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教室レポート(147)        2016












大阪教室 11月10日(木)  


 今回から第26巻に入りました。竜宮の一つ島(オーストラリア)で玉依姫命から麻邇の五つの玉を授かった

梅子姫ら一行十名は、八咫烏(やあたがらす)に乗せられてオノコロ島の丹後由良・秋山館に降り立ちました。

聖地からは教主言依別命をはじめ従神たちが出張してこれを待ち受け、さらに神素盞嗚大神と国武彦命がお出

ましとなって、神政成就の基礎が確立したとして盛大な宴が行われることとなりました。第26巻の大半はこの

宴におけるそれぞれの祝歌と、玉を聖地にお迎えする船中の歌から成っています。

 とはいえ実は、神素盞嗚大神と国武彦命の経綸により以前の三つの玉に続いて今回の五つの玉のうち四つも

密かに隠されることとなります。これがために第27巻で聖地を揺るがす大騒動となり、第33巻まで続く壮大な

物語の発端となるのであります。その種が明かされたとき、読者は神の経綸の周到さと慈愛の深さに感動する

こととなるでしょう。

 次回12月は都合によりいつもの第2木曜日から変更し、第3木曜日の12月15日に行います。お間違いのないよ

うお願いいたします。第26巻4章から。

                                                         (長谷川記)


金沢教室 11月21日(月)  


金沢、高岡共通

今月は愛善世界9,10,11月号に掲載された「大気津姫の段1~3」をまとめてお話しさせていただきま

した。

  『於是、八百万の神共に議りて、速須佐之男命に千位の置戸を負はせ、亦鬚を切り、手足の爪をも抜かし

めて、神追ひに追ひき』

 素盞嗚尊は母の国へ行くに先立ち、本意であったか不本意であったかは判らぬが、多くの神々を引き連れ高

天原に上って行かれたので、天照大神は高天原を占領しに来たと誤解をし天の真奈井での誓約(うけい)にな

ります。素盞嗚尊の潔白が証明されると、ついてきた神々は素盞嗚尊が正しかったと騒ぎ出し、その目にあま

る行動により天照大神は天岩戸に隠れられ、世界は常闇となります。それがなぜかその責任を素盞嗚尊一柱に

負わせ高天原より追放します。

 『千位の置戸を負わせて』

思金神を議長とする天の安河原の衆議の結果、大海原(地球)の支配者であった素盞嗚尊が高御座(皇位)

を奪われ流離いの旅に出られます。しかし、これは表面に現れた事象で、真の意味は「世界の万類を救うため

に身を犠牲になされた」のです。言い換えれば瑞の御魂(救世主神)の証です。その証拠が本文にあるように

「神追ひ」のヤライ(追い)は、自らの意思で退くことで、「退ひ」は自分の意思とは関係なく追放されるこ

とです。ここで、大本の役員はみな「総て鬚を切り(地位を捨て)手足の爪まで抜きて(財産を捨て)大本へ

神追ひに追はれ玉うた(自らの意思で来た)人々であり」、因縁有って大本に引き寄せられた人なのです。

 『現代は個人有つて国家あるを忘れ、自党ありて他党あるを忘れて居る。』

現代は個人も、会社も、国家も全てが自分や自社、自国だけが大切で、大きな意味で全てが社会(地球)の一

員であることを忘れている。世界価値観調査では自分は世界市民だと意識する日本人はきわめて多いようだが、

会社も国家も社会という大きな組織の中で責任有る存在であることを忘れている。大きな会社ほど不正を働い

ても自社だけが儲かれば良いという社会性を忘れているように思う。通信や交通機関の発達、人や物流、お金

の行き来によって経済等がグローバル化した様に見えて、国家も地球という社会の一員であるのに、イギリス

やアメリカ、ロシア中国といった大国は自国の利益のみに走って内向きの方向に行こうとしています。

 近年特に目立つのは、個人も、会社も、国家も全てが ”神様が最も嫌う”自己本位、強い者がち(弱肉強食、

優勝劣敗)という社会へと突き進んでいることです。自己を犠牲にしても他に奉仕するという精神が失われて

います。(共存共栄)

 『差別的平等なる天理天測を覚知し』

 吾々はよく平等と言えば全てが皆同じという絶対的平等を考えがちですが、聖師の考えは、その人の考えや、

能力、年齢、性別等に応じた平等との考えです。全て平等だからと言って老若男女に屈強盛りの青年か担ぐよう

な重い荷物を担がせることは決して平等とはいえません。天国もまたそうです。その人の霊性に応じた場所で、

気のあった物同士が団体を作ることが魂にとっての平等です。

 『日本国憲法14条1項は「法の下の平等」です。いかなる場合にも各人を絶対的に等しく扱うという絶対的平

等の意味ではなく、「等しいものは等しく、等しからざるものは等しからざるように」扱うという相対的平等

を意味するもので、合理的な理由によって異なる取扱いをすることは許されると解するのが通説・判例の立場

である(相対的平等説)。したがって、合理的な理由によらない不合理な差別のみが禁止されることになるが、

何が合理的な区別で、何が不合理な差別になるかという基準を設定することは必ずしも容易ではない。』 

 以上ウイキペディア:司法書士試験過去問解説より


明治憲法では憲法上の機会の平等(公務就任能力の規定のみ)は限定されたものであったようで、戦後の新憲

法になって初めて認められたのです。従って物語の「差別的平等」即ち「相対的平等」という概念は戦前まで

は無かったのです。この大気津姫の段は大正9年1月の講演筆録です。そしてこの事は『天理天測』と書かれ

ています。

 『 大気津姫といふ言霊は、要するに、物質文明の極点に達したる為、天下こぞって美衣美食し大廈高楼

に安臥して所在贅沢を尽し、体主霊従の頂上に達したる事を、大気津姫と云ふのであります』


まさに現代はここに示されたような状況です。アフリカなどでは1分間に飢餓で17人の人が餓死していると

言われます。その一方では飽食の時代と言われ、TVには料理や食事の番組があふれかえっています。また聖

師様は地上三尺(90cm)上は天に属し(玉鏡、床の高さ)、人の寝起する空間で無いと示されています。マ

ンションは大型化し上へ上へと伸び、まさに大廈高楼(大きく高い建物)に安臥(横たわる)している。昔の

ように平屋建てが理想的家なのでしょう。


 『乞ひ玉ひき』とあるように、素盞嗚尊は八百万の神に対して、正衣正食し、清居すべき道をお諭しになつ

たのですから、我々は慎みある生活を心掛けねばなりません。


『時に速須佐之男命は、其の態を立伺ひて、穢汚もの奉進るとおもほして、乃ち、其の大気津姫比売を殺した

まひき』


 アメリカの大統領選挙はトランプ氏が勝利を得た。多くの国ではほんの数パーセントの人が富を独占してい

る。しかし、「大気津姫比売を殺したまひき」とはそこには金持ちを中心とした政治経済では無く、格差社会

や貧困で苦しむ人々への配慮を求めてのもであろう。


 現代社会は神様が最も嫌う個人主義(自利心)で自分とその関係する物だけを大切にする、われよしの社会

では無く、全てに人々が同じレベル(差別的平等)で暮らせる社会を実現させねばなりません。自分のためで

は無く、他人のために働く社会が求められるのです。


 世の中とは皮肉な物である。衣食住足りて礼節を知る(管仲)という言葉があるが、今の世は全く反対です。

衣食住の足りた人ほど弱肉強食、優勝劣敗のありったけを尽くし、その日の生活に苦しむ人々が神を信じ互い

に助け合って生活している。神はまさに富める者ではなく貧しき者の頭に宿っておられるのです。


 この現状を打破するには社会教育や生涯教育以外にない。本文にあるよう『故に大本は、神示に依りて明治

二十五年以来、是が救済の神法を、天下に向つて指導しつつあるのである。』また、政治家は『宗教と教育の

権威を発揮して以てその無限の慾を塞ぎ、その奢侈(ぜいたく)を矯め(矯正する)、公共心の涵養( 水が

自然にしみこむように,少しずつ養い育てること)に務め、貧富の平均を保つ』て生活の安定を保つ必要があ

るのです。


 

 

金沢教室 

 

第17巻第3章「生死不明」4章「羽化登仙」五章「誘惑婆」を拝読。

お節に化けていた白狐に導かれ一行は本当のお節が魔の岩窟から救い出します。一行八人は比治山颪に吹かれ

ながら真名井ヶ岳の豊国姫の霊場に参拝するため向かいましが、真っ裸の五人は寒さに耐えかね岩公は平助を、

勘公はお楢を、櫟公はお節を背負い雪道を上って行きます。しかしあまりの寒さに凍死した五人は、神の慈悲

により肉体を離れ、宣伝使となり真名井ヶ岳を目指して空中を飛んで行きます。


平助、お節、お節は途中ウラナイ教の黒姫に誘惑されそうになりが音彦、青彦の宣伝歌と、お節の宣伝歌に逃

げて行きます。



高岡教室 11月24日(木)  


霊界物語第十九巻第八章「大悟徹底」を拝読

玉照姫を紫姫、青彦に奪われ、失望して一旦フサの国に帰っていた高姫、黒姫、高山彦のもとに鶴公、亀公が

馬公鹿公の伝言を伝えに帰ってきます。高姫一行は世継王山の麓へ玉照姫を迎えに行きます。


館の奥の間に着いた一行に紫姫、青彦は事の次第を述べ玉照姫をウラナイ教で受け取ってほしいと言います。

高姫は神素盞嗚大神の善の精神に感動し、心の底より瑞の御霊の大神に謝罪します。そして一旦フサの国本山

に帰り、トックリと思案した上で返事をすると言って帰って行きます。


高姫は物語の中で何度か改心しますが、ここはその最初です。

                                         以上 阿良田記

次回

金沢教室12月13日(火) 午後1時30分 第17巻

高岡教室12月15日(木) 午後7時  第19巻

 

四日市教室 11月25日(金)  


 第31巻第15章から。

 日暮シ山のウラル教本山は、国依別のために教主ブール以下が改心し一件落着。囚われの身から解放された

エスは教主となり、娘エリナが奉仕、国依別を慕ってヒルの都から付いてきた紅井姫はブールの妻となってこ

こに留まることとなったというのが前回のお話。

国依別はキジ(安彦)、マチ(宗介、さらに宗彦と改名)をともないハルの国(ブラジル)へ向かいますが

、紅井姫とエリナを妻にと狙う秋山別・モリスが事情を知らず追いついてきます。国依別は生来の茶目式を発

揮し、女性の声色を使って二人を翻弄したり、天狗の真似をしてからかったりします。が、そこには何とかし

て二人を改心させたいという深い愛を感じるものでもあります。王仁三郎先生は「国依別は王仁の事である」

と語っていますが、国依別の剛胆にして悪戯好き、情が深く可愛い気のあるところなど、人間・出口王仁三郎

の魅力をそのままキャラクター化したような印象を受けますね。

結局、秋山別とモリスは白狐の旭明神・月日明神が化身した紅井姫・エリナに連れられ、灼熱の太陽の下を

蜂・虻・ブトにかまれ大ムカデ・大トカゲの群れに悩まされるなど散々な旅を続けた果てに、女性二人に袖に

され、激流に投げ込まれて中有界に踏み迷うことになります。嗚呼、今後二人の改心はあるのでしょうか。心

許なき次第なり。

次回は天皇誕生日の12月23日(金)、第31巻も大詰め19章からです。

                                                         (長谷川記)