教室レポート(39)        2007




富山教室 5月18日(金)  


 会場の呉仁館はオーナーの丹精込めた鉢植えや前庭の花が5月の風に揺れてい
ます。

日が長くなると、仕事を持った皆さんの出足が遅くなりますが、それでも
何時ものメ

ンバーが集い、休憩にスイーツを頂き楽しく勉強しました。


5月は2巻の11章より16章と、39章から41章までを勉強しました。


 1巻から引き続いて2巻もまた正神と邪神の戦いであり、太古の神界の様であります。

同時に大本の歴史であり、開祖と聖師の火水の戦いを彷彿とさせます。


茲に出てくる言霊別命は聖師であり,稚桜姫は開祖、常世姫は3女久さん、その他の登場

人物も実在する人達のようです。物語が出版された当時、神名の中
に自分の名前の一字が

出てくると、自分の事だと誤解したようです(一巻の序
に注意されている)。また、聖師

は悪神として登場する人物を実名で記載する
と、その人(霊性)に救いが生まれないと言

われているそうです。そして、田
依彦や小島別のように改心すればオーストラリアやアフ

リカの熊襲の守護職と
もなり、救いがあり、大本にとっても重要な人達でありました。と

は言え、実
在の人物を知り、物語の登場人物と対比してゆくと何か複雑なものを感じます。

 また、国祖国常立命が国治立命と若姫君命が稚桜姫と御名前が変わっています。そして、

物語の主人公が大八洲彦命から言霊別命へと変わり、12個の玉
も始めの玉は人の心であり、

後の玉は国魂の神と変化し、玉の色もその土地柄
を表しているとのことです。

                                    阿良田記

次回は 富山教室 6月26日(火) 午後6時30分より 


赤坂教室 5月26日(土)  


        女院寺 寂しく光る 杜若花(かきつばた)       瑞月

 かきつばたは杜若の2字であるが、聖師は花を加えている。


 この教室も2年を過ぎ、3年目となった。

 孔子の論語を読んでいると祭祀の重要性が出てくる。先祖を祭る時はそこに先祖がいる様に

祭れとか、神様を祭るときは神様がいる様に祭れ等々。

                                   田中茶能介氏談
           


 冒頭に鉢伏山のお話があった。聖師は昭和21年5月23日に最後の出修として但馬の鉢伏山

を訪れている。近くには素盞鳴命ゆかりの氷ノ山(別名須賀山)があり、氷ノ山に住む人は舂米(つくよね)

宿禰(すくね)と言われ、饒速日(にぎはやひ)の末裔と言われている。(饒速日は神武天皇以前の天皇。)


 第5巻 17章 勢力二分  18章 宣伝使    23章 神の御綱  24章 天の浮橋

     25章 姫神の宣示 28章 地教山の垂示 29章 神慮洪遠  33章 暗夜の光明

     34章 水魚の情交 35章 波上の宣伝

 34・35章では小郷の酋長以下の神人と祝部神との船中での問答が展開される。神人等は

先つ頃よりの天変地妖が何の象徴かと問えば、祝部神は大慈大悲の国祖国治立尊を根底の国に

神退い、暴虐無道の限りを尽した結果と説く。続いて神の存在を疑う神人に対し、貪欲と瞋恚

と愚痴を慎むべきことや、日月の高恩を悟らねばならない事等を説く。喧騒を極めたこの船は

祝詞の声清き祭場と化す。


 また、聖師は仏教伝来の時に共に肉食の習慣が入って来た事を批判している。肉食はこの世

を亡ぼすものとの「本教創世記」の紹介もあった。

         
   次回は7月14日(土) 第6巻                    桜井道彦記


山口教室 6月9日(土)  


6月9日(土)、大本山口本苑で物語47巻の勉強会を開催。参加者は、鹿児島県から西堂園

さんも来られて10名。


まず、講師の出口信一先生より、11月23、24日開催予定の「第二回霊界物語フェスティバ

-ロ」の案内があり、出演者の半分が未信徒の方々という神劇の稽古も進んでいるとのお話もあ

った。


拝読箇所は、「序文」、「総説」、7章「酔の八街」、8章「中有」、9章「愛と信」、12章

「天界行」、13章「下層天国」で、前回の48巻と同様、濃い内容であった。


【宣伝使】「総説」には、現代の大本の宣伝使に対して、神代の宣伝使に神習うよう示されてい

る。神代の三五教の宣伝使は、21章「跋文」にもあるとおり、霊界との「相応の真理」を智得

し、主の神の直接の教えを受け、主神を以て唯一、大根源とし、主の神の全体または個体として

舎身的大活躍に励んでおり、現代の宣伝使もこれに習い、一切の人類を天国に上らしむべく、善

徳を積むよう希望されている。(P7,8, 284,285)


【瑞の御魂】「総説」及び9章「愛と信」には、瑞の御魂の御神格が示されている。

厳の御魂を太元神、瑞の御魂を救世神と称えるとともに、厳の御霊に属する一切の物は悉皆(しっ

かい)瑞の御魂に属し、同体神で神格そのものは一体なるが故に、厳瑞両神ともに主神と云うとあ

る。(P 4,8)そうして、瑞の御霊の大神は、総ての神々の御神格を一身に集注し、宇宙に神臨され、

総ての生命の原頭となられ、人間の運命はこの神より来る神善と神真を、如何に摂受するかによっ

て定まると示されている。(P 137,138,139)

 なお、63巻4章「笑いの座」や5章「波の鼓」では、「厳瑞二霊の大神格を一身に蒐(あつ)

め」とか「厳瑞二霊の大霊光」とか合一的に「伊都能売の大神」について示されているが、ここ47

巻では同体的に「瑞の御霊の大神」として示されている。


【霊界の真相】入蒙記1章「水火訓」には、開祖の筆先をはじめ釈迦、キリスト等は霊界の真相は説

いていない(P10)とあるが、47巻の7章「酔の八街」から13章「下層天国」において、特に中有

界及び第三天国の有様が示されている。

なお、スエデンボルグ著の「天界と地獄」にもある少し難しい論文形式の文章と、それをわかりやす

く治国別と竜公の問答で示した道中録形式の文章とが、上手く組み合わされている。

           


大阪教室 6月10日(日)  


6月の会場となった和室の定員をオーバーする参加者で開かれた。

5巻の35章~37章、46~50章。6巻の「松葉の塵」、総説、1章を学んだ。

 35章 「波上の宣伝」

国祖国治立尊ご隠退以後、天地の変兆はますます激しくなった。

救ひの船に乗船していた酋長は、『独一真神の絶対の神がいらっしゃるのであれば、何故にこの

ような天変地妖を鎮静せず、恐怖畏縮させ傍観なさっているのか。吾々は真の神の存在を大いに

疑う。』と云って祝部神の教示を待つ。

 
祝部神は事もなげに答えて云う。『全智全能の大神の経綸は、吾々凡夫の窺知するところでない。

唯々神の教示に随って、霊主体従の行動を執ればよい。第一に最も慎むことは貪欲(執着心)と瞋恚

(怒りや憎悪の感情)と愚痴(言霊を汚すこと)である。大神の聖霊体を分析、研究するなどは以ての

外の僻事である。吾々の吉凶禍福は神の命じたまう所であって、吾々凡夫の如何ともし難いもので

ある。これを惟神という。諸神人らはわが唱うる宣伝歌を唱え、天津祝詞を朝夕に奏上し、閑暇あ

れば「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」と繰り返すのが、救いの最大要務である。』

と教示された。

この酋長の疑問は今日もよく耳にする。人生には良いことも、また辛い試練もあるが、それは皆神

様が命じられた事である。

吾々はそのように認識する事により、神様が自分の本体である霊性を向上させるために、試練を与

えて戴いていると受け止められる。

そうすると、その試練すら神様に感謝する気持になれるのである。

また祝部神の宣伝歌の中には、「力になるは神ばかり 神より外に杖となり 柱となるべきものは

ない 何の恐れも荒浪の 中に漂ふこの船は 神の恵みの御試し 天地は神の意のままぞ 天を畏

れよ地をおそれ 神の力を崇むる事ぞ 神の助けはたしかなり たしかな神の御教の 救ひの船に

身を任せ 任せ切ったる暁は 千尋の海も何のその 海の底にも神坐せば たとへ沈んだところー

で 何処にも神は坐しますぞ」(抜粋)とある。

次回は7月8日(日)午後1:30~ 第6巻