教室レポート(19)        2006
               
和歌山教室 2月11日(土)

 和歌山教室では出口信一先生を迎へ勉強会を開催するのは2度目となり

今回は第15巻如意宝珠寅の巻の中、第1章破羅門、第3章十六花、第8章ウラナイ教、

第19章第一天国、第21章帰顕、の各章を拝読を交え色々と学ぶ。

 霊界物語に依り得た光(智恵)を熱(祈り)に昇華させることの大切さを再認識させて頂きました。



           


四日市教室 2月19日(日)

 第5巻 第2篇から始まる。特に2篇は八岐大蛇や金毛九尾、六面八臂の邪神が憑霊する場面。

 断食や断水の行をすることは、肉体的、精神的に弱体化する。邪神はそのすきをねらって間髪

を入れずに憑依し、その肉体をあやつるのである。帰神の行をするには、第1に正食に励むことを

示されている。正食とは米をはじめとした五穀を食することが教示されている(第11巻)。

 常世彦、常世姫は八岐大蛇より百日間の断食を命ぜられ、ついには邪神の容器となる。盤古大神

の審判(さにわ)により常世姫は醜態を顕わす。一端邪神の容器になると、その霊が抜けたとしても

又邪気に犯されやすくなるとか。滝にうたれ火食を断つ行をすることは、すでにその最初より妖魅

邪鬼に、その精神を蠱惑(こわく)されているとか。つつしむべきは野心ということか。

 神界は国祖御隠退の後、暗黒の世界となる。盤古派と大自在天神派との対立が始まり紛糾混乱

を深める。ここに天教山の木の花姫は主だった神人を天教山に集め、野立彦命の予言と警告の

神歌「三千世界一度に開く梅の花」と言触れ神が宣り歩く。

 大自在天と盤古大神は元々善神であり、その警告の神歌に胸がしめつけられる。しかし、この神歌

の意味を覚る神人は少なかった。


松江教室 2月21日(火)

 第16巻 第1章天橋立から第6章石槍の雨までを学んだ。神スサノオの大神がペルシャのイソ館

から由良の湊の秋山館に帰還。それに先だって八人乙女の英子姫とおつきの悦子姫が天橋立

に小舟に乗って漂着し、秋山館にて父神と再会。国祖のご分霊 国武彦も同座。35万年前の

辛酉の九月八日であった。

 翌九月九日は菊の節句で、バラモンの祭典日とか。バラモンの祭典には人肉を捧げねばなら

ないと鬼彦の言。秋山彦を捕え いけにえに供しようとするが、国祖の眷族の月日明神、鬼武彦等

の化身の術で化かされる。

 神スサノオの神、国武彦、英子姫たちは由良川をさかのぼって地の高天原の桶伏山に着く。

そして山上にて35万年後の経綸を行ない神スサノオの神は再び救世のため旅立たれ、国武彦

は四尾山の麓に身をひそめおかれる。35万年後の再会を約されるのだが、35万年後の辛酉の

九月八日とは一体何を意味しているのであろうか。


矢上教室 2月22日(水)

 昨日までの冬の天候がうそみたいに春の陽気につつまれた一日でありました。

 第15巻の初めから。第1章 破羅門〜第10章の神楽舞まで進みました。バラモン教の発祥の経緯

ウラナイ教の成立など盛りだくさんの内容でした。スサノオの大神の八人乙女のこと、またおつきの

姫神の名前もすべてでてきました。

 ウラナイ教の高姫、黒姫がいかに瑞霊を排除する教えであるかも明示されています。

ウラナイ教は目をつぶし、耳をふさぎます。神一筋になるためといいますが、実は自らかみくだくことなく

鵜のみにすることに関連してくるようです。「盲従でなく明従せよ」との聖師の教示がとても大切に思われ

ました。いよいよこの巻でスサノオの大神は天教山より追放され、世界を遍歴されることになります。