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教室レポート(112)        2013










八重洲教室 12月14日(土)  


 冒頭で、昭和10年12月8日王仁三郎聖師等が松江で検挙されて以降終戦までの弾圧の模様や、昭

和20年12月8日に大本事件解決奉告祭を行い、現在ではこの日に新生祭を行っている話を聞いた。


第30巻  第九章 醜の言霊  第一〇章 妖雲晴  第一一章 言霊の妙  第一二章 マラソン競争

      第一三章 都入  第一四章 霊とパン  

 神素盞鳴尊の八乙女の一人の末子姫等が巽の池の大蛇を言向け和しに行く。石熊が帰順歌を歌うので

あったが、池の波はますます激しくなって行く。再び心を入れ替えて宣り直しても効果が現れない。次

に捨子姫の言霊によって池の荒れが治まり、黒雲も晴れ渡る。更に末子姫の歌によって竜神が解脱して

行く。

 末子姫、捨子姫はウズの国から松若彦に出迎えられて御輿に乗ってウズの都に入場する。途中のカー

ルと石熊の掛け合いも面白い。

 言依別、国依別は御倉山に至り、飢饉で飢えに苦しむ人々の為にウラル教のブールら反対を押し切り

、捕獲を禁止されている御倉魚を捕って人々を救うのであった。

            
            
                                        桜井道彦記


金沢教室 12月16日(月)  


金沢・富山共通

 愛善世界誌12月号に掲載。霊界物語 第58巻第24章「礼祭」を拝読。

要約

1、

三五教の信者である三千彦は自分の気持ちから言えば敵のようなバラモン教の大自在天にまで祭典をす

る事に気が進まぬようである。

2、


他の宗派で祀った神霊や先祖の霊(祖霊)を三五教に改式するときの、祖先の霊界の生活について述べ

られている。

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2-1 これまで先祖供養の大切さが教えられてきた。それは中有界や地獄に居る精霊が子孫の祈りによっ

て魂が向上するからである。

ここでは、霊界に入ると現界との連絡が切れるので、天国に上った極善者には現界に住む子孫は供養する

必要がないのではないかと三千彦は尋ねる。

*それに対して玉国別は「子孫が孝のためにする愛善と信真のこもつた正しき清き祭典が届かないといふ

道理は決してない」子孫の真心からの供物や祭典は、霊界にいる者を喜ばせ、かつ子孫の幸福が守られる

のである。

2-2 三千彦は「どんなに長くても中有界には三十年より居られないのであるから、再度現世に生まれてき

た精霊に対する祖霊祭の必要はないのではないか」と聞く。

*顕幽一致の神律によって、現世に生まれ変わってきた精霊にしろ、天国や地獄にいる精霊を問わず、子孫

の供養によってみな救われる。地獄に落ちた祖霊は子孫の祭祀の善徳によつて、中有界に昇り,更に天国に

上ることが出来る。また天人は天国においてより一層安楽な生涯を送り、その天人の喜びの余波は子孫に自

然に伝わり、子孫の繁栄を守るのであると。なぜなら愛の善と信の真は天人の神格が子孫の人格の内に流れ

来て、決して断絶することがないからである。

2-3 他宗で祀った祖霊はそれぞれの宗派の天国に行っているのを子孫が三五教に改宗して三五教で祀った

らどうなるのか。

*人の精霊や天人は絶えず智慧と証覚と善真を得て向上しようとしているので、子孫が善と真とに優れた宗

教を信じて、その教の祭祀を行ってくれることを非常に喜ぶものである。天人は元は人間から向上した先祖

であるから最も優れた宗教によって祭祀をしてもらうので,自分達の向上に繋がり、また、地獄に堕ちた霊

身にとっても最善の救いとなり大いに喜ばれ,決して迷惑とは成らない。祭祀によって、祖霊が光明に向か

って進むのだから却ってこれを歓喜し、天国に在ってもその地位を高められる。「吾々現身人は、祖先に対

して孝養のために最善と認めた宗教に信仰を進め、その教によつて祖先の霊に満足を与へ、子孫たるの勤め

を大切に遵守せなくてはならぬのである」

3、

改宗した後の元の神様をどの様に扱ったらよいかをたずねている。

*玉国別は自分が祠の森【第49巻】で「天の御三体の大神様と大自在天様を祀つように、他を排斥する必要

はない」と述べている。仏教から大本に改宗して大神様と祖霊様をお祀りすればもう仏壇に手を合わせる事

がないからと云って、無理に仏壇を廃棄する必要はないようだ。

 

金沢教室  

出席 勝田、明子

第15巻第2章「途上の変」、第3章「十六花」までを拝読

ここに出てくる太玉命は第三巻に出てくる三ツ葉彦命(埴安姫・聖師)の後身でり、天照大神様が天の岩戸

に隠れられたとき太玉串を奉った神様です。ここでも柄の短い太玉串を左右左と振ってバラモン教の妖術を

再三にわたって退けています。その自信は我々から見ると猪突猛進とも思われる勢いで、正に宣伝使に退却

の二字がない勇猛果敢な神様です。神に一切を任せれば何も恐い物はないと言うことでしょう。また、第3

章でも第13巻に登場したウラル教の半ダースの宣伝使が加勢のため登場しますが、『敵の牙城にただ一人

進撃せむとする場合で御座る。かくの如き曲神の砦を言向け和すは吾一人にて充分なり。折角の御出馬なれ

ど、貴下は速かにフサの都に引返し、夫々の神業に就かせられたし』とあくまでも宣伝使は一人旅で加勢を

断っています。

ここで素盞嗚命の娘である八人乙女が始めて登場しますが、バラモン教の鬼雲彦を言向け和すため、多くの

人達が加わり素盞嗚命の水も漏らさぬ御経綸は判ります。


富山教室 12月19日(木)  



第16巻第15章「谷間の祈り」第十六章「神定の地」、第17章「谷の水」を拝読。 

出席者:〔石浦夫妻、久々江、古野、木津、明子、 総勢7名

舞台は綾部からそう遠くない元伊勢(現・大江町)の地でのお話しで、劍尖山の谷間で世人を欺く青彦を

改心させます。悦子姫に神憑りされた天照皇大神によって、宮殿の造営が宣示され、忌鋤、忌斧をつくり百

日百夜を経て工事は完成します。これは伊勢神宮宮殿造営の嚆矢(起り)であると示されています。はから

ずも本年は20年毎の式年遷宮の年で1300年前(持統天皇の治世・690年)からと伝えられていますが、

本当はもっと古くから行われて来た行事であったことがわかります。現在は丹後の元伊勢といっている皇太

神社(内宮)より、少し宮川に降ると産盥、産釜があり、明治三三年三月八日の元伊勢水のご用によって清

水は井戸(金明水)に注がれ、また沓島より日本海に注がれました。



                                       阿良田記

次回

  金沢教室 1月20日(月) 午後1時30分 15巻

  富山教室 1月23日(木) 午後7時 16巻