第5巻、第23章から26章までを勉強
本日は初めての方があり前置きをいつもより長く取られてお話しをされました。その中で、
聖師が明治37年1月に書かれた本教創世記巻1の第3章及び第9章の抜粋を読まれました。
その内容はまさに100年後である現代の様相を見てきたように書ており、出席のみなさ
んは今更のように聖師の予言警告の的確さに驚きの声をあげておられました。
第23章「神の御綱」に出てくる三重の金殿は 第2次事件まで綾部にあった黄金閣(言
霊閣)がそれだそうです。日本の神話では素盞嗚尊は荒ぶる神として扱われているが、天上
界を追放されたと言うのは、神人の罪穢れを一身に背負って蓑と笠だけを着て追放されたと
言う事から草人形(くさひとがた)と言うことが起ったそうです。
三重の金殿から金銀銅の救いの鈎が下りてきて因縁の魂を救済します。また、事触神は天教
山の神示を諸方に宣伝します。是に反して邪神界のほうは言触神の預言警告を無視し、反対
の歌「飲めよ騒げよ・・・」を作り、酒色と色情の欲に駆られ、暴飲暴食、淫靡の風は四方
を吹捲つたとあります。時代が変わっても何時の世もそうなのかも知れません。
第24章では三重の金殿にお祀りされている顕国の玉は素盞嗚尊の御精霊体であり、素盞
嗚尊が世を救う御本体であるとの暗示であります。明治時代には天皇制を維持するための国
家神道を形成するために天照は善神、素盞鳴は悪神という構図を作り上げました。江戸時代
までは素盞鳴尊は贖罪神と言う見解を持っており、また戦後、民族学者で有名な折口信夫氏
は神道神学論で贖罪神として扱っています。明治政府は維新の短い時間の間で世界の列強に
追いつくための精神的バックボーンを神道に求め、しかも、神道に神学があっては困るので
天照を絶対神としたのです。
しかも、その事を信仰者が決めたのでなく、官僚が決定したため、当時は大変な論議が起こ
り日本人の神に対する信仰心が損なわれる云う反対論が多数あったようです。しかし、強引
に行われたため戦後の神社間の不幸が始まったと云うことです。
また、大本の熱心な信者であった合気道の創設者、植芝盛平氏はよくこの天の浮橋の事を言
われていたようです。
天の浮橋は神の救済の橋です。そして橋はある目的を持ったら如何しても渡らなければなら
ない橋と云うこと。また、信仰への橋という意味もあり神のことを何も知らない人が神の教
を得るために渡る橋でもあるようです。お話を聞きながら神諭の中にも「金神の渡る橋」と
言う表現を思い出しました。
次回 8月19日(火) 午後 1時より 5巻
第5巻、第17章~第22章までを勉強
「神は愛なり、光なり」とお示しになっています。なぜ光であると言うかを説明されました。
光と言っても霊的なものであって、その本態は神の言葉ということである。本来人は神の言葉
を受けると熱が生れる。光と熱はペアーであり、光だけではだめで熱がないと物が生まれてこ
ない。神の言葉を知ると魂が熱くなり、いろいろのものが解けていく。また、光は理性であり、
神の言葉を知り、理解することによって熱が生れそれが行動へと移って行くとのお話がありま
した。
第21章「小天国」では 顕恩卿は有り余る食糧に恵まれ、対岸の橙園卿は飢餓に苦しむで
いたが、南天王は心に慢心をきたし、感謝の念を忘却して祭祀の道を怠った為、 橙園王の侵
略によって逃走してしまいます。鬼武彦は野立彦命(国祖国常立命)の命を受け予言警告を与
えるために天下ります。自分達は衣食足り余り、「果実は地に落ち、腐蝕するに任せ、天恩を
無視すること甚し。此のまま行けば天誅たちどころに至り、餓鬼畜生の境遇に堕する」と警告
します。「月日と大地の四恩を感謝し、博く神人を愛し、公平無私なる行動をもつて天地の神
明に奉仕し、神人たるの天職をつくせよ。すべて神の神人をこの土に下したまふは、神の広大
無辺なる至仁至愛の理想を実現し、天国を地上に建設し、天下の蒼生(人間)をして禽獣虫魚
に至るまで各その安住の所を得せしめ、神とともに至治太平の聖代を楽まむがためなり」この
世に人を下した目的(天職)を語り、諭します。
そして、「餓鬼畜生の境遇に堕するに至らむ。汝ら神人らは天地の大神の至仁至愛の大御心を
察知し奉り、地広く果実多きこの顕恩郷をして汝ら神人らの独占することなく、橙園郷の住民
の移住を許し、相ともに天恵の深きを感謝せよ」と説示します。
まさに此の事は現代にも顕恩卿と橙園卿が存在していることを感じさせます。
顕恩卿の人口が3倍しても、天恵や神恩は我々の気持ち次第でいや増して有るという事と示し
ています。神の恵みは1+1=2の様に数学では割れきれないものを持っていることを示して
います。等のお話がありました。
以上阿良田記
次回 8月19日(火) 午後 6時30分より 5巻
如意宝珠・寅の巻 15巻 22章 和と戦 16巻 2章 暗夜の邂逅
和と戦
3000年未来から帰顕した言依別一行は神素盞鳴大神の御舎、ウブスナ山のイソの館へ参向
するが尊は留守。そこへバラモンの鬼雲彦が攻めよせます。普通ならこんな時みな慌てるのです
が、出来ている人はちがいます。一の館、二の館と次々に敵に占領されて最後の館まで来ても、
まだあわてない。正気か!と思うところですが『アハヽヽヽヽ面白いことが出来たものだ。御父
のお留守に・・弱みにつけこむ高が知れた鬼雲彦の軍勢。・・・・八島主が一本の指先で・・こ
の有様を酒の肴として・・敵の襲来を見物してください。・・』と悠然たるもの。愛子姫の一絃
琴にのせて幾代姫、菊子姫は舞い始めます。そして、最後には例のごとく『人指し指をヌット前
に突き出し・・ウンと一声・・言霊の力に鬼雲彦を始め一同は、バタバタと倒れ身体硬直して石
地蔵のごとく硬化したり』・・『よせばいいのにいらぬチョッカイをだしよって、この有様は何
事だ』とお客様の言依別に言われてしまいます。
天橋立~闇夜の邂逅
霊界物語もいよいよ八人乙女とその侍女たちの活動にはいります。最初は英子姫と悦子姫が自
転倒島は天橋立に上陸。これを前知した鬼雲彦は手下を上陸地点に配置します。石熊、鬼虎ら手
下の者らに二人はやられるのかと思いますが、悪い人というものは以外と臆病で、そして飲んだ
くれなのです。--「ナナ何だ、早くこの場を立ち去れとは、そりゃ誰にぬかすのだい、・・俺
はいま大江山の御大将の命令を受けて、ここへ漂着してくるはずの、二人の女っちょを捉まえよ
うと思って、たち現れたところだ。たち去れも糞もあったものかい・・・ヘン、ひとを馬鹿にす
るない、石熊の野郎め、貴様はいつも暗がりになるとけったいの悪い女の泣き声をだしよって・
・チト男らしくせないかい」--病身の英子姫をいたわりながらも気丈に闘う悦子姫の霊縛に彼
らは為す術もなく先を急ぐふたりを見送るのみ。・・・神素盞鳴大神を訪ねて亀彦も来ていたの
ですが拳骨をくれとか、やるとか、又別の一騒動の後名乗りあうことになります。
『妾は素盞鳴尊の娘、英子姫、一人は召使の悦子姫でございます』
『私はご存知の亀彦でございます』
水谷記
佐渡ケ嶋 霞みて涼し 寺泊 瑞月 昭和三年七月二十五日
俳句は読むとか作るのではなく、吐くものだと言う。
本音の俳句とは「六分まで 皮なり すっぱい夏蜜柑」や「昼寝して 暮らせる人や 生き佛」
の聖師の句にあらわれている。 田中茶能介氏談
第十二巻 第二一章 立花嶋 第二二章 一嶋攻撃 第二三章 短兵急
第二四章 言霊の徳 第二五章 琴平丸 第二六章 秋月皎々
素盞鳴命の剣の威徳から生まれた三女神の多紀理姫命、市寸嶋比売命、多気津姫命が登場する。
多気津姫命の前身である橘姫の知食す橘島は地上の山川草木は涸れ干し、萎れて生気を失いたる
にも拘わらず、この島のみは草木の艶、殊更美はしく味良き果物枝も折れんばかりに実りつつあっ
た。行平別の「人さへ住まぬ此島に 米が実って何とする 果物熟して何とする・・」との歌に橘
姫は稲穂と橙の木実を投げ上げ、それが四方に散乱し世界に広がり、万民安堵する神世の端緒とな
る。
多紀理姫命の前身の深雪姫は一嶋で種々の武器を造り、武術の稽古に余念なかった。しかしなが
ら攻め来る天菩比命の軍勢に対して武器を用いず七十五声の言霊で言向和し天照大神の疑いも晴れ
る。
市寸嶋比売命の前身の秋月姫は琵琶の湖の竹の島に攻め来る天津彦根神の軍勢に対し天津祝詞に
より武器を捨てさせる。
以上素盞鳴命の三女神にまつわる、食物の話、武器についての考え方や七十五声の言霊と天津祝
詞の話が意義深かった。
次回は9月27日(土) 第十五巻 桜井道彦記
台風鳳凰(台風8号、台湾では台風を数字ではなく愛称で呼ぶ)の影響で台湾高鉄(新幹線)、在来線
とも運休し久々の高速バスにて台中に向う。
なんと運賃は高鉄開通前の約3分の1の100元(日本円で約350円)。ガソリン事情は台湾でも同
じ、しかし高鉄に客を奪われ各バス会社は採算を度外視しての低価格競争に頭を抱えているのが現状。
日本でも、警報が出ているときは、学校、大学とも休校になるが、台湾では、官公庁、一般企業もお
休み。テレビのテロップで各地域ごとの休校、休業情報が逐一流されている。
さて今回は、従来の28巻の続き、第6章「麻の紊れ」第7章「無痛の腹」を拝読する。
聖師様は此の28巻に第2次大本事件の予言を書いてあると仰られて居たそうだが、ここに登場する
真道彦命は2度聖地を追われ、まさしく2度の大本事件を象徴しているようです。
第7章「無痛の腹」で真道彦命は『我々は祖先依頼、国魂の神を斎り、三五教の教を確く遵守し、少
しも政治に心を傾けず、万民を善道に教化するを以て最善の任務と衷心より信じ、且つ神慮を万民に
伝ふるを以て無限の光栄と存じて居ります。中略、、、決して此の真道彦は物質的の野心も無ければ、
政治的慾望は毫末も有りませぬ。
また皆様に推されて政治的権威を握らうとは、夢寐にも思ひませぬ。此の事は呉々もご承知をして頂
きたう御座います』と聖師の思ひを代弁している様な台詞を述べている。
この様な視点でこの巻を読んでいくと、ただ単に台湾に因んだ物語だと言うこと以外にも、興味が涌
いてきて、次回以降も楽しく読み進めて行けそうだ。