左と打ち振りながら悪神を退けながら進み行き顕恩城に到る。そこでは神素盞鳴尊の娘、愛子

姫、幾代姫、五十子姫、梅子姫、英子姫、菊子姫、君子姫、末子姫の八人兄弟およびその侍女の

浅子姫、岩子姫、今子姫、宇豆姫、悦子姫、岸子姫、清子姫、捨子姫の八人乙女が素盞鳴大神よ

りすでに使わされており、大神の御経綸に驚くのであった。

               


 また王仁三郎聖師の肉声のテープを聴き、祝詞他の力強い声に改めて心を新たにした。

次回 11月22日(土) 第十五巻                    桜井道彦記