教室レポート(42)        2007


富山教室 8月28日(火)  


 初めに、11月に開催される「第2回霊界物語フェスティバーロ」についての案内と

参加をお願いしました。


 第三巻13章より18章までを拝読。第五編 15章の神世の移写から18章神霊の

遷座までは、二度目の岩戸開き、神政成就の経綸地として神定された
万寿山(亀岡)、

霊鷲山(高熊山)について示され、とくに重要な処です。金沢教
室はすでに6月に勉強。

 休憩の後、「霊界物語フェスティバーロ」の案内パンフレットにも載っている第四

八巻第12章 「西王母」の前半部分の文章を拝読しました。「茲に於
て神は時機を

考へ、弥勒を世に降し、全天界の一切を其腹中に胎蔵せしめ、之
を地上の万民に諭し、

天国の福音を完全に詳細に示させ給ふ仁慈の御代が到来
したのである。」とあんない

にも載っているように、神は物質文明の極点に達
した現代に、出口聖師を世に降し給

い、ミロク胎蔵教とも言われる霊界物語を
出されたのです。

 そして霊界物語はまさに、天国の喜びを完全に、しかも詳細に示されています。天国

に昇るには現界(この世)にあって既に天国と同じ精神状態(愛の善
の情動)になけれ

ばならないと教えられています。現界は体の世界であり如何
しても物質(悪)に引き

ずられ精神(霊・善)がおろそかになりがちです。し
かし、霊界物語を拝読すること

により、知らず知らずのうちに精神が鍛えられ、
物質をコントロール出来るようにな

り、天国の心(喜びを知る)になってゆく
のだと思います。

 そして「仁慈(みろく)の御代が到来した」とあります。現代は物質的には大変豊か

でありながら、精神的には殺伐とした時代のように感じられます。しか
しながら、時

代の発展に伴い、我々の内に高度な精神性を持ち、多方面にわた
って教示された教え

を理解できる素地が充分に出来上がっていると思います。

善悪、正邪が交わりながら、精神が物質をコントロールする(霊主体従)時代が徐々

にではあるが確実にやって来ていると言えます。

                                阿良田記

 

次回は、

9月18日(火)  富山教室  PM6:30~   第三巻

9月19日(水)  金沢教室  PM 1:00~  第三巻  です。 


津久見教室 9月4日(火)  


 信一先生が、9月3日(月)に熊本県山鹿市にある、みろく観音様に参拝された。

聖師様は大正11年9月22日、この地に初めて参拝されている。この日は旧暦で7月

22日である。その旧暦が9月3日(月)であった。また9月27日から湯布院で開催さ

れる聖師様の作品展を大成功させていこうという一心から参拝に到ったとの話があった。

また参拝してふと気付かれたことは、霊界物語第2巻に悪神が偽美山別と偽国照姫を語っ

て悪いことをするので、その名を美山別から言霊別、国照姫から言霊姫に名を変える。

言霊別はここから様々な活躍をなされるが、その言霊別は少名彦である。少彦名は現界で

はイエス。仏教では薬師観音で、救いの神である。みろく観音様も薬つぼを持っておられ

ることから薬師観音と言える。この薬師観音は言霊別と深いつながりがあるばかりでなく、

まさしく聖師様そのものであると話されていた。また裏の神諭のことも話され、裏の神諭

は20行×36文字=720+2文字の字あまりがあり、合わせて722文字。この神諭

をお書きになったのが明治36年7月22日であり、このときから「鬼」記と自身の名前

を新たに変えたとのことである。(これまでは喜三郎と書いていた)その意義深い日とと

もに、ご神書に導かれながら、霊性を高め、神様からのご守護をいただければと願う次第

である、とのすばらしい話であった。


 さて、9月4日(火)午後6時から大分県津久見市の中津留様宅で開かれた霊界物語勉

強会は第6巻の第5編一霊四魂、第25章 金勝要大神から第36章 三五教を勉強した。

中でも、五大教という教えを埴安彦という神が現れて、黄金山麓で開かれた。宣伝使であ

る東彦は”人間というものは永遠無窮に朽ちず、焼けず、亡びぬ誠という宝を神の御国に

積めるよう努めることが五大教の教えであると説き諭す。

一方三大教は霊鷲山麓の玉の井の郷(亀岡・高熊山)において、三葉彦神(聖師)が開か

れた。宣伝使である北光天使が、”人間は何よりも忍耐が大事。人を呪はず、審判ず、た

だ神の御心に任しておけばよいのであると説き諭した。

 その結果、三葉彦神が北光天使とともに黄金山麓を訪れて、両教一致して三五教となっ

たことを勉強できたことが印象に残った。この三五教を開いたことを拝読し、感じたこと

は9月27日から開催される湯布院での聖師様の作品展にあたり、信一先生がみろく観音

様を訪れた9月3日の「3」という数字を考えてみると、9月27日の「27」は「3・

3・3」のみろくであり瑞の御魂である。また三大教の教えと比定されるのではないかと

思われる。また9月の「9」を追加すると、「3・3・3」+「3・3」=3が5つそろ

うことを考えると厳の御魂であり、五大教の教えに比定されるのではないかと思う。

よって9月27日は、厳・瑞合致したとても意義深い日であり、また三五教の教えを世界

に広めるためのすばらしい日になると確心したい。

                                   西堂園記


富山教室 9月18日(火)  


9月の半ばを過ぎても日中30度を越す日が続いています。30年ほど前にもそんな経験をしま

した。秋分を境に夏と秋がはっきりと別れた事がありましたが、今年もそんな年
になるよう

な気がします。


8月は第三巻十九章より二十六章(二十四章は省略)までを勉強。


19章、20章の青雲山(黄金の玉)では玉守彦は妻の玉守姫が知恵浅く、口軽く、嫉妬深き

女であることから、妻の性格を考え奇策を練ります。

21章のヒマラヤ山(純銀の玉)では玉国別の妻国香姫が八王大神常世彦の部下に巧言令色

を持って心を動かされ(甘言に惑わされ)ますが機智により無事守ります。

22章の天山(黄色の玉)では谷山彦(八頭神)、谷山姫(嫉妬猜疑の念深い)に邪心が憑依し

たため、性行俄然一変。国世彦(宮司)、国世姫の正しひ神によって助けられま
す。『邪神の

脱け出でたる後の谷山彦夫妻は、夢から醒めたるごとく前非を悔い、か
つ邪神の謀計の恐ろ

しきを悟り、それより心をあらため、神々を篤く信じ、元の誠心
に立ちかえりけり』とあり

ます。

玉(宝)を前にして人の心の浅はかな行動を示しています。出世をし、名誉を得たい。

栄達をしたい。長生きしたい。豊かな生活がしたい等の名位寿富に執着すると邪神の付け入

る隙を与えてしまい、身を滅ぼすことになります。
23章の崑崙山(紅色)では、磐玉彦(八

王神)は平素寡慾にして恬淡水のごとき性格
とあり、ここではあまりにも恬淡として、神か

ら与えられた名位さえも捨てようとし
ます。そこで、『遠き神世の因縁によりて上下の名分

(道徳上、身分に伴って必ず守
るべき本分)定まり 崑崙山に八王神の聖職を拝するは動か

すべからざる神界の一定
不変の経綸なり 名位は神の賦与する正慾にして、長者たるものの

欠くべからざる栄
誉なり』との神の諭があります。


名位寿富を望む事は人として正当な願望(名位は神の賦与する正慾)ではあるが、本来神か

ら与えられる物で、故意に得ようとする物では無いことを示しています。なぜなら、人がそ

れを進んで得ようとすれば、邪な心が生まれ、それに向かって邪神、邪霊は必ず入り込んで

くるからです。人にはその能力(徳)と、分に応じて自ずと備わる物であり、故意に奪うこ

とは慎むべき事です。

「我(ひとりよがり)や執着(こだわり)」も同じく、有りすぎてもならず、無くてもなら

ぬものではないでしょうか。「神の御旨のままに」と言う言葉がありますが、信仰を持つ人

は携わっている事に、まず神に祈り、正邪を判断し、知恵を働かせ素直に対処してゆくこと

で、神からの内流を頂き、正しい方向を見出して行くことができるのではないでしょうか。


                                  阿良田記

次回は 10月30日(火) PM6:30~


金沢教室 9月19日(水)  


第3巻40章~43章を勉強

 霊界の物語でありながら、大本の歴史の様でもります。

                                              阿良田記

次回は 10月31日(水) PM1:00~

赤坂教室 9月22日(土)  


        十四()の  月は()(うち)  輝けり       瑞月

 待宵(まつよい)と言わずに、十四日の月と言う表現は一般の人ではまず無い。十四日の内に名月が出

てしまい、明日は天気が悪くなって十五夜の名月が見られなくなるのではないかと心配して

いる。                               田中茶能介氏談



 第六巻    十七章 極仁極徳    十八章 天の瓊矛(ぬほこ)   十九章 祓戸四柱
        二〇章 善悪不測    二一章 真木柱    二二章 神業無辺
        二三章 諸教同根    二四章 富士鳴戸   二五章 金勝要大神
        二六章 体五霊五

 国祖ご退隠後、陰の守護となっていた野立彦命、野立姫命は大洪水にあたり地上の惨状を見て、

悲歎に堪えず大国治立命に向かって祈願し、「・・・一切の万有の贖ひとして、根底の国に落ち行

き、無限の苦しみを受けむ。・・・」と天教山の猛烈なる噴火口に身を投じる。この大変乱に天柱

砕け、地軸裂け、宇宙大地の位置は激動の為やや西南に傾斜する。伊邪那岐尊、伊邪那美尊は修理

固成を始める。日の大神の気吹によりて宇宙に清鮮の息を起こし、この息より祓戸四柱の神が生ま

れる。伊弉諾大神、伊弉冊大神は撞の御柱を中に置きての国生みで初めに淡嶋ができるが、この国

魂の少名彦命は後世猶太の国に救世主となりて現われ、撞の御柱の廻り合いの過ちの因縁によりて、

十字架の惨苦を嘗め、万民の贖罪主となる。
           

 次回は11月10日(土)                        桜井道彦記


大阪教室 9月24日(土)  


 大阪では毎月のように新しい方の参加があり新鮮かつ活気のある勉強会が行われている。

今月は第6巻の3回目(31~38、41章)で五大教、三大教そして三五教を中心に学んだ。


 五大教の宣伝使東彦は、『神が表に現れて 善と悪とを立て別ける』と宣伝歌を謡いながら現れ、

一行と問答が始まる。

憂いや苦悩を聞いた東彦は、『この世は誠の神様が御造りになり、そうして人間は御用を務める様に

神が御造りになったのである。

ただ何事も神様の御心に任せ、今日只今を有難い有難いと暮らせば必ず神様のお守りがある。形ある

宝に焦慮せず、永遠無窮に亡びぬ誠の宝を積みなさい』と五大教の教理を説き、一同は熱心に教示を

聞き入る。


そこへ、『この世を造りし神直日 御魂も広き大直日 ただ何事も人の世は 直日に見直せ聞き直せ

身の過ちは宣り直せ』と謡いくる宣伝使あり。三大教の宣伝使北光天使である。

北光天使は、『人間は何よりも忍耐が第一であって、敵を赦してやらねばならない。人を呪わず、人

を審判ず神の御心に任して行けばよい。何事も神様の御心である。ただ何事も惟神、他力の神に身を

任すが人生の本意である。』と三大教の教理を説く。

しかし、三大教の教えに一同は中々得心できない。そして北光天使は、腹を立てた猛悪な男によって

片眼を失ってしまう。

それでもなお、北光天使は泰然として天地の神様に対して感謝祈願を捧げる。この言心行一致の姿に

一同は感涙に咽び平伏す。

北光天使の無限の慈悲心と、その忍耐力に拝読しながら涙が込み上げてくる。


五大教は現実界の教えで、善悪を立て別ける厳の教え(水の教え)であるのに対し、三大教は霊界の

真相を明らかにして、霊界の存在に基づき、現界における信仰と生き方を説いた神霊界の教えで、ど

んな状況でも救済していく瑞の教え(火・霊の教え)である。

五大教の厳の教えは明快で大抵の人に入りやすい。三大教の瑞の教えは、奥が深く理解し難い面があ

る。瑞霊の御教によって人々をはじめ万物は救済されている。三大教と五大教は統一され三五教とな

り、厳瑞の教えが合致して伊都能売の教えとなる。


人間は知らず識らずの内に罪悪を重ね、その罪の重さによって因縁を結んでいるものである。

禍害は偶然に起こるものではなく、自覚できない何かの因縁があるもので、直日の霊の守護神に見直

し聞き直して、省みる事が大事である。

そして省みた先には必ず大慈悲心の神様の存在、神心に気付き、感謝の気持を捧げるものであります。


北光天使に問い尋ねたことは現代人の思いとも共通するもので、中々受け入れ難いものである。

しかし、そこを踏み留まらなくては悪の連鎖になって邪神の虜になり、人間の尊厳を失うことになる。

忍耐をする、省みる、明らかにする(諦めるのではなく)、そして赦しまた忘れることが肝腎である

と説かれる。

人間としては善悪正邪の判断は到底出来ないので、可成的善行(成る可く善を行う)を心がけ、後は

無限絶対の神に絶対的に任せる。

これが人生の本意と記されている。


 信一先生からご神書を戴く上での重要なお話があった。

『教えを知るということより、魂に染み込ませて神の言葉の中に生きることの方が、本来のご神書に

対する要諦ではないか』 と。

心して戴きたいものである。

                                          入江記
          

次回は10月8日(月)13:30~ 7巻。 尚、11月17日(土)は10:00~12:00