教室レポート(22) 2006
大畑家の大屋根から落ちて、うず高く積もっていた雪もとけて遅れていた春が訪れたような日和。 今回は第15巻第2篇の古事記言霊解からはじまる。 第11章 大蛇退治の段。「故、退(やら)はれて出雲の肥河上なる鳥髪の地に降りましき」の解説。 鳥髪の地とは十の神の顕現地ということにして、厳の御魂、瑞御魂が経と緯との神業に従事し天地 を修斎したまう神聖の経綸地ということ。と示されている。つまり綾の聖地を示している。明治三十一 年秋八月(高熊山修行の後)素盞鳴尊の神代として神世開祖の出現地に参上されて神の経綸地と 感知される。「老夫と老女と二人在りて童女(おとめ)を中に置きて泣くなり」とあるは、老夫(おきな)と 老女(おみな)は艮金神と出口直教祖が一つに合体して神業に従事されることを意味し、オトメは男と 女という意義で世界人類のことであると示される。即ち、世界人民の身魂が邪神に汚され亡ぼされよ うとするが、手のほどこしようがなく血を吐く思いで心配されていること。そこに素盞鳴尊が出現され、 その救済にのりだされる。変性男子の身魂は男と女すなわち人類救済の任を瑞の御魂なる素盞鳴 尊にご一任になる。尊は邪神の根源である八岐大蛇を退治にかかられる。変性男子は尊のまにまに 芳醸なる八塩折の神酒を醸造される。そこに酒の香に八岐大蛇の霊に憑依された悪神たちは群が り飲んでしまう。尊は十握の剣を抜いて退治される。剣は”遠津神の勅定(つるぎ)”であり、退治する ということは勅定を奉戴して破邪顕正の本能を発揮されたということと示されている。 また退治された大蛇の尾から都牟刈之太刀(つむがりのたち)が顕れ、この剣を草薙の太刀と言う と教示される。 中の尾というのは葦原の中津国即ち日本の下層社会の臣民であり、予想外の立派な救世主が隠れ ていたことを示す。この太刀こそ三千世界の大救世主であり、伊都能売の身魂である。邪悪のシンボル である八岐大蛇の尾から救世主が出現されるということは矛盾のようであるが、大蛇の邪霊によって 暗黒の世になり天祖が地に下って救世の神業に着手されたと解すべきであろう。 神人和楽の聖代なる神世は主神は隠身であり、もの言わぬ存在であったし、地上に降下される必要 はなかった。八岐大蛇が暴れ狂い、万民の身魂を絶滅せしめつつある今日、はじめて真徳の大神人 が都牟刈の太刀として顕現されたのである。即ち王仁三郎聖師のご出現がこのことを示している。 勉強会は第12章 一人旅まで進んで終了した。 |