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教室レポート(149)        2017












大阪教室 1月12日(木)  


 明けましておめでとうございます。大阪教室ではニューフェイスもご参加のなか、第26巻7章から11章を読み

進めました。

丹後由良の秋山彦の館にて、麻邇の五つの玉が聖地に納められることを祝する宴が行われ、前章では主役と

言える神素盞嗚大神と国武彦命の祝歌が荘重かつ厳粛に宣り上げられたところでありました。今回は五十子姫

と音彦の夫婦、錦の宮の総務・杢助がそれぞれの経歴を合わせて祝歌を歌い、教主の言依別命はこれから千座

の置戸を負っての犠牲的活動を決意した歌を歌います。


10章からは船に乗って由良川を遡っての聖地行。国依別が船歌を面白く歌うと、秋彦(鹿公)、夏彦、常彦

、佐田彦(谷丸)、波留彦(滝公)も続きます。特に三つの玉を隠す神業に関わった佐田彦・波留彦は、高姫

らに伝わってはならじと配慮してか○○の伏せ字だらけの歌を歌い、言いたいけど言えないという思いが推し

量られて面白いところです。第22巻の経緯を知っている読者は○○に正解を入れたくなりますね。そして船は

いよいよ綾の聖地へ安着し、五つの神宝は歓喜の声に包まれながら錦の宮の八尋殿に納まります。

次回は事情により第2木曜から第3木曜に変更、2月16日に行います。第25巻末のエピソード、高姫、黒姫、

高山彦が国依別にかつがれて近江の竹生島へ玉探しに行くお話の続きで、ほぼ全編が歌で語られます。



金沢・高岡教室 1月15日(日)  


今月は出口考樹先生と宣教部の長谷川さんをお迎えし、高岡、金沢合同で行いました。

出口先生のお話。

俗に暦では、寒さの底は節分あたりまでと言われており、一夜明けると立春で春の始まりとなります。たった

一日だけでその表情が違ってきます。陰の極みが転じて陽になる、一陽来復というか、そういう時が正に節分

なのだとおもいます。西洋で見ると、クリスマスの頃が過越の祭と云って冬至の頃です。冬至は夜の長さと昼

の長さが逆転する時で、矢張り陰の極みがクリスマスであって 一陽来復の時です。実際のキリストの誕生は

諸説がありますが、北欧の春を待つ思いがこうした日を選んで誕生日としたのだろうと云われています。 正

に転換点がクリスマスであり、節分であると思います。

節分は大本では人型大祓の神事など、様々な行事がありますが、やはり、出口開祖に国祖国常立尊がお帰神

(かか)りになって御出現になった、その日が節分であったことが大きな意義があると思います。お筆先や霊

界物語の中を貫いている精神が立替立直しであり、出口王仁三郎先生の霊界物語の中では別々に行われるもの

でなく同時に進行して行くものだと示されています。立替、即ち壊す方は悪魔がするので、立直しは神様がす

るといった表現があります。節分というのはマイナス方向のベクトルが正にプラスに転じて行く、そういう日

なんだと思います。 それは紙一重であるが決定的に違うものなのです。 大きな価値の転換点で、昨日と今日

では実際は何も変わらないのだけれど 気持ちの上では大きく変わったと感じて行くのが、王仁三郎先生の思

想を貫くものと思います。苦があるから楽があるので(苦中楽あり)大本の歴史は二度も弾圧を受け、国祖の

大神もまた邪神によって大きな苦難(試練)を受けています。


第一次の大本事件は大正10年の2月12日に起こります。不敬罪や新聞紙法違反で訴えられ、一二六日間拘留さ

れ、やがて出られた後、由良川の川辺にある松雲閣で、10月18日から霊界物語を口述されます。建物の背後に

は聖地である本宮山があり、そこに建っている建物を裁判も待たずして邪教の建物だとして官憲によって破壊

されます。その破壊される日を選んで出口王仁三郎先生は第一巻の序文を口述されています。


二日前の18日(口述の当日)には娘である三代教主直日様が本宮山の山頂にある神殿の神様を天界にお帰り

頂く昇神祭が行われ、涙ながらに壊される準備に掛かられます。そして神殿が壊される音を聞きながら物語が

口述されました。それは山の上では破壊が行われその麓では霊界物語という再生が同時になされたことになり

ます。あえてこの日を選んで物語の口述をされたと云うことは、これも王仁三郎先生独特の意思表示といえる

ので、大きな価値の転換ではないでしょうか。悲しみの日と同時に喜びの日でもあるわけで、立替は残酷な面

があるけれど同時に立直しは未来を作り出す希望の日でもあったのです。  


昭和10年の12月8日に第二次事件が起こりますが、この時も第一次事件後に建てられた建物が全て破壊され、

本宮山の山頂の建物も破壊され瓦礫となります。事件後聖師は本宮山に昇られ、破壊された瓦礫の処分を指示

されます。木は集めて燃やし、石なども1カ所にあつめられます。灰は「わしは花咲爺さん」だと云われて信

者に配られます。灰になっても再び花を咲かせ、再生するという意味でしょう。山頂には瓦礫を集めて小山を

作るよう指示をされます。それがやがて月山富士といって、天地の神様が上り下りされる大本の最も尊い聖地

となります。


月山富士は中を開ければ瓦礫の山で、本来なれば悲しみのモニュメントで、国に対する怨念を抱きそうなもの

ですが、それに対してここが最も尊い所で、世界の人々を救う究極のモニュメントとされるところに大きな価

値の転換があり、王仁三郎先生の妙味というか素晴らしいところです。節分というのは陰の極みで寒い辛い時

期を超えるからこそ、暖かい春を迎えることができるのです。この辛さを無しにして、穏やかなところにいて

は有り難さが半減してしまいます。そうした意味からも節分は教えの根源にあるのでしょう。


霊界物語第19巻第10章「馬鹿正直」、第11章「変態動物」、第12章「言照姫」を勉強。

第10章「馬鹿正直」では

『たとへ叩き殺されても柔和と誠を以て、彼等悪人を心の底より、改心させるのが吾々信者の第一の務めだ。

国治立の大神様や素盞嗚大神様の御事を思へば、これ位の口惜残念は宵の口だ。怒りに乗じ手向ひすれば、

一時の胸は治まるだらうが、叩かれた者は、安楽に夜分も寝られる、叩いた者は夜分に寝られぬといふ事だ。

嗚呼、何事も大慈大悲の大神様の深遠なる恵の鞭だ。吾々は大神様の試錬を受けて居るのだ。紫姫様のお身の

上に関する様な失敗を演じては済まないと、馬、鹿両人は一度に、心中の光明に照されて、嬉し涙をタラタラ

と流し大地にカヂリ付いて神恩を感謝して居る。』


ここは、自分たちの主人を助けたいという心が働く中で、どんなにひどく叩かれても、相手を傷つけまいとす

る心と、自分に降りかかった災難を試練と受け止め、御神徳を頂いたと云って涙を流して喜ぶところは、この

馬、鹿がどれだけ成長したかと云うことがうかがえます。身魂を向上して行く姿が如実に現れています。大本

人にとっては忍耐こそが宝です。   


睨まれてにらみ返すは人心、笑って返すは神心。

シリアなどで起きている紛争で親兄弟が殺される無差別の殺戮から生まれる恨みなどは、いつまでも消える事

のない遺恨で、永遠に続いて行くように思われます。これを打開するのは考えの転換しかありません。そこに

は「許す」という気持ちや言葉が大事になってきます。この事が世界の人々の心に起こってこなければ、八岐

大蛇の思うつぼで、永遠の救いは訪れません。その気持ちの転換を自分たちに与えられた試練として受け入れ

て行く必要があります。そのあたりのヒントがここにあるのかもしれません。


 

第11章「変態動物」

松姫さんは一本気な方で一途な心と無知とが混ざり合って言っているところは昔の開祖派の人々と似ています。

179頁から、お節と松姫の問答で

お節が『素盞嗚尊様の教はお気に入らぬのですか』と聞くと


松姫は『何だか虫が好きませぬ、どこかに物足らぬ所があるやうで御座います、合縁奇縁と云うて信仰の道に

も向、不向がありましてな』と答えるが、素盞嗚尊の本当の教えを知らないからで、高姫さんから植え付けら

れた印象で話しており、立てなければならないところは立てるという気持ちの表れでしょう。


師匠が間違った方向に行ったら貴女はどうするのかと問われ。松姫は師匠よりお道が大事と答え、真っ直ぐな

信仰の堅い人です。


また、松姫は『人は柔順と忍耐と誠さへ徹底的に守つて居れば神様は守つて下さいます。教派の如何にかかは

るものぢやありませぬ』と言っているが、これは一面心理です。


                                        以上阿良田記

 

次回 2月20日(月) 金沢教室 午後1時30分より 第17巻

   2月16日(木) 高岡教室 午後7時より 第19巻