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教室レポート(105)        2013










金沢・富山教室 5月16日(木)  


今月は出口孝樹先生をお迎えしました。

金沢、富山共通のお題


 初めに出雲大社大遷宮行事の内、奉幣祭(5月11日)に参拝された様子を伺いました。

 次ぎに弥仙山岩戸開き110周年祭典のお話がありました。開祖様が明治34年旧の9月8日に弥仙山(664m、

山頂には木花咲耶姫を祀った金峰神社がある)の中の宮(於成り神社。彦火火出見命)に1週間篭られた事に

始まります。元々は役行者が開かれた修験道の山で、女人禁制の山であったので地元の人に見つけられ騒動に

なります。

 その前に出雲火のご用から帰られた開祖、聖師との間で火水(厳霊=天照大神と瑞霊=素盞嗚尊)の戦いと

言われる神様同士の霊的争いが始まります。その結果として開祖は弥仙山に篭られます。そのことを岩戸隠れ

といいます。〔これは古事記に出てくる天照大神と素盞嗚尊の誓約(うけい)ののち天照大神が天の岩戸に隠

れられ、続いて最初の天の岩戸開きが行われたことと関連します〕 しかし、お篭りが開けた状態を岩戸開き

というのではなく、岩戸篭りの状態は明治36年4月28日(110年前)に行われた祭典(二度目の岩戸は開き)に

よって終わります。 この戦いはこれまで世に出て、世を持ち荒らした神と世に落ちて陰から支えて来られた

神の戦いでもあり、いよいよ両者の和合が木花咲耶姫様の仲立ちで出来たのです。この一連の神事を二度目の

天の岩戸開きと言います。 

 また同時に沓島に御引退になっておられた国祖大国常立命はいったん弥仙山に上られていましたが、この神

事により綾部に入られます。大本出現そのものが天の岩戸開きです。

 開祖、聖師(神様同士)の戦いは天の岩戸隠れにいたる様を見せているので、その様を見て改心を迫る型で

あります。また、今度の弥仙山への登山参拝は開祖、聖師の110年前の体験を我々も追体験するものです。頭

の中だけで考えるのでなく、登山という行為を通じて肉体的感覚をも体験するものです。

 第18巻の口絵(写真)に聖師が描かれた弥仙山の色紙が載っています。山の下に動物の絵が描いてあるので

すがそれが何か疑問に思っていたのですが、出口先生に質問すると。猫の絵であることが判明しました。先生

が撮られた写真の中に、山頂のお宮の中にいる狛犬ならぬ、狛猫の象が左右に一体づつ映っていました。一方

の猫はネズミを加えています。この地方は養蚕が盛んで、蚕を食べるネズミを退治するために猫を大切にした

ようです。

 また、秋になると大本では綾部の七社参りが行われます。その行事はどうして行われるのかあまり知られて

いないようですが、開祖様が弥仙山の二度目の天の岩戸開きのお礼に廻られたのが始まりだそうです。

 出雲と紀州との関係をお話しされました。聖師様は熊野(和歌山)へ行かれた後綾部に戻られ、次いで出雲

(島根)に行かれ、松江で検挙されます(第2次大本事件)。事件が解決して最初に行かれたのが出雲です。

その後どうしても行かなければならないとして熊野へ行かれますが、そのあと病床に就かれます。

 熊野大社は出雲にも熊野にもあり、伊邪那美命の御陵である比婆山と、熊野には花の窟神社があり、合わせ

鏡となっていて深い関係があります。出雲は霊の国で熊野は体の国であると聖師は言われています。聖師は無

理までして行かれた熊野に、どんな意味があったのかと考えてみた時、事件前は社会全体が体主霊従(熊野→

出雲)の状態でしたが、事件後は霊主体従(出雲→熊野)へと転換して行く型を聖師自ら示されたのではない

でしょうか。

以上のお話がありました。

 

5月16日(木) 金沢教室

第14巻第10章「牡丹餅」を拝読

 勝彦、弥次彦、与太彦、六公は谷間を這い上がり、一九番目の峠の手前の村に着きます。一行は六公の案内

で松屋という飲食店に入ります。腹の減った一行は牡丹餅を注文し、たらふく食べます。下女のお竹は『ハイ

ハイ、何でも御座います。お望み次第お金次第です』といえば、与太彦は『チエツ、直に之だから嫌になつて

仕舞ふ、お銭お銭と何だ・・・』といっています。

 弥『何うでもよい、早く出して貰はうかい、腹の虫は得心したやうだが、未だ舌と眼とが羨望の念に駆られ

て居るやうだ。同じ一つの体だ、腹ばかり可愛がつて、眼と舌とを埒外に放り出すと云ふのも、吾々宣伝使と

して情を弁へぬと云ふものだ。アハヽヽヽ』はおもしろい、わき目もふらずに食べたので、腹はそこそこ満足

したようだか、食は腹八分、見て楽しみ、舌で味わッてこそ楽しみなのであろう。六公とお竹は顔を見合わせ

て左右に逃げ出す。



5月16日(木) 富山教室 

第16巻第7章「空籠」を拝読。

鬼彦、鬼虎、石熊、熊鷹一行は鬼武彦以下の白狐の導きによって、三五教に帰順する。一行は好奇心にかっれ

地底の岩窟に入って行くと、入口を鬼武彦によって千引きの岩で塞がれてしまう。

 『何だ、鬼彦の大将と言ひ、熊鷹の阿兄と言ひ、其他一同の顔の紐は薩張解けて仕舞ひ、今迄の鬼面は忽ち

変じて光眩き女神の様な顔色に堕落して仕舞ひよつた、ハテ困つた事だワイ、善の道へ堕落するとコンナ腰抜

けに成つて仕舞ふものかなア』以上は偵察に来た鬼雲彦の手下の言ですが、悪人から見ると改心して女神のよ

うになった姿も堕落と見えるようです。
                                      阿良田記


次回

6月17日(月) 金沢教室 午後1時30分より 14巻

6月20日(月) 富山教室 午後7時より  16巻




青梅教室 5月19日(日)  


                                         於、奥多摩苑

今月は奥多摩苑春の大祭、慰霊祭が執行されました。祭典後に参拝者全員参加して拝読会が持たれ、短い時間

ながら楽しい会を開催出来ました。奥多摩苑の方々、又杉並礼拝所の方々のご協
力を厚く感謝申し上げます。

北島真吾さんが亡くなられてから、分苑月次祭にも参拝する機会も遠のきま
したが、此度北島美枝さんからお

招きを頂き、礼拝所の面々6名参拝させていただきました。これからも
時々参拝させて頂く事になり交流を深

めつつ、神様の御用にご奉仕出来たらと願っております。


物語拝読箇所。18巻第3編反間苦肉。第7章神か魔か。第8章蛙の口。

豊国姫命を祀る、比沼真名井の宮はご神徳が明らかと言うので、参詣者が後を絶たない。それに引き替えウラ

ナイ教はサッパリなので、黒姫の弟子たちが一計を企てて、アナナイ教信者の横
取りを謀る。数人が敵味方に

分かれて、八百長芝居を打って成功する。前6章では若彦、紫姫達が黒姫の軍
門に降った如き八百長芝居が演

じられたが、ここでも見え見えの芝居によって2人がウラナイ教の手に落
ちる。2人は玉照姫の生母、お玉の

方の兄夫婦(この時点誕生前)で真名井の神に参拝を命じられて、その
参拝の帰路災難に遭う。綾彦、お民の

夫婦は後にアナナイ教信者として活躍する様になるが、殊にお民の
持つ役割は深く計算されている様に思う。

舞台設定に夜の山道が用意されている。今では考えられないが聖
師の若い頃は当たり前の様だった。月光なき

夜は星のひかり、また木々の姿形を目安に山道を進んだとも
思われる。実際聖師は夜の山道で命を狙われてい

る。聖師の日常の生活全てが物語りのネタに成っている
とも言える訳で、ここでの登場人物の生き生きとした

描写、かつ笑いの坐の如き軽妙な会話。これらは時代
を超えて読者のこころを和ませて呉れる。しかしまた八

百長芝居の行く末が楽しみでも有る。

次回、6月24日。青梅市民会館、7時~18巻。

                                                                        三輪 光


八重洲教室 5月25日(土)  


 冒頭にて5月22日・23日に行われた鉢伏山・龍宮神社祭典の模様を聞く。出口王仁三郎聖師は昭和21

年5月22日・23日に訪れている。


第28巻  序歌  総説歌  第一章 カールス王  第二章 無理槍  第三章 玉藻山  

      第四章 淡渓の流  第五章 難有迷惑  第六章 麻の紊  第七章 無痛の腹

 長谷川さんより第3巻の台湾の説明を聞く。台湾は花森彦統裁のもとに高国別・高国姫が治めていたが、常

世姫の間者である玉手姫の悪計により大半は常世姫の部下の占領するところとなった。

                 

 泰安の都では花森彦の孫にあたるカールス王はヤーチン姫が后となるべきものと信じていたが、玉手姫の血

を引くサアルボース、ホーロケースはそれを妨げ、セールス姫を妃とし政治の実権を握って行く。

 一方真道彦命は玉藻山の聖地を中心として三五教を広めていたがホーロケース等に攻め込まれ、真道彦命は

姿を消し、その子供の日楯・月鉾は言依別・国依別の霊に感じ琉・球の玉の威徳によってホーロケース等を追

い帰す。

 泰安城ではホーロケースの息子のセウルスチンがセールス姫と怪しき仲となって暴政を行い、革命の機運が

熟し、シャーカルタン一派とトロレンス一派が泰安城に攻め寄せる。玉藻山の八尋殿に於いてこの事態にいか

に対処していくかの議論が続くのであった。

                 

                                          桜井道彦記