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教室レポート(121)        2014









矢上教室 9月17日(水)  


  6月10日以来、3カ月ぶりの勉強会となった。出口孝樹さんを講師に夜8時半から午前零時までで、

参加者は9名。聖師様の自叙伝となる第37巻の第4回目で、第15章から第18章まで進んだ。

 

【皆神山祭典】

まず、出口孝樹さんから9月14日の皆神山祭典の報告があった。

また、聖師は昭和4年に皆神山に登られたが、霊身ではすでに明治31年に連れて来られていること、

霊界物語にある地教山が皆神山で、世界の山脈十字形をなせる山であること、御祭神は熊野出(いず)速

雄(はやお)の神様で綾部の熊野新宮神社と同じであることなど、月鏡「信濃国皆神山」の内容を説明さ

れた。

 

【石田小末】

物語には、幽祭修業で高等眷属の神霊が憑かることとなる石田小末との出会いが、聖師が墓場で驚かし

て石田が眼病になったことであるとか、偽の神懸かりを見て聖師が無神論者になったとか、聖師が狸の憑

依と見抜いたつもりが、実は松岡芙蓉仙人が狸に化けて聖師を欺していたなど、聖師の若き日の幽祭修業

の様子がユーモラスに描かれている。

また、「訳のわからぬ人間には、わからぬことを言うのがよく耳に入る」などは説得力があり、亡者が

とりついた時の不快な臭いが病人のそれと同じであったとか、人に憑依していた狸が改心した折に自由自

在に動く毛玉が飛んで出たなど不思議な話もある。

 

【霧の海】

 今回の拝読の内容が、聖師の回顧歌集「霧の海」にもあるが、例えば、石田を聖師が弟子として家に置

いたことを治郎松が攻撃する場面は、物語にはなく「霧の海」のみにしかない。

また、「霧の海」には、物語に記載のない「第2回目の高熊山修業」が載っている。

聖師について、「素盞嗚尊の三女神や国常立神、稚姫君命、木の花咲耶姫、七乙女、木の花姫、日の出

別神」との出会いや汝は「救世主や瑞の御霊、ウーピーの神、言霊別神、白梅の君」だと伝えられたこと、

「黄金山や富士の天教山、月照山、吉祥山、弥仙山、冠島、竜宮島、華頂山」へと連れ行かれたこと、さ

らに、皆神山での「伊都岐島姫や神素盞嗚大神、十六神将」との出会いなどが記されている。

【オリオン星座の姫神】

ことに、オリオン星座から現れた姫神に聖師が心奪われる様は、「すがたなやまし、胸はたかなる」と

いうように尋常ではない。ついに聖師は姫神に抱きつき、肘鉄まで食らってしまう。そして、聖師は「天

も地も宇宙一切金色の世界」の心地たるオリオン星座に運ばれ、自らを「エロの神」と宣る姫神から玉手

箱を授けられる。
               
         

                                          (藤井 盛) 


富山教室 9月18日(木)  


金沢、富山共通

霊界物語第19巻 霊の礎(五)(愛善世界誌 九月号掲載文より)を拝読

まとめ

(1)死後の高天原(天国)では思想、感情、意識等が同じ精霊が集まって生活している。要するに「同

気合い求む」で気のあったものが一つの団体を作っているのです。(生前の思考や感性がそのまま霊界で

も継続する)

 人間がなぜ生まれて来たのかという永遠のテーマに、これまでの賢哲は明快な答えを与えてくれなかっ

た。それは、今までの現界の有り様は霊界から離れ物質主義で、物質的要素を捏ねくり廻していただけで

、釈迦も、キリストやその他の宗教家、聖哲達は精霊界のことにはあまり触れていない。孔子などは全く

と言って良い。それはある意味時期が早すぎたとも言える。弥勒(聖師)の出現によって初めて開示され

たのである。不完全な物質的理論を持って無限絶対の霊界のことを説明しようとしても無理である。

「一度神界の特別の許可を得たるものが、無数の霊界を探り来たり、之を現界へその一部分を伝へたもの

でなくては到底今日の学者の所説は臆測に過ぎないことになつて了ふ。」とは、髙熊山の修行で霊界を探

求された出口聖師を指します。霊界を見たと言う人がいても、それはほんの八衢へ通じる道、即ち霊界の

入り口を垣間見たか、せいぜいが第3天国の下層程度で憶測するような知識では、とても霊界を語る資格

はあるません。

(2)地上に生まれてくる人の中には天人夫婦の間に生まれた霊の子が現界に生まれてくる場合がある。

だから人を神の子神の宮とも云うのである。

「その児の善に発達したり悪に落つるのも亦その蒔かれた田畑の良否に依つて幾分かの影響をその児が受

けるのは止むを得ない。智愚正邪の区別の付くのも止むを得ない。」即ち、多少なりとも環境に左右され

るのも致し方ないという。育つ環境が悪ければその育ち方に大きな差が出来るとは、親たる人の行い(正

しく清く温かく優しく美はしい心を持ち、最善の行ひを励まねばならぬ)が子に大きく関係するので、親

たる者少しの油断も出来ないのである。天からの預かり者で、天地経綸の主宰者たる子を発育不全にして

は神様に申し訳がたたない。宇宙の大損害とまで言っている。子の教育について第69巻第3章「喬育」を

参照されたい。

 如何なる神と云えど一度現界に生まれて来て霊体を備えなければ天国で活躍する事は出来ないのです。

第16巻第16章「神定の地」でもわかるように天照皇大神といえども現界に生まれ来て元伊勢の「産釜、産

盥と俗に称する天の真名井に御禊して、神格を作り上げたる我旧蹟なり」といっています。

要するに霊子は生まれたての子供同様で、何の働きも持たない。現界に生まれることによって、人の肉体

と共にその霊子が成長して天国の神業に奉仕できるまでに発達するのである。「天国に住む天人は是非と

も一度人間の肉体内に入ってその霊子を完全に発育させ、現人同様の霊体を造り上げ、地上の世界に於て

善徳を積ませ、完全な霊体として天上に還らせるためである。」

 (1)の「人間は何うして現界に人の肉躰を保ちて生れ来るかと」と言う答えが「天国を無限に開く可

く天よりその霊体の養成所として降されたものである。」 この宇宙は幽の幽から顕の顕まで?がっていま

す。顕幽神の三界に五六七の世を建設する基礎はこの顕界(現界)にあるのです。顕界にいて心の内に天

国を開かなくては死後天国には行けません。従って現界人の肉体は天人養成の苗代であり学校であること

を悟るべきです。

 『尊はかくの如くにして人類を始め、動物、植物等をお創造り遊ばされて、人間には日の大神と、月の

大神の霊魂を賦与せられて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。こ

れが人生の目的である。神示に「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大司宰なり」とあるも、この理

に由るのである。』 【1/21 大地の修理固成】

(3)人の胎児は十ケ月という時が満れば自然に生まれ、そして死の時を迎えれば、否応なく死ななけれ

ばならない。そして、胎児が生まれる時は月充ちて胞衣という一つの死骸を遺して生れ、死ぬ時は肉体と

いう屍骸を残して霊界に復活する。従って神様から見れば霊魂に死というものは無く、生き通しです。

見方によっては人の死は、胎児が胞衣を残して生まれてくるように、死骸を残して天国に生まれる(復活

する)のである。同様に胎児が生まれる苦しみは死ぬ時も同様である。難産で苦しむ胎児があるように、

地獄に落ちて行く魂の苦しみはそれ以上である。

「人間は死後の世界のある事が判らなければ真の正しい行いをすることが出来ないものである。神幽現三

界を通じて善悪正邪勤怠《勤めることと怠けること》によって、儼然としてその報いを受けることを覚ら

ねば人生の本分は何うしても尽されないのである。」

(4)人にとって天国は本来霊魂の故郷です。その証拠に死後天国に行くと天人達は歌舞音楽を奏して歓

迎してくれる。丁度故郷に錦を飾るように。

 真神即ち主神は人間が現界(地上)において神業に参加し、真善をつくした完全な天人となって天国へ

昇り、天国の住民となって霊的神業に参加する事を非常に歓ばれるのです。また、天国の天人も人間が完

全な霊体となって天国へ昇って来て、天人の仲間に加わることを大変に歓迎するものである。

 ここでは神様の思いを養魚家に譬えて教えられている。一万尾の稚魚を養魚してそのうちのわずかな魚

しか売り物にならなかったら養主の落胆は計り知れない。しかし「神様の愛の慾望は到底物質的の慾望に

比ぶることは出来ない。」とあるように、神様の欲望と人の欲望との違いは、人の欲望は己一人か、せい

ぜいがその周囲の人の幸せを考える体主霊従的慾望(自己愛)であり、地球全体の幸せまで考える人はま

ず無い。しかし神様は愛の力を持ってこの三千世界(顕幽神の三界=大宇宙)を五六七の世にするのか欲

望です。

 人を大御宝と表現されるようにこの宇宙で最も大切ものの一つで、「神の御意志を実行する機関」とし

ての人間が居なくなれば神々の活動の場が無くなり、宇宙のバランスが崩れこの宇宙も元の泥海に戻って

しまいます。

人間が天津神の御許、即ち天国に帰ることが神の欲望を満たすことで、それには正しく神の教えを実行し

なくてはなりません。それに反すれば根底の国に行くことになります。


富山・高岡教室 9月18日(木)

霊界物語第17巻第2章「魔の窟」、第3章「生死不明」を拝読

第2章に、鬼彦達一行はおコンに欺されて、雪隠を中に置き一生懸命に天津祝詞を奏上しているところを

平助達に気づかされる。改心した鬼彦や鬼虎は丁寧な言葉になったり、昔の乱暴な言葉になったりするの

で、岩公はどちらかに決めて欲しいと云います。

鬼彦が『本守護神や、正守護神や、副守護神の言葉が混合して出るから仕方がありませぬわいやい。』

といっています。この3つの守護神の意味が何時もまよい、本当の意味がわかりません。

第48巻第一章の「聖言」につぎのようにかかれています。

『要するに人間は霊界より見れば即ち精霊であつて、この精霊なるものは善悪両方面を抱持してゐる。故

に人間は霊的動物なると共に又体的動物である。精霊は或は向上して天人となり、或は堕落して地獄の邪

鬼となる、善悪正邪の分水嶺に立つてゐるものである。しかして大抵の人間は神界より見れば、人間の肉

体を宿として精霊界に彷徨しているものである。しかして精霊の善なるものを正守護神といひ、悪なるも

のを副守護神と云ふ。正守護神は神格の直接内流を受け、人身を機関として天国の目的即ち御用に奉仕す

べく神より造られたもので、此正守護神は副守護神なる悪霊に犯されず、よく之を統制し得るに至れば、

一躍して本守護神となり天人の列に加はるものである。又悪霊即ち副守護神に圧倒され、彼が頤使(いし

)に甘んずるごとき卑怯なる精霊となる時は、精霊自らも地獄界へ共々におとされてしまうのである。此

時はほとんど善の精霊は悪霊に併合され、副守護神のみ我物顔に跋扈跳梁するに至るものである。そして

此悪霊は自然界に於ける自愛の最も強きもの即ち外部より入り来る諸々の悪と虚偽に依つて、形作られる

ものである。』とかかれています。

 一行は真名井ヶ岳の近くで雪崩に遭い、お節だけが生き埋めになります。鬼彦、鬼虎は一生懸命に助け

ようとする姿は改心した事を物語っています。助かったお節は化け物となって逃げて行き、とある岩石の

前で姿を消します。鬼彦、鬼虎二人は本当のお節に合わせると平助、お楢に告げ岩窟内に入って行きます。

 第3章では岩窟に1年間閉じ込められていたお節が岩屋から出て、石槍を逆手に持ち鬼虎を追っかけ石に

躓きその場に倒れ気を失います。報告に来た勘公が死んだと言うだけでお節か鬼虎かハッキリ言わぬので

怒った平助が「何奴も此奴も皆殺しだ」というので、檪公は「皆殺しなら、何度でも頂戴いたします」と

一見とんちんかんな返事をしたように見えます。しかしここはクスッと笑うところです。それは、16巻21

章の「お礼参詣」でお節が平助の家に戻ったので、その祝いに餅(皆殺し)や牡丹餅(半殺し)を作る相

談をしている場面があります。その時の会話の様子を思い出せばわかると思います。


金沢教室 9月22日(月)  


第15巻第13章「神女出現」を拝読

 素盞嗚の大神様は高国別を伴い西蔵国に着かれます。ここでカナンの家に宿をとります。西蔵は世界の

秘密郷で、高地のため食料が取れないので家族制度に不思議な風習があり、素盞嗚の大神はそれを改善さ

れます。「ここに素盞嗚尊は、此惨状を見るに忍びず、他家と縁組をすることを許されます。是れより素

盞嗚神を縁結びの神とたたえ、此国にてはイドムの神として、国人が尊敬する様になつた。」とあります。

 神素盞嗚の大神が千座の置戸を負って以来、悪が蔓延りこの西蔵の地にもバラモン教やウラル教が入り

込み、人心が恟恟として安んじなくなったため、心ある人達は「再び大神の出現を希ひ、茶断ち塩断ち火

の物断ちを致し、天に祈願を籠めて居ります。それゆえここ一月許りは、吾々は総ての飲食を断ち、日夜

祈願を凝らし、善根を励み居りまする様の次第」と聴き、「素盞嗚尊は双手を組み、両眼より涙をホロホ

ロと落し、黙然として吐息をつき給ふ」たとあります。

                                                     以上阿良田記


次回   金沢10月20日(月)午後1時30分より 15巻

     富山10月23日(木)午後7時  第17巻


八重洲教室 9月20日(土)  


 出口孝樹先生が来られなくなった為、皆さんで進めて行った。

33巻には出口王仁三郎聖師と等身大の観音像(弥勒最勝妙如来)の写真が載っている。また「瑞祥」に

は大正十一年九月二十日に亀岡の万寿苑に2羽の鶴が飛来した瑞祥が記されているが、今日は同じ月日で

あった。


第32巻  第二二章 橋架  第二三章 老婆心切  第二四章 冷氷  第一七章 悔悟の歌

第33巻  序歌  瑞祥  第一章 高論濁拙  第二章 灰猫婆  第三章 言霊停止

      第四章 楽茶苦 

 アルゼンチンのウズの都の末子姫の館で、神素盞鳴大神の歌に対して捨子姫が一同を代表して答礼歌を

歌う。その後に神素盞鳴大神、言依別、松若彦と末子姫の一身上に関する大問題につき協議を凝らす。

 松若彦は神素盞鳴大神から神徳強き国依別を末子姫の夫になってくれる様取り持つように言われ、国依

別を訪ねて説得して行く。国依別は自分が女殺しの後家倒し家潰しであったことから固辞するが、とうと

う話を受ける決心をする。この話を聞いた高姫は、この話を取り消させようと、言依別、国依別、鷹依姫

竜国別と次々と掛け合って行く。

 次には逃げる松若彦を追いかけて、一本橋が落とされていたことを知らず川底にフン伸びてしまう。カ

ールがそれを助けるのであるが、高姫はカールが突き落としたのだろうと疑う。更には癲癇のように口か

ら泡を吹き気絶してしまう。助けられたが言霊の使用を停止されていた。そして捨子姫とのやり取りの後

ようやく高姫はこの結婚を認めることになる。

             
                                        桜井道彦記