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教室レポート(107)        2013










八重洲教室 7月20日(土)  


 冒頭で7月8日に行われた「国見山遥拝祭」の模様を聞く。王仁三郎聖師は終戦後の昭和21年4月3日

に、まだ砲弾が転がっているこの場所を訪れ、冠島・沓島の遥拝をし、国見山と名付けた。


第28巻  第一六章 盲亀の浮木  第一七章 誠の告白  第一八章 天下泰平  第一九章 高島丸  

      第二〇章 鉈理屈  第二一章 喰えぬ女  第二二章 高砂上陸  跋(暗闇)

 シャーカルタン、トロレンス、セールス姫等は泰安城を奪回し、玉藻山に攻め込むのであるが、日楯・月鉾

等は向陽山の常楠仙人より賜った鏡と玉の威徳で、これを撃退して更に泰安城の軍を帰順させてカールス王、

真道彦等を救い出す。カールス王は真道彦に政教両面の主権を握ることを促すが、真道彦は政治には容喙しな

いとこれを辞し、カールス王を王として台湾は永久に三五教掩護の下に芽出度き神国と治まることとなった。


 高姫は常彦、春彦に舟を操らせて南米に向かうのであるが暗礁に乗り上げて舟を失ったところを高島丸に救

われる。高島丸には言依別、国依別が乗っていたのであるが、船長は相談しながら高姫の行動を諭そうとする

が、聞く耳を持たぬまま船はテルの港に安着し、高姫はテルの都を指して走って行く。


                 

                                          桜井道彦記


富山教室 7月25日(月)  


富山、金沢共通

愛善世界誌 七月号掲載の霊界物語第四六巻 第一五章「黎明」を拝読。

これまでの経過

 ウラナイ教のお寅婆さんは蠑?別に恋慕していたが、其のイモリ別はお寅が大切にしてきたお金を盗み、若

いお民と逃げてしまう。イモリ別が帰ったと聞き喜んで部屋に帰ってみると、イモリ別は火鉢の前に丹前をか

ぶったまま泰然と座ってた、がそのうち黒い牛の子のような大狐となって森林さして逃げ去る。これはお寅の

副守護神となっていた狐が、松彦や松姫、五三公の神德に畏れて姿を現し、お寅の肉体より逃げ出したのであ

る。これよりお寅は本心に立ち帰り真の信仰に入る。一方摩我彦も狐にだまされてお民と駆け落ちしていたつ

もりが、お寅に気をつけられて本心に立ち帰る。


P16(3) お寅は人には三つの宝があり、その宝は物質的宝や変則的情欲ではなく、神様に対する恋愛だと言っ

ている。(此の変則的情欲は神に対する純粋な恋愛とは正反対な、我々のもつ性欲や色情であろうか。)それ

は第一に愛、第二に信仰、第三に希望で、此三つの歓喜を離れては一日もこの暗黒の世の中を過ごすことは出

来ないと言っている。そして、「吾敵は吾身体の中にひそんで居りました」とも云い、「仁慈無限の神素盞嗚

大神様の御恵を蒙りながら、少しも弁へず、蠑?別の邪説に従ひ、御無礼ばかりを申しました」と気づきまず。


P17(4) お寅は万民を救いたいという気持ちは胸に火を焚いたように激しく何度も起こったが、しかしながら

「万民どころか、自分一人をも救う事も出来なかつた。実にかよわい自分である事を徹底的に悟らして頂きま

した。」といい、自分一人を完全に救うことが、やがて万民への救いになる。『自分一人の自覚即ち神を信じ

神を理解し、真に神を愛し、自分は其中に含蓄される《その事を完全に覚った時》以外にないものだと云ふこ

とを、御神徳に依つて深く深く悟らして頂いた事を有難く感謝致します』という。

此の傍線部分は第47巻第9章「愛と信」にも真の信仰として以下の様に書かれている「心の底より神を理解し、

神を愛し、神を信じ《信仰し》、且つ死後の世界を固く信じて神の御子たる本分を尽くし、何事も神第一とす

る所の信仰である」と。神を理解すると言うことは「惟神《一切を神の御心のままに身を委ねること》の精神」

に目覚めることで、これを改心ともいうのである。


P19(6) 「吾身一つの魂の  持ちよに依りて世の中は  天国浄土となるもあり  地獄修羅道と変るあり

 地上の小さき慾望に  魂を汚され心をば  紊(みだ)しゐたりし浅ましさ  天国浄土は目のあたり

 しかも吾身の胸の内  開けありとは知らずして  私利と私慾の慾界に  漂ひ苦しむ世の人よ

 その境遇を窺(うかが)へば  げに浅ましの至りなり」


心はその持ちよう一つで天国にも地獄になる。お寅(人)は小さな欲望によって、魂を穢し、乱れさせたので

ある。天国は遠い世界《死後の霊界》にあるのではなく、今生きている自分の胸の内にある事を知らなければ

ならない。私利私欲に迷っている人は実に憐れである。人は自分に不利益をこうむったからと云って、他人を

何時までも恨んでいては救いがない。時として神より与えた試練として受け入れることが必要である《特に現

代人はこの諦めが無いように感じられる》。


P20(下2) 「吾身の垢を洗ひます  瑞の御霊の御恵み  神素盞嗚大神が  仁慈の余光《お陰》を地にな

げて  暗に苦む人草を  救はせ給ふ御心を  今や嬉しく悟りけり」


瑞の御霊の御恵によって我々の罪の垢は洗い流される。それは神素盞嗚大神さまの仁慈のお陰であり、その事

を今嬉しく悟らせていただいた、とある。我々の犯した罪も、悔悟すれば神素盞嗚大神様によって拭い去って

くださるのです。


宣伝歌は後半が省略されている。その省略部分より

 神は汝と倶にあり  人は神の子神の宮  神に等しきものなりと  のらせ給ひし聖言は

 仁慈の光明に照らされて  悔悟の花の開きたる  吾身に依りて実現し  証明されしものぞかし


神様は遠いところに居られるのではなく我々の側に居られ、人は神の子神の宮であり神に最も近い存在であると

聖言に示されている事が、神の仁慈の光に照らされ、前非を悔い悟りを得たわが身によって実証された。


 お寅は苦悩の大峠に立ち、神素盞嗚大神の御神德を理解すると、たちまち心中に天国が開け、苦しみは歓喜の

涙に潤されて天人の心へと向上する。ここではミロクの大神様である瑞の御霊の御神德が徹底的に説かれている。

それは、いかなる罪人もいかなる罪をも加えず救いたもうその御仁慈のほどが、切々と感得出来る。(一部霊界

物語資料より)


富山教室 8月25日(木)  

第16巻第9章「法螺の貝」、第10章「白狐の出現」を拝読。

 鬼雲彦は菊見の宴のための犠牲(いけにえ)を採りにやった鬼彦が戻らないので見に行かせようとするが、一

寸坊子が現れて鬼彦以下が三五教に帰順し、日ならずして大軍を引き連れ攻めてくると告げる。そこへ鬼彦以下

鬼虎、熊鷹、石熊が帰ってきて、素盞嗚尊や国武彦を捕らえた顛末を大法螺を吹いて宣伝する。鬼雲彦は4人に

気が狂ったのでは無いかと告げれば。法螺を吹いたのは副守護神で本守護神は既に三五教に帰順したという。網

代駕籠の戸を開けるとそこには最愛の家族が囚われ、悲惨な姿でいる。

 第10章「白狐の出現」では鬼彦や鬼虎と見えたのは大江山(たいこうざん)の鬼武彦とその白狐の眷属であっ

た。鬼雲彦夫妻はマムシの室屋に閉じ込められるが、亀彦、英子姫、悦子姫によって助けられる。鬼彦以下の部

下は全員鬼武彦によって助けられ、大江山(おおえやま)の本城に帰ってくる。そこで、鬼雲彦夫妻は全員によ

る天津祝詞の言霊に責められ、一目散に逃げて行く。

 白狐の頭領鬼武彦は自分達は自転倒島を守るので亀彦達に神素盞嗚大神に従って神政復古の神業に奉仕されよ

と云い、亀彦達に万一、身に危険が迫った時は土地の遠近にかかわらず鬼武彦、旭、高倉、月日の名を呼べば助

けに行くと約する。

                                                          以上阿良田記


金沢教室 7月29日(月)  


第14巻 第13章「山上幽斎」を拝読。

この章では幽祭の危険性が説かれている。

勝彦達一行は風光明媚な峠につく。与太彦は勝彦に幽斎修業をしたいと三五教の鎮魂帰神の神法を要望する。

勝彦は水がないからできないと断わるが、弥次彦から始まり与太彦、六公まで神憑状態となり、木常姫や八十

杜彦、ロ子姫の悪霊が想依する。どうすることも出来なくなった勝彦は一生けんめい瀧のような汗を流しなが

ら神言を奏上

この時、中空より馬にまたがり下りて来た日の出別以下四五の生神はこの場に現われ、金幣を打ちふり打ちふ

り、前後左右に馬を躍らせ駈けめぐれば、邪神は度を失ない先を争そって二十四坂の方面にあやしい声ととも

に逃げ散った。与太彦、弥次彦、六公はたちまち元の覚醒状態に復帰した。

勝公は大地に頭をすりつけて、大神の御神徳に感謝し、うれし涙にむせんだ。弥次彦、与太彦、六公も芝生に

頭をつけ、驚異の念にかられ、一生けんめいに神言を奏上した。四人の身体は虹のような鮮麗な霊衣につつま

れる。四人は首をあげて眺めると、日の出別の宣伝使が鷹彦、岩彦、梅彦、亀彦、駒彦、音彦とともに馬上ゆ

たかにこの場に立っている。勝彦が慢心の罪をわびると日の出別の神は無言で首を二三回うなずかせながら宣

伝使一行を引きつれ帰って行かれる。その後に無数の光輝に冴えたる霊線は、虹のごとく華星のどとく一行の

後にややしばらく姿を残していた。

 聖師の上谷での幽斎修行の模様が物語の37、38巻に載っている。

                                          以上阿良田記

次回

     富山8月22日(木)午後7時

     金沢8月26日(月)午後1時30分より


青梅教室 7月29日(月)  


                                    於青梅市民会館午後7時~

物語18巻。第4篇舎身活躍、第11章相身互、第12章大当違第13章救の神、第5篇五月五祝、第14章蛸揚壺。

物語18巻も終盤に差し掛かり、玉照姫争奪戦の佳境を迎えて、登場人物の1人1人が生き生きと描写され善悪

を超えた会話が快く響く。ウラナイ教から三五教に移り、三五教の宣伝使として
活躍する人たちが黒姫達に注

ぐ眼差しの温かさを見る時、ウラナイ教もアナナイ教も同じ土壌に育って居る
事を思わされる。殊に丹州と言

う木の花姫の化身が、改心組の教育に携わり宣伝使としての自覚をさせて行
く過程は現代に通じる様に思う。

この18巻には黒姫が、瑞の御霊、素盞嗚尊の悪口を言う場面が何カ所か見
られる。大本神諭、明治38年4月

16日の文章がそのままの形で部分的引用されている。開祖が聖師攻撃
をする筆先で有って神の戦いと表現され

るが、それにしても異様である。この様な聖師攻撃の神諭は明治
34年~38年に掛けて7カ所あるが、何れも今

回の愛善世界社版に掲載されている。しかし昭和43年~46
年に出版された大本神諭には削除されている。読

み比べると実に興味深い内容に気付かされる。第3次事件
の琴線に触れるものが見えてくる。神霊界版大本神


諭が出版された意義は誠に大きいが、出しただけで終
わっているのは残念である。大本教学の根幹が再構築さ

れるべき時期に来ている事を如実に物語っている。

次回は19巻にも拝読は進む予定で有るが、玉照姫、玉照彦の存在の意味についても勉強したく思う。

                                                          三輪 光佳

           次回、8月26日(月)19時~

           物語、18巻19巻。