+

教室レポート(103)        2013








金沢教室 3月18日(月)  


金沢。富山共通

愛善世界3月号掲載の霊界物語第40巻 第6章 「仁愛の真相」を拝読。

 初めのお歌は仏教用語が多く内容を理解するのが困難です。

 「相」は身体の特徴で仏様は、歯が40本あり手のひらに水かきがある等、三十二の相はあり更に八十種の

細かい特徴を現しています。仏は三十二相八十種好ですが、ここでは三十三相八十種好と書かれおり、三十三

相は木花姫命であることから照公は「今の歌は五六七大神様の御真相ぢやなくて木の花姫の神様の様ですなあ」

と云っているのでしょう。玉鏡には聖師様が自分は三十六相八十八種好と書かれています。


 照国別は五六七の大神様も木花姫様も同じだと云っています。第48巻第12章「西王母」には「要するに

神は宇宙に只一柱坐ますのみなれども、其御神格の情動によつて万神と化現し給ふものである。さうして厳霊

は経の御霊と申し上げ神格の本体とならせ給ひ、瑞霊は実地の活動力に在しまして御神格の目的即ち用を為し

給ふべく現はれ給うたのである」とあります。

 真神とは本文にあるように霊力体を統合したもので大国常立大神ただ一柱ですが、その情動の方向によって

御名が変わるのでしょう。この情動という言葉は一般に言う《比較的短期の感情の動きのことである。個体・

個人を動機づけるものとしての英語emotionの訳語としての「情動」》とは意味が違い、字の如く情(主観的

な意識。心の働き)と云う意味で捉えるべきではないでしょうか。

 「五六七大神は大和魂の根源神とも云ふべき神様」とあります。大和魂とは仏教の菩提心と同じで、善の方

へ働く感情(慈悲心、同情心)、理性、意志の三つの集まったものです。木庭次守氏の新月の光(かげ)には

…聖師「日本魂とはどんなものか知ってるか」 「武士道と違うんですか」と申しますと 「アホやなァ。日本

魂は外国人とも唐人とも一緒に手を繋いで仲良くすることと王仁はそう習うたけどなァ」とあります。物語に

は他にも様々に説かれていますが、「仲良くすること」は最も端的で判りやすいのではないでしょうか。


  ※ウラル教は理智を主とし(体主霊従=われよし)

  ※バラモン教は理性を主とする教(力主体従=つよいものがち)

    それだから如何しても一般人を救ふ事は出来ない。それに対し

  ※三五教は感情教であるから、一切万事無抵抗主義を採り、四海同胞博愛慈悲の旗幟を押立てて進む

のであるから、草の片葉に至るまで其徳になつかぬものはない。今日の如く武力と学力との盛んな世の中

に慈悲心のみを以て道を拓いて行かうとするのは、何だか薄弱な頼りないものの様に思はるるが、決して

さうではない。最後の勝利はよき感情即ち大慈悲心、同情心が艮(とどめ)をさすものだ。それだから清

春山の岩窟に行つた時もバラモン教の悪人どもを赦したのだ。これから先へウラル教、バラモン教の連中

と幾度衝突するか知れないが、決して手荒い事をしてはなりませぬぞ。どちらの教派も左手に経文を持ち、

右手に剣を持つて武と教と相兼ねて居るから、余程胆力を据ゑて居らぬと、無事に此目的は達成しないの

だ』

多くの宗教も自分を守ろうとして教えだけでなく剣〔イスラム(ジハード)、キリスト教(十字軍)、日本の

仏教(僧兵)等。他に言葉や文章による剣もある〕と教典を携えてきました。しかしこれでは人々を救うこた

は出来ません。慈悲心、同情心が最終には敵対する人々を救うのです。

 経文は経(たて)ての教えと説かれています。これまでの多くの宗教は全て経ての教でした。豊国姫様の緯

(よこ)の教によって初めて、霊的教えが説かれたのです。宇宙は陰陽が揃は無くてはなりません。大本は開

祖の経糸と聖師の緯糸がそろった、他の宗教とは全く違うミロクの教団です。


金沢教室 3月18日(月)   午後1時30分

第14巻 第8章「泥の川」を拝読。

 弥次彦は又もや幽界へ逆転旅行となってしまいます。そこには、およそ300年後の24世紀の事が弥次彦

の口を通して書かれています。

 『廿四世紀の今日に、原始時代のやうな、古い頭を持つてゐるから判らぬのだ、今日の娑婆を何と考へて居

る、天国浄土の完成時代だ。中空を翔ける飛行機飛行船はすでに廃物となり、天の羽衣と云ふ精巧無比の機械

が発明され、汽車は宙を走つて一時間に五百哩(800km/h)といふ速力だ、蓮華の花は所狭きまで咲き

乱れ、何ともかとも知れない黄金世界が現出して居るのだ』とあります。「天国浄土の完成時代だ」とあるの

で24世紀にはミロクの世は実現されているようです。

蓮華の花が咲き匂う野辺を羽衣のような機械を着けた人々が中空を飛び交い、銀河鉄道999のような空中を

走る列車が都市間を行き来しているのでしょう。さてその原動力となるエネルギーは何でしょうか?、聖師は

原子力や我々が今考えている自然エネルギーではなく、宇宙に充満する「霊気」によると書かれていた様に思

います。

 勝彦は『今の学校を卒業したつて何になるのだ、碌でもない事ばつかり教へられよつて、尋常の間が本当の

教育だ、それ以上になると薩張り四足身魂の教育だ、余り学者振るな、学者の覇の利いた時代は廿世紀の初頭

だ、二十四世紀になつて居るのに学のナンノと、学が聞いてあきれるワ』

と云っています。聖師はすでに事件前の大学教育について、学校には鬼が居てまともな教育がされていないと

書いておられました。大学に依らず学校は教育の場である前に経営の場と成ってしまいました。


富山教室 3月21日(木)  


 富山教室 3月21日(木)  午後7時より

霊界物語第16巻第2章「闇夜の邂逅」、第3章「門番の夢」、第4章「夢か現か」を拝読。

 「闇夜の邂逅」では、英子姫と悦子姫はバラモン教の鬼虎達の虎口を逃れ、由良の港の近くまで来ます。一方、

素盞嗚尊様が自転倒島に渡ったと聞き、イソの館から後を慕って由良の港に着いた亀彦と出会います。そこに

バラモン教の捕り手達が現れるので、英子姫達と亀彦は戦い、二手に分かれて敵を追って行きます。

「門番の夢」は経文が出てきます。「阿耨多羅三藐三菩提」は般若心経の言葉で、絶対至上の悟り、仏の悟りの

智慧を意味するようです。また、これ以下の文言は延命十句観音経で経とあるが正式なお経ではないようです。

由良港の国司秋山彦の館での門番の夢は門の内と外で二人のカメが問答する滑稽な場面です。

 「夢か現か」では素盞嗚尊が第15巻に続いて二度目のご登場となります。国武彦(国常立の命の分霊)も登場

し、歌の中にある「九月八日の今朝の秋」と重要な仕組が暗示されています。

 「否々人を疑ふは罪の最も大なるもの、心に曇りあれば人を疑ふとやら、アヽ恥かしい、未だ副守護神の奴、

身体の一部に割拠して猜疑心の矢を放ち猛威を逞しうせむと計画して居るらしい、恐るべきは心の内の敵だ」と

言う亀彦の言葉は肝に銘じたい言葉です。

                                       以上阿良田記

次回  4月18日(木) 富山教室 午後7時より

    4月22日(月) 金沢教室 午後1時30分より


八重洲教室 3月23日(土)  


 冒頭で、淡路島の人形浄瑠璃の話や、3月20日は旧暦2月9日で王仁三郎聖師の高熊山入山の日であったこ

とから、聖師の高熊山での修業の話を聞く。


第27巻  第四章 教主殿  第五章 玉調べ  第六章 玉乱  第七章 猫の恋  第八章 琉と球

      第九章 女神託宣  第一〇章 太平柿

 高姫・黒姫・高山彦は言依別の教主殿を訪れる。玉能姫や玉治別等との問答が続くのであるが、五つの玉の点

検をすることになる。錦の宮での玉調べでは、黄色の玉・白色の玉・青色の玉は団子石で、赤玉は消炭玉であっ

た。最後の紫の玉はダイヤモンドの様な光を放った。

 高山彦は高姫・黒姫と別れて竜宮の一つ島へ帰ろうとするが、黒姫は必死になって止めようとするのだった。

 言依別と国依別は琉球に渡り、琉と球の玉を手に入れようとする。先に来ていた常楠・若彦と出会い、ハーリ

ス山に向かうのであったが、国依別等は途中にあった竜神の柿を食べてしまい腹が布袋の様に膨れ、大蛇に追わ

れて青淵に飛び込む。

                  
                                           桜井道彦記


青梅教室 3月25日(月)  


                                                       於青梅市民会館

物語、18巻第3章神命、第4章四尾山。

2月勉強会にて拝読した、第2章厳の花、では玉照姫の誕生について『七人の女の随一厳の御霊のご誕生』と記さ

れ、厳の御霊の大神がお生まれに成ったと理解される。そして今回拝
読した第四章四尾山では、厳の御霊の大神

が・五六七の御代の礎と・神の水火をば固めまし・お玉の方
の体を籍り・三つの御霊の睦み合・宿りましたる神

の御子・人の呼吸にて固めたる・曇の多き魂でな
い・水晶玉のミツ御霊・厳の御霊を兼ねませる・三五の月の大

神の・教を守る神人の・今日は嬉しき誕生
日・・・と長歌に詠われている。厳の御霊を兼ねるとの表現をどう理

解するか?ここはやはり瑞霊のご誕生で
有り、かつ19巻の玉照彦のご誕生は、伊都能売のご誕生と記されてい

る事を思えば、『玉照姫』も伊都
能売の御霊のご誕生と理解するのが自然では無かろうか。厳と瑞の大神の関係

がはっきり示されてい
て、教えの原点とも受け取れる。お二方はやがて結婚されるが、片方が厳でもう片方が瑞

とする必要が有
るだろうか?私達は先輩から教えられて来た事を受け売りの様に、当たり前の様に理解して来た

様に思
う。玉照姫イコール開祖と言う図式からの解放も考えて良い時期に来ている様に思われる。

                                                       三輪 光佳

次回、4月22日、物語18巻。