教室レポート(113) 2014
金沢。富山共通
愛善世界11月号掲載の 霊界物語第48巻 第9章「罪人橋」を拝読
一月号の第47巻第9章「愛と信」は先に一部勉強したので、今回は昨年11月に掲載された「罪人橋」
を拝読しました。
1、 高天原(霊国及び天国)は光明即ち智慧や慈悲の世界である。そしてこの光明はまた神真であり、
神から来る証覚即ち証によって得られる覚りである。此の真神は天人の心の内に起こる疑問や迷いと外
視(目で見て起こる疑問や迷い)を同時に取り除いてくれる。 光明とは神真即ち〔霊的神的証覚〕
である 「内視は天人の心の内にあり、外視は目にある」とあります。内視外視の意味がはっきりしま
せんが、疑問や迷いではないでしょうか、天人といえども疑問が生じ、迷いが生まれることがあると思
います。
天人は高天原の愛の熱に包まれている。熱とは神善即ち神の愛で覚りを得ようとする心の働きと願望
はこの熱から来る。天人の証覚は現界人には想像がつかないほど優れていて、天人が数言で言い表すこ
とにも限りない密意が含まれ、人間の用いる言語では、とうてい言い表す事は出来ない。又、天人が使
う語字(言語や文字?)で表現出来ない部分は幽玄微妙な音調によってこれを補う。この音調は心の状
態を表し、それより起こる想念(思い)中の諸概念をまた語字によって表すのです。
開祖の神諭には密意が含まれており,現代人の知識や覚りではその密意を知ることは不可能と言ってお
られる。だから、「生きているうちから高天原の団体に籍を置いているものでないと、大本神諭は容易
に理解出来ない事を悟らなければいけない」とあります。したがって神諭は素直に読む物であって余計な
解釈を加えると大きな間違いをします。
霊界物語第15巻第19章「第一天国」に天国での語字についての状況が示してあると書かれています。
第2天国についた言依別命達は「吹き来る風は微妙の音楽を奏し」や「風は音調淑やかなる笛を吹いて」
と風の音が微妙な音調を奏しており、磐船の翼を撫でると「得も言われぬ微妙の音響を」発します。また
童子の声は「細き涼しき声」であるが。閻魔の庁より輸入した人鳥は「言語は明瞭ではなく」、何を言っ
ているのか聞き取れないとあります。天国の語字は明瞭に響き、玉を転がすように爽やかな音調を持って
いるのでしょう。現界においても言霊、特に祝詞はあくまでも明瞭でなくてはいけないのです。
2、 国祖大国常立尊は稚姫君命や国武彦命の精霊に神格を充し、さらに稚姫君命等が出口開祖の肉体に
神懸して、大神の直接の御教を伝達されたので、よほど善徳と智慧証覚の完全な者でないと、神諭に書か
れた密意を知る事は出来ない。そこで至仁至愛の神様は神諭の密意を人間に悟らせるため、瑞霊の神格を
精霊に充して聖師に神懸し、霊界物語を通して霊界の真相を悟らせようと御計画なさったと書かれていま
す。
別の所では大本神諭は霊界の真相のほんの一部で断片的に述べられているので、よほど智慧証覚に優れ
天国に籍を置く人でなければ理解出来ず、八衢に迷う我々のような人間には前後の判断が付かず理解出来
ないと書かれています。
そこでミロクの大神様が精霊(大八洲彦命)に神格を充たし聖師に語らせたのです。霊界物語の御口述
の状態を見るとほとんどトランス(睡眠)状態で口述されており、その内容は現在の我々には難解な部分
もあるが、とても具体的で古事記以前の歴史から始まり過去現在未来が委細に述べられ、また顕幽神三界
の様子が具体的に述べられている。そして真の目的はこの世をミロクの世にするための心の改善(改心)
で、火の洗礼を施す事です。
3、 大本神諭の中の言葉は人を覚りへと導く、その理由は神格に充たされた本守護神の言語は心の動き
と一致し、また物事の本質をとらえる思考とも一致するからです。
言葉というものはそこに様々な感情が込められており、文字に書けば同じ字面でもその時の状況、心の
動きが音声に現れて来るものです。聖師様のように天国に籍を置く人は、わずかな言葉の中にその人の歴
史から未来までの一生の運命、さらにその人の持つ能力(智慧証覚)まで読み取れると書かれています。
語字と言う言葉は辞書にはありません。語は言語、字は文字かとも思うが、また内容からは言い方や言
い回しも含まれているのでしょう。
4、 人間の思いや心の働きは隠そうとしても自然に、その声や皮膚(顔色)に現はれるので、霊的な智
者、賢者(天国に籍を置く智慧証覚の優れた人)の前では隠せない。その言葉の中に勇親愛智の四魂の情
が心の中に表れるため隠しようがないのです。即ち神の権威はどうしても覆い隠すことが出来ないのです。
自分の心に悪も慾もなければ智性が発達し情動の変化も非常に活溌なので、相手の腹の底まで透視でき
る。しかし、心に少しでも悪や欲があると智性や情動が鈍り相手の心中を見通す事は出来なくなってしま
う。自分に少しでも欲があると相応の理(相手と同期する理法)によって相手に簡単に欺されるのです。
5、 自分の愚かさから悪人に欺かれ窮地に陥ると、自らの愚かさを責めず逆に相手を恨んでしまう。さ
らに進むとその恨みは神様にまで及び、遂には神様(信仰)から離れて行くと書かれていまする。人はど
うしても自分だけが正しいと思いがちであるから、常に直霊を働かせ「省みる」心が必要です。
6、 真善愛の極致におられるのが神様です。そしてミロクの世実現のために人間を神の形体に作り、神
業を完全に遂行させようとされたのです。したがって、人間は神界の秩序整然たる順序を守り、善の為に
善を行い、真の為に真を尽さねばならないと書かれています。しかし現代は体的には十分発達したが、八
岐大蛇や曲神等の捕虜となり霊的には神に反き神の存在を無視する暗黒無明の世界となってしまったので
す。
人間は神様から自由を与へられたので、そこに神的活動が自由に出来るのですが、今はその自由を善用
出来ず、多くの人は悪魔に利用されています。
7、 そこで全知全能の神は現幽神三界(現界、幽界、神界)の大革正を推し進めるために開祖、聖師を
地上に降されたのです。そしてその教えが完全に実行されるまでの期間を考え計画を立てられたとありま
す。そして今はその途中にあり、我々は少しも気を緩めることなく魂を磨き、神様の大慈大悲の大御心を
考え神業に参加しなくてはいけないのです。
金沢教室 1月20日(月)午後1時30分
第15巻第4章「神の栄光」。第5章「5天狗」 を拝読
第4章では これまでの登場人物の名前を織り込んで愛子姫が鬼雲彦を言向け和した感謝の歌を謡いま
す。
次いで太玉命もこれまでの経過を感謝とともに歌をもって謡う。顕恩郷は無事平穏に治まり、城内の勇将
猛卒も太玉命の神力に服し、忠実に三五教を奉じ、メソポタミヤは楽土と復します。
第5章では道彦(勝彦)、国彦(与太彦)、安彦(弥次彦)達はまたまあ中有界に迷う。「アーア妙だ、
冥土へ来てからでも夢を見るものかなア」と夢とも現ともつかぬ話である。しかし、妙音菩薩の慈悲によ
って五人は救われます。
霊界物語第16巻第18章「遷宅婆」を拝読
鎮祭式のあと、英子姫に天照大御神の和魂が神懸され、綾部、剣尖山の麓にある現・元伊勢の地と大江山、
天の真名井ヶ岳の霊的関係と働きが示されます。
1,「そもそも当所は綾の聖地に次げる神聖の霊場にし天神地祇の集まり給ふ神界火水の経綸場なり、神界
に於ける天の霊の川の源泉にして宇宙の邪気を洗ひ清め百の身魂を神国に救ふ至厳至聖の神域なり。」とあ
り、元伊勢の地は綾の聖地(綾部・地の高天原)に次ぐ霊場で、宇宙の邪気を洗ひ清め百の身魂を神国に救
ふ至厳至聖の神域と示されています。
2,「又この東北に当つて大江山あり、此処は神界の芥川と称し邪霊の集合湧出する源泉なれば霊の川の霊
泉を以て世界に氾濫せむとする濁悪汚穢の泥水を清むべき使命の地なり」とあります。「この東北に当つて
大江山あり」と書かれていますが、第15巻で太玉命に言向け和され逃げてきたバラモン教の頭領、鬼雲彦
の本拠地で、御伽草子の酒呑童子で知られる大江山と思われますが、現在大江山とされる千丈ヶ嶽は元伊勢
(皇太神社)の西北に位置します。霊的には「神界の芥川と称し邪霊の集合湧出する源泉」で、元伊勢は邪
霊を清める使命の地で相対峙しています。
3,「此濁流の彼方に天の真名井ケ岳あり、此処は清濁併せ呑む天地の経綸を司る瑞の御霊の神々の集まる
源泉なり。豊国姫の分霊、真名井ケ岳に天降りミロク神政の経綸に任じ給ひつつあり、されども曲神の勢力
旺盛にして千変万化の妖術を以て豊国姫が経綸を妨碍せむとしつつあり。汝悦子姫、之より大江山の濁流を
渡り真名井ケ岳に打向ひ百の曲霊を言向和し追ひ払ひ吹き清めよ」とあります。現在久次岳の麓に比沼麻奈
為神社(京丹後市峰山)があり、元伊勢からはまた西北に当たります。ここは瑞の御霊の御系統の神々がミ
ロクの世実現の経綸にご活動され、集まる霊場であると示されています。
ここに神命が下り、今後の英子姫、亀彦、悦子姫の活躍が期待されます。
以上阿良田記
次回2月17日(月) 金沢教室 午後1時30分より
2月13日(木) 富山教室 午後7時より
冒頭では綾部本宮山の新年祭の模様や、1月19日が王仁三郎聖師の66年目の命日であり、その直前に
聖師の神代文字の書が見つかったことを聞いた。
またOSHOの方も参加され、インドの話等を聞く。
第30巻 第一五章 花に嵐 第一六章 荒しの森 第一七章 出陣 第一八章 日暮シの河
第一九章 蜘蛛の児 第二〇章 雉と町 第二一章 神王の祠
禁じられていた御倉魚を食べることで住民を飢えから救った国依別はヒルの都を指して進み行く。途中ウ
ラル教のブール等が襲おうとするが、人差し指から霊光を発して追い返す。途中キジとマチを従者として引
き連れる。日暮シ河でウラル教のアナン、ユーズ等がヒルの都へ攻め行くところを国依別、キジ、マチが退
散させる。神王の祠で父親のエスがウラル教に囚われたエリナと出会い、キジ、マチは父親を取り戻しに、
国依別はエリナを家路に送り行く。
桜井道彦記
物語19巻、第3篇至誠通神。第9章御魂の浄化、第10章馬鹿正直。
昨年12月勉強会は会員のご家族のご不幸が有り休会しました。1月から再開です。
荒鷹、鬼鷹が改心の後、木花姫の化身の丹州と再会し、隆靖彦、隆光彦の宣伝使名を賜る所から拝読。
御魂が浄化し向上すれば、相貌までも変化し美しくなると言う。・人は心が第一よ/御魂研けば忽ちに/
鬼も変じて神となり/心一つの持ち方で/神も忽ち鬼となる/さは然り乍ら人の身の/如何に霊魂を研く
とも/神の力に依らざれば/徹底的に魂は/清まるものに有らざらん/云々の宣伝歌はこの章から引用さ
れているのも改めて知って感慨深い。19巻第1章の高熊山では、小幡大明神と木の花姫と相談の上、聖師
の御魂が丹州と顕現すると示されており、物語の中の丹州と重なり瑞霊の働きの多様さ、変幻自在の経綸
の奥深さを思い知らされる。第10章馬鹿正直からは舞台は松姫館に移る。馬、鹿両人が改心の上にも改心
させられる状況が語られる。人情の機微を味わう拝読会でした。
三輪光佳
次回2月24日19時~於青梅市民会館
物語19巻
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