はじめに、福原司郎本苑長より「聖師様は、物語のご口述は五巻で終えられる予定であ
った。」と指摘があり、それについて信一先生よりご説明があった。つまり、六巻十七章
までは「いったん海月なす漂へるこの国を修理固成すべく諾・冊二神の、天の浮橋に御降
臨あそばすところまで述べるやうに考へておりました。」と五巻の序文にあるように、古
事記以前の、“言い置きにも書き置きにもない”事を物語られたわけで、神様の命により
引き続き以後の事を述べられたということであった。
勉強会は時間の都合上、五巻第四篇『救世の神示』その流れの上から途中割愛し、六巻
第三篇『大峠』の二篇であった(五巻二十五章までは前回拝読済み)。
五巻第二十六章【艮坤二霊】
野立彦命の神徳により“地獄の釜の蓋”が開き(天の岩戸開き)、世に落ちていた正しい
神人らが、世の立替へ立直し(世界改造)の神種となる物語。
“身魂の因縁”或いは“引っかけ戻しの仕組”等、聞き慣れた言葉の意味を再確認。
第二十七章【唖の対面】
野立彦命・野立姫命は共に、あくまで陰の守護であり、代理として木花姫命・高照姫神
は二神の伝達者となられているということ。また、天道別命ら夫神と、その妻神らとの対
面は神命遵守の上から、あたかも“唖の対面”そのままであったと語られているように、
神の道を行くということは、真に厳しい道であることが伺える。
第二十八章【地教山の垂示】
「宣伝歌」の力、つまり正しい言霊の力強さを思い知らされる。また、ヒマラヤ山は神
定により、高山彦・高山姫が専管することとなり、『地教山』と改名することとなる。
六巻第十五章【大洪水 一】
大洪水の中での“神示の方舟”(目無堅間の船)による救済の模様が語られてあり、ま
た天災地妖(天変地妖)と人事との関係について示されている。つまり、「地上神人の精神
の悪化は地上一面に妖邪の気を発生し、宇宙を溷濁せしめ、天地の霊気を腐穢し、かつ空
気を変乱せしめたるより、自然に天変地妖を発生するに至るものなり。」或いは、宇宙の
縮図として造られた人間が、“天地経綸の主催者”としての天職を蔑ろにし、敢えて体主
霊従の行動をし、天地の神恩を忘却した自然の結果が天災地妖を生むとも示されている。
第十六章【大洪水 二】
四巻末にある『神示の宇宙』をイメージしながら拝読すると分かりやすいと信一先生よ
り説明があった。
“天の浮橋”(天橋)から垂下した金銀銅の霊線、その端の“救いの鉤”による正しい神
人の救済の模様が語られている。極善の神人は天教山や地教山に、極悪者はアルタイ山に
と身魂相当の高山に救い分けられる。特筆すべきは宣伝使の経綸としてウラル彦やウラル
姫、また、蚊取別が銅橋へ、常世神王・盤古神王は金橋へと救い上げられる。
第十七章【極仁極徳】
野立彦命・野立姫命の二神の贖罪のご様子こそが、極仁極徳であると示されている。つ
まり二神は、“主神”と、“日の大神・月の大神”の精霊に祈りを捧げながら火球に飛び
込まれた。
私達「山口本苑」の礼拝は、“大本皇大御神”と“厳の御霊・瑞の御霊の大神”の御神
号を唱えている。“大本皇大御神”即ち、宇宙の大原因神としての“大国治立尊”は言わ
ずもがなであるが、野立彦命・野立姫命が祈られた“日の大神・月の大神の精霊”(諾・冊
二神)はもちろんのこと、贖罪神として千位の置戸を負われた彦・姫二神共、御働きと位置
は違えども、共に“厳の御霊・瑞の御霊”として、主の大神の御神格の表現神である事を
思うと、感謝の気持ちを込めて祈りの対象にしている事の正しさを改めて認識させられた。
第十八章【天の瓊矛】
「この大変乱に天柱砕け、地軸裂け、宇宙大地の位置は、激動のため、やや西南に傾斜し、
したがひて天井の星の位置も変更するのやむを得ざるにいたりける」。その後、“大国治
立尊”の命により諾・冊二尊の修理固成の御神業が始まる。即ち、“天の瓊矛”(北斗星)
をもって地上の海原を掻きなさしめ給い、その結果数年を経て洪水は減じ地上は陸地に復
元された。一切の草木は蘇生し地上の全ての蒼生は、草の片葉に至るまで、野立彦命・野
立姫命の二神の贖罪に救われていた。
神恩に報いる為、神に奉仕し、心して天賦の天職を尽くせと示されている。
第十九章【祓戸四柱】
時間が少々あり次の第十九章も拝読するが、その前に“天津祝詞”の大切さを信一先生が
説明された。即ち“物語”中、宣伝使が唱える祝詞は大半が“天津祝詞”であり“神言”
を唱えると言いつつも、その実態は“天津祝詞”の奏上であった箇所も見受けられるとの
ことであった。“天津祝詞”は大宇宙の潔斎の祝詞であるということを、祓戸四柱の大神
の物語に合わせて説明がなされた。
以上を持って当日の勉強会は終了した。半年ぶりの勉強会であったが、猛暑と当日は山口
県知事選が重なり、参加者は十名(うち台所、賄い三名)と少数で少し残念であった。しか
し、遠く島根より河野さんが参加して下さり、本苑長以下、その情熱に打たれました。
信一先生、ありがとうございました。 佐藤記
金沢教室 8月19日(火) 午後1時より
富山教室 8月19日(火) 午後7時より
奇しくも今日8月19日は出口先生のお誕生日でした。皆さんでささやかに水羊羹でお祝
いをしました。(写真参照)お年は来年が大台だそうです。
金沢と富山は殆ど同じところを勉強しているので、一つにまとめて報告いたします。
金沢教室 8月19日(火) 午後1時より
第27章~29章、35章を勉強
富山教室 8月19日(火) 午後7時より
第23章~28章までを勉強
28章 「地教山の垂示」で
「朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも 大地は泥に浸るとも 誠の力は
世を救ふ 誠の力は世を救ふ」 と言う地教山の野立姫命の垂訓が高照姫神によって正しき
神司に渡されたが、この歌は五行で書かれています。天教山の野立彦命の教えは六行で書かれ
(第18章 宣伝使 三千世界一度に開く梅の花・・・)、次に七行の教えが示されますが、
始めの五行は瑞霊の教(火=霊)であり、次の六行は厳霊の教(水=体)です。七行は厳と瑞
が合体した伊都能売の教え、即ち(地)です。地教山は日本に比定すると信州松代の皆神山に
なるとのこと。
聖師は誠の力の「誠」とは何か判るか?とある先輩の方に尋ねられたそうです。誠とは人の
誠ではない、人の誠程度ではこの世を救う事は出来ない。誠という字は、始めの「ヽ」は宇宙
の創造時大虚空の中に現れた一点のホチであり、宇宙は言霊によって創造されたが最初の言霊
は霊体の「ス」声で無声音であった。数億年の歳月を経て現体の「ウ」声となり、更に天に上
がって「ア」となり、地に降って「オ」声となったとのことです。
先日、先生が八丈島に行かれたときヨーガをやっておられる方が、ヒンズーの祈りをされた。
アーオーウと言われたが天と地を表していると直感されたそうです。どの様に発声するのかを
お聞きしたところアともオともつかぬ言葉で言うとのこと。天地結びの言葉です。印度でも言
葉の初は「ア」から始まったと云い、日本でも空海は阿字本不生と言って「阿」が最初と言っ
ています。神様は「ス」から始まったと示され本源の言霊であり、しかも無声であったが次第
に有声の「ウ」が生まれた。ウは結びであるとのこと。
誠の字の最初の点が宇宙の核になる地球であり本源である。次に三本の横棒は『三』、即ち
三の御霊、瑞霊のことであり、口は言葉、教えを表します。宇宙本源の瑞霊の教えによって「成」
るということが「誠」と云うことであり、野立姫命の言葉(霊界物語)が全てを救済して行く
力であるとのこと。このお歌は第1巻の基本宣伝歌であり、聖師は基本宣伝歌を覚えて常に謡
うようにと仰っておられたそうです。
また、今勉強している内容は神代の話であるが、霊界と現界は合わせ鏡と言われているので、
いずれ現代に写ってくる。物語の時代と、現代とは時間的距離感がない。従ってこうした問題
が現代に起きてくる可能性がある。神代に起きた話を知っておくことは、今後起きるかも知れ
ない出来事に心構えや対応ができ、物語の中で学ぶことができるとお話さらました。
物語は難しいですね。との意見がよく聞かれますが、確かに一回読んだだけではなかなか理
解できませんが、何度も読めば理解できるようになります。同じところを何度も読むことが必
要で、今勉強している六巻も何十回もお話ししており、読む度に新しい発見があると仰ってい
まいした。私もその通りだと思いました。
以上のようなお話がありました。
阿良田記
次回
金沢教室 9月19日(金) 午後 1時より 6巻
富山教室 9月19日(金) 午後 6時30分より 5巻
如意宝珠・卯の巻 16巻 3章 門番の夢 から 7章 空籠 まで
鬼武彦の活動が始まります。旭、高倉という白狐の御大将で素盞鳴大神に信従して三五教の
宣伝使たちの活動をあらゆる分野で補佐していきます。自転倒島では大江山に本拠をかまえる
鬼雲彦をさんざん悩ませます。その手始めが秋山彦の館。吾々拝読している者もだまされてし
まいます。
素盞鳴尊のかくれ家とされた秋山彦の館に鬼彦、鬼虎らが襲撃して秋山彦らが拉致されてしま
います。『秋山彦の襟首をグッと握りしめつけたり。豪力無双の鬼彦に捻じ伏せられながらも
秋山彦は委細かまわず言霊を奏上せむとするや、手ごろの石を拾って秋山彦の口に捻じ込み・
・・』・・・『アッハヽヽヽヽもはや大丈夫だ・・汝が唯一の武器と頼む言霊もモウこうなっ
ては叶うまい・・・』亀彦は烈火のごとく怒り『妻の紅葉姫は声を上げて泣き伏しける』
このとき秋山彦は依然して・・・奥の間さして帰り来る・・・』
これ、鬼武彦の活動、その1です。
『二人の女を取り逃がしたために、かえって素盞鳴尊の所在が分かり、禍転じて福となった
ようなものだ・・・・サテ鬼彦の御大将、今日のご成功お祝い申す、これで鬼雲彦の御大将ご
安心、あなたも安心、皆の者も安全、共に吾々ご安心だ、アハヽヽヽヽ」と喜んでいた所へ
「頭上松の茂みよりポトリ、ポトリと石の団子が雨のごとく降り来たり・・一同は逃げようと
すれども、石雨の槍襖に隔てられすこしも身動きならず・・・』。つかまえてきた筈の素尊一
行は籠の中から現れ『オー皆様の気の毒なことが出来ましたなアこの峻険の難路を駕籠に乗せ
て送ってくれました・・』と悦子姫に揶揄われてしまいますが、これが又全部鬼武彦の活動で
す。本当の素盞鳴大神はこのとき国武彦命ら5柱の神々は桶伏山の蓮華台上にて35万年の後
再会までの神策を協議されていたのでした。
これが、いまの大本教団発生の原因なのでした。
水谷記
暑さが戻った8月最後の日、大阪の勉強会が開かれた。
第17巻の2回目で、第6章 「瑞の宝座」、第7章 「枯尾花」、第8章 「蚯蚓の囁」 を学ん
だ。
「瑞の宝座」
比沼の真名井ケ原は、瑞の御霊、豊雲野尊、又の御名
豊国姫の神の御降臨地である。
悦子姫に神懸かられた豊国姫の神は、此所に霊魂を止め、自転倒島をはじめ世界の国々に霊魂を
分けて世を永久にご守護される。
音彦等には、綾の聖地を蹂躙しようと、鬼ケ城に身を隠し機会を窺う八岐大蛇の片割れに対して、
「神を力に誠を杖に、言向け和せよ」と宣示をされる。
この”誠”は、主神(=「ヽ」、一点のホチ)である瑞の御霊の言葉は全てを成していくの意。
謂わば、「神を力に物語を杖に」である。
更に、豊国姫の
「何事も神に任せ汝等が力のあらむ限り誠を尽くせよ」は、よく肝に銘じたい。
別れ際、音彦は平助に、「叶はぬ時は三五教の祝詞を奏上し宣伝歌を謡いなさい」と説く。
三五教の祝詞とは、ここでは天津祝詞のこと。主神の御言(神命)=言霊によって宇宙間を修祓
・潔斎する祝詞。
また、宣伝歌とは基本宣伝歌のことで、五(瑞の教)、六(厳の教)、七(伊都能売の教)行か
らなる。
「朝日は照るとも曇るとも 月は盈つとも虧くるとも たとへ大地は沈むとも 曲津の神は荒ぶ
とも 誠の力は世を救ふ
三千世界の梅の花・・・ 神が表に現れて・・・・身の過は宣り直せ。」
信一先生は天津祝詞の重要性を強調されており、改めて天津祝詞と神歌(=基本宣伝歌)がとても
大事であることを知った。
「枯尾花」
ウラナイ教の黒姫、高山彦を中心に豊国姫の出現地である瑞の宝座を占領するための謀議が持た
れる。
ここで再三、”ウラナイ教のおほもと”と記されてあり、考えさせられるところである。
「蚯蚓の囁」
黒姫の企ては元より巧言令色、権謀術数の虚偽行動からのもので、頼りにしていた四天王の離反
を招く。
三五教はこの権謀術数を特に誡められている。
神の道に有る者は、「唯々至誠至実を持って神業の奉仕し、ミロクの精神を惟神的に発揮するのみ」
と、一番の要諦が述べられている。
又、ウラナイ教の高姫、黒姫は、瑞の御霊の教を封じ素盞嗚尊の仕組を潰そうと、幾千万度生死往来
を重ねても、目的を遂げようと機会を狙う。邪神界の執拗な思いが窺える。
聖師は、「霊界物語には邪神界の仕組、シナリオが書かれており、それを知られることを邪神界は
もっとも嫌う。従って、霊界物語をしっかり読むことで善悪正邪の審神が出来る。」と、述べられて
いる。
そして現前として今日も、邪神界の仕組は遂行されており、混乱した世の中には益々審神の書である
霊界物語は重要であり、また闇夜(世)を照らす一筋の光明となる。
入江記
次回は9月20日(土)PM 1:30~ 第17巻