今月は阿良田が代理講師を務めさせて頂きました。はじめに、23,24日の両日に開催された
霊界物語フェスティバーロについて報告しました。次いで、第四巻の序~三章までを拝読。
凡例の中に「第一巻より第三巻までに得たるものは、唯執着の二字を心底より取り去らねばならぬ
と言ふことでありました。然らざれば或は大切な玉即ち日本魂を此の上にも引抜かれることは請合
だと思ひます。総ての先入主に執着せずして神に任すといふことが、何より大切だと考へます。」
とあり、全て世の乱れや人の苦はこの「執着」の二字から来るように思います。全ての規範を絶対
の神に任せればどんなにか平和で、気が休まることでしょう。
次回は12月11日(火) PM6:30~ 第四巻
第3巻 第四四章~四九章までを勉強。
第四七章「夫婦の大道」では婦女の貞節の重要性について書かれています。天地の律法(二巻
四五章)で外面の律法としては、「第一に、夫婦の道を厳守し、一夫一婦たるべきこと」とありま
す。
初めの夫である清廉潔白なる真心彦との間に生まれた広宗彦や行成彦は父の血を享け継いだのに
比し、母親の事足姫が後の夫との間に生まれた桃上彦は(婦女のもっとも大切なる貞節を破り後の
夫をもちて夫の霊にたいし無礼を加へたるごとき、体主霊従の精神より生れいでたる桃上彦なりけ
れば)「最初は身、魂ともに円満清朗で至誠の神人であったが、母の天則を破り不貞の水火(いき
)の凝結したる胎内を借りて出生した結果、ついにその本性があらわれ、放縦驕慢の精神の間隙に
乗じて邪神の容器となり、つひには分外の大野心をおこし、大神の苦辛して修理固成されたる天地
の大経輪を、根底より破滅顛覆させようとした」とあります。いかに不倫がその生まれてくる子に
影響するかが示されています。『地上の人類は神に次ぐところの結構なる身魂なるを知り第一に夫
婦の関係に注意すべきものなり。』また、『世の乱れる原因は、夫婦の道からであるぞよ(大本神
諭)』とのお諭があります。ここで多少の救いは桃上彦も後に一霊四魂(内面の戒律)の働きによ
り改心し、重要な役割を与えられるそうです。
休憩時間に霊界物語フェスティバーロのお話と来年四月に行われるアメリカ・ワシントンDCで
の全米合気道協会から合気道の精神的基盤である霊界物語についての講演依頼とツアー(4月1~
8日)についてのお話がありました。
次の四八章では、「国比古と国比女夫婦の間に生まれた真道知彦、大森雪成彦、梅ケ香彦の三柱
の男子は、両親に似合わぬ厳正で、智仁勇兼備至誠の神人であったとされ。父母の不忠不義の行動
を改めさせようとして道法礼節を説き、幾度となく諌言したが少しも耳を傾けなかったので、父母
の発菩提心を待より道はないと覚り、五六七神政の時まで善道を修め、天則を遵守し、二度目の岩
戸開きの神業に奉仕し、抜群の功名手柄を顕はし、国治立命の大神業を補翼し、もって父母の罪を
償わんと、神代の昔より現今にいたるまで、その神魂は生きかわり死にかわり、神界において神政
成就のため一生懸命の大活動を今に続けているという」とあります。また「沢田姫命は夫の無責任
さを憂い、筆紙口舌に尽くしがたき大艱苦をなめ、神代より今にいたるまで久遠の歳月を一日のご
とく、必死の活動をつづけたまふという。」とあり、頭の下がる思いがします。
本来、人は神の子神の宮であり、人としての天職と生業の違いを自覚し身魂を磨き「ミロクの世
(地上天国)」建設へのお手伝いができるように努力しなければならない事を悟らさせていただき
ました。
次回は、12月11日(火) PM 1:00~ 第四巻
阿良田記
第十二巻 8~16章(第二篇 天岩戸開②)
今回は宣伝使の天の岩戸開きがテーマと言われる「天の岩戸開き」パートⅡ。
自分の心の岩戸が開かれたとき、大蛇は消え失せ今まで暗かった大地に天日は輝く。このイホの
都が印象的に描かれている。大蛇が解脱したときに滝は消えてしまうのだが、いつもの「天津祝詞
の奏上」はない。又天の数歌を歌う宣伝使の言霊もない。霊界物語の中でもめずらしいところであ
る。---百日百夜 暗黒に鎖されたる天地はここに豁然として夜の明けたるごとく――騒然たる
瀑布の響きは――若葉をわたる春風の響きとこそはなりにける。―――
16章・国武丸の船客のおはなしを一寸。
「・・・吾々を救う誠の神様が、はたして世の中にお一柱でもあるとすればこんな世の中を一日も
早く立替えて下さりそうなものだな」
「・・・誠の神様は広い世界にただ一柱よりないのだ。なにほどえらい神様だとて一柱では、そ
う隅から隅まで手がまわりそうなことはないじゃないか。神様が一方で助けもって往かっしゃるあ
とから、また悪魔がドンドンと魅入って往くのだから仕方がない。めいめいに心得て魂を研くより
しようがないわ。そう 神様ばかりにもたれておっても自分から改心せなくては、神様がお出でに
なっても、アーこんな穢れた奴は屑の方に入れてやれといって、屑籠の中へほり込まれてしまうか
もしれない・・・」
「自力で救かるのならば、別に神様はなくてもいいじゃないか」
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「・・曇った鏡には姿はうつらない・・こういう汚い人間の移りなさろうと思っても・」
『そこが神様だ、吾々の魂が雲っておれば・・勝手に研いてうつれば・・・』
そして天の岩戸開きパートⅢはいよいよ神界の立替立直しとでも言おうか、誓約の再現なのか、
誤解に起因する天照大神の五男神による素盞鳴大神の三女神への攻撃がリアルに描かれる。 さあ、
三柱の姫神様は彼らをどうむかえるのか。現代社会が学ぶべき多くの示唆を含んでいる。
水谷記
12月から、出口先生には金沢、富山と1日2講座お願いすることになりました。
捨身活躍のお働きに感謝しています。
第四巻 総説及び第1章から4章までを勉強。
総説の中に言霊(ことたま)の大切さが述べられています。ヨハネ伝に「太古に道(ことば)あり
道は神なり、神は言葉と倶にありき。万物之に依りて造らる、造られたるもの之に依らざるはなし云
々」とあります。宇宙が創られたのも言葉(言霊)によるとお示しになっています。宇宙に鳴り響く
音声は神の霊が宿る言霊であり、宇宙万物を生み出し、生成化育する根源であるようです。
日本では言語に関して2つの流れがあったようです。明治以前には言霊学と国語学があり、西洋文
明の影響を強く受けた明治政府は科学的でないものを排除したため言霊学が滅んだそうです。一般的
に「ことだま」といいますが出口聖師は「ことたま」と濁らぬよう示されています。人に肉体(身)
と精神(魂)があるように、人の言葉は音声(体)に心(霊)が宿ることで言霊となります。何故な
らばコンピュタの作り出す言葉には感情は有りません。しかし、人の発する言葉には明確にそのとき
の感情(心の内の善悪の気持ち)が表れています。言霊は人の心に感動を与えれば物を生み出し、不
愉快な気持ちにさせれば物を破壊するきっかけともなります。したがって人は善言美詞によって、周
囲の人の気持ちを和め、天地を浄める様に努めなければなりません。
神の代理者としての人は七十五声を使い、他の動物はせいぜい5声しか使えないとのこと。人があ
り動植物や鉱物がこの世に存在するのは人としての使命があり、動植物や鉱物にも其々の固有の使命
があり、発する言語(音声)に差と特徴があるとの事です。自ずと人とその他の動物とではその働き
と霊性において差異があります。それぞれに与えられた使命を全うしてこそこの世に生まれた意義が
あります。従って、近年のペットに対する扱いや思い入れは、時としてさまざまな影響を人間社会に
及ぼしているとの事でした。
次回は、1月11日(金) PM 1:00~ 第四巻
第四巻 第4章、5章、11、12、17,18章を勉強。
第17章ではモスコーの従臣森鷹彦が常世会議で「八王大神の世界を永遠に平和ならしめんとする、
大慈大悲の至誠より発起されたるものと聞きおよぶ。しかし表面的理由は如何と名づくべけれども、そ
の落着く心の真の精神の如何については、十分考量を要すべきことと思う。・・・」の発言に対し、現
在名声を世界にとどろかし、勢力強大なる八王大神の前をも憚らず、洒洒然として猛烈に攻撃の矢を放
ちたるその大胆不敵さに驚かざるはなかりける。要するに森鷹彦は一意専心大神の神威を畏れ、神徳の
広大無辺なるを確信するより、かくのごとき強敵の前も憚らず諄々として大胆に、率直に所信と抱負を
無遠慮に吐露することを得たるなり。あヽ信仰の力は山をも動かすとかや、千祈万禱至誠一貫して以っ
て山動かざる時は、吾より往きて山に登らんてふ確固不抜の信仰あらば、天下何ものか之に適し得むや。
森鷹彦の熱心なる大々的攻撃も悪罵も流石の八王大神において、如何ともすること能はざりしは、全く
信仰の力の致す所といふべし。と有り、確固たる信仰が必要と感じました。
また、常世会議は太古の神代のお話しであると同時に、現代の世界情勢をよく著しているとの先生のお
話もなるほどと感じました。
次回は、1月11日(金) PM6:30~ 第四巻
阿良田記
2月15日、大阪教室は今年最後の勉強会が行われ、3年目に入った。
十五巻の二回目で、第5章「五天狗」から第10章「神楽舞」を学ぶ。
一巻から四巻は、国祖国常立尊が御隠退の経緯が述べられ、五、六巻は御隠退後の地上界が大混乱し、
大洪水となり、国常立、豊雲野の神様は、野立彦、野立姫(埴安彦、埴安姫)と名を変えて陰からご守
護され、そして宣伝使を養成し予言と警告をされる。
本巻の十五巻からは素盞嗚大神様が救世の御神業に歩かれる展開となる。
ところで、日本の神話では、天照大神と素盞嗚尊は対立概念として捉えられ、素盞嗚尊は荒振神として
高天原を追放されるが、聖師は、本来素盞嗚尊こそ救世神であり、天照大神(厳霊)は経の役目で、そ
こには相当な差異があり、このことを伝えたかった。
天岩戸開は、天照大神が素盞嗚尊の御神格と御心を理解しないまま出られたもので、謂わば体的にすぎ
ない。
二度目の天岩戸開は、天照大神が素盞嗚尊の真正を心の底から理解されることで、これが真の岩戸開で
ある。
日本の神話でも解釈でも“対立”がクローズアップされるが、これを正し、経と緯、厳と瑞が“合一”
して伊都能売になる、ここに根源的な平和な心、神様の理想ある。
寧ろ我々の心の中にもある、この二つの対立する世界の和合が、同心円的に問題を解決し、やがて地上
天国へと繋がる。
神界の歴史であり、また現在の混乱の原因が何処にあり、どう解決したらよいかは、まず神の心、聖言
を知ることにある。
我々は、神の言葉を知ることで、神様から智慧(信真の光)を授かり、それにより魂の領域に天国(愛
善の熱)ができる。
ひとり一人の魂の中に天国を打ち立てて、はじめて地上の天国が樹立される。
『対立から和合へ』は聖師様の願いであり、また現在、この勉強会を廻られている信一先生の切なる願
いでもある。
第8章にある「ウラナイ教」は、瑞霊の教(裏の教、霊界物語)を排除する一つの象徴であり、薯蕷汁を
呑み込むことは盲従の喩えである。咀嚼(審神)の大切さが述べられおり、神の言葉を学ぶことで、自
ずと善悪正邪の判断、審神の力が授けられる。
聖師様は、「神様をしっかり明従すること」と説かれている。
入江記
次回は、1月13日(日)13:30~ 十五巻