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教室レポート(145)        2016











高岡教室 9月15日(木)  


富山、金沢共通

今月は、神様はこの宇宙を五六億七千万年をかけて、理想世界であるミロクの世を完成させるべく御決心をな

さいました。真神天之御中主神は宇宙初発の時からミロクの世完成のため様々にその時期に応じてお姿を変え

て顕れてこられました。そして、ついに出口王仁三郎聖師として現界に顕現され、その最終手順をお示めしに

なられたのが霊界物語で、ここに素盞嗚尊は天祖にそれを奉られたのです。

 ここでは聖師が御口述になられた霊界物語を基本に宇宙の始まりから完成までを示し、宇宙の姿とその創成

過程に、そこに活動される神々様がどの様に関わったのかを今月と来月との二ヶ月で御話したいとお思います。

今月は宇宙の始まりから40億年までを、来月は天地剖判からミロクの世の完成までを御話したいと思います。

  霊界物語には 第1巻第20章「日地月の発生」、21章「大地の修理固成」。第三巻第50章「安息日」(出口王

仁三郎著作集 第1巻  P356)と 霊界物語第六巻第1章「宇宙太元」(出口王仁三郎著作集 第1巻  P360)

に詳しくその状況を示されており。更に天祥地瑞第73巻第1章には宇宙の始まりが詳しく書かれています。

そしてまた、聖師様がお作りになった「おおもとのりと」の感謝祈願祝詞(みやびのことば)の初めは 『至

大天球の司宰〔主宰〕にましまして。一霊四魂、八力、三元、世、出、燃、地成、弥、凝、足、諸、血、夜出

の大元霊大天主太神〔天之御中主大神、霊系祖神高皇産霊大神。体系祖神神皇産霊大神〕の大稜威をもつて、

無限絶対無始無終に天地万有を創造たまひ。・・・・』 〔 〕内は霊界物語第60巻に載っているもの

 「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、よろづ」と天の数歌が出ており

、それぞれに漢字が振り当てられています。これは宇宙創造の初めから現在を経て未来への宇宙の様を表わす

ものでしょう。

旧約聖書には六日で宇宙は完成し、神は七日目に休まれた(安息日)となっていいます。物語もまた宇宙はほ

ぼ十億年を単位(一日)として大きく進歩し56億年(ムユカ)をかけてほぼ完成を見たとあります。最後の七

日(安息日。七千万年)はミロクの世完成への最終段階と示され今がその時期です。

最初の一日目(ヒツカ)は10億年を費やして霊の素、霊素が生まれたと書かれています。【一霊四魂】

二日目(フツカ)には同じく10億年を費やして体素が生まれます。神は相反する働きで有るこの霊体二元によ

って力(宇宙の活動力)を生みます。【八力】

三日目(ミツカ)の10億年は霊力体の三元がほぼ完成します。【三元】

四日目(ヨツカ)の10億年は液体と固形体が出現し、泥海世界に神々様がお住まれになっておられます。この

四日間で物質の元が完成します【世】

この四日間の話しは幽の幽の世界での話しで、我々が知る現界は二日目から始まり(ビッグバーンか)様々な

物質が生まれて行くと想像されます。

天祥地瑞には進化する宇宙の姿を人体化して神と申し上げ、宇宙の始まりであるス(¤)声の状態を天峯火夫神

と申しあげます。次ぎに「ウ」声の姿を宇迦須美神と申し上げ、アとウの活動力を元としてタカアマハラの言

霊が生まれ、ついに七十五声によって宇宙の森羅万象が生まれます。


高岡教室 

霊界物語第19巻第5章「零敗の苦」を拝読。

 炎天下の中、高姫を乗せた飛行船はフサの国、北山村のウラナイ教の本山に到着します。

降りてきた高姫に対しイモリ別や魔我彦達は成功の顛末を聞こうとしますが、高姫は頭が痛いと言って何も言

わず、同行した鶴公、亀公には箝口令を敷き奥に引っ込んでしまいます。


高姫の許可が出たので、祭典を行い直会に出された酒に酔って鶴公はそろそろ管を巻きはじめます。

自称鶴公の副守護神ズル公は黒姫の失敗によって、肝心の玉照姫をまんまと三五教に取られたことをすっぱ抜

きます。

そうこうしている内に黒姫一行が飛行船に乗ってやって来ます。

亀公は鶴公のスッパ抜きに弁解して、成功した時は有頂天になつて気を許し、かえってその後は失敗をするも

のであり、失敗したからといって気投げせず、心を引き締めて行けば必ず良いことが訪れると言っている。一

日は日の出と日の入りが必ず訪れるように人生も日の出と日の入りの繰り返しで、人生とはそうしたものと覚

悟し、日中をどう過ごすかが大切である。先に見えない人間は結果を恐れず進み、ただ出た結果を受け入れ神

にすがって生きていけばよいのであろう。

この章で面白いのは鶴公が「アヽ仕方がない。さすがは高姫様だ。チッとも攻撃の出来ない様に、いつの間に

か鉄条網を張って了った」という所です。

高姫は「帰依心、帰依道、帰依師でなかれば信仰の鍵は握れませぬぞエ」といっている。この帰依心、帰依道、

帰依師は仏教の仏法僧《仏:悟りを開いた人。法:教。僧:悟りを目指して修行を行う出家者の集団》に近い

もので、物語 第12巻第12章「化身」に夏山彦は「初めは三五の教に帰依し次に神様に帰依し、遂には宣伝使に

帰依する様になり、」と言っている。

ここで一番の違いは、仏は仏教では悟りを開いた人(釈迦)で、三五教では神との違いである。

                                                     以上阿良田記

金沢教室 9月19日(月)  


霊界物語第16巻「跋」と霊の礎(一)と(二)幼児嬰児の死後 を拝読。

二)の幼児嬰児の死後には嬰児や幼児が不幸にして現世を去った後の状況を詳細に述べられている。

嬰児や幼児が現界《我々が住む世界》を去って霊界に入っても依然として元の嬰児であるという。知識が無く

無智であっても清浄無垢で、かわいさの点で生前となんら変わらない。そして彼等は神界の天人となる資格と

能力を自然に持っている。 そして救世神の教え導きがあるので、神界に行ってもねんごろに薫陶を受ける。

嬰児や幼児は短い生存中だったので悪業の根を下さず神霊世界に入ったので清浄無垢です。従って信の真と愛

の善を素直に受け入れる事が出来る。

嬰児は順序に従って教育され善と美に対する情動が次第に変化し、真実の智慧を培い知識をえる。その後、知

識と証覚が共に円満の境地に進むに従って、遂に天界へ導かれ天人である神の子となるのである。

現界の子供は現界の規則に縛られるので自分自身の訓練と実習によって動作や言語を習得する。しかし、霊界

では霊界の規則によっで心に思ったこと(情動)がすぐ言語や動作として実行できるのである(内分)

 物の道理をわきまえた人は、一人として根の国や底の国へ行く為にこの世に生れて来たのではなく神霊界の

経綸に奉仕するために生れて来たのである。それが地獄へ落ちて行くのは自らが現世で犯した罪によって身を

苦しめるのである。一方、嬰児や幼児は世の中に罪過を犯した事がなく清浄の身魂だから必ず天国に生まれ変

われるのである。だから神子となるのである。

                                                     以上阿良田記


次回  金沢教室 10月18日(火) 午後1時30分より 第17巻

    富山教室 10月20日(木) 午後7時より    第19巻