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教室レポート(150)        2017












高岡教室 2月16日(木)  


金沢。富山共通

1、神がかりには3種ある。

  1、帰 神  人間の精霊が主の神又は大神から神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神という。

     大神の御神格と帰一和合する直接内流で、予言者として最も必要な霊界真相の伝達者。

  2、神 懸  大神の御神格に照らされ知慧証覚を得、霊国のエンゼルが人間の精霊に降り、神界の消息を

     人間界に伝達するのを神懸と言い間接内流と言う。神界の消息をある程度まで人間界に伝達

     する。

  3、神 憑  偽予言者、贋救世主などに移った副守(守護神・悪霊)の囁きを 人間が精霊と自ら深く信

     じ、しかも憑霊自身も貴き神と信じ、その説き教へる所もまた神の言葉と自らが自らを信じて

     いるもの。

     これは地獄の団体に籍をおく凶霊で、世人を迷はし、かつ大神の神格を毀損する。現界の善霊

     や肉体をも亡ぼそうと謀るものです。

預言者と憑神(憑霊)の関係

     帰神  預言者に大神が直接懸かられた状態   直接内流

     神懸  大神がエンゼルに懸かりその精霊を満たし、次いでエンゼルが預言者に懸かる状態。 間接内流

     神憑  凶霊が人に憑かり偽預言者となる。


 

神霊は前額部より入る。

玉鏡 607  爪を剪る時

 日が暮れてからは爪をとつてはならぬ。これは素盞嗚尊様が千座の置戸を負うて手足の爪を抜かれ給うたのが

日が暮れてからであつた為である。只小指の爪は剪つてはならぬ。よく支那人が小指の爪を長く延ばす習慣を有

つているがこれには意味がある。小指の爪の剪つた後から病魔が入るやうな事があれば生命にも関する。小指の

爪から悪霊が入らぬ様にせねばならぬ。


2、 高天原には天国(天的天人)と霊国(霊的天人)がある。

霊的天人より来る間接内流(教えや悟り)は人間の頭脳に流入する。前額やこめかみより入り大脳全体に及ぶ。

この局部は霊国の智慧に相応する。また天的天人から来る間接内流は小脳の中の後脳(耳より始まつて頸部全体

)という局部に流入し、証覚に相応する。


  霊的天人 → 前額部より大脳へ(霊国の智慧)  天的天人 → 耳より入って後頭部へ(天国の証覚)

 

 すべて天人と語り合うときは、人の内分(霊覚)は高天原の光に包まれる。即ち天人は人間の内分を通して現

実界を見、人間は天界の光に包まれて天界に在るすべての事物を見ることが出来る。これを現幽一致、霊肉不二

、明暗一体という。


 神代は大神と人間は直接語らった。しかし今は、化相を以てある精霊に懸り、大神の神格に満たされた精霊が

現界の預言者に懸ってその言葉(霊界の消息や大神の意思)を伝えるのである(間接内流)。この場合は神格の

流入でなく伝達である。しかし、これらの聖言には内義(密意)を含んでいる。


また天界に居る天人はこの内義を霊的及び天的意義(意味、内容)を以て詳しく知るので、直にその神意を了解

出来るけれど、人間は何事も自然的、科学的意義に従ってその聖言を解釈しようとするので、正しく理解できず

懐疑心を増すばかりで到底満足な解決は付けられない。


そこでこのことを解決するため、瑞霊(出口聖師)を世に降し、直接の予言者(大神・帰神)が伝える聖言を詳

細に解説(霊界物語)し、現界人を教へ導かんとされたのです。


大神の内流を授けた聖言である開祖のお筆先(大本神諭)の真解書が霊界物語です。

3、 間接内流においては、大神の御神格に充たされた精霊は自分が大神だと信じ、その諸々の言葉が神格より

出たものと思い込んでいる。しかし、精霊は言うべき事を言い尽すまでは自分は大神であり、言うことは大神の

言であると固く信じ切っている。そして、一旦その使命を果すと、大神は天にお帰りになるので、俄に神格は劣

りその言葉は全く明晰を欠くので、そこで初めて自分は精霊であつたこと、又自分の言ったことは大神より言わ

された事を自覚し納得するのである。


大本開祖は大神の直接内流によって、神の意思を伝へ居ること及び自分の精霊が神格に充たされて、万民の為に

伝達の役を勤めていたことを能く承認しておられた。


 開祖

 大元神大国常立尊(又は艮の金神) → 精霊(稚姫君命 又は 国武彦命)→ 出口なを・開祖(国照姫) 

 〔間接内流〕



4、天人の智慧証覚は現界人とは大きな隔たりがある。天人が一二語で理解することを現界人は数百言を費しな

ければ、その意味を理解ずることが出来ない。そして開祖が書かれたお筆先も、吾々には容易に理解できない。

すでに天国に籍を置いている身魂であれば理解できるが、通常の人からはそこには密意があり容易に理解できず

、むしろ下手に解釈すると間違って受け取ってしまうと示されている。中有界に迷っているような我々の精霊は

、瑞の御霊の詳細な説明によって、間接的に理解できるのです。


そこで瑞の御霊の大神の神格に充たされたる精霊が、相応の理によって変性女子の肉体(出口聖師)に来て、霊

界物語によって一二言の言葉を数千言に砕き、一頁の文章を数百頁に微細に分割して示されたのです。それが聖

師の口述なさった霊界物語や著作です。

 聖師

    神素盞嗚大神    ―――→    出口王仁三郎・聖師(素盞嗚命)  〔直接内流〕

                           

入蒙記 第八章「聖雄と英雄」に聖師様のご神格が書かれている。要約すると、

「神素盞嗚尊の聖霊は大八洲彦命と顕現し、更に釈迦如来と現れた。今また聖霊は蒙古興安嶺に降り、瑞霊であ

る肉体(聖師)に宿り、聖地桶伏山に坤金神豊国主命と現はれ、天教山に修して観世音菩薩木花姫命と現じ、五

二歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となられた。」 とある。



●高岡教室 


 

第19巻 第13章「混線」を拝読。

初めて拝読すると登場人物を把握していないと敵味方が正に混線してしまう。まず読む前にバラモン教の谷丸、

鬼丸が一組。ウラル教のテルヂーとコロンボが一組です。


第4編「地異天変」は先に出てきた玉照姫様と合い並んでミロク神政の基礎固めをされる、高熊山に現れられた

玉照彦様(出口聖師に相応)のお話です。


今は高熊山も車でかなり奥まで行けるが、昔は穴太の部落から全て徒歩で上がったので、ここに出てくる来勿止

の関所とか、ここが松姫の修行した滝とか先輩の説明を聞きながら昇ったものです。


高熊山の岩窟から懐に抱いて連れ出した谷丸、鬼丸は三五教の連中が奪いに来たと勘違いし、玉照彦様を傍らの

叢に隠す。大木の上に昇って天狗になりすましたテルヂーの下に、谷丸、鬼丸がやってくる。木の上にいたテル

ヂーはどうした機(はず)みか下に落ちたので、鬼丸は腰を抜かし、コロンボはかねて落ち合う場所と決めてい

た天狗岩まで駆け出す。そこに谷丸が懐に玉照彦様を抱えて到着する。真っ暗なのでお互いが仲間だと思ってい

る。一方テルヂーと鬼丸はこれも仲間だと勘違いするが、十六夜の満月が出てお互いが敵味方だと気づくが臆病

な鬼丸はテルヂーについて天狗岩まで付いて行く。ここで初めて谷丸とコロンボが見方でないことに気づく。こ

こで谷丸は懐に抱えてきたのが石であることに気づく。




金沢教室 2月20日(月)  


第17巻第7章「枯れ尾花」、第8章「蚯蚓の囁き」を拝読。

フサの国から高山彦が天の鳥船に乗って黒姫と婚礼のためにやって来て結婚式を挙げる。

これまで黒姫は「神の教えの信徒は女に目をくれてはいかん」と厳しく言ってきたのに、自分はその戒めを破っ

て結婚するので、女に関して我慢してきた若い連中、特に夏彦、常彦等の幹部連は面白くないのである。黒姫の

提案で比沼の真名井の豊国姫が出現場である、瑞の宝座を占領しようと出陣することとなる。


「蚯蚓の囁き」では、夏彦が高姫や魔我彦、イモリ別などの行動を評して「口と心と行いの揃った奴は一匹も

ありやしない」と言っている。また、これまでは何かにつけて夏彦ら幹部連を頼りにしていたのに、高山彦が

来てから高山彦の連れてきた寅若や富彦を使って命令を聞くに至って、形の上では攻撃に参加するが心はウラ

ナイ教から離れ「夏彦、岩高、菊若、常彦の閣僚は黒姫結婚以来上下の統一を欠ぎ、自然三五教に向つて其思

想は暗遷黙移しつつありき。」となる。


高姫の性来は「幾千万度生れ代り死代り生死往来の旅を重ぬるとも、いつかないつかな摧(くじ)けてならう

か」とあるように、どうしても改心できないのであろう。


                                     以上阿良田記

次回

金沢教室 3月13日(月)午後1時30分より 第17巻

富山教室 3月16日(木)午後7時より    第19巻