教室レポート(34)        2006


台中教室 11月26日(日)

 台中市は省轄市の一で、人口はおよそ103万人超 台湾中部にある台湾で3

番目に大きな都市である。

台湾のほぼ中央部(嘉義)を北回帰線が通っており、気候は熱帯性気候だが、

大部分は亜熱帯気候。

5月~10月と夏季は長い。日本では、もう既にコタツの季節だと言うのに、こ

の日はクーラーを掛けての勉強会となった。何でも今年は閏年で1ヶ月は季節

が遅れているとのこと、それにしても一寸異常気味である。

 今回は、27巻16章「琉球の神」を前回同様、役割拝読をする。

大竜別、大竜姫より琉、球の玉を手に入れた言依別、国依別、常楠、若彦一行

は後を追って来た虻公、蜂公(名を既に言依別命より清彦、照彦と賜っている

)清子姫、照子姫等と出会う。

この後、言依別、国依別は高砂島に渡るのだが、高姫の妨害有るを見越して、

琉、球の珠の精霊を夫々の腹に吸い込んで、その形骸を若彦に渡しおのころ島

の生田の森に引き返させた。

若彦は生田の森に立ち返り玉能姫と夫婦揃ってこの玉の保管をしながら神界の

御用をし大功を顕す。

 言依別命の命に依り清彦は琉球の北の島を、照彦は南の島を守護する国魂神

と成り永遠にその子孫を伝える。

又、常楠はハーリス山の山深く進み入って生神と成り俗界より姿を隠し、今に至

るまで不老不死の仙術を体得し琉球島の守護神となっている。

この章を拝読すると第1巻の36章の「一輪の仕組み」の“邪神の為に三個の神宝

を奪取せられむことを遠く慮りたまひ”の件が自然と思い出される。

      

       

以上、次回は二月下旬を予定

富山教室 11月28日(火)

 11月も末になり、時雨れる日が多くなってきました。雨後の夜景は又格別

美しいものでした。

 今月より第1巻に戻り、初めに「序、発端、第18章」を勉強しました。

初めに第17巻の末尾『霊の礎(3)』を拝読され、解説がありました。また、

序を拝読し72巻全巻を読んで再度「序」に戻ると、物語の結論が序に端的に示

されているとのお話でした。

 序や発端を拝読すると、『五六七神政の成就、松の世を建設(地の上に無窮の

天国を建設する事)し、国祖を地上霊界の主宰神たらしめたまいし太古の神代の

物語および霊界探検の大要を略述し、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を

開示せしもの〔霊止(ひと)としてのこの世に生まれた意義と行動規範を示され

たもので、それは己の心の内に天国を作ること〕・・・』と感じさせられました。


12月教室は12日(火) PM6:30


金沢教室 11月29日(水)


 富山教室同様、第十七巻の末尾『霊の礎(3)』を拝読され、その中で生前に

おいて心の内に天国を作らねば、死後霊界に入っても天国に行くことはできない

とのお話がありました。

 物語は第二巻、第五,六,七、九,十、十一章を拝読

第五章の長白山(白頭山)の神国別は素盞鳴尊の奇魂であり、後に孔子として生

まれた。また、朝鮮は儒教の国であり国玉は白色で、朝鮮人は白を良く好む。同

様に万寿山は国玉が赤色で中国人は赤を良く好むと言う、興味深いお話がありま

した。第六章では旧約聖書に出てくるモーゼ(天道別命)は神則(十戒)を定め、

エリア(天真道彦命)は宇宙一切の道理を説き、因果の神律を開示した神である

(内面の戒律)と示されている。神は分魂を時所位に応じて適切に配されるのを

感じさせられました。 第七章「天地の合せ鏡」の鏡は教えであり、天の真澄の

鏡は霊界物語で、地の真澄の鏡は大本神諭であるとのこと。また、大本は法の方

舟(救いの船)を用意する所であり霊界物語はその設計図(黙示)であると言う

事。等のお話がありました。

 

12月教室は13日(水) PM 1:00




大阪教室 12月10日(日)


今回で大阪教室も二年目に入りました。

時間の変更がありましたが、参加の皆さんと第四巻の残り、第26章~第38章まで

(29章を除く)を学びました。

第四巻は先生がいつも聖師様の言葉を引用される重要な巻で、国祖御隠退の経緯

が述べられています。

第26章「庚申の眷属」より拝読。

真正の八王大神(常世彦)の急病により、偽八王大神(大道別)の登壇で常世会

議は再開される。

八王の撤廃は行成彦の提案により否決され、八王大神(大道別)が八王の総統者

となし、地の高天原の直属に決定する。

ついで武装の撤廃も常世姫らの反対を押し切り敢行された。

この会議の神人各自の武器の撤廃は、神界のためもっとも尊重すべき大事業であっ

た。

一見正神界の思惑通りに進んでいるようであったが、邪神の陰謀と正神界の油断に

より局面は一転する。

常世姫は素早く聖地にのぼり国祖に対し、行成彦をはじめ、聖地の使臣が会議にお

いて権謀術数を弄したことを
虚実こもごも進言した。

一方桃上彦は、この機に乗じて常世姫と心を合わせ、兄二人を排除して天使長の職

に就かんとの野心を抱いていた。

国祖の両側に常世彦、常世姫が侍する場に大道別が呼ばれ、国祖は落涙しながら天

則違反の旨を宣示される。

大道別は、一言の弁解もせず竜宮海に投身してしまう。その四魂は琴比良別の神お

よび日の出の神となり、
その後目覚ましい活躍をし、五六七神政の地盤的太柱とし

て後生再び現れることになる。

また、大江山の鬼武彦は高倉、旭を伴い、この度の行成彦以下の処遇に対し国祖に

進言すると「汝らの心に問えよ」
とたしなめられる。

鬼武彦はやや色をなし、『鹿猪尽きて猟狗煮らる。吾々は貴神の命によりて常世城

に忍び入り八王大神を悩ませ、
その陰謀を断念せしめたるのみ。・・・・・。また

吾は内命によりて、忠実に行動せしは御承知の御事に候はずや』と宣べる。

すると国祖大神の顔には驚愕の色表れ、それと同時に八王大神の面上にはいやらし

き笑いがひらめく。

国祖御隠退の証となる箇所である。鬼武彦の進言に対し国祖の驚愕は何を物語るも

のか熟考したい。

そして国祖大神は八王大神(二世)常世彦によっていよいよ退隠に負い込まれていく。

国祖大神の御退隠と御仁慈の御心を理解するには、だだ活字だけ追っていては到底

不可能であるが、せめてその一端でも
理解させてもらわなくては申し訳なく思います。

第33章「至仁至愛」には感慨胸に迫ります。

聖師様は「一巻から六巻までは暗記するくらい拝読せよ」とおっしゃたそうです。

 
最後に先生より「本当の信仰とは、邪神に憑依されないような心を培うことで、それに

は自分の身魂を磨いていくことである。お陰信仰程度では寧ろ貪瞋痴の三毒にやられて

しまう。真の信仰によって、人としての在り方、生まれた役割を自覚せしめられていき、

そして日々改心していく。神の教え(=鏡)に照らし合わせて自己を省みる。誠の神様の

言葉にお互いが目覚めていくと、自ずから自分の使命を果たさしてもらえる。」とお話

がありました。

この後、参加者全員で昼食会を行い、散会しました。

新年は1月8日(月)PM1:30~ 第五巻。

     




富山教室 12月12日(火)


 第1巻第3篇 天地の剖判(第20巻~第24章)を勉強しました。

第21章「大地の修理固成(二)」では「人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与せ

られて、
肉体は国常立尊の主宰として、神の御意思を実行する機関となしたもうた。こ

れが人生の目的で
ある。神示に『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大主宰なり』

とあるも、この理に由るの
である。」と有ります。吾々は神の子神の宮という理由が判

然とし、人は天と地を結ぶ存在であ
るともお示しになっていることで、人生の目的も解

ります。

第22章「国祖御隠退の御因縁」は神界の様子を述べたものだが、国祖の御隠退に到る

背景には
霊的なものがある事を考えねばなりません。

【宇宙の2大要素である霊体の発達の過程で、どうしても体が一時的に表面に出てくる

のはやむ
を得ないことであり、物質世界(体)である現界の現状もみろくの世を迎える過程

でしょうか。】

【 】内は阿良田私見

第23章「黄金の大橋」では黄金の橋は信仰を示し、信仰の橋を渡るには一切の執着

(荷
物)を捨て、生まれ赤子の気持ちに立ち返ることをお示しになっています。

第24章「神政開基と神息統合」は2度目の岩戸開きの神界の主な神々のお働きと神界

出来事が示されている。同時に開祖や聖師の時代の出来事(大本の歴史)でもあり、

その
背景には八岐大蛇や悪狐、悪鬼の動きがありす。等のお話がありました。 



金沢教室 12月13日(水)


第二巻第六篇 神霊の祭祀(第三九章~四四章)を勉強。

大本には3段の型が有るといわれているが、型には綾部、日本、世界といった空間的型と

過去(神界)、現在(現界)、未来といった時間的型がある。また明治に入ってGodがた

だ単に神と訳されたのは「神」という観念を誤らしめた。それは本来ゴッドは唯一の神

(主神、造物主)を意味し、単に神とすると正神から邪神まで又、神霊から祖霊までを意

味し大変曖昧なものになってしまう。又、質問に答えて、靖国神社についての正しい観念

についてもお話がありました。

第三九章

シオン山は綾の聖地であり日本を意味し、太白星(金星)の十二の国玉の玉は心を意味す

るそうです。

第四〇章の顕国の御玉は地球であり、地球の主宰神である素盞鳴尊を意味します。

第四三章の花森彦は高砂島(台湾)の守護神である。

第四四章の鏡は教えを指し、国の真澄の鏡は開祖の「神諭」であり、天の真澄の鏡は聖師

の「霊界物語」を意味します。

                                                  阿良田記