教室レポート(47)        2008



大阪教室 3月8日(土)  


 春の陽気漂う三月八日(土)、大阪の勉強会が行われた。

第十六巻の1回目で、「序文」「総説歌」、第1章「天の橋立」から第5章「秋山館」まで。

この巻より現代の日本国内が物語の舞台となり、神素盞嗚大神様が、世界のひな形である丹波

綾部に
神政成就の基礎を樹立される。


 物語の前に先生より、杖立平和道場のご当主と会談された内容を交えてのお話があった。

「素盞嗚尊が世の中に出ていただかなければ世界が善くならない」との考えを話されたそうだ。

日本の神話の根源的なところで素盞嗚尊と天照大神が和解をしていないため、日本の歴史の折り

目で対立が生じる。

ここをよく理解し、転換しないと今後も争いがなくならないであろうと。

大本開祖の筆先に「二度目の岩戸は誠で開ける岩戸開きである」とあり、素盞嗚尊のご神格を深

く理解することが真の和合。

霊界物語には、素盞嗚尊の神性と天照大神の神性が示されており、神性の分化を理解することに

より
相対的な対立ではない合一した絶対の神として感得できる。

悪をも救うのが絶対の神で、この神観念は古来の日本人にはあり類い希である。

日本人本来の霊性に回帰することにより心の平安が生まれ、次第に世の中に伝搬される。


 由良の湊、「秋山館」で神素盞嗚大神、国祖の分霊国武彦命は素尊の八人乙女のお一人英子姫、

侍女悦子姫、
亀彦と面会し、一同は由良川を遡り、綾の聖地に向かう。

「九月八日の仕組は霊界物語」― 九月九日の菊の節句に先立つこと一日であって、何事も世の中

に先端を切り、
やがてやって来ることを前もって覚り実行すること。

                                           入江記


 次回は4月12日(土)13:30~ 第十六巻の2回目


富山教室 3月11日(火)  

 第4巻 第33~39章までを拝読勉強。

 第33章では国祖国治立命の「至仁至愛」の大御心が述べられています。

国祖に反対した神司(邪神)も国祖の贖罪の行為によって根底の国(地獄)に落ち行くところを救

われます。国祖は自らの生き毛を抜くことで邪神の罪を清
める贖(あがない)とされたため、まめ

まめしく、楽し氣に仕えいる様が真澄
の大鏡に映し出されています。「あがない」とは罪などの代

りをすること。金品を代償として出して、罪汚れ
を祓う事(贖)であり、また物を買求める(購)

時にも使います。
キリストが磔にされたのはアダムとイブの犯した原罪を人類に代わって贖った

です。日本では、贖うは我々が犯した罪穢れを祓い清める事です。それでは
罪を祓うのは誰かと言

うと、それは我々に代わって神によって祓われるのです。

我々は日常の生活の中で知らず知らずに犯している罪穢れがあり、それに気づいていません。そこ

で、我々が犯した罪穢れを神様によって祓っていただき、
神界で善なる働きが出来るようになる事

が大切なのです。祝詞をあげ神を崇める日常的行為をすることが大切であり、それが信仰です。

神言(かみごと)は祓いの祝詞であり、神言を奏上ることで祓戸四柱の大神によって罪穢れを祓っ

ていただきます。そして物語では一柱も残らず救済されていくことが示されています。

 我々の一般的考えでは悪いことをした者は罰せられるのが当たりまえですが、神の目より見給う

ときは善もなく悪も無いのです。我々はどうしても善と悪と
を対比させ、神は悪なるものを排除し

てしまうと考えます。しかし、悪を排除
する神は絶対の神ではなく、相対の神になってしまいます。

善を助けるが悪は
助けないとなると、これは相対の世界でしかありません。絶対の神は悪をも内

しながら救済してゆかれるから絶対の力が有るのです。これが日本人の持っ
ている根底の神学であ

ります。霊界物語の中ではさり気なく表現されています
が、サーと読んでいると気がつきません。

また、本文中国祖の言霊によって皆が本心に立ち返えりますが、悪に対し悪を排除するのではな

 く、 悪を正しい方向に直してゆく事を日本には昔から
「言向(ことむ)け和(やわ)す」という言

 葉で表現しま す。それは、私達の心に
起こる怒りや憤りが私達の心を曇らせ争いに向かわせる

 ので、人は忍耐に忍
耐を重ねることで忍耐の徳が備わるのです。忍耐によってそうした心を起こ

 さないようにしなければなりません。そして、善言美詞によって相手の気持
ちを和めることが大

 切です。等のお話しがありました。


次回

金沢教室  4月15日(火) 午後 1時より  4巻

富山教室  4月15日(火) 午後 6時30分より 4巻


四日市教室 3月21日(金)  


 如意宝珠 寅の巻 第15巻   総説歌~第4章「神の栄光」

 いよいよ素尊の登場となりますが、その前に顕恩郷奪還のたたかいが描かれます。

そして八人乙女と侍女たち(16花)と半ダース宣伝使の登場です。

「・・・コーカス山の神人は バラモン教を言向けて 誠の道を開かむと 広道別の宣伝使太玉命を

遣わして 顕恩郷に攻めてゆく 奇しき神代の物語・・」

「ハ頭ハ尾の大蛇、悪狐の邪霊はコーカス山の都を奪はれ、したがってウラル山、アーメニア、危険

に瀕したればウラル彦ウラル姫は遠く常世国に逃れ、ここに大自在天、大国彦の末裔大国別はエジプ

トのイホの都に現れ、第二のウラル教たるバラモン教を開設。さらに進んでメソポタミヤの秀妻の国

に来たり、エデンの園及び顕恩郷(めぐみのさと)を根拠としたりけり。・・・」となって三五教も

蚕食され、その教理は破壊されてしまっていたのです。

 さて、太玉命が来たというので、バラモン教の鬼雲彦は大慌てで対策をねり、酒に毒を入れ殺して

しまおうとする。この時、鬼雲彦につかまえられるなどして彼の懐にはいっていた八人乙女は、それ

ぞれ侍女とともに大活躍します。鬼雲彦につかまえられるなどして彼の懐にはいっていた八人乙女は

、それぞれ侍女とともに大活躍します。鬼雲彦は彼女たちが素尊の娘と知らず太玉命と半ダース宣伝

使毒殺の宴に侍らしたのでした。

鬼雲彦は「アハ ハハハ 汝太玉命、吾が計略にかかりよくもくたばったなア・・」と高笑いしますが

、素尊の計略にかかったのは実は鬼雲彦のほうなのでしたが、最後に「八頭八尾の大蛇の正体を現し、

風雲を巻き起こし雲に乗ってフサの国の天空をさして・・・」にげてしまいます。

 -父大神は妾は八人の姉妹に命じ、おのおの身をやつし・・・悪魔退治の時期を待ちつつありしに、

天の時到りて・・・-あア宏遠なるかな大神の御経綸・・・あア有難し、かたじけなし-六人の宣伝使

をはじめ十六人の女性は、コーカス山に向かって両手を合わし、太玉命と共に天津祝詞を奏上した。

                                          水谷記

赤坂教室 3月22日(土)  

     雨やみて 頰白(ほおじろ)の声 いと清し    瑞月

 頰白(ほおじろ)は「一筆啓上仕り候」と鳴くと言われてきたが、テープで聞いてみたがそうは聞こえない。昔

の人にはそう聞こえたのだろうか。美しい句だ。

                                      田中茶能介氏談

               



 第十一巻   第二三章 保食神(うけもちのかみ)   第二四章 顕国宮(うつしくにのみや)  第二五章 (みかんのこ)の舞

        第二六章 橘の舞    第二七章 太玉松

 衣食住に贅を尽す体主霊従人種の大気津姫の一隊はコーカス山に荘厳なる宮殿を建設するが、松竹梅

を始めとする三五教の宣伝使の宣伝歌にウラル姫の神たちは雲を霞と逃げ散り、この顕国の宮は神須佐

之男の大神の主管するところとなる。

 素盞鳴尊の十握の剣を神実としたが、日本そのものが剣にたとえられ、剣とは武器の意味ではなく悪

の心をも起こさせない様な威力のある尊い存在であった。

 橘姫の歌の「・・・ウラルの山のウラル彦 ウラルの姫の曲神も 誠の神の分霊魂 恵も深き皇神の

大御心に隔てなく 善も悪しきもおしなべて 守らせ給ふ神心・・・」の所は改めて考えさせられた。

 また天津祝詞、神言の解説もあり盛り沢山の内容だった。

               

   次回 5月24日(土)  第十二巻                   
                                        桜井道彦記