の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還りきたらざるごとく、ふたた
び之を更改するは、天地自然の経緯に背反す。ゆゑに神代一代は、これを革正するこ
と能はざるところに儼然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、
これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせ
ば、宇宙の秩序はここに全く紊乱し、つひには自由放漫の端を開くをもってである。
古の諺にも「武士の言葉に二言なし」といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる、神明
においてをやである。神諭にも、
 「時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆にも花の咲く時節が参りて、世に落ち
 てをりた神も、世に出て働く時節が参りたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは
 無いぞよ、云々」
と示されたるがごとく、天地の神明も「時」の力のみは、いかんとも為したまふこと
はできないのである。
 天地剖判の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒出現の暁と