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教室レポート(104)        2013









八重洲教室 4月13日(土)  


第27巻  第一一章 茶目式  第一二章 湖上の怪物  第一三章 竜の解脱  第一四章 草枕

      第一五章 情意投合  第一六章 琉球の神  第一七章 沼の女神  第一八章 神格化

 竜神の柿を食べた国依別・チャール・ベースは激流に流されて行くが、常楠等に救われて槻の木の洞穴に送ら

れ、腹が膨れて苦しむのであったが、ようやく治ってハーリス山指して登り行く。竜神の湖で竜神の眷族の怪物

が現れるが国依別の言霊によって消えてしまう。大竜別・大竜姫は言依別・国依別に琉と球の玉を渡して解脱し

て水分神となる。

 比沼真奈井から神勅により清子姫・照子姫が琉球にやって来る。また清彦・照彦は高姫が言依別の後を追って

行ったことを聞き、琉球に向かい途中で暗礁に乗り上げた清子姫・照子姫を救い、槻の洞穴に行く。そこで高姫

に出会うのであったが、高姫は高砂島に向かう。

 言依別・国依別は玉の精霊を腹に吸い、形骸を若彦に玉能姫の館へ持ち帰らせる。常楠・清彦・照彦は琉球全

体の守護を任される。言依別・国依別・清子姫・照子姫は高砂島に向かう。

 清彦・照彦は琉球沼へ行き、清子姫・照子姫に出会って夫婦の契りを結び、この島を治めて行く。

                  
                  
                                           桜井道彦記


富山教室 4月18日(木)  


富山、金沢共通

愛善世界4月号掲載の霊界物語第44巻 第8章 「光と熱」を拝読。

 前半は先ず言霊の神力が語られています。晴公にはその力がありませんが、治国別の天津祝詞の言霊の力によ

って真っ暗な闇が「朧月夜のごとき明かりがただようた」とあります。

 ここに治国別はズッポリと汗をかくほど無我無心の境地で天津祝詞を上げています。言霊は奏上する人の霊格

と真剣さの度合いによって違うのでしょう。聖師様は祝詞は大勢で上ると濁されるので、一人であげる方か真剣

でよいと言っておられます。

 次ぎに、言霊の威力を目の当たりにして、言葉の正体についての万公の質問に宣伝歌を以て答えています。

以下要約すると、

高天原=天界(天国及び霊国)に住む天人は我々同様、みな智性と意志とを持っており、

■霊国天人は智性的生涯を送り、この知性的生涯を作り出すものは天界の光である。そしてこの光は神真の中

 より出る神智(信)である。

■天国天人は意志的生涯を送り、この意志的生涯を作り出すものは天界の熱である。そしてこの熱は神善であ

 り、そこから神愛は生まれる

            ○

*真とは信真の光で、善は愛善の熱である。神界と地上は相応し、神界の光と熱は一定不変の力である。地上を

守る熱と光を考えれば明瞭にこの道理が判る。

*春と夏の両期は熱と光が和合し地上の万物を啓発し生長させる。これに反して冬期は光のみで熱がないため万

物の活動を押さえ、却って死滅に到らせることもある。

*高天原の天界を楽園と言うのは熱光の相応があるからで、真と善とが相合し信と愛とが合するからである。ち

ょうど、それは地上の春期に当り、光と熱が和合するときである。

            ○

  天地の太初に道(ことば)あり  道は神と共にあり  道は即ち神なるぞ  万物これにて造らるる

  造られたるもの一として  之に由らずして造られし ものは尠しもあらじかし。

《宇宙はその創造の初め道(ことば)即ち言葉(声音)によって創られた。言葉は神であり、宇宙に存在する総

ての物は、この言葉(神)によって生まれたのであり、そうでないものは全くない》 [宇宙の始まりは スの

言霊です]

以上はヨハネ福音書第一章の最初の言葉を引用して歌われています。

*聖者(開祖や聖師)の言葉(道)は主神の力を意味する、なぜなら、道は肉体だからである。しかし、その本

当の意味を覚る者はない。

そこで亀彦(治国別)は詳細に説明しよう。

*道(ことば)は聖言であり、神真《神から来る真(まこと)》である。そして主神より現われ来る光である。

高天原での力を神真と言う。

*《霊国天人は》この神力を保っているので地獄界まで制裁し、反抗するものを押さえ込ませることが出来る。

たとえ数万の反抗者が現はれても、高天原の神光である神真の輝きある一筋の光に遭へば忽ち戦慄するのである。

*天人が天人であるのは神真を摂受《受け入れる》し得るからである。だから全天界の根元を組織するものは神

真の光である。それは天界を組織するものが天人だからである。

            ○

*神真中にこのような偉大で無限の神力が潜んで居るとは現界の真理(思想や言語)でしか考えられない学者には

容易に信じがたい所である。思想や言語はそれのみでは力を持たないからである。

*天人は主神の命令に従って活動する時始めて力が生れる。神真はその中に自ら《自湧的》なる力があって天界は

造られている。地上の世界もその神真の力によって万物は全て造られたのである。

*このように神真の中に尊い神力があることは人間の内にある善と真の力。また、太陽の光と熱との力によって神

の稜威が明かに覚り得られる。

 治国別に理解出来たかと聞かれ、万公は半解ぐらいでもう少し判るように細かく教えて欲しいと云うと、

更に、この先のことが知りたければ「この歌を繰り返し繰り返し霊魂に浸み込ますが良い」あまります。一時に多

くの事を聞くと消化不良を起こすからとは正にその通りです。

 

富山教室 PM7:00より

 

第16巻第五章「秋山館」、第六章「石槍の雨」を拝読。

第五章「秋山館」はバラモン教の大将鬼彦が素盞嗚尊が居ることを知って、秋山館に攻め入ります。秋山彦は様子

を見に行って捕まります。門番の報告に亀彦は助けに行こうとしますが国武彦(国祖の御分霊)にせっかくの酒宴

の興が冷めるので放っておけと言われ、国武彦の家来である白狐の活躍を知らない亀彦はカッツと怒ります。

国武彦命の『秋山彦の一人や二人犠牲にした処で、何騒ぐ事があるか。一人を殺して吾々数人が助かると云ふもの

だ。一人を損するか、吾等一同を損するか、利害得失を能く胸に手を当て、算段をして見よ。情を棄つるか、理智

を棄つるか、二つに一つの性念場だ。情に惹かされ、大事を謬る天下の痴呆者、仮令秋山彦の三人、五人殺されよ

うとも、神素蓋鳴尊様さへ御無事ならば、吾等は是れにて満足致す。マアマアゆつくりと、酒でも飲みて、今日の

酒宴を賑やかに致せ。喜悦の座席に血腥い話を持込まれては、サツパリお座が醒める』とは白狐の活躍を知らない

われわれにとっては亀彦同様、何とも悪魔の暴言にも聞こえます。

 『ヤア亀彦、汝が心の中の美はしさ、吾れは満足致したぞよ、イザ是れより賑々しく酒宴を催し、大江山の本城

は彼等脊属に打任せ、吾々一行は由良の湊より船に乗り綾の高天原に進まむ』と言う素蓋鳴尊の言葉からも亀彦の

心を試されたのであろうか。

第六章「石槍の雨」は

 神素蓋鳴大神、国武彦命其他三人は、桶伏山の蓮華台上に登らせ給い、天神地祇八百万の神を神集へに集へ給へ

ば、命の清き言霊に先を争ひ寄り来る百の神等、処狭きまで集まりて、皇大神の出でましを、祝ひ寿ぐ有様は、蓮

花の一時に、開き初めたる如くなり。

 「神素蓋鳴大神は、国武彦命に何事か、密に依さし給ひ、ミロク神政の暁迄三十五万年の其後に再会を約し、忽

ち来る丹頂の鶴にヒラリと跨り、中空高く東を指して飛び去り給ふ。国武彦命は亀彦を始め、英子姫、悦子姫に何

事か囁き乍ら万司に向ひ厳格なる神示を与へ、茲に別れて只一柱、四王の峰の彼方に雄々しき姿を隠したまひける

。」とあります。三十五万年後に来るミロクの世のための準備として、何か神策を施されたことが伺えます。


 

金沢教室 4月22日(月)  


第14巻第九章「空中滑走」を拝読。

小鹿峠の大風に吹き飛ばされた弥次彦と勝彦を探しに行った、与太彦と六公は松にの大木に引っかかっている両人

を見つけます。亡者だと思っている与太公、六公に対して勝彦は芝居がかった口上で二人を安心させます。それを

聞いた与太公は『・・・変性男子の閻魔サンが御代りになつてからと云ふものは、地獄の中も、余程寛大になつた

といふ事を、神憑の口を通じて聞いて居たが、如何にも変つたものだ、民権発達といふものは、地獄の底まで影響

を及ばし、今度の閻魔サンは、民主主義になられたと見えるな』と言っています。第1巻第六章「 八衢の光景」で

『吾は根の国底の国の監督を天神より命ぜられ、三千有余年当庁に主たり、大王たり。今や天運循環、いよいよわ

が任務は一年余にして終る』と言っています。 国祖国常立尊が地上神界の主宰神となられるため御復権になられ

た後を何神様が大王となられたのでしょうか。


                                        以上阿良田記

次回5月16日(木)金沢教室 午後1時30分より 第14巻

             富山教室 午後7時より        第16巻


青梅教室 4月22日(月)  


                                     於、青梅市民会館19時~

物語18巻。第5章赤鳥居、第6章真か偽か。

弥仙山の麓にて誕生した、玉照姫の神徳高く紫の雲が棚引いている。その雲を目当てに紫姫一行4人は四尾山から

弥仙山向かう途中、黒姫の部下の滝公、板公から暴行を受けたお節を助け
る。お節は婚約者の若彦(青彦)と再会

する。2人は神命により同棲は許されず、宣伝使として別々に
活動する事になる。後お節は玉能姫の名を頂き、目

覚ましい活躍を為す。若彦も又素尊の神業に奉仕して名
を残すが、27巻にて同棲を許されるまで2人の苦難試練

が続く。第6章では黒姫と再会する。若彦、お
節、紫姫、馬公、鹿公、は三五教を捨ててウラナイ教に寝返る。八

百長芝居はここから始まる。玉照姫を掌中
に収める為の芝居ながら、猿芝居で有ってここまでする必要があるのか

疑問も残る。ここでの黒姫の会
話で・・肝心要の厳の霊を蔑ろにして・・・とか・・弥仙山の木花咲耶姫の神より

モウ一つ偉い日の出の
神、竜宮の乙姫様云々・・・の様にウラナイ教の本筋が吐露される。この18巻は弥仙山が

テーマで有るが大本神
諭で説かれる内容と物語の内容と食い違いが見られる。物語入蒙記第8章《・・瑞霊弐拾八

歳にして成道
し、日州霊鷲山に顕現し、参拾歳にして弥仙山に再臨し、三十三相木咲耶姫と現じ、天教山の秀霊と

現じ最
勝妙如来として、五拾弐歳丸山にて苦集滅道を説き道方礼節を開示す。・・》と有る。木花咲耶姫が聖師で

あるとすると、筆先に説かれる三代教主と明らかに矛盾する。愛善世界社版、大本神諭が発刊されてから、旧大本

神諭、また
物語60巻三五神諭と3種類の神諭が、吾々の前に提示された訳でこれらの、大本神諭を読み比べる時、

様々な矛盾点が浮かび上がる。ここではこれ以上議論しないが、時節の力をしみじみと感じる次第で有る。


                                            三輪 光佳

次回5月19日。於奥多摩分苑月次祭後、18巻。