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教室レポート(140)        2016











大阪教室 4月14日(木)  

 今回で24巻が終わり、13巻からの「如意宝珠」篇を読了しました。

 オーストラリアに着いた一行、蜈蚣姫は娘の黄竜姫と無事再会を果たしましたが、高姫は目当ての玉がない

ことが分かり、黒姫、高山彦とともに日本へ帰っていきました。初稚姫らは島をくまなく宣伝すべく西へ。ネ

ルソン山で散り散りになるも、ジャンナの里、アンナヒエールの里を教化する過程で玉治別、初稚姫、玉能姫

が合流、諏訪の湖にいたります。


■15章「諏訪湖」

玉治別、初稚姫、玉能姫の一行、大蛇から久助とお民を救出。竜神の祠に祈願を込め、これまでのことを歌

うと、湖沼が十字に割れて湖底に金殿玉楼が見えた。そこから女神を従えた玉依姫命が現れ、ネルソン山以西

の宣伝の後に竜宮の神宝を授けると宣示される。


■16章「慈愛の涙」

15人の暴漢が現れ一行を打擲するも、宣伝使らは感謝し手を合わす。すると暴漢も感涙にむせぶ。そして暴

漢は忽然と姿を消した。これは天教山の木花咲耶姫の化身であった。

女宣伝使らは老人の膿を吸い病気を治す。

初稚姫の御魂は三十万年の後に大本開祖と顕現される神誓である。


■霊の礎(10)・霊の礎(11)


■大本神諭 大正五年旧十一月八日 「大本の神の教えの通りの……」

 15章、16章ともに示唆に富む内容で、いろんな意見・感想が飛び出して時間が足りないほどでした。また、

宣伝歌の弾き語りも新・手作りギターと新曲で大いに盛り上がりました。

 5月は12日(木)19~21時過ぎまで。いつもと同じ十三の大阪研修センターですが、お部屋が変わりまして

「研修室A」となります。エレベーター前の案内板でご確認下さい。


次回より第25巻、「海洋万里」篇に入ります。とはいってもストーリー自体は今回の続きです。

                   
                                                        (長谷川記)



高岡教室 4月21日(木)  

金沢。富山共通

愛善世界4月号掲載の霊界物語第50巻第2章「照魔燈」を拝読。

1、高天原の最奥霊国や天国の天人は愛の善徳を備え、信の真善を成し遂げ、智慧証覚に充ちて居るから、中

間や下層の天人のように信とは何かを説明したり、疑問に思うことはない。それは最高天人は大神の神格に充

たされており、愛善や信真そのものが天人の本体であるからである。これは本当に善か、悪かと言って真理を

争うのは中間や下層の内分の度合の低い天人である。また天界では視覚よりも、鳴り響く五大父音(アオウエ

イ)の響きいかんによる聴覚によって覚るのである。

『生れ赤子の心にならねば、神の真は分りは致さぬぞよ……』とお示しあるように、赤子の心は清浄無垢で水

晶のようであり、たとへ智慧証覚は劣っていても、その清浄と無垢は最奥天界と一致している。また、社会の

束縛をのがれ物欲を捨て、罪悪から離れて天命を楽しむ老人は証覚があって無垢な人である。

《神の本体は愛善と信真で最奥天国や霊国の天人は神の神格に充たされているので、内分が開け、何にも執着

しない生まれ赤子のように、一切を神に委ねた清浄無垢な人達である。そして死を迎える老人は本来こうした

心境に入らなければいけないのである》

2、 開祖は夫を見送って世間的役目を終えて、精霊は清浄無垢の身魂に復活し、天国の籍に入り無垢の生涯

(神にお仕えする生活)に入られた。そこに予言者としての精霊(稚姫君命)が降られ天国の福音を地上に宣

伝されたのです。そして開祖様は生前からすでに天国天人で、世間的役目を終えられたので、霊的に天国に復

活されたのです。この復活を霊的人格の再生というのである。


大神は人間の成長に共ない善と悪とを流入なさるのである。まず人間を導いて善と真との知識を与え、これよ

り進んで不動不滅の智慧を得へ、最後にその智慧より仏者のいわゆる阿羅耶識(八識)即ち証覚に進ませられ

るのである。之を仏教では、阿耨多羅三藐三菩提心《最高の理想的な悟りのこと》(無上証覚)といふのである。

ところが現代の不良老人というのは、表面は楽隠居のように、世捨人のよう、或は聖人君子の様に見せて、実

は優勝劣敗、弱肉強食こそが社会の真理と考えて、政界や実業界を影から牛耳っている。こういう人物こそ霊

界から見ると憐れむべき盲者《亡者》である。

《開祖(稚姫君命)は生まれながらの天国天人です。晩年になって夫を見送られたので、霊的人格に再生し神

にお仕えする生活に入られたのです。

老人は本来無垢でなければならないのに、現代の老人は自分が今こうしているのは凡て自分の力で何事も成し

えたと勘違いし、神の恩寵を忘れ帰依する心が皆無なのです》

3、 現代のこうした権力者より、無知で一日の労働に励み、権力に押さえつけられながら、その日を送る不

遇な人間が霊界に入ると、神の恵に浴しその霊魂は智慧相応の光を放って、善と真との徳に包まれて、生前と

はその位置が逆転している者が沢山いる。

 霊的観察よりすれば、権力や富、知識を持った有名人よりも、現界において貧しく力の弱い世間から踏み躙

られたるような人間のほうが、却って愛善の徳にいて信真の光に輝く天国の団体に籍を置き、満ち足りた生

涯を送るものである。

《現界に於ける成功者より下層社会で努力し、神を信ずる者にこそ死後平安が訪れるので、神を忘れた人には

生前も死後も安らぎはないのである》


4、 霊界物語の主人公の一人である初稚姫は天の命令によって地上に降り、貧しい暮らしをして知らず知ら

ずのうちに世間的努めを果たし、大本開祖となられた。溢れるほどの慈しみと徹底的信の智を発揮して、暗黒

な地獄界の闇を照す神業に奉仕された。そして任務を終え死後のことを瑞霊に充されたる予言者《出口聖師》

に托され、昇天して天界へ目出度く復活されたのである。

そして開祖の容貌で少女のように玉のように透き通った美しさで、そのお声は優雅で美しくまた少女のようで

あった。開祖と接する者は何時とはなしにその円満な霊衣(オーラ)に包まれ、霊光に照され、善人はこれを

深く信じて尊敬し、悪人はこれを嫌って恐怖したのである。

 開祖の前身である初稚姫もまた神代における神格者で、大予言者でした。その容貌及び全身より金色の光を

放射し、悪魔は容易に近づけなかったのです。しかし初稚姫はその霊徳と霊光を深く隠しておられ、和光同塵

の態度をとって万民を教化し天国に救うため、ワザとその神の姿を隠して、霊的及び自然的(肉体的)な活動

を続けられたのである。

《稚姫君命→初稚姫→出口直開祖である。稚姫君命が天則違反を起こし、根底の国に赴かれ、後世初稚姫と生

まれ、また様々な人として生まれ変わり死に変わりして艱難辛苦をなめ、ついに大本開祖として、明治25年

御復権になった国祖国常立尊の御樋代として生まれてこられたのです。したがってその容姿は天人そのものな

のです 》

5、入蒙記によれば開祖は国照姫(国直姫)と示されている。開祖が本当のお姿を見せられたら、恐れ多くて

目を開けていられない。相応の理によって普段は向き合う相手と余り懸け離れない様に現れられるのである。

従って相手の徳と智慧によって、神又は開祖の感じ方に非常に差があるのはしかたないのである。

6、大本神諭には聖師のことを大化物と書かれている。大化物と言うと大悪人の代名詞の様に取るが、神諭の

大化物は吾々では想像の出来ない偉大な神人という意味です。魂の曇った(地獄の)者から見れば化物とも怪

物とも見えるのです。そしてこういう愚か者を天国に導くのは至難の業である。

7、 開祖の三女である福島久子は霊界物語では高姫に相当する。肉体的兇霊に憑依された久子の言動は物語

の高姫に類似している。義理天上日出神や大広木正宗の兇霊の神名がそのまま出てくる。彼等は何とかして神

に逆らって大本を潰そうと躍起になっているのである。前章「至善至悪」にあるように、その行動は支離滅裂

である。身魂の因縁性来と言うものは如何ともしようがないのであろうか、兇霊に憑依されるのも身魂にそれ

だけの因縁が有り同気合い求むで寄り集まってくるのであろう。常識ある人間からは狂態に見える行動も、因

縁で結ばれた人達には正当な行為と写るのである。たで食う虫も好き好きと言うが霊的観点から見れば納得行

くのである。

しかし、こうした人々も神様は何とか救おうと手をさしのべられたのである。物語の中ではウラナイ教の信者

も高姫を除いて皆救われる。


 高岡教室 

 

第18巻第17章「返り討」、第18章「玉照姫」を拝読。

第17章では、常彦、滝公、板公が何とかして青彦や紫姫を救おうとして、魔窟ヶ原に乗り込みます。酒宴を

開いている奥へ強引に行きます。そこで、青彦や紫姫に三五教に戻るよう説得しますが両人は三五教は虫が好

かないと言って応じません。ついに青彦は棍棒を振るって常彦に打ち付けます。常彦達はしかたなく魔窟ヶ原

を逃げ出します。この青彦の行動を見て高姫、黒姫は青彦達を全面的に信用し、玉照姫を迎えに行く全権を委

任します。そこへお節、お民が帰ってきて、綾彦をともない青彦、紫姫主従一行は於与岐の豊彦のもとに向か

います。

第18章では。魔窟ヶ原を逃げ出した常彦達は世継王山の麓の庵を尋ねて行きます。事情を聞いた夏彦は「何

事も皆神様のなさる事ぢゃ。ヤア常彦さま、決して決してご心配は要りませぬ。今に紫姫、青彦も、意気揚々

として此家へ帰って来ますよ」と暗示します。次の日、五十子姫、悦子姫、音彦三人が帰って来たので夏彦達

は慌てて掃除をします。掃除が終わって一服しているところに馬、鹿が来て、玉照姫様を奉迎し紫姫一行が帰

ってくる事を告げます。青彦が歌う宣伝歌の中に玉照姫は「木花姫の分霊  咲耶の姫の再来と  仰ぐ玉照

姫の神  ・・・・・」とあります。

この二つの章は神様のお経綸がよく現れている。常彦が魔窟ヶ原に行く事で青彦達を高姫に信用させ、易々と

玉照姫を迎える事が出来たのであろう。


四日市教室 4月22日(金)  

 今回は第30巻の中盤。神素盞嗚大神の八人乙女の末っ子・末子姫と従者・捨子姫が、ウヅ(アルゼンチン)

の都に向かう途中、バラモン教から帰順した石熊とともに巽の池の大蛇を改心させるお話の続きからでした。


■11章「言霊の妙」

石熊の曇った言霊は効果なく、捨子姫の清らかな言霊は絶大な効用を顕した。一声よく天地を震動し、一音

よく風雨雷霆(らいてい)を叱咤する言霊の権力も、使用する人の正邪により非常な違いが出るものである。

混濁する身魂では容易に使用できない。大蛇は感謝の涙を流し、解脱して麗しい女神の姿と変じ、あまたの天

人に守られ天に昇った。


■12章「マラソン競争」

末子姫らはこの地で二度と竜神が人々を苦しめないよう鎮魂を施し、ウヅの都へ向かう。カールはいつの間

にか左右の足の長さが揃っていたが、気づいていない。一方、石熊の足が立たなくなる。カールは滑稽な歌で

石熊の足の平癒を祈願するが、最後には石熊をからかって逃げ出す。怒った石熊が追うと知らぬ間に足が治っ

ていた。

これぞ大カールが神から教えられた神策であった。



■13章「都入」

珍の都の三五教教主・松若彦が末子姫を出迎える。かつて正鹿山津見(まさかやまづみ)神は素尊の姫の来

臨統治を予言しており、松若彦は父・国彦からそれを聞いていた。末子姫も国司になることを神素盞嗚大神か

ら聞いていた。末子姫は輿に乗ることを拒んでいたが、松若彦の理を尽した説得を受け入れ、輿に乗り入城。

国人歓喜の声。


さらに第4篇「修理固成」に入りました。ここから第31巻にかけて、国依別を中心にストーリーが進んで行きま

す。


■14章「霊とパン」

言依別命と国依別はテルの港に上陸し北上、御倉山へ。飢饉に襲われても神罰を怖れて御倉魚を食べない国

人ら。不殺生を説くウラル教宣伝使ブールと、危急存亡の場合に神罰を与えられるはずがないという言依別命

の論戦。国依別が実地に食すが祟りは現れず、人々も安心して食す。ブールらコソコソと姿を消す。言依別命

はウヅへ、国依別はこの地にしばらく留まる。


 バラモン教なら理解できますが、「飲めよ騒げよ」のウラル教が不殺生主義を説いていることに、参加者か

らいろいろな意見が出て面白かったです。



この章は珍しく一話完結で、教訓と笑いと感動が詰まった、とてもいいところです。昔から「神劇」や「役

割拝読」によく使われてきました。「御倉魚」はあることの象徴であると言われていますが……、そういう話

は是非教室に参加して語り合いましょう!

 次回は5月27日(金)、じばさん三重にて。第30巻第15章より。

                                                          (長谷川記



金沢教室 4月25日(月)  

第16巻第16章「神定の地」を拝読。

悦子姫に天照皇大神が神懸かりされ宮殿の造営を銘じたまう。三人は谷川に下り禊ぎして天津祝詞を奏上し忌

鋤、忌斧を作り宮殿の道営に心身を傾注し、百日百夜を経て全く工を終えた。ここに天照大御神の神霊を招ぎ

祭り、鎮座式に奉仕した。

大本開祖は明治三十四年三月八日に産盥産釜の水を竜宮館の金明水に注がれ、ついで明治三十四年六月八日に

沓島の山上より大海原に注がれる、元伊勢水の御用をなされた。

                                          以上阿良田記

次回

金沢教室 5月16日 (月) 午後1時30分より  第16巻

高岡教室 5月19日(木) 午後7時より     第18巻