教室レポート(132) 2015
愛善世界5月号掲載の霊界物語第36巻第12章「無住居士」を拝読。
内容は7月の富山・高岡教室を参照されたい。
第15巻第21章「帰顕」、第22章「和と戦」、第23章「八日の月」を拝読。
21章「帰顕」には神素盞嗚大神の御神格が述べられている。また、素盞嗚大神が高天原を神退ひに神退はれ給
ひし日は、南天王が顕恩郷を造られたときから38万年も後のことであるらしい。又30世紀の未来も語られてい
る。
「地上の世界は炎熱甚しく相成りたれば、今は罪軽き神人は残らず、日の御国に移住をすることになつてゐま
す」と有ります。ここに地球温暖化が予言されて居るのでしょう。
この部分の解釈は、火力文明の発達(火具土之神)により地球温暖化が始まり、ついには炎熱甚しくなります
。しかし、地軸の変動により日の国(日本)は温順になり大本の教えを守る人々は日本に移住するのでしょう
か。それは、大本神諭【明治三十六年旧六月四日】に 『出口直の日々の願が耳へ這入《はい》る守護神なら
、此の大本から構ふてやれば、万古末代の結構な事であるなり、根の国底の国に落されたら、モウ是からは日
本の土地を踏して貰ふ事は出来ん事に成から、気を注《つ》けたので在るぞよ。』とあり、また、霊界物語
【第8巻第43章 言霊解五】には「『中に置き事戸《ことど》を渡す』と云ふ事は、」として「善一筋の政治や
神軍の兵法は、体主霊従国の軍法とは根本的に相違して居るから、一切を茲に立別て、霊主体従国は霊主体従
国の世の持方、体主霊従は体主霊従の世の治め方と、区別を付けられた事であります。要するに神国の土地へ
は、黄泉軍の不良分子は立入るべからずとの御神勅であります。」とあります。
この解釈、少し飛躍しているでしょうか?
最後に「跋文」を拝読し第15巻を完了しました。来月より第16巻に入ります。
以上阿良田記
次回
金沢教室 9月7日(月) 午後1時30分より 第16巻
お盆ということで参加者は少なめでしたが、その分濃い内容の勉強会となりました。
常楠ら親四人、子四人の愛情物語は前月で完結し、ここからはまた高姫を軸に物語が展開していきます。
第23巻
■第9章「高姫騒」
玉能姫は高姫の陰謀を知るやお忍びで熊野に来訪、夫・若彦に危急を知らせる。そこに高姫が到来し、夫婦
の密談を咎めるなど攻撃、玉の在処を白状させようとする。口論の中、常楠一行が熊野の大神へのお礼参りに
現れるが、皆の勢揃いは何かの陰謀があるからだ決めつける高姫との間に一騒動。常楠は高姫の襟首を掴んで
館の外へ放り出した。
■第10章「家宅侵入」
高姫は部下四人を引き連れて、今度は玉能姫の守る生田の森の杢助館へ到来、無理やり中へ入ろうとしてい
る。そこへ玉能姫が虻公と蜂公を連れて熊野から帰ってきた。両者口論となり、館を退散した高姫は玉能姫の
舟を発見。船頭から、玉能姫が月に一度一人でどこかへ出かけていることを聞き、家島に玉が隠されていると
目星を付ける。
高姫は舟を出すように船頭に働きかけるが、断られると船頭の目を盗んで舟を出してしまう。玉能姫は船頭
たちの報告を聞き、家島に行くと言い残して舟を出し高姫追跡に向かう。
玉は家島でなく、近くの神島(上島)に隠されていることは第22巻終盤で述べられているところです。これ
にちなんで出口孝樹講師から毎年9月8日に行われている神島遙拝祭のお話があり、また9月中旬の皆神山祭典の
話、今月初めに行われた熊本の山鹿瑞霊苑の祭典等についても、面白くお聞きしました。
次回は9月10日(木)、第23巻第11章から読み進めます。お気軽にお立ち寄り下さい。
(長谷川記)
愛善世界誌8月号掲載の霊界物語第1巻第12章「顕幽一致」を拝読。
内容を要約すると、
一、
宇宙の全ては、顕幽一致、善悪一如であって、絶対の善もなければ、絶対の悪もない。また、絶対の極楽もな
ければ、絶対の苦難もないといって良い。歓楽の内に艱苦があり、艱苦の内に歓楽もあるので、地獄に墜ちて、
無限の苦悩を受けるのは、自己の身魂より産み出した憎しみや、妬み等の報いである。
迷いがあるからこそ悟りが生まれ。迷いの世界そのものが、理想の境地である。人間が現実に住んでいるこの
世界が本質的には極楽である。神の心も我々の心も本質は同じであると言うのが真理である。
二、
仏の慈悲も、神の道の恵み幸はいも、また、我々のような凡人の欲望というのも、その本質においては大きな
違いはない。我々が持つ性質そのままが神であり、神の持っておられる性質の全体が我々に備はっている。天国
や極楽と我々が住む社会とは本質において同じである。では、神と人、浄と穢、正と邪、善と悪がどこで分かれ
るのかと言えば「生まれつき持っている神と同じ性質を十分に発揮し、それを適当に活動するとしないとの程度
の差に対して付けられた、たんなる符号に過ぎない」とあります。
善悪というものは決して一定不変のものではなく、時と処と位置とによって変るのです。我々が普段、善と思
っていることも時処位によって悪となり、悪もまた善となることがあるのです。「道の大原」には。「善は広く
一般社会の公共のために行われ、悪は個人の利益のためにすること。心を正しくし道徳にかなった良い行いは善
であり、正しくないこと、何もしないことは悪である」とあります。
三、
小さな悲観は取るに足らないと同時に、それが起こる原因や因縁を考えないで勝手に事物を楽観視することも
いけない。大楽観と大悲観とは結局同じで、神は大楽観者であると同時に大悲観者です。凡人は小さな悲観者で
あり、また小さな楽観者です。我々の住む社会は皆小苦小楽の世界であり、霊界は大楽大苦の世界にある。理趣
経には「人間の欲深い心や愚かな心はそのままが悟りであり、肉体の欲望もそのまま悟りへの道である」とあっ
て、世間の種々のすがたがそのままに深遠な道理を表わしているのが究極の真理です。
物事を本能的に行うとき、自分と同程度に行って満足しているのが凡人であり、これを宇宙にまで拡大して実
行するのが神様です。
四、
神は宇宙間にある全ての物を救おうとする大欲望がお有りになる。我々には自分の身内だけを愛し、すこしも
他を顧みないで、自分だけの欲望を得ようと自分勝手な振る舞をする。
人の身魂は本来神です。従って宇宙大に活動出来る生まれながらの本能を備えています。それで生れつき持っ
ている本質である、智、愛、勇、親(四魂の働き)を錬磨し十分に発揮するのが人生の本分です。
これを善悪の標準論からみれば、自分の内にある善悪両面の働きを社会人類の救済のためにする、この大きな威
力と活動力がすなわち神です。己の意識や行動(自我)を宇宙にまで拡大することです。
迷いから抜け出せず、雑多な思想に染まっている愚か者そのままの心を捨てず、また苦しみやけがれ、汚れや
罪悪に満ち、不公平な現実社会から離れず、ことごとくこれを美化させ、楽化し、天国浄土を己の身のうちに実
現させるのが神に成れる道であり、また、最も肝心なところです。
第18巻第5章「赤鳥居」、第6章「真か偽か」を拝読。
5章「赤鳥居」は紫姫一行は大江山方面に向かって進みます。途中で女の悲鳴を聞き若彦、馬公、鹿公の三人の
男は声する方に向かいます。そこにはウラナイ教の黒姫の手下の滝公、板公二人が一人の女に猿ぐつわを?ませ木
の根元に隠しています。
そこで、鹿公は暗やみを幸い、俄に黒姫の声色を使って二人に女の所に案内させます。そして、お化けになって
二人を追い払います。助けられた女は若彦の女房お節でした。
少し気になる所が
紫姫『いえいえ、今迄の妾なれば極端なる階級制度の習慣で主人気取りになるでせうが、三五教に救はれてより
上下の隔壁を念頭よりすつかり散逸させて仕舞ひました。人間の作つた不合理的な階級制度を墨守するは、却て
大神様の御神慮に違反する事となりませう。元は一株の同じ神様の分霊ですからな』
鹿公『ハイ、有難う御座います。左様ならば今後は主従の障壁を撤去し、私交上に於ては平等的交際を指して頂
きませう。然し乍ら教理の上の事に就いては矢張師弟の関係を何処迄も維持して行き度う御座います、何卒之だ
けはお認め置きをお願ひ申します』 と言っています。
第6章「真か偽か」では、三男二女の一行は元伊勢のお宮につきます。紫姫は半日許りお宮の中で御神勅を承はら
ねばならないので、産釜、産盥の河原の谷水に御禊をし、神言を奏上して待つようにと云います。
下に降って行くと一人の女(黒姫)が二人の従者を従えて、産釜、産盥で水垢離を取り、皺枯れた声を絞ってウ
ラナイ教の宣伝歌を唱えています。三五教の信者と聞くと三五教をこき下ろしますがどうしたわけか、紫姫一行は
黒姫について魔窟ケ原の隠家さして進んで行きます。
以上阿良田
次回 9月17日(木)午後7時 第18巻
出口孝樹氏が所用により開始に遅れられる可能性があり、長谷川が進行させていただきました。
今回から読み進める第29巻は、神素盞嗚大神による救世神業の南米宣伝第一巻目になります。第22巻で黒姫が
保管を命じられていた黄金の玉(三つの玉の一つ)の紛失が発覚し、嫌疑をかけられた鷹依姫らも黒姫とともに
玉の探索を命じられました。竜宮の一つ島(オーストラリア)に行った黒姫に対し、鷹依姫と竜国別の親子、従
者のテーリスタン、カーリンスの四人は南米を捜索します。第29巻の序盤はこの時のお話しです。
その間に黒姫は高山彦とともにオーストアリア東部の宰相夫婦となっており(24巻)、高姫(保管していた他
の二箇の玉も紛失していた)は日本を探索した後、アンボイナからオーストラリアに到り、ここには玉がないと
合点して黒姫夫婦とともに日本に帰国。高姫らは改心いまだならぬため、五つの麻邇宝珠の御用から漏れ落ちて
しまいます。その後、前の三つの玉に加え、聖地におさまった麻邇宝珠のうち四つもまた言依別命の教主が持ち
出し姿を消すと、高姫は教主の後を追って南米へ赴きます。鷹依姫一行、高姫一行、そして言依別命と国依別を
軸に、33巻まで南米宣教の物語が展開していきます。
■端書/物語の参考として、大正11年当時の南米の状況が紹介されている。
■第1章「アリナの滝」/高姫から黄金の玉の捜索を命じられた鷹依姫、竜国別、テーリスタン、カーリンスの
一行は、南米の智利の国(チリ)の鏡の池に拠点を置き、月照彦命の神懸りと詐って南米中より黄金の玉を献
上させる。しかし多くはメッキや土塊であった。
■第2章「懸橋御殿」/秘露の国の酋長アールが献上した黄金の玉を入手した一行は、玉の箱に瑪瑙をおさめ、
月照彦の神霊を鎮斎し、酋長夫婦に国玉依別、玉竜姫と名を与えて姿を消す。国玉依別の信仰の誠と月照彦命
の霊力、狭依彦の守護で霊場は繁栄し、懸橋の御殿と称えられる。
■第3章「白楊樹」/宇都の国(アルゼンチン)の櫟が原で、黄金の玉を白楊樹に取り上げられた一行は、奪回
に苦慮する。
鷹依姫らが「おかげ」を餌に玉を集めるやり方は全く詐欺的行為に見えますが、本人らは経綸成就のために
大まじめであります。それに対し、騙されて玉を奪われたと知った国玉依別ですが、玉への執着は少しもなく、
信仰の誠を尽くしたことは非常に対照的です。
「鰯の頭も信心からとやら、黄金の玉は掏り替られ、似ても似つかぬ瑪瑙(めのう)の玉も神の神霊の力と、
信仰の誠によつて無限絶大なる光輝を放つに至りしを見れば、形体上の宝の、余り尊重すべき物にあらざるを
悟り得らるるなるべし。」(第2章「懸橋御殿」より)
第21巻「誠の宝」にも通じる教訓、国玉依別のようにありたいものですね。
(長谷川記)
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