教室レポート(50)        2008



四日市教室 6月6日(金)  

 如意宝珠・寅の巻<15巻>  第四篇 神行霊歩   

               19章「第一天国」 20章「五十世紀」 21章「帰顕」

 今、霊界物語を拝読している人は、生きているわけだから誰も第一天国へ行った人はない。

これから行こうとしている人である。そして物語を拝読しているわけだから、いずれ必ず行く

人ばかりである。第一天国へ行った時まごつかない様に、予備知識と言うか予め知っておくの

も無駄ではない。

 さて、玉彦、厳彦、楠彦の三人の物語ですが、天国にも泥棒がいるとは驚きです。どんな泥

棒なのか。「ヤア、これは妙だ、いつのまにか吾が輩の汗の滲んだ衣裳と、コンナ新しい美し

い衣裳と交換した奴があるとみえるワイ・・・あァ天国の泥棒は変わった者だなァサッパリ娑

婆とは逆さまだ・・・」まだあります。・・・「魚りんの波は金色の光を放ち風につれて河下

より河上に流れて行くようにみえている」そして、きれいな鳥だと思えば元は限界に居たとき

高い地位にいて、いばっていた人が進化か退化かした人らしく”
人鳥”という小賢しいこと言

う”怪鳥”ですが珍しいといって神界へ輸入したのだそうです。松彦という天人に導かれて三

人は最上天国へ行こうとしますが鏡の岩に突き当たりこれを突破しなければなりません。ここ

は自分の力でやりなさいと言われます。

 松彦様も水臭い人だとは思いますが、神律を犯すことはできません。

 師といえども頼りにするなといはれていますが、それでは誰を頼りにするのか、神さまなの

ですが、つまり天津祝詞の奏上です。天国に昇って嬉しさの余りウッカリしていたのでしょう。

そして最上天国で五十世紀を体験します。3000年未来には人間がなんと小さくなってしま

うと松彦さんはいいます。神界でみたのは二尺と言いますから60センチくらいでしょうか。

驚きです。ただし「19世紀におわりから20世紀にかけて芽を吹き出した、三五教の教を信

じ不言実行につとめ、苦労を楽しみとしている人間の系統に限って、それと反対に6尺(18

0センチ)以上の体躯をたもち・・・」活動しているミロク人種もあるということです。

 国祖国治立命の大神また神素盞鳴大神に拝謁、美しい姫神に酒・果物などでもてなされます

がやがて、帰顕ということになります。

 「ハッと見下すとたん四辺りをみれば河鹿河の谷底にたおれいたるなり。」

                                       水谷記



大阪教室 6月8日(日)  

 6月の大阪は、先生の日程が重複した為、綾部から伊藤善久先生をゲスト講師にお招きして

勉強会を
行った。


 第十六巻 第三篇『真奈為ケ原』18章「遷宅婆」から21章「御礼参詣」までを順に拝読する。

元伊勢の剣尖山は天照大神、真奈為ケ原は豊国姫の降臨地で、大江山にはバラモン教、ウラナイ

教の
拠点がある。

天照大神の神命により、悦子姫は真名井ケ岳に向かい曲霊を言向け和し、英子姫、亀彦は綾の聖

地に向かう。途中、悦子姫は日の出神の神霊を浴びて瑞霊の神格が加わる。


 伊藤先生から、「霊界物語を理解するヒント」と題して資料を交えてお話があった。

霊界物語は、たくさんの物語から構成されており、そのひとつひとつに囚われていると理解が難

しくなる。

たくさんの物語を紡いでいる一つの流れがあり、それが理解のポイント。

みろくの大神様のご経綸は、霊界と現界を大神の教えに基づいた世界にしようとする仕組で、一

方邪神の
仕組は、その大神の経綸を破壊して悪魔の世にしようとするものである。

みろくの大神の御教え、三五教と邪神(三種の邪鬼)が守護するウラル教、バラモン教、ウラナイ

教の間に
対抗関係や"もつれ"があり、聖師はたくさんの物語から、この”もつれ”を紡いでおら

れるようだ。他に、元伊勢内宮、外宮や豊受大神について、聖師の説もあわせてお話を拝聴した。

 
 私からは聖師の記事をご紹介させて頂いた。

 人生は、ちょうど十ヶ月間にわたる胎児の母体内の生活と同様で、われわれの霊魂をその肉体

内に保護
すると共に、独立的個性を養育する過程である。ままならぬ社会制度や、労苦や勉学、

その他病気までも、ことごとく外界に現れる諸事情は、人間の霊魂を保護し錬磨する母体に相応

する。しかし、今日ほど発育不良の霊魂が、神様から「お出直し」を宣言されることはなかった

であろう。

 霊主体従の精神は、全てのものがますますその個性を発揮するとともに、いよいよ固く元に帰

向し
統一される途なのである。そこにこそ永遠に栄えゆく世界が開かれるのである。

 人として真の生命に住するには、どこまでも神の御心に帰向して霊主体従の大道を体得する以

外に
途はない。
                                    
 次回は7月12日(土) PM 1:30~ 第十七巻                 入江記


金沢教室 6月10日(火)  

本日は5巻の第2回、17章から22章を勉強。

参加者より、前回の第14章「審判者(さにわ)」についての質問があり以下のように説明され

た。開祖の御筆先(平かな文)を聖師が手を入れて漢字交じりの大本神諭を発表された。開祖は大

正5年の神島開きまでは未見真実の時代で、国常立尊以外にもいろいろの神が掛かられ筆先を出

された、そこには正神も邪神もあり、聖師の審判によって初めて国祖の啓示のみが神諭として世

に出たのである。また、ある宗教等において、そこで告げられたものが我々には正しいものか、

そうでないのかの判断ができない。それは我々がそれを判断する基準を持っていないからである。

例えばよく有る例として、先祖の霊がどうのこうのと言われても、霊界というものの正しい知識

が無ければ、言われたことに対して信ずるより仕方がない。しかし霊界物語には霊界について詳

細に書かれている。そして有らゆる事に対して判断できるように述べられている。81巻に及ぶ長

編はそのためでもある。そこに霊界物語が「審判の書」とも言われる所以であり、勉強すること

により、物事の判断の基準となるのである。



富山教室 6月10日(火)  

総説より1,2章。12~14章を勉強。

総説では、国祖の御引退までの過程で、国祖に従う神司が常世会議での邪神の思惑を潰すため、手

段として権謀術数を以て行ったため「欺く勿れ」の天地の律法に反してしまう。この事は現界の我

々の生活にも同じことが言えます。いかなる正義といえども権謀術数を使って行えばそれが成就し

ても、後には破綻をきたすものです。正しい目的を遂行するには正しい手段を以てする必要がある

と言うことです。そうでないと、「暴に対して暴を以てし、逆に対して逆を以て」すると、知らず

知らずのうちに各自の神格(人の魂)を傷つけてしまう事になります。国祖の為にと思ってした行

為が、逆に国祖の引退の引き金になっていす。そして、部下の犯した罪を一言の弁解もなく一身に

引き受け引退されます。

「千座の置戸を負ひ」とは顕要の地位を擲って、皆の罪を負って根底の国に赴かれ、十字架の贖罪

的犠牲の行動をとられることです。(即ち、敵味方すべての罪を背負うことを意味しています。)

国祖御引退の後は盤古大神と常世神王の間で覇権争いが始まり、国常立命と妻神の豊国姫命は野立

彦、野立姫となって蔭から守護をされます。そして世の中が如何にも成らなくなりイザナギ、イザ

ナミの尊が地上界に下ってこられ神生み、国生み、島生みの神業をされます。従って国祖引退の物

語は古事記以前の神代の物語です。

人がこの世に生まれたのは、地上に天国を建設するためであり、人としての本来の使命もそこにあ

ります。従って人は天地経綸の主体と言われ。天と地を繋ぐ中心的な役割と使命を持っているが人

はそれを忘却しています。それは執着心によるもので、名誉や財産、情欲に執着し修羅の争闘を繰

り返し、地上世界はますます混乱をして行きます。

理想世界を実現するには、まず一人ひとりの魂の内に天国を築くことであり、そのために魂を磨き

水晶の御霊に建て替えなければなりません。人の心の曇りがひどくなればなる程、祓戸四柱の神の

働きによって、風水害や地震が起り、神の力によって祓っていただく浄化の作用が起ります。自然

災害の起こるのは神の戒めと云うより人間の魂の曇りによるものであり、それを覚醒させるための

神威の発動であります。

等のお話がありました。
                                                   以上阿良田記

次回

金沢教室      7月8日(火) 午後 1時より    5巻

富山(高岡)教室  7月8日(火) 午後 6時30分より 5巻