教室レポート(109) 2013
金沢、富山共通
愛善世界誌9月号掲載 霊界物語第47巻第11章「手苦駄女」を拝読
1, 人の本体である精霊は肉体という容器の中に入っている。精霊の愛の情動(心の状態)によって、
其の愛の情動と同期する邪鬼、悪鬼共が同居したり、精霊自身が天人にも地獄の妖怪ともなるのである。
人は愛を根元として生命を保っている。愛には愛の善と愛の悪があり情動(心の働き)が愛善であれば
天人となり、愛悪になれば地獄と相応するので妖怪的人物となる。
人間が生きている間、本体である精霊は其の考えが自然界の法則に順っているため、霊界における団
体とは交わらない。しかし、その思いが常の状態とはっきりと違った時、霊界における自己の所属団体
に現れることがあるが、その時は容易に霊界の精霊と区別することが出来る。なぜなら肉体を持った精
霊は第七章「酔の八衢」に出てくる万公の精霊のように、思いに沈み、黙然としてふらふらとさ迷い、
他の精霊は見えずまるで盲目の様に見えるからである。 迥然《はっきり違う。かけ離れた》
2、人間が肉体を脱離して霊界(精霊界)に入った時は睡眠状態でもなく、覚醒状態でもない一種異様
の情態(心のありさま)にいる。その時、人間は自分は充分に覚醒していると思い込んでおり、諸々の
感覚はハッキリとしていて、丁度肉体の最も鋭敏な状態と少しも変りはない。五官の感覚も、四肢五体
の触覚も鋭敏となり、生きている時の諸感覚はこの時の鋭敏さに到底及ばない。この情態にいる天人や
精霊を見ると、その精気は活気凛々として活躍し、又彼等の言語も明瞭に聞く事が出来るのである。
3、さらに天人や精霊と接触出来ることである。その理由は現界の法則に縛られないで、霊界の法則に
順うからである。この情態を霊界では肉体離脱の時といい、現界では死と言う。
死を迎えたとき人間は自分が霊界にいるのか現界に居るのか判らない。霊界に入った時人間が精霊と
いわれる理由は、その内分が霊的生涯を送るからで、霊界の事象は内分即ち霊主体従の法則に従って活
動するからで、人が人(精霊)たる理由となる。精霊が即ち人間である。 内分:精霊(本守護神)
4、人の肉体は現界に居る精霊にとって家又は容器といっても良く、活動機関でもある。精霊が持つ諸
々の想念(思い)と多くの情動が肉体と(密接に)関連しているので、肉体の諸器官が働かなくなった
時、肉体上より見てこれを死と呼ぶのである。
精霊と、肉体が行う呼吸と心臓の鼓動には内的関連がある。それは精霊の想念と呼吸(肺)とが?が
り、愛より来る情動と心臓とが通じているからである。肺臓と心臓の活動が止まった時点で霊と肉とが
直ちに分離するのである。それは肺臓と心臓は肉体と精霊を結びつける命で、この二つの器官が(完全
に)停止した時、精霊は肉体を離れ霊界に復活するのである。
精霊の容器である肉体から精霊が抜けることで、肉体は次第に冷却しついに腐って行くのである。
想念(思うこと)=呼吸(肺臓) 情動(心の動き)=鼓動(心臓)
5、人間の本体である精霊が肉体から離れても、なおしばらくはその体内に残り心臓の鼓動が完全に止
まるのを待って霊界に完全に復活するのである。死因によって心臓の鼓動が永く継続したり、また、短
いことがある。しかし、これは瑞の御霊の大神のなさる所であって、人間自身の出来ることではない。
心臓の鼓動が完全に休止するまで精霊がその肉体を離れないのは、先に述べたように心臓は情動と
相応するからである。全て情動というものは愛に属し、愛は人間生命の本体である。人間はこの愛に依
って、生命に熱があり、この和合の継続する間は精霊はなお肉体の中にいるのである。《心臓の鼓動が
永く継続するのは現世への執着が強いからであろうか?》
6、精霊は肉体を脱離する直前に持っていた思いを死後暫くの間保持している。しかし時間が経つにつ
れて精霊は現世に居た時、即ち平素から持っていた想念へと戻る。これらの想念は精霊が主とする愛の
情動より来るものである。人の心の内分即ち精霊が肉体より引かるるが如く、又ほとんど抽出さるるが
如きを知覚し、かつ感覚するものである《下線部分不明?》。古人の諺で最後の一念は死後の生を引く
と云つているのは誤りで、どうしても平素の愛の情動に左右される。人間は平素より其身魂を清め、善
をいい善の為に善を行い、かつ智慧と証覚とを得ておかなくてはいけない。
富山教室 9月19日(木)
今日はちょうど中秋の名月に当たります。
旧暦の15日に正真正銘の満月(月齢が15日)の夜を迎えることはそう無いそうです。3年前がそうで
あり、8年後でないと今夜と同じ月は見られないそうです。 因みに今年の中秋の名月は午後8時13分
が満月だったそうです。(写真は午後11時22分の月)
第16巻第13章「神集の玉」を拝読
13章「神集の玉」では亀彦の宣伝使一行が秋山彦の館にやってくる。門番に鍵盗人と言われて押し問答
している所へ騒ぎを聞いて秋山彦が出てくる。ここで「人を疑ふは決した良い事ではありませぬが、よも
やと思ひ心の裡(うち)に罪を作っております」と言う文章がある。
冠島、沓島の宝庫の鍵が紛失したので秋山彦は高姫、青彦ではないかと疑っての言ですが。人を疑うと言
うことは本来するべき事ではありません。吾々は確証もないのに簡単に人を疑ってしまいます。当を得て
いればよいのですが、大概は間違っており罪を作ることになります。心したいものです。
これに類したことに信仰の友が自分の思いが叶わない(または思いと違う)として、相手や教団のやり
方を批判した言動をよく耳にします。宇宙一切は神様のなさることです。ましてや大本の内部に起こるこ
とはなおさら神様の意志が働いており吾々人間ごときには善悪の判断が出来るはずがありません。ほんの
小さな事と思っていることも、みな神様のご意志が働いています。
自分の依頼した事が通じなければ神様のお許しがまだ無いものとして引き下がるべきで、それを荒げれ
ば心の罪だけに止まらないことになります。
亀彦達は大江山(たいこうざん)の鬼武彦の力を借りて冠島へ向かいます。島では高姫、青彦が球を採
りだし別の場所に隠します。沓島に追いついた鬼武彦達は二人を岩窟の中に閉じ込めますが、冠島の玉を
得るためには高姫を連れて行かなければならないので、仕方なく冠島へ連れて行きます。
如意宝珠の玉は「神集の玉」といって言語を発し、現在はドイツに隠されてあるという。不思議!
第14巻第16章「返り咲き」。17章「一寸一服」。「跋文」を拝読。
第16章はこれまでの経過と六サンお竹の合衾の式が宣伝歌を以て述べられています。
小山村の春の屋は爺サンの名は鶴助、婆サンはお亀、息子の名は松公、女房はお梅と謂ふ。娘がお竹で鶴
亀松竹梅の一家族に婿を加へて六人暮し、名も六サンの婿入りを祝ひ、媒酌の役は勝彦の宣伝使。弥次彦、
与太彦二人は六サンの友人としてこの目出度き結婚の席に加はつた。三五教の誠一つの教を加へて此処に
十曜の珍の身魂、なんとも目出度いお話です。
第14巻第17章「一寸一服」で通算567章。金沢教室も何とかここまで拝読させていただきました。
平成18年(2006年)6月28日に第一回の勉強会が出口信一先生によって始められ7年3ヶ月が過
ぎ、遅々としてではありますがお陰様で14巻を完了しました。
以上阿良田記
次回
金沢教室 10月21日(月) 午後1時30分より 15巻
富山教室 10月24日(木) 午後7時より 16巻
先日の台風18号の福知山や綾部の被害が大変だったことを聞いた。
また出羽三山の山伏修行に行かれた方の話を楽しく聞いた。
さらには、皆神山祭典の模様、来年の芦別山祭典の計画、相馬での慰霊祭の計画の話があった。
第29巻 第八章 高姫慴伏 第九章 俄狂言 第一〇章 国治の国 第一一章 日出姫
第一二章 悔悟の幕
高姫一行は玉を求めてアリナの滝に着き、鏡の池の月照彦の神霊と問答するが、高姫の自我は変わらな
い。さらには狭依彦の神に撥ね飛ばされたり、月照彦命になぶりものに会わされたり、怪物に食べられそ
うになった所に日の出姫が現れて訓戒を受け、ようやく改心することになる。女神は白楊樹に有った錦の
袋に入った黄金の玉を懸橋御殿に返すことや、アマゾン川へ向かうこと等の指示を与える。金毛九尾白面
の悪狐の霊が抜けた高姫は改心して別人のようになるのであった。
桜井道彦記
於青梅市民会館
霊界物語19巻、如意宝珠午の巻。第1篇神慮洪遠。序文、凡例、総説、第1章高熊山、
第2章いすかの嘴第3章千騎一騎、第4章善か悪か。
総説三十三魂は名前折り込み歌にて、多くは物語筆録者で大正11年旧4月現在であるが、昭和10年5月
校正時では、外山豊二、加藤明子、松村真澄、谷村真友氏らが昇天されている。先日出口信一先生の4年
祭が執行されたが、墓前祭を終えて天王平参拝して、三輪家(三河の実家、本部側)の墓参の帰路、たま
たま通路から何気なく見ると、加藤明子の墓と彫られた鮮やかな文字が目に付いた。近づいて側面を見る
と、なんと、出口王仁三郎建立とこれまた素晴らしい文字で有った。昭和9年であり聖師のお心が偲ばれ
た。
そんな思いから、19巻の拝読に入った。第1章高熊山は聖師修行の発端となる、木の花姫のお使い松岡
神使との出会い、小幡明神との会合、、西王母(坤の金神)の神霊との合体等の記述が注意深く鏤められ
聖師の神格の本体が明かされる。しかし又前日のヤクザとの絡みも語られる。そこで今回の拝読は《故山
の夢》《物語37巻》の回顧歌から多く引用して、前日の青年喜三郎の心境に触れながら、神が聖師の肉
体をも神と一体に経綸されて行く経緯を、前18巻の玉照姫が伊都能売の御魂の顕現であること、と同時
に玉照彦もまた伊都能売の御魂の経緯を勉強した。第2章からは前巻からの続きの展開で、青彦、紫姫に
邪魔された高姫、黒姫たちウラナイ教の内部の人間模様が描かれ、吾ら俗人の世界もかくやと思われて、
身につまされる部分もある。青彦、紫姫が玉照姫争奪戦の於いて、権謀術数を使ったかどで宣伝使の職を
剥奪される場面は、神界経綸の厳しさを提示されており、信仰の世界のあり方が問われている。
第3章で、黒姫が蛇体に還元する場面が語られるが、この恐ろしい描写に肝が冷える思いがするが、こん
な事の無い様にしっかりと物語を拝読して、心身を清め、智慧正覚の向上を目指したく思う。
三輪 光佳
次回10月28日(月)夜7時~青梅市民会館
物語19巻
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