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教室レポート(108)        2013










富山教室 8月22日(木)  


富山、金沢共通

愛善世界誌 八月号掲載の霊界物語第17巻  霊の礎(三)を拝読。


1、「高天原の天国に上るものは、地上にある時其身内に愛と信との天国を開設し置かなければ、死後に

於て身外の天国を摂受することは不可能である」とある。

身内の天国とは我々の心の内に造り上げた天国であり、身外とは死後行く天国である。愛と信はこれまで

に何度も出てきたように、神の本質たる愛と信であり、愛は天国を、信は霊国を現している。

 死後天国に行こうと思えば生きている内に自分の心の内(身内)に天国を築いておかなければならない。

何故なら、現世にある時に抱いていた心の状態そのままの霊界(天国や地獄)にゆくからである。生前心が

地獄の状態であった人が死んだからと言って天国に行ける道理がない。

 天国に行ける心の状態とは神を愛し神を信じて無限絶対(真神)と合一しておかねば成らない。人は無

限絶対(大宇宙)の一断片であるから、人もまた無限で絶対的存在でる。したがって始めも終りも無い真

神を信愛しなくては霊肉共に安静を保つことは出来ないものである。


2、真神とは〔天之御中主の大神〕でありお力を完全に発揮される状態を〔天照皇大御神〕と申し上げる。

また、〔撞の大御神《大国常立の大神》〕と申し上げるのである。

神は其の働きを陰陽、霊体、火水等相反する二元に分けられたので、火(陽、霊)系の祖神を高皇産霊大

神ととなへ厳の御魂と申しあげます。また、水(陰、体)系の祖神を神皇産霊大神と称へ瑞の御魂と申し

あげます。


真神=天之御中主の大神=天照皇大御神=撞の大御神=大国常立の大神  

          / 火(陽、霊)系の祖神を高皇産霊大神と称へ厳の御魂と申し上げる

 働きを二元に分け
          \ 水(陰、体)系の祖神を神皇産霊大神と称へ瑞の御魂と申し上げる

天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神の三神は其のご活動の状態によって様々な名前がつけられ

ている。本来全宇宙には天之御中主の大神ただ一柱であって、働きのうえで名義が変わっただけであり、

三神は三位(神)一体てある。

 神は独一真神、即ち此の宇宙にただ一柱御座すのみです。其の働きに応じて付けられた神名が八百万の

神である。従って神は一神であり、働きから見れば多神である。そして神の霊系の働きを厳の御魂と申し

上げ、体系の働きを瑞の御魂という。そこで、人は霊界に入ったならは厳の御魂を主とし、現界にあって

は瑞の御魂を主として、我々の心身内を治めなければならない。


3、 現界においてすでに心身内に天国を造っておかないと死後天国に行くことは不可能である。しかも、

現界で、歓喜に満ちた生活を送ろうとするなら、瑞の御魂の守りを受けねばならない。

瑞の御魂のお力によって罪悪に向かう心を、瑞の御魂の命の清水で潤さなければならない。

命の清水とは即ち霊界物語であり霊界物語によつて人は心身共に歓喜に咽び、永遠の生命を保ち、死後の

歓楽境(天国)を築き得るものである。


4、 天帝(天之御中主大神)即ち主は水火即ち高皇産霊大神、神皇産霊大神の陰陽の息を呼吸して無限

にその生命を保ち又宇宙万有の生命の源泉となられるのである。言い換えれば主の働きである陰陽二元の

息(活動力)が続く限り永遠に生命(活動)を保つことが出来、又宇宙万有の活動の源泉と成るのである


5、 太陽は陰陽の活動力によって、光と熱を万有に与える。しかし太陽神の呼吸する大気は、太陰神の呼

吸する大気ではない。又人間の呼吸する大気は、主神や日月の呼吸する大気では無い。従って万物の呼吸

する大気は夫れ夫れによって違つて居る。神の呼吸する大気と現界人の呼吸する大気も違っている。

 現実界と精霊界の間の全ての事象に違があるのは、是によっても明かである。しかし現実界と精霊界とは、

外面より見ればほとんど似ている。何故なら現実界の全ての事象は精霊界の移写であるからだ。


6、 高天原の天国は主神の神格によって成り立っている。したがって神に最も近い全徳の人間の行く天国

と、それより離れた三徳二徳一徳の人間の行く天国とはそれぞれに高い低いの区別がある。又主神は見る人

によつてその神格に各々相違が生じる。それは主神に変化があるのではなく、主神を見る我々や天人に徳の

違いがあるからで、自分自身の情動(心)を基準として神を見るから相違が生まれるのである。《神は絶対

的存在であるが、それを見る我々に応じて、相対の姿を現されるのである》 我々はものを見たり考えたりす

る時、自分自身を基準にして考え見てその物事を判断する。自分の枠を大きく外れていると批判し時には排

斥する。神様を見る時も同様である。絶対の神は変わる事はないが、己の心を基準として見るが故に神は相

対として変化するのである。即ち神は己の映し鏡として映ずるのである。地獄に居る罪悪者は神を悪魔と見

て忌み嫌う。

 天人の団体は善徳の違いによって、高い低いや大小の区別が付く。主神を愛し、信じる徳が完全なものは最

高天国に上り最高の歓喜の境域に遊び、主神の御姿もまた、至真至美至善に映るのである。ここに天国に色々

の区別が生じ、また主神を見る目に高低、勝劣の区別が着くのである。

 また、天国以外にいる罪悪者は主神を見ると苦しみ悶え、悪人に見え恐怖に戦くのである。

 主神が天国の各団体にその神姿を現わされた時、其のお姿は一個の天人のように見えるが、実際には諸天人

とは天地の差がある。主神自らの御神格が其の徳によって輝き出るからである。


7、 人は一霊四魂から成っている.一霊は直霊で四魂は荒魂、和魂、奇魂、幸魂である。そして四魂はま

た、各々一霊即ち直霊によって主宰されている。此の四魂が完全に働いて善と愛と信と《真》に働き活用す

る人を全徳という。全徳の天人、及び現界人は直ちに最高天国に上り得る。また、三魂の善を活用する場合

を三徳と言って第二天国に進み、二魂の善を活用する場合を二徳と言って第三天国に進み、一魂の善を活用

する場合を一徳と言って最下級の天国に至るのである.一徳一善も無い者は草の生い茂った間をさ迷い、ま

た天の八衢(中有界)に彷徨して、修行させられるのである

 これとは別に悪の強い不信不愛不徳の人達は、其罪業の軽重に応じてそれぞれの地獄へ堕ち、己の作り出

した罪に相じた苦悶を受けるのである。


富山教室 8月22日(木)

第16巻第11章「宝庫の鍵」、第12章「捜索隊」を拝読

12章では「由良の港の人子の司秋山彦は、見晴らしよき奥の一間に、数多の家子郎党を集め、折柄昇る三五

の月を眺めて、大江山の鬼雲彦退治の祝宴を挙げ居たり。紺碧の青空には一点の雲影も無く、星は疎に、月は

清く涼しく、銀鏡を懸けたるが如し。」とある。これとよく似た場面が第25巻第11章「風声鶴唳」にある。

ここでも地恩城の女王黄竜姫が高殿に登り月見の宴を開いている。黄竜姫の副守護神は高殿より墜落する。

本守護神は以下のように言っている。「勿体なくも月の大神様を玩弄物か何かの様に、酒肴を持ち出し月見の

宴だと、花見か雪見の様な畏れ多い事を何とも思はず始めましたが」と反省しています。

秋山彦が大切な鍵を盗まれた要因がここにあるのでしょうか?


金沢教室 8月26日(月)  


第14巻 第14章「一途川」 第15章「丸木橋」を拝読。

前章で勝彦達四人はまたもや暴風に飛ばされ川に落ち込み、今度は一途川にたどり着きます。

木常姫の中婆は一行に向かって、

婆『定つた事だ、俺達の眷属や系統のものが世界の奴の霊をスツクリ引抜いて、鬼瓦の霊と入替へをして置い

たから、世の中の奴は皆冷酷無残な動物霊になつて、餓鬼修羅畜生の境遇になり、優勝劣敗、弱肉強食の体主

霊従的非行を盛んに続けて居るのだ。最早三千世界は九分九厘まで、俺の心の儘に曇つて来居つたが、困るの

はモウ一輪の所だ。変性男子の身魂はどうなつとして、チヨロマカして来たが、歯切れのせぬのは金勝要の神

魂だ。そこへ我の強い変性女子の御魂や、木の花咲耶姫の御魂が出しやばりよつて、俺達の仕組の邪魔をさら

すものだから、多勢の者の難儀と云ふたら、口で言ふやうなものでないワイ。貴様等も変性女子やら木の花姫

の、霊主体従の教を開きに廻つて、俺等の邪魔をする奴ぢや。何と云つても貴様の霊を引抜かねば、常世姫命

に対して申訳が立たず、第一盤古大神や自在天様に申訳がないワイ。婆アの一心岩をも突貫く、いい加減に因

果腰を据ゑたが好からうぞ。イヒヽヽヽヽ』 と言っている。

これは正に今の社会そのままの状態を言っています。八岐大蛇や悪狐に魂を抜かれ、餓鬼修羅畜生の境遇にな

り、優勝劣敗、弱肉強食の体主霊従的非行を盛んに続けており、われよし、強いもの勝ちの社会があたりまえ

になっています。

同じ所を平成23年11月に富山教室で勉強していますが、安倍政権が誕生し状況は益々ひどくなっていくよ

うです。社会全体が此の状況に気づくのは何時のことなのでしょうか。

                                                        以上阿良田記


八重洲教室 8月24日(土)  


 今回は出口孝樹先生欠席の為皆さんで進めた。冒頭で先日の8月18日が旧暦7月12日で王仁三郎聖師

の生誕の日で、綾部で瑞生祭が行われた事やそれまでの一週間本宮山で神集祭が行われたことを報告した。


第29巻  序  総説  端書  第一章 アリナの滝  第二章 懸橋御殿  第三章 白楊樹  

      第四章 野辺の訓戒  第五章 引懸戻し  第六章 玉の行衛  第七章 牛童丸


 鷹依姫、竜国別、テーリスタン、カーリンスは南米《高砂島》に渡り、アリナの滝の上流、鏡の池で玉集め

を始める。そこへヒルの国テーナの酋長アール等が黄金の玉を献上しに来る。鷹依姫等はその玉をメノウの玉

とすり替えて奪い去ってしまう。国玉依別の名をもらった酋長アールは狭依彦の霊にその事を教えられるが、

その場で三五教の教えを拡めていき遂には懸橋御殿を造ることになる。

 玉を奪った鷹依姫等四人は猿世彦の副守護神と称する化けものに訓戒を受け、玉への執着を捨てハルの国の

玉の森林を目指す。

 高姫、春彦、常彦はテルの港に上陸し、春彦・常彦は途中で牛童丸と出会ったりしながら、アリナの滝を目

指して行く。

                                          桜井道彦記


青梅教室 8月26日(月)  


                                     於青梅市民会館。19時~

物語18巻。第15章遠来の客、第16章返り討、第17章玉照姫、霊の礎。

弥仙山の麓に誕生した玉照姫争奪の企みに、執着を見せる高姫、黒姫を始めウラナイ教の面々の活動もいよい

よ佳境を迎える。青彦紫姫たちウラナイ教に寝返った者達も高姫らの信用を得
て、人質の綾彦お民を先頭に玉

照姫を受け取る作戦を実行する。黒姫の信頼を裏切ってアナナイ教に再び
寝返って、人質交換の約束を反故に

して、アナナイ教の聖地に帰還する。物語の筋書きは18巻ではそこま
でである。玉照姫を守りつつ、論功行賞

を待つ青彦達だが沙汰は中々来ない。結果は19巻に続くが、黒姫
たちに権謀術数を用いて欺した行為は神慮に

叶わない。しかしまたその行為が高姫達の改心劇に繋がっ
てゆくとしたら、神の計らいの用意周到さを思わず

にはいられない。高姫は・・三五教やウラナイ教・神の
教えと表面は・二つに分かれて居るけれど・元を糺せ

ば一株じゃ・・と歌うが、変性女子の改心を前提にして
いる訳で、この巻の特色でも有る瑞霊攻撃の神諭が沢

山出てくる。これは草創期の大本に於ける開祖と聖師の
力関係も垣間みせて興味深い内容である。又主要課題

である玉照姫について、17章で青彦が歌う長歌は
重要な意味を持つ。

・・『神素盞嗚大神の・御言畏み曇りたる・世を照らさむと英子姫・神の仕組を奥山の・心に深く包みつつ

隠して容易に弥仙山・万代祝ふ亀彦を・伴ひ聖地を後にして・国の栄えも豊彦が・
娘のお玉に木花の・姫の命

の分霊・咲耶の姫を取り懸けて・・中略・・黄金の峰に現れし・木
花姫の分霊・咲耶の姫の再来と・仰ぐ玉照

姫の神・・以下略。この様に玉照姫は木花咲耶姫で有って、稚姫
君の命ではあり得ない。

脚注に説明される、七人の女の解釈も間違っているが、何時の日か訂正される日が来るのを願うばかりである。

また木花咲耶姫は聖師で有って、三代様では無く、大本神諭の解釈も進展する
事を期待している。


                                            三輪 光佳

次回9月30日。物語19巻。青梅市民会館19時~。