教室レポート(41)        2007




富山教室 7月24日(火)  


 能登、新潟と近い処で二度も地震に見舞われましたが。富山、金沢共に被害はなく喜んで

いますが、両地域の方には心よりお見舞い申し上げます。


 初めに、9月27日から1週間、湯布院で開催される「出口王仁三郎芸術作品展」のご案

内があり、「耀盌(ようわん)」についてのお話がありました。聖師
は保釈出所後の昭和2

0年1月から、予ねて念願の楽茶碗の制作を初められ、約
1年間で楽茶碗、水指、香合、菓子

鉢など3,000点が焼かれたそうです。綾部の土
に京焼きの土を混ぜて造り(大変もろかった様

で)、物資の乏しい時代、釉薬も薪
も手に入らない時代に大変苦労をし、精魂を籠めて造られ

たようです。耀盌は天
国の移写で言葉や筆では表せない天国の姿を茶碗を通して表現されたの

である。

また、耀盌の取扱いについての質問に、将来は御神体に成るので大切に扱ってほしいが大事に

すぎて、仕舞い込まず、時々出してお水を張り、其のお水を頂いた
らよいとの事でした。


 富山では三巻の序文から始め四章までを勉強。始めに三巻の概要が話され、拝読後、各章の

説明がなされました。

総説の説明の中で原発のある能登や新潟で地震が発生したが、これは神からの警告であろう。

一歩間違えば人類を滅ぼしかねない原子力(開発)発電とずさんな
管理や昨今の世界的に起こ

っている地震や気象の変化は物質に偏りすぎ、自分さ
え好ければと他を省みない人類への警告

であると感じる。今回の地震はただ気の
毒だなと感ずるのでなく、物語を勉強している我々は

地震の起こった意味を考え、
神の警告(メッセージ)と受け止めねばならない。物語の第6巻に

大峠と云うのが
あるが正に其の状況を感じさせる。宣伝使を通して発せられる神の警告を無視

た蒼生(人)は大洪水に合うが、野立彦、野立姫の犠牲的精神によって全てのものが救われる。

今度の地震も神のメッセージと感じ取り、ただの地震と思わず、今
と云う時代を考え、如何に

行動するかを考えねばならない。

 第二巻・四五章から五〇章までを拝読。

次回は 8月28日(火)  PM6:30~   第三巻



金沢教室 7月25日(水)  

 金沢では第三巻二三章~二九章までを勉強

27、28章では天地は合わせ鏡と言われていますが、物語は過去の神界の話であり、同時に、

大本の歴史ともリンクしています。国直姫は開祖であり、常世姫
は福島久さん、大国彦は国家権

力を象徴しており、開祖御昇天前後の大本の話で
もある。歴史を考える時、通常直線上(帯状)

に時間軸をとるが、事象はループ
状に円を描いて起こり、俗に歴史は繰り返すと言われるように

過去の事象が再び
形を変えて現代に現れて来る。従って霊界物語の神代の話は現在の話であり又

来の話でもある。と言う歴史観を話されました。


 休憩の時間に6月22日に行われた六ヶ所村の吹越烏帽子での祭典のお話がありました。夏至

の日で同時に入梅の日と重なり、朝から土砂降りで主催者側から
山頂での祭典の中止の電話があ

ったそうですが、これまでの経験から晴れる事の
確信があった出口先生は是非、挙行されること

を伝えたそうです。協議の結果行
われることになり、山頂に集まる頃には晴天にとなり、約10

0名の人が感動を
な受けたそうです。当日の祭典の祝詞を朗読していただきました。普段聞きな

い祝詞を今の若い人は理解出来るか疑問に思っておられたそうですが、そうではななく日本人

であれば言霊を理解できると実感されたそうです。それは、若い人
たちの集まりには音楽があり、

会話と同時に音楽を通して心を通い合わせていま
す。祝詞も言葉の意味合いと同時に、調べとし

ての音律が人の心(感覚)に沁み込
むようです。                            

                               阿良田記

次回は 8月29日(水)  PM 1:00~  第三巻  



山口教室 7月28日(土)  


7月28日(土)、大本山口本苑で霊界物語勉強会を開催。4巻の2回目で参加者は13名。

喜界島出身の東郷さんも顔を出された。

まず、講師の出口信一先生から、9月27日~10月3日の大分湯布院での「出口王仁三郎 芸術

作品展」と11月23、24日の「第2回霊界物語フェスティバ-ロ」の案内があった。

拝読箇所は、16章「善言美辞」から28章「武器制限」までの計13章。


【天職】常世会議の4日目、善神邪神の各主張に会議が揺れる。常世姫と猿田(さだ)姫が互いに歌を

もって優美に競えば、森鷹彦に化身した鬼武彦が、「一意専心に大神の神威を畏れ、神徳の洪大無

辺なるを確信」した「確固不抜の信仰」を基に、八王大神の奸策にのって、八王らの神定の「天職」

を捨てぬよう率直に所信を吐露。一方、八王大神は、世界混乱の責任を八王にかぶせ自発的退隠を

迫る「鷺を(からす)といひくるめたる巧妙なる言論」で会議を優勢に導いた。


【武装撤回】しかし、八王大神は病気により突然倒れる。「いかなる善事をなすも、まづ神の許しを

受けて、とりかからざるべからざるものなり」とあるが、病気突発は国祖の大神の命により鬼武彦が

行ったことであった。また、聾唖痴呆を装っていた道彦は、八王大神に酷似しその身代わりとなった

ことを利用し、神人らと計画の上、八王大神らがくやしがる中、常世城をはじめ、神人らの肉体上に

附着する武装の撤回を行った。これらが後に常世姫から「権謀術数」と非難される。


【玉全】太古の神姿に還元すれば無限の神力を発揮できる国祖の大神は、還元が生成化育の天則に違

反することから、忍耐に忍耐を重ねて御苦労されている。従って、人間も自暴自棄となり「玉砕」す

るのではなく、大道を厳守し神の御裔(みすえ)たる品格を永遠に保ち、天地経綸の大司宰として隠忍自重し、

忍耐力、荒魂の勇を(ふる)つて「玉全」を計れと示されている。(18章「隠忍自重」)



四日市教室 8月11日(土)  


 第11巻 言霊反(ことたまがえし)~第4章 梅の花

 第7巻の総説でだされたことについて色々言うひとがあり、このことについての反論的な説明がこの

言霊返しで、顕真実と未顕真実の解説。開祖と女子(聖師)とどちらが偉いというような低レベルのは

なしではないということ。

 信天翁(あほうどり)・・・この当時から物語の拝読は五六七殿でも盛大に行なわれていたようですが、おかあさん

連中は家事万端そっちのけかどうかは、いざしらずいっぱい集ったようで旦那からは大事の夫を軽蔑し

たと大変な苦情が聖師さまのところへきたようです。心配しなくても賢妻良母にして返してもらえます

から、だいじょうぶ。

 総説歌・・・いよいよ素盞鳴大神の表に出られての活動。天津祝詞の神言に(しこ)の雲霧払い行く ああ

勇ましき神の業・・・ 11巻はこれがメインテーマ

 5章からは前巻のつづき。例の時公さんや東彦、梅ヶ香姫らの登場です。

 ・宣伝歌を節をつけて歌ったのですが聴いているといい感じでしたと好評でした。


 3章 死生観  ・元来、神には、生死の区別がない。その分霊(わけみたま)を享けた人間もまた同様である。


         ・子供の肉体は虚弱だから、それに応ずる程度の魂が宿る。全部本人の霊魂が肉体に

          移って働くのは一人前の身体になった上のことだ。それまでは、すこしずつ生まれ

          替わるのだ。


         ・神の世界は故郷の 恋しき親のいます家 この世に生まれた人生は ・・・・・

          神の働き為すときぞ 生まれて一日働いて 死んで一夜を又休む 死ぬというのは

          人の世の 果にはあらず人生の 重荷おろして休む時 神の御前に遊ぶとき 栄え

          の花の開くとき・・・・・ またもや神の命令(いいつけ)に ・・・・・

                                         8.21水谷氏報


台中教室 8月13日(月)  


台湾を含め中華圏では、日々の生活が今でも農暦(旧暦)を基に営まれて居り、旧7月には2つの節があり、

1つは台湾のバレンタインデーともいわれる情人節(7月7日の七夕)、もう一つは中元節(7月15日)又、

旧7月は、鬼月とよばれ、あの世の門が開き鬼(亡くなった人の霊)が帰ってくる月とされていて、

この時期は、結婚やお店の開店、引越し、新車の購入など祝い事を避ける慣わしがあります。

この日はちょうど7月1日で、個人の家や店でも一斉に、玄関前、店先に机を置いて、肉や惣菜、菓子、果物

普段の食べ物を供え、線香をたき、あの世のお金(冥紙)を燃やし、霊を鎮めるための拜拜(お祈り)をす

る光景を
いたる所で目にする事が出来ました。

 日本でも8月は月遅れのお盆で、大体同じ様な感じですが、台湾ではいわゆるお盆(盂蘭盆)とは言わず、中

元と
言う呼称が使われています。デパートや商店街ではよく、"慶讃中元"というPOPを目にします。

これは、盂蘭盆が仏教なのに対し、中元は道教に由来するもので、日本の神仏混交の様に、台湾(中華圏)は

道仏混交でその区別が曖昧な中にも道教の影響が色濃く残っているものと思われます。

 今回も、劉、長谷川ファミリー4名と私の計5名での勉強会というよりも拝読会となりました。

拝読の前に、冒頭の盂蘭盆会について若干時間を割いて解説し、その後28巻第3章「玉藻山」を適宜交代で

拝読させていただきました。

 バラモン教に帰順したアークス王の権力は新高山の以南には及んでいなかった為、アークス王の宰相サアル

ボース
兄弟は、東南方に当たる真道彦の拠点日月潭も占領して第二の王国を建てむと、時々兵を引き連れ玉藻

山の聖地を
攻めるも、竜世姫の永久に鎮まり給う大湖水を南に越す事は容易に出来なかったのだが、或る時弟

ホーロケースがバラモンの
信徒数多引きつれ三五教の巡礼に身をやつし雲霞のごとく押し寄せとうとう真道彦

はホーロケースの長剣に屈した。 倒れた
真道彦の身体より白煙立ち上がり美はしき女神となって雲のかなた

に姿を隠した。

 真道彦の子、日盾、月鉾の兄弟は父が行方不明となったのを嘆き、ホーロケース一族を滅ぼし、父の仇を報

じ三五教の
教へを再び樹立せむと日月潭の竜の島にひそかに漕ぎつけ祈願をこらしていたところに、「バラモ

ンの敵を言向け和す琉、球の
珍の神宝を授けむ」と歌いながら二人の宣伝使が現れすぐ又姿を消した。

 これに勇気を得た日盾、月鉾兄弟は再び玉藻山に向かって言霊戦を開始せむと七日七夜の御禊を修し言霊の

練習に
全力を尽くす事になった。

 果たせるかな、琉、球の玉の威徳を身に帯びた日盾、月鉾兄弟はホーロケースに捕らえられ幽閉されていた

マリヤス姫を
救い出し占領されていた玉藻山の聖地は再び三五教に帰り、宏大な神殿が造営され日盾、月鉾の

声名は遠近に押し
広まり旭日昇天の勢いとなった。