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教室レポート(142)        2016











大阪教室 6月9日(木)  
 

 第25巻3章「鶍の恋」から。

 鶍(いすか)は上下のクチバシが互い違いになっている鳥で、それになぞらえたお話。実は相思相愛の宇豆

姫と鶴公が、互いの誤解のためそれと気づかず、鶴公は首を吊って自殺未遂、宇豆姫も鶴公に袖にされたと思

い沈んでいました。スマートボールは宇豆姫から本心を聞き出し、ふたりの恋を成就させようと誓いますが、

女王・黄竜姫は両者の心を知らず、左守の清公と結婚するよう宇豆姫に求めます。

 鶴公と宇豆姫の仲を女王に讒言する心汚き清公でしたが、慢心した清公を黄竜姫が解任、鶴公を左守に任じ

宇豆姫との結婚を命じます。謙譲の徳高き鶴公はこれを固辞すると、居たたまれなくなった宇豆姫はその場を

駆け出し、谷底へ身投げしてしまいます。

 命の危険を顧みず宇豆姫を救助したのは、鶴公でも清公でもなく、スマートボールでした。結局清公は役職

を解任され、諸臣の信望を集めたスマートボールが左守に就き宇豆姫を娶る、という大どんでん返しの結末に!

 清公は改心しチャンキー、モンキーを連れて宣伝の旅に出ます。かつて(第7巻)田依彦、時彦、芳彦が日の

出神によって改心したクシの滝のあたりで、里人を苦しませていた大蛇を言向け和し、里人に三五教の教理を

説いて改心を促しました。(7章まで)


 今回もドラマティックなストーリーでしたが、次回もあっと驚く光景の連続です。普通なら悪役・失敗者と

して物語から退場するようなキャラクターの清公ですが、霊界物語はこういう人物にこそスポットを当てます。

清公の今後の動向に注目です。

次回は7月14日(木)、第25巻8章「奇(くしび)の岩窟」からです。


                                                          (長谷川記)



高岡教室 6月16日(木)  

金沢、富山共通


愛善世界誌6月号掲載の霊界物語 第26巻 第16章 『三五玉』を拝読。

三五玉の三は瑞の御霊、五は厳の御霊を顕し、霊界物語に出てくるこれら宝珠の由来と働きが謳われている。

6月号では前半の如意宝珠と黄金の玉、紫の玉の三個の玉だけが掲載されている。

1、天津神によって現幽神の三界を永遠に極まりなく治める神宝がこの如意宝珠の玉であり、経済学の根本は

金銀を本位としない《農本位の物々交換》政策を実行するのが、黄金の玉に象徴される神様の変わらぬ仕組《

機構、制度》である。また、紫の玉は天下の万民すべてを神の威光によろこんで従わせ、神と人とを和合させ

るその基本を永遠に守る宝です。

2、この三つの宝は天津神や国津神の政治をこの地球の五大州に神の助けを受け実施され、万民が安らかに暮

らす政治を行うための神業に最も必要な宝である。《霊界物語、出口聖師》

3、深遠で奥深く知りがたい神界の不滅の御経綸は、髙熊山に隠された黄金の鶏の鳴き声や、波間に浮かぶ神

島の松の根元に隠し置かれた金剛不壊の如意宝珠の玉や天と地、火と水(霊と体)を結ぶ紫の玉が、いよいよ

此の世に現れ光を放つ、神の世はもうそんなに遠くはないであろう。

参考:第一巻第一章「霊山修行」に、 この高熊山には古来一つの謎が遺つてをる。

『朝日照る、夕日輝く、高倉の、三ツ葉躑躅の其の下に、黄金の鶏小判千両埋けおいた』

 昔から時々名も知れぬ鳥が鳴いて、里人に告げたといふことである。

4、此の世をお造りになった神様の絶対的お仕組は、竜宮城の乙姫様が御手ずから与えた浦島太郎の玉手函よ

り、三つの宝は優っている。一日も早く此の世に現れて、艮の金神と坤の金神の二神の息(水火)を合わせ治

められる世が、鶴の首や亀の齢のようにミロクの世が待ち遠しい  憧れ首を長くして静かに待ち望む事は何と

楽しいことか。


この三個の玉は出口聖師であり、また霊界物語を象徴している。35万年前に得た三個の玉は時期尚早として高

砂沖の神島(如意宝珠と紫の玉)と髙熊山(黄金の玉)に秘めおかれた。いよいよその玉の活動すべき時機が

到来し、ミロクの大神様である出口聖師が此の世に再臨され、国祖国常立尊を助け、霊界物語を著すことで苦

集滅道を説き道法礼節を開示し、皇道経済を示して神と人とが和合してミロクの世を実現する。

もうその時期が目の前に来ているので鶴のように首を長くして待つ身の何と楽しいことか。


高岡教室 

今回より第19巻に入る。第一章「髙熊山」を拝読。

この章は上田喜三郎(出口聖師)青年が天教山(富士山)の神霊木花姫の天使松岡神使にともなわれ髙熊山に

修行する発端の場面である。

迎えに来た松岡神使は洋服姿とは面白い。しかしたちまち白髪異様の神人となり青年をともない高天原の移写

と言われる髙熊山の岩窟にともない行く。そして現世の粗き衣(きぬ)を脱ぎ、瑞の御霊の真人として、五六

七の神業に奉仕される。 

身変定は第6巻28章「身変定」に 『ミカエル』とは天地人、現幽神の三大界即ち三(み)を立替る神人の意味

なり。詳しく云へば、現幽神三つの世界を根本的に立替る神人、といふ意味なり。

 また男体にして女霊の活用を為し、女体にして男霊の活用を為す神人を称して『身変定』といふ。

とあります。

 身はたちまち弥仙山の頂上に立っていた。そこに白馬に跨がった神使(小幡神社の産土神)が現れ35万年前

に木花姫と約束した時機が来て、自分の氏子として生まれ来たので、顕幽神の三界の探検を命じられます。

本文は「35年前の昔より」とあるが、この時聖師は29歳であり35万年前の神世よりの約束事と思われるが。

 岩窟の前にいたと思った青年は「瑞月」と呼ばれ、天国浄土と思われる場所にいる。坤の金神は一度に開く

梅花の時を得て西王母と現れ、いよいよ聖師の体を借りて顕れることとなった。

                                         阿良田記


金沢教室 6月20日(月)  


第16巻第19章「文殊如来」を拝読。

長い章である。そして聖師の知識の豊かさ、故事ことわざが豊富にでてくる。まず巻末の「注」を先に見てか

ら読んだらどうだろうか

P227 「浮中沈」は青年時代に勉強された聖師の東西医学の勉強の結果で私のような言葉だけの知識ではない

と思う。「問ふは当座の恥・・・・」「燕雀何ンぞ大鵬の志を・・・・」

「お三体の大神様と艮の金神様の御用を聴きさへすれば宜いのだらう。」と黒姫は言いますが、お三体の大神

様とはそもそも何方のことでしょうか。大本神諭には 「日の大神、月の大神、天照皇大神御三体の大神は、

地へ降りまして今度の御手伝を遊ばすなり、艮の金神国常立尊は天地を駆廻りて世界一切を構ふなり、坤の金

神は弥々奥役となりて地の神界を主護いたして三千世界を一厘の経綸で立直す役となりたから、【大7/10/29】

 とあります。お三体の大神様はミロクの大神様即ち素盞嗚尊となるのだが。黒姫は知らなかったようだ。

P232「布留那の弁」は釈迦の十大弟子の一人「富楼那」で、十大弟子中では最古参。大勢いた弟子達の中でも、

弁舌にすぐれていたとされる人か。「懸河の弁」も悦子姫が言うように水を上から流すように、とどこおりなく

弁舌を振るうこと

P234 大正8年に言霊隊が結成され各方面へ派遣された。その練習を四尾山でも行ったようである。 P234で黒

姫が「一二三四五六七八心地よろづウ……ソラ何を言ふのぢや」と言霊の練習を皮肉っている。桶伏山は本宮山

で綾部小学校は直ぐ下にあった。ここに書かれていることを、当時の綾部の人達がしていた噂を黒姫に言わせて

いるのだろうか。

P241 「生者必滅会者定離、栄枯盛衰、有為転変の世の中無常迅速の感愈深しだ。」この言葉は法華経と密接な

関係があり大乗の思想発展や経典成立の過程を見る上で注目に値する。

平家物語の冒頭の言葉で、元は「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)とのこと。

P241 鬼虎は「あの時の事を思へば、長者と乞食程の懸隔がある。三五教の宣伝使の卵になつて悦子姫さまのお

供と迄、成り下つたのか、成上がつたのか知らぬが、モ一度、あの時の四天王振が発揮したい様な気もせぬ事は

ない。アーア誠の道は結構なものの、辛いものだ。」

自由気ままに飛ぶ鳥を落とす勢いでいたときは愉快でしょうがない時であっただろう。しかし、神様の教えを聞

いて誠の道を知って悦子姫の弟子となってからは身を慎む生活となり、それまでとは大変に窮屈な生活である。

この窮屈が人にとっては大切というとまた黒姫に揶揄されそうだが。

P242 「桶屋様じゃないが輪変吾善と思っている奴ばっかり」の「わがえ」は、桶は箍(たが)を変えることか

ら、輪を変える(わがへ)。吾善は自分だけがよければ良いので、他人はどうなろうと一切気にしないと言う「

わがへ」で、ウラナイ教の信者は精神上のめくらやつんぼばかりである。

P243 加米彦が辿った、印度から由良の湊までのルートのなかでの「天の真名井」は日本海を指す。

P251 「故郷の穴太の少し上小口 ただぼうぼうと生えし叢」ちょっとHに響く歌である。


教室レポート2014年2月の「114」も参照されたい。

                                    報告 阿良田

予定

7月 

金沢 7月18日(月)午後1時30分 16巻

高岡 7月21日(木) 午後7時より 19巻

8月

金沢、高岡合同

8月3日 午後6時 19巻


四日市教室 6月17日(金)  


 第30巻も残りわずか。第20章「雉と町」から読み進めました。


 御倉魚の一件から当地のウラル教信者の多くが三五教に改宗したことを受けて、ウラル教ブール教主らは三五

教殲滅の策を練り出陣するも、国依別、キジ、マチにより撃退されてしまったのが前章までのお話。キジとマチ

は意気揚々をして歌を歌いながら、勢いよくヒルの都を指して進み行く時しも、アラシカ峠を下る途中で常世神

王を祀る祠に妙齢の女・エリナが祈願しているところに遭遇します。エリナの父はウラル教宣伝使であったのが

三五教宣伝使と意気投合したことを咎められ、日暮シ山の水牢に入れられたとのこと。国依別はキジ、マチに救

出を命じ、自身はエリナの母の病気を治しに向かいます。

 キジとマチが旅の疲れで眠ってしまうと、大ムカデが現われました。キジが唾を吐きかけると大ムカデは虫の

息に。かわいそうに思って真水につけるとたちまち蘇生し、キジとマチに突進し、二人を追い回します。これは

言依別命が球の玉の霊力をもって二人の出陣を励ますべく顕現させたものでした。

 ウラル教本拠の日暮シ山ではアナンとユーズが教主ブールに敗戦をつくろい、結果酒宴を催すことに。そこに

キジとマチが現われ彼らを追い詰める。しかし慢心からか落し穴に落とされ窮地に陥りました。


 今回は出口孝樹氏が所用のため長谷川が出向しました。この日綾部では梅取りが行われましたので、申年の梅

の話を、そして本編に関連して「ムカデに唾は有効か?」について、その元ネタとなった俵藤太の故事について

など、楽しくお話ししました。

(長谷川記)